第三章 大きなトドの小さな恋

第1話 心優しいトド

 桜坂高校の女子剣道部2年、とうどうには忘れられない思い出がある。


 有里が小学3年から4年に上がる前の春休み。


 浅村咲や大園美羽が桜坂高校に入学する7年ほど前の話だ。


 ***


 有里は幼い頃から体が大きかった。


 肩幅が広く、骨太でもあるため、少し肉がつくだけで太って見える。小学3年になると、いたずら好きの男子から「トド」というあだ名をつけられた。


 休み時間、廊下を歩いている有里に男子がわざとぶつかり、大げさに倒れる。


「うわー、トドにぶつかったら全身の骨が折れたー!」

「ばきべきぼきー!」


 男子たちがギャハハハと笑う。


 他愛ない冗談だったが、有里は本気で傷ついた。


 体が大きいことを「恥ずかしい」と思うようになった。


 少しでも体を小さく見せようと背中を丸める。いつもうつむいているから、気が弱くなる。体が大きいのに気が弱いから、ますますからかわれやすい。悪循環だった。


 有里の父は警察官であり、剣道家でもあるとうどうだいだ。

 その父に師事して、有里も4歳から剣道を習っている。


 体格は高学年の子にも引けを取らない。しかし、気が弱いために、試合では勝てない。少しでも強気で攻めてくる選手に当たると、逃げ回るだけになってしまう。


(この子の気が強かったら)

 と大悟は思わずにはいられなかった。


 どれだけ強い剣士になるだろう、と。


 そこで、荒療治を試みた。


 有里が小学4年に上がる前の春休み、警察剣道の稽古を見せたのだ。


 ***


「キエェェェーーーーイィ!」

「面ッ、面ッ、面ッ、メェーーーンッ!」

 

 体格の良い警察剣道家たちの気勢を上げる声が道場内にこだまする。


 バキッ、ドスッ、バシバシッ、ドスッ……


 警察剣道の激しさは一般的な(日本剣道連盟の)剣道の比ではない。


 たとえば、「足払い」が有効な技と認められている。相手が踏み出してきた右足を自分の右足で払う、というより「蹴る」のだ。それで体勢を崩したところへ面などを打ち込む。完全に倒れている相手を打っても、警察剣道では反則にはならない。


 さらに稽古では、相手がすぐ立ち上がらなければ、打って打って打ちまくる。


 警察官、それも機動隊員でもある屈強な男たちが稽古中に失神する。


 警察剣道には、実際に武器を持った暴徒を制圧する気根を養うという目的があり、その性格はスポーツというより護身術・格闘術に近い。剣術と体術とが一体のものであった武士の時代の剣道により近いものであると言えるかも知れない。


 藤堂大悟は、そういう稽古を有里に見せることで、普段の剣道などお遊戯のようなものだ、と有里に思わせ、気の大きさを養う一助にしようとしたのだ。


 ***


 しかし、これは無骨な男の発想すぎた。


「こ、怖い」


 有里は完全に怯えてしまったのである。

 父の隣で正座して稽古を見ているその体は、プルプルと小刻みに震えている。


(逆効果だったか)


 大悟は震える有里の肩を力強く抱きしめ、頭を優しく撫でた。


「有里、すまなかった。怖い思いをさせたね。何か甘いものでも食べて帰ろう」


 そう言って、娘を道場から退出させようと立ち上がらせた


 ……そのときだ。


「たのもーーう!」


 というバカでかい声がした。

 道場内にいた全員が声のした方を見る。


 開け放たれた道場の入口から、桜の花びらが舞い込んでくる。


 一人の少年が竹刀を担いで立っていた。

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