第四章 田中、日本一の兵

第1話 真田幸村、最後の突撃

 慶長二〇年(1615年)五月、大坂夏の陣。


 その最終局面となった天王寺口の戦いにおいて、大坂方の将・真田幸村(もんのすけのぶしげ)は、もうかつながあかたけのりらと最後の作戦を立案した。その内容は、四天王寺の狭隘な土地に敵勢をおびき寄せ、本陣が手薄になったところで、明石隊が突入。真田隊が背後に回り込み、徳川家康を挟み撃ちにする、というものだったという。


 しかし、一部の将の独走により、作戦は破綻。敵を引きつける前に混戦になってしまった。


 幸村はあきらめない。


 毛利隊に苦戦する徳川勢の士気を高めるため、家康が本陣を前に進める。


 それを知った幸村は、真田隊そのものをおとりとして使い、敵勢を引きつけさせつつ後退させ、自らはわずかな手勢を率いて家康のいる本陣へ迂回、急行した。


 万に一つも自分が生き残ることは考えていない。


「目指すは家康の首ひとぉーつ!」


 真田本隊では、幸村が用意した影武者が、馬上、荒れ狂っている。

 それを討ち取ろうと押し寄せる徳川勢の足下で突如、らいが炸裂した。


 ドーンッ!


 混乱する戦場、そこへ幸村の流したきょほうが駆け巡る。


「徳川方の浅野が寝返ったぞー!」


 家康のいる本陣は対応に追われた。

 増援のために兵力が割かれ、本陣の守りがさらに手薄になった……


 そのときだ。


 土煙をあげ、本陣めがけてまっしぐらに突っ込んでくる一団がある。


「あれは……誰じゃ?」


 朱塗りのかっちゅうかぶとには三途の川の渡し賃である「ろくせん」の家紋。


「真田ぁ!」


 大坂冬の陣、夏の陣の間、徳川勢は「真田」を鬼神の如く恐れ続けた。

 その真田幸村、突然の出現。


「撃てッ、撃てーッ!」


 鉄砲組が一斉に銃撃を浴びせる。

 幸村の一隊は死傷者を続出させたが、なおも勢いは止まらない。


 怒濤の勢いで本陣の防御を突き破り、眼前に迫った赤備えの軍団にじんしゅうは慌てふためいた。本陣は蹴散らされ、なかには三里(約12キロ)も逃げた旗本もいたという。

 馬とで逃げる家康を幸村はさらに追撃。このとき家康は、もはやこれまでと観念し、自害しようとした(もはやなるまじ、おはらさむとあるを、こうもんじゅいんせいおそばにあり、まずお待ちあれ、と止め申さる)と伝えられている。


 結局は、本陣の危機を知って駆けつけた徳川勢に阻まれ、家康の首を挙げることはできなかった。幸村と率いていた手勢は全員戦死。


 しかし、その武勇は後世にこう伝えられることになる。


 真田、ひのもといちつわもの


 ***


 それから、約400年の時が流れた――。


 今は「東京」と名を変えた、かつての徳川幕府のお膝元で、今、高校新人剣道大会が行われている。そこで一人の高校剣士が初の団体戦に臨もうとしていた。


 ―――――――――――――――


 作者注


 家康が自害しようとした話は『ちょうきゅうぶんほうこう』という資料にあります。


 「日本一の兵」という言葉は、薩摩のしまただつね(軍神・よしひろの子)が送った手紙にあります。「五月七日に、御所様の御陣へ真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申しそうろう。御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵、いにしえよりの物語にもこれなきよし」。

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