第13話 春雨と雷撃

 剣道場の外では、春の雨がサーッと降っている。

 咲はその音に耳を澄ませていた。


 すでに剣道着の上に垂れと胴を着け、コートの境界線の外側で正座している。

 対面の境界線の外に正座する豪太は、防具を何も身につけていない。


 数分前に咲がつけるように言ったが、

「必要ねぇ」

 と言い返された。


 舐められている、と咲は感じた。自分で殺し合いだと言っておきながら……。


「許せない」


 と思った。しかし、そういう感情を持つことは、気の乱れにつながり、気の乱れは剣の乱れとなる。それをしずめなければならない。


 だから今、雨の音を聞いている。


「それじゃ、二人とも準備はいいか。始めるぞ」


 と涼介が言って、咲は面をかぶり、小手をつけ、竹刀を持って立ち上がった。

 豪太も竹刀を握って立ち上がる。


 境界線を越えて数歩進み、涼介の号令に合わせて、正面に礼。さすがの豪太もこのあたりの礼儀作法は心得ている。


 さらに進んで開始線の手前に着くと、二人は竹刀を抜き合わせつつ、そんきょの姿勢を取った。


 静かな数秒が過ぎる。雨の音が聞こえる。


「始め!」


 という涼介の声に合わせて、二人は同時に立ち上がり、剣先を合わせた。


 ***


 間近で向き合ってみると、豪太が山の如く大きく見える。


 涼介と並んでいたとき、身長差は10センチくらいだったから、豪太は188センチくらいだろう。しかし、それよりももっと大きく見える。


 気の大きさがそう見せるのか?


 いや、惑わされてはならない。平常心を保たなければ。

 咲は自分の中に湧き起こりそうになった感情を抑えた。


 それに、剣道において体が大きいということは、必ずしも有利にならない。


 背の高い剣士は、背の低い剣士の面を打ちやすい。一方で、胴は打ちにくい。逆に背の低い剣士は、背の高い剣士の面を打ちにくいかわりに、胴を打ちやすい。


 その違いを理解して戦えばいい。


 実際、咲の父である浅村良一は、男子としては小柄な剣士だ。それでいて、全盛期には、大柄な選手たちを寄せ付けない、無敵の強さを誇っていた。


 ***


 豪太は今、上段に構えている。

 そう来ることは、事前に涼介から教えられて知っていた。


 小手の位置が遠い。頭上でつかを握る豪太の左拳は、物理的な高さだけでも地上2メートル近いところにある。出ばな小手は打てそうにない。


 一方、胴はがら空きに見える。


 しかし、飛び込んではならない。射程距離が違いすぎる。豪太の竹刀が咲の面に届く方が確実に早い。むしろ、誘い込むべきだ。


 得意技はもろめんであるという。


 咲は中段に構えた竹刀の位置をスッとやや高くした。

 剣先を豪太の左拳に向ける。


 その剣先よりも右側から面を打ってくる場合には、竹刀で受ければいい。左側から打ってきたら、自分が右側に動いてかわせばいい。いずれにしても、上段に構える剣士に対して「面は打たせない」という意志を示す構えだ。


 一方で、胴と小手はあえて打ちやすそうに見せている。


「面を徹底的に守っていれば」

 と咲は考えている。


 この男はきっと胴を狙ってくる。そのときの小手を狙い打つ。


 ***


 ところが……。


 咲が間合いを取ろうとした瞬間だった。


 ドンッ!


 と豪太が踏み込んだかと思うと、


「チェストォォォォォォオオオオオオオーーーー!」


 というほうこうとともに、咲の防御などお構いなしに面を打ってきた。


(何……!?)


 咲は一瞬驚いたが、こういうシチュエーションも経験にはある。

 思考と体は自動的に動いている。


 竹刀がうなりをあげて迫ってくる。


 やや右からだ。かわすより竹刀で受けた方がいい。豪太の竹刀を円を描くように右側に流しつつ、自分は左側に抜ける。抜けながら豪太の胴を斬る。


 ……とイメージしたところまでだった、咲が記憶しているのは。


 ズドーーーーーンッ!!!!!!


 雷に撃たれたような衝撃を受け、咲は意識を失った。

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