第6話 電光石火の剣舞

 咲は自分の慢心をいさめようとしていた。


 相手にとっては、しなくてはならない理由など何もない勝負だ。それを受けてくれ、自分のために場所を用意し、時間を割いてくれている。そういう相手に対しておごった感情を持つというのは、剣士としてあってはならないことだ。しかし、


「桜坂高校剣道部の副主将はこの程度か」

 という思いがぬぐえない。


 この男は、なぜこうも簡単に打ちまくられているのだろう?


 ***


 中学時代、咲と対戦した相手は「動き出そうとした瞬間に、もう小手を打たれていたように感じた」という。


 咲が攻撃をし損じることはほとんどなかったが、攻撃後の「ざんしん」も怠らない。打ち終わりと相手の反撃に備える動きが見事に連動している。さらに、相手の反撃が来ないと見るや、次の打突を繰り出す。その一連の動作が尋常でなく速い。


 咲の剣道を表現する言葉として、天才以外によく使われるものがある。


でんこうせっ


 反射速度とびんしょうせいだけなら、父である浅村良一より上かも知れなかった。


 ***


 咲は普段、父の道場に通う門下生たちと稽古をしている。練習試合の相手は全員年上。男子の高校生や大学生、さらには社会人の胸を借りることもある。


 その彼らと比べても、咲はスピードでは負けない自信がある。


 しかし、一流の野球選手であれば、相手投手の球がどれだけ速かろうと、すぐに慣れて対応するように、一流の剣士であれば、咲の速さには対応できる。さっきの片手面など、簡単にかわして、どうの一つも返してくるところだろう。


 咲は「それでいい」と思って、あの技を使った。


 本当に打ちたいのは小手だ。


 しかし、自分の小手技は警戒されていることを咲は熟知している。強豪・桜坂高校剣道部の副主将が簡単に決めさせてくれるとは思えない。


 だから、先に面を打った。遠間からの片手面がある……と相手に印象づけることによって、面に注意を向けさせ、小手を守る意識を希薄にさせようとしたのだ。


 つまり、さっきの片手面はブラフ……「ハッタリ」だ。


 この勝負、相手が三本取る間に自分が一本でも取ればいい、というルールになっている。ならば、最初の一本はくれてやる、というつもりだった。


 ところが、伊吹涼介はその技をまともに食らいそうになった。すぐに体勢を立て直して反撃に転じたのは流石だが、その後はまた防戦一方に陥っている。


「ボクは桜坂高校剣道部を買いかぶりすぎていたかも知れないな」

 と咲は思った。


 涼介が「野獣のように強い」と言った天童豪太という男も、あるいは……。


 ***


 涼介の顔に焦りの色が見える。


 当然だろう。強豪剣道部の副主将ともあろう者が、高校に入学したばかりの女子に一方的に打ちまくられて負けるなど、恥さらしもいいところだ。江戸時代の武士であれば、切腹ものの屈辱だろう。必死にならざるを得ない。


 涼介が床をドンッと踏み鳴らし、遠間から不用意な飛び込み面を仕掛けてきた。


(ここだ……!)


 と咲は思った。思うのと同時に、体はもう動き出している。


 右腕で勢いをつけて竹刀を突き出し、左腕と一体化した竹刀をムチのようにしならせる。

 相手には剣先が伸びてきたように見え、片手面が来た……と思うだろう。しかし、本当は小手を狙っている。涼介はすべもなく打たれるはずだ。


 しかし、次の瞬間。

 咲はハッとした。


 涼介が自分の間合いから消えた。半歩引いて、咲の攻撃を待ち構えている。


(しまった……!)


 相手は端から飛び込み面など仕掛けてはいなかったのだ。咲が見たものは幻……つまり、フェイントに引っかかった。


 しかも、涼介は面ではなく、小手に対する迎撃態勢を取っている。


 咲はもう止まれない。

 片手小手を途中で止めることなどできるはずがない。


 咲は小手を決めるためのせきを打ってきたつもりでいた。

 しかし、すべて読まれていたのだ。

 この策士の手のひらの上で、電光石火のけんを踊っていたにすぎない。


 めんがねの向こうで、どSな副主将がニヤリと笑う。

 さっきまで追い詰められていた男の顔ではない。


 その目がこう言っている。


「それを待ってたぜ……!」

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