第3話 てんどうごうた、11歳

 今、道場内には心優しい女の子が1人いる。


(あの子、殺されちゃう……)


 藤堂有里は、父の胴着をギュッと掴んだまま、ますます怯えていた。

 つい先ほどまでの稽古の激しさが目に焼き付いている。


 もちろん、大人たちは少年を殺すつもりも、いたぶるつもりもない。


 しかし、こらしめるべきだとは思っている。


 何しろ、こちらはすでに大人が一人が不意打ちで脳天を打たれているのだ。稽古の中で少し痛い目に遭わせるくらいは許されるだろう、と。


 というより、そうでもしないと、少年が大人しく帰りそうもない。


「よし。ならば、俺が相手になろう!」


 と言って、一人の剣士が豪太の前に歩み出た。

 道場内にいる剣士たちの中で、もっとも背が高く、体重もありそうな男だ。


がみよしあきという者だ。君に教えても仕方がないが、段位は五段」


 さらに豪太を威圧するような口調で続ける。


「道場破りと言うからには、この道場の流儀でやらせてもらうが、いいか!」


「おう。俺はかまわねーぞ」

 と豪太は答えた。


「ならば、来い!」


 と田上が言って、2人は入口からもっとも近いコートの中央に移動した。


 ***


 最年長の剣士が審判を買って出た。

 先ほど豪太の名を尋ねた男だ。名を「さかぐち」と言うらしい。


「坂口さん、お願いします」

 と田上が頭を下げる。


「この子は防具をつけていない。田上、あまり無茶するなよ」

「はい。分かってます」


 しかし、道場内にいる剣士たちは、

(ぶちのめしてやれ!)

 という念を田上に送った。


 互いに礼をして、竹刀を抜き合わせつつそんきょの姿勢を取り、スッと立ち上がる。

 この無礼極まりない少年もこの程度の礼儀作法はわきまえているらしい。


「始め!」


 と坂口が号令をかけ、2人はカチッと剣先を合わせた。


 ***


 田上は身長186センチ。豪太と20センチ近く違う。それは射程距離の差でもあり、田上は豪太のいっとういっそくの間合いに入る必要がない。少し引こうとした。


 が、直後に判断を変える。


 豪太がいきなり飛びかかってきたからだ。


「うぉりゃぁぁぁぁああああああ!」


 と天を突くように竹刀を振り上げ、獣のような跳躍力で突っ込んでくる。

 飛び込み面を狙っているのだろう。


 しかし、次の瞬間……。


 その体はくるん、と回転していた。

 出足払い、つまり、踏み出した右足を田上に払われたのだ。


 倒れていく豪太の脳天を田上の剛剣が襲う。


「メェーーーンッ!」


 バシンッ!


 豪太は体を反らしてかわそうとしたが、そのことがかえって災いした。竹刀が脳天を打った後、振り抜かれた剣先が額をかすり、切れたのである。


 派手に転んだ豪太の横っ面に血がつーっと流れる。


 田上はさすがに少し気の毒に思ったが、この悪童に弱気な態度を見せるべきではないだろう。あくまで強気で言い放った。


「この道場では足払いが認められている。君の負けだ。帰れ!」


 しかし、田上が竹刀を納めて振り返り、豪太に背を向けたとき、


「あっ」

 という声が観戦者たちから上がった。


 豪太が背後から田上の腰に組み付き、左脇に頭を突っ込んだからだ。背伸びをしてその巨体を持ち上げると、ブリッジをするように体を後方に倒していく。


「だりゃぁあああ!!!」


 ドーン、と田上は背中から落ち、床に後頭部を打ち付けた。


 バックドロップである。


「剣道をしろ、剣道を!」


 大人たちはさすがに本気で怒った。

 しかし、その剣幕をものともせず、豪太が額の血を袖でぬぐって、さらに息巻く。


「お前らがお前らの流儀でやるなら、俺は俺の流儀でやる!」


 バックドロップと言っても、豪太の体が小さすぎるために、田上にとっては後ろ向きに倒れた程度のダメージしかない。


 しかし、このてんほうな悪童をこれ以上のさばらせておくべきではないだろう。


(もう許さん)


 大人たちが剣道家としてではなく、機動隊員としてこの暴徒を制圧しようと、豪太を改めて包囲する。そして、一斉に飛びかかろうとした……そのときだ。


「待ちなさい」


 という声が道場内に響いた。


 ***


 静かで、穏やかな言い方だ。

 にもかかわらず、その声は集団の怒気を一瞬で鎮めるほどの迫力があった。


 声の主は騒ぎを少し離れたところから見ていた壮年の剣士だ。

 口元に髭を蓄えたその顔は彫刻のように端正でありながら、威厳に満ちている。


「先生……」


 ゆっくり近づいてくるその男のために、豪太を囲んでいた大人たちが道を開ける。最年長の坂口ですら、彼に最大の敬意を払っているのが分かる。


 獣のような少年剣士と美形の壮年剣士が対峙した。

 豪太が鼻の下をこすって、へへっと笑う。


 道場を訪れたときから気づいていたのだ。


(いちばん強ぇのは、こいつだ)

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