第3話 気を練る

 涼介はりちな性格だ。

 約束の時間より早く待ち合わせ場所に着いていなければ気が済まない。

 今日も夜7時半には剣道場に着いていた。


 れと胴はすでに身につけている。

 コートの境界線の外側に正座し、面と小手、それに竹刀をかたわらに置く。


 もくそうし、気をった。


 2時間ほど前まで女子部員たちが練習していた道場内には、ファブリーズでも消しきれない汗のにおいと熱気が残っている。その「気」に包まれてはならない、と涼介は自分に言い聞かせた。逆に自分の気を大きく広げて、飲み込むのだ。


 涼介は中学1年のときに剣道を始めた。


 小学生の頃から少年剣道で鍛えている者が多いこの世界にあって、遅咲きの部類に入る。しかし、天性の素質と負けず嫌いな性格によって、あっという間に先輩たちを追い抜いた。中学3年のときには主将を務め、全国大会にも出場している。


 涼介を剣道の世界に導き入れたのは、近所に住む幼なじみの天童豪太だ。

 豪太は涼介にこう教えた。


「剣道ってのは、要するに斬り合い、殺し合いだ。自分の方が小せぇと思ったら、必ず斬られる。相手の気に飲み込まれちゃならねぇ」


 涼介は「剣道は殺し合いじゃねぇ。スポーツだ」と言い返すようになり、それがいつしか口グセとなったが、豪太の言わんとしていることは理解していた。


 これから対戦しようとしている浅村咲は、いくら強いと言っても、1ヶ月ほど前に中学校を卒業したばかり。しかも、女だ。高校生としても高い水準にある自分が負けるはずがない……。

 そう思っていても、涼介は調べずにいられなかった。


 約束の時間までに、涼介は剣道関連のサイトで、咲に関する情報をチェックしていた。そういう性格を豪太は「ぬるい」といつも言うが、涼介はそうは思っていない。相手を知る、というのは大事なことだ。それは卑怯なことではない。


 咲は「ばな」を得意としているらしい。


 相手の意識が攻撃に傾き、体が始動した瞬間に隙ができる。その隙を突いて、小手を斬り落とすのだという。相手も当然、その技を警戒していたはずだ。しかし、咲は全国中学校剣道大会の多くの試合で出ばな小手で一本を決めている。


 咲に関する記事にはまた、父である浅川良一六段の血を濃く受け継いだ天才であること、彼女が普段は年上の男子を相手に稽古しているということが書かれていた。


 涼介にはヘタレな一面がある。だからこそ、きょせいを張って生きている。気の大きさで負けてはならない。逆に相手を圧倒し、飲み込むのだ。そのために、目を閉じて、気を練る。道場内の空気を完全に支配するほどに、大きく、大きく……。

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