第10話 イーッ!

 勝負が終わった数十分後、咲と涼介は学校から駅へと向かう坂道を歩いていた。

 二人とも、体育館に併設されているシャワールームで汗を流し、制服に着替えている。

 涼介は無意識のうちに喉をさすっていた。もし、あの突きを真剣で食らっていたら、自分は死んでいただろう。いや、竹刀や木刀であっても、防具で守られていなければ……。そういう悪寒が喉に残っている。


 その様子を見た咲が言った。


「喉、痛むのか?」


「いや。見事にれに食らったからな。痛みはねーよ」

「そうか。それなら良かった」


 駅へと続く道は桜並木になっている。街灯に照らされた白い花びらがひらひらと舞う。春風にそよぐ咲の髪は、まだほんの少し濡れている。


 その横顔に見とれている自分に気づき、涼介は慌てて目を逸らした。


「それより……」

「ん?」

「お前んちって、門限とか厳しいか?」

「いや、そうでもないが」


「ああ、良かった。お前の親父、すげー怖そうじゃん。『こんな時間までうちの娘を連れ出しおって』とか怒られたら、どうしようかと思っちまったよ」


 涼介がそう言うと、咲が手で口元を隠しながら、フフフッと笑った。涼介が初めて見る咲の笑顔だった。


「何がおかしいんだよ」


「君は子供みたいだな」

「どこがだよ。だいいち、先輩に向かって『君』はねーだろ」


「じゃあ、なんて呼べばいい?」


「そりゃあ、お前……。伊吹先輩とか、涼介さんとかよ。とにかく『先輩』か『さん』をつけろ。他の後輩に示しがつかねぇ」


「じゃあ、涼介で」

「お前、人の話を聞いてたか?」


「さっき聞いた話では、君は3月生まれ。ボクは4月生まれだ。学年が違うと言っても、誕生日は1ヶ月しか違わない。だから、涼介でいいんじゃないか」


「どういう理屈だ!? お前それ、日本中の3月生まれを敵に回すぞ」


 咲は極端な人見知りだ。でも、この男はしゃべりやすい、と感じていた。


「それに、ボクはまだ剣道部に入ると決めてないから、君の後輩じゃない」

「やっぱり、天童さんと勝負してから、ということか?」

「そうだ」


 涼介は胸の奥がかすかにうずくのを感じた。それが、咲の戦いたがっている本命の相手が豪太であることへの嫉妬だとは認めたくなかったが。


「まあ、約束しちまったしな……。引き合わせてやるよ。天童さんは今、ちちの山ん中にいる」

「秩父の山の中? そこで何をしているんだ?」

「武者修行らしい。木刀で岩を砕いたり、丸太をかついで山を登ったりしてる」


「そ、それは人間なのか?」

「だから言っただろ。あれは野獣だ。人間のうちには入らねぇ」


「そうか。でも、武者修行中となると、すぐに勝負というわけには行かないな」

「それは心配ねーよ。もうすぐ帰ってくる予定だから、俺が引き合わせてやる」

「本当か。すまない」


「だが、いいのか。本当に怪我するぞ」

「かまわない」

「あと、あいつはスケベだ。気をつけろ」

「ボクが負けたら、何をされてもいい」


「どこまでもきもわってる女だな、お前は」


 ***


 間もなく二人は駅に着いた。


 咲は上り線、涼介は下り線の電車に乗る。

 反対側のホームに向かおうと階段を上りかけた咲を涼介が呼び止めた。


「おい、咲」

「ん?」

「お前、笑った方が可愛いから、もっと笑えよ。ほら、こうやって、口角を上げてイーッとしてみろ。イーッと」


 咲はそう言う涼介を白けた目で見ると、

「ふん。くだらない」

 と言って、階段を上っていった。


 高架通路を渡るとき、窓からホームにいる涼介の姿が見えた。

 スポーツバッグから「週刊少年ジャンプ」を取り出している。


 その涼介の背中に、咲はイーッとした。

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