第5話 みんな全然分かってない

 美羽が教室で涼介と咲を見かけたとき、2人が交わしていたのはこんな会話だ。


「だから、天童さんにリベンジしようなんてやめとけって」


 そう言って、涼介は咲の肩のあたりを掴んだ。


「今度こそあの男を倒せると思う」

「今、お前に怪我をされると困るんだよ」


 咲は桜坂高校剣道部に入部する前、涼介が「野獣」と呼ぶ3年の天童豪太に勝負を挑んだことがある。結果は惨敗。しかも、竹刀を折られて、失神させられた。


 以来、豪太へのリベンジを胸に誓っている。


 咲と豪太とを最初に引き合わせたのは涼介だ。その責任を感じざるを得ない。しかも、入部前と違って、今や咲は女子の主力選手。6月から始まる関東高等学校剣道大会、さらにはインターハイの東京都予選でも、個人としてだけでなく、団体戦のせんぽうとして出場してもらうことが決まっている。今、怪我をされると本当に困る。


「言っとくが、天童さんは守りだけやらせてもつえーぞ。いくらお前が強くても勝ち目はねーよ」

「そんなこと、やってみなければ分からない」


 咲がキッとした目で涼介を見上げていたのはこの瞬間だ。

 そこで稲妻が光った。


 美羽は咲のことを「恋愛でも最強」であるかのように思い込んでいるが、咲は剣道バカであり、恋愛に関しては幼稚園児レベルの経験値しか持っていなかった。涼介に対しては好意を持っているが、それは友情か信頼と呼ぶべきものだ。


 一方、この頃の涼介は、咲に対して恋愛感情に近い気持ちを持っていた。しかし、

「ダメだ。この女は俺の手には負えねぇ」

 と思いはじめている。


 そういう事情を美羽は知らない。


 ***


 ずぶ濡れになりながら帰った日から数日間、美羽は風邪を引いて寝込んだ。


 学校では中間試験が始まっている。

 初日を休んでしまうと、後はどうでもよくなった。


 学校を休みはじめて3日後、熱に浮かされながらスマホを立ち上げると、剣道部員から2通のメッセージが届いていた。1通目は沙織先輩から、翌日に咲からだ。


 文面がよく似ている。


 風邪の具合はどうですか? 元気になったら、また練習に顔を出してください、という趣旨のことが、言葉を少し換えて書いてある。


 2人の間でこんなやりとりがあったことが容易に想像できる。


「浅村さん、悪いんだけど、大園さんにメッセージ送っておいて」

「え、何て書けばいいですか?」

「こんな感じでお願い」


 2人とも全然分かってない。新旧ヒロインの2人がモブですらないあたしに気を遣う。それもプライドを傷つける攻撃になっているということが。


 ***


 美羽は家の中にある便びんせんを探し出し、退部届を書こうとした。


「私、大園美羽は剣道部を退部させていただきます。理由は……」


 そこまで書いて、手が止まった。

 理由は、何て書けばいいだろう?


 剣道部の誰にも勝てないから? 咲に涼介先輩を取られたから?


 竹刀立てにしてある古い竹刀、棚に飾ってある都大会ベスト16の賞状、中学時代に剣道部の仲間たちと撮った写真……また目から涙がポロポロとこぼれる。


 あたし、やっぱり、剣道が好きだ。



————————————————————


 作者注


 作中の時間の都合上、関東高等学校剣道大会の時期を少しずらします。

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