第6話 言わなくても分かってる

 その夜、美羽はパジャマ姿のまま1階のリビングに降りると、膝を抱えて床に座った。台所では、母親がエプロン姿で夕食の片付けをしている。


「お母さん」


 と美羽はその背中に呼びかけた。


「あら、もう起きて平気なの?」

「うん」


 美羽の母親は明るい人だ。剣道を始めてから、勝てば誰よりも喜んでくれ、負けても「よく頑張った♡」と褒めてくれたのが、この母親だった。


 後ろめたい。だから、うつむいたまま言う。


「……あたし、剣道やめてもいい?」


 食器を洗う手が一瞬止まったのが分かる。きっと、引き留められるだろう、と美羽は思っていた。少なくとも、がっかりはされるだろう、と。


 しかし、母親は食器洗いを再開すると、いつもと変わらない明るい声で言った。


「いいわよ」


 え、と美羽は思った。


「理由は聞かないの?」

「美羽が言いたいなら聞く。言いたくないなら聞かない」


「じゃあ……言わない」


「それでいいよ。……ただ、美羽。これだけは約束して」


「何?」


「高校はやめないこと。それと、お母さんの手伝いはちゃんとすること」


「はい。分かってます」


「それから、もう一つ」

 と言って、母親は振り返り、鼻の頭にしわを寄せてニカッと笑った。


「何があっても、お母さんは美羽の味方だから。そのことを忘れないで」


「お母さん……」


 美羽はエプロン姿の背中に抱きついた。

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