第4話 ヒロイン、主人公を殺す!の巻



 と言うわけで、私は枕を殴っていた。

 あれが三日ぐらい前のこと。

 私はあの日呆然としたまま家に帰って、段々怖くなってきて泣いてしまって、リアルに思い出してまた吐いて、使用人達に心配されるという最悪な一夜を過ごしていた。

 次の日は何となく一日部屋に引きこもって、どうしようとぐるぐる考えていた。死ぬって事が怖いのは知っていたけど、炎に手を突っ込めるかどうかというと別だ。

 ……多分、身近、なんだろう。

 『死』と言うとどうも不確定でよく分からないけど、腕を燃やすと言われると……いや、言われてもよく分かんないけど、爛れていく肉を実際見たら、恐怖を咀嚼できる。

 あれ、ホント怖い。

 試しに部屋で小さな火を出して触れようとしてみたけど、熱さに対して、私は反射的に指を引っ込めていた。

 自分の情けなさに泣きたくなった。

 そんな最悪な日を過ごしていた。

 さらに次の日になると、段々怒りが湧いてきた。

 だってあの人だって、最初から死ぬのが怖くなくなったわけじゃない。誰もが初心者なんじゃないの。そこに飛び込む勇気があると、彼は最初から知っていたわけじゃないでしょう。

 とにかくムカついてきた。

 恐怖を怒りに置き換える、とても幼稚な手法なんだと頭の中では分かっていたけど、とにかくムカついた。

(それと、あの目)

 あの、亡霊みたいな目。

 あれを思い出すと、なおさらムカついてくる。

 だって、凄く気になる。

 あの目が忘れられない。

 苦しくなる。

 その日はイライラと共に、そんな最悪な日を過ごした。

 そうして今日に至る。

「あの男~~!!」

 何様だ、人を見下しやがって!

 大体、そんな発展性もクソも無い意見ばかりがループしている。

 唐突にフォンが鳴った。私は手に取る。

 着信の主はアーノルドだった。

「君ね!!」

 私が叫ぶと、彼の方は既に苦笑いしていた。

 なんて奴紹介するんだよと言う気持ちが二文字っきりで伝わったんだろう。

『ローグに散々説教されましたらしいですね、お嬢』

「急に腕とか燃やして! 引いたし!!」

『……まぁ、奴らしいやり方ですわなぁ』

 そうなのか、彼らしいのか、とんだ変人じゃないか。

『奴も多少は反省していたようですよ。現に、謝っといてくれ、と言われましたし』

「謝罪の気持ちなんて、一切無いくせに」

『無いでしょうねえ』

 がはは、と彼は笑った。

 トカゲ頭の彼は見た目は怖いけどとても優しい良い人だ。

 ローグ=シュヴァイツェンと古くからの知己らしく、今回私が橋渡しを頼んだのだった。

「あと、うちの大剣士もボコボコにしてくれちゃうし」

 私はあの鮮やかな戦闘を思い出しながら、そう呟く。卑怯ともいえるけど、そこに関しては特に反感は覚えなかった。

『そいつは、大剣士が悪いですぜ』

 彼はそう即答した。

『ローグは冒険者だ。対人戦は専門じゃない。ストックウッドは剣士で対人戦の専門家。一対一の戦闘で敗北するなんて、正直俺はそれを聞いてガッカリしやしたよ』

「そうは言っても、あんな戦い方普通しない」

『戦闘に普通なんか無いんですよ』

 結局は、相手の予想も出来ない手で封殺出来るのならば、それが一番良いのだと。

 お互いの戦闘レベルが拮抗していれば、そんな事にはまずならない。だから封殺された時点で、ストックウッドは本当に戦士として無様を晒したのだと。

 私は今も屋敷の庭で素振りを続けているストックウッドを思い出しながら、それもそうなんだけど、どうも納得は出来ないと思った。

 彼は私の世話役で、小さい頃はお兄ちゃんみたいな存在だった。

 私は彼が一生懸命だったことを知っている。

 だからこそ彼の努力を馬鹿にするのは、抵抗があったのだ。

「それで……」

 まぁ、でもストックウッドの事は取り敢えず置いておく。

 今の私は自分のことで精一杯だ。

「彼は、……私の冒険を手伝ってくれないかな」

『諦めてないんで?』

「……まぁ」

 自分が夢見がちなガキだって事ぐらいは理解してる。

 彼の言葉に一言も言い返せなかったし、彼は正しいのかもしれない。

 でも、だからといって諦められる程、私は往生際が良くは無い。

『あいつは気乗りのしない仕事はしません。冒険者ですから』

「冒険者?」

『社会不適合者』

 なるほど、確かにそうだ。

 あんな意地悪な奴が、まともに社会と向き合えるとは思えない。

『あなたがお父様の意志を継ぐ必要は無いんですよ』

「……あなたのその、デリケートな話題に全く躊躇しない所は、きっと美点だね」

『がはは』

 トカゲ頭め。

 アーノルドも、不思議な男だ。

 つかみ所が無いというか、飄々としている。

「どうしたらいいかな」

『ご自分で考えましたか』

「うん、沢山。でも私じゃ分からなかったよ。彼のことぜんぜん知らないから」

『あなたのその弱さに正直な所は美徳ですね』

 そうなのかな。

 まぁ、確かに私は強くない事は知っているけど。

『冒険の事が知りたいのなら、ローグを頼るしかないでしょう』

「……やっぱりそうなの?」

『はい。彼は強い』

「……それは、見たら分かるけど」

『武力っていう意味じゃないです。魂が、強い』

「……」

 それも知ってる。

 だって、この国で一番死んだ人なんでしょう?

『彼は何度も精神疾患にかかって、その度に立ち上がっている』

「……」

『それは誰にでも出来る事じゃ無いんですよ』

 死ぬと言うこと。

 想像は出来ないけど、とても怖いと思う。

「……何で、彼はそんなに頑張るの?」

 自由なんて下らないと言った。

 亡霊みたいな目をして、何が楽しいのかもよく分かんなくなってまで。

 私の言葉は質問じゃなくて呟きだったんだけど、アーノルドは、がははと笑った

『そりゃあ、自分で聞いてみたらいいんじゃないですか』

 それで何か分かることがあるかもしれない、と彼は言った。

 どうやって、と私が尋ねると、彼は笑いをかみ殺しながら応える。


『今あいつ、ホストでバイトしているらしいですよ』



   □



 僕、ローグ=シュヴァイツェンはイケメンじゃない。とても心苦しく、世間を憎んでしまうほどにイケてるメンズと程遠い。イケメンに生まれてみたかった。マジで。マジでだ。

 ただ、それでもホストなんて職に就くことが出来たのは、完全に友人の伝手に寄るものだ。

(ハシシめ)

 チャラチャラした僕のその友人は、何故か僕のことを偉く気に入っていて、何かと世話を焼きたがる。

 この仕事だって、彼が紹介してくれたもので、

『顔なんて、どーっでも良いんすよぉ兄貴ぃ。要は、客から見てホストらしいホストかっつー話で、とにかくステロタイプなホストを振る舞って、優しげな顔で話聞いてやりゃー良いんすよ』

 そういうものか、と僕は思った。

 ヘラヘラ笑って話を聞くぐらいなら、僕にだって出来そうだ。

『まぁ、女を見下さない事です。俺ゃ、あんたを尊敬してますぜっつー、リスペクト?それを与えてあげることですよ』

 ……リスペクト。

 なんじゃいそれは。

 難しいぞ。

 一気に難しくなったぞ。

 とにかく僕は頑張ることにした。

 頑張ることにして。


「君さぁ……」


 いつのまにか、オーナーに呼び出されて居た。

 仕事も三日目。そろそろ何をやるかも覚えてくる時期のはず。

 でも僕は、説教を受けていた。

 何でだ。

 何でこうなったんだ。

「お客さんからぁ……クレーム入ったんだけど」

「……はい」

「なんか、やる気ないっつーか、話聞いて頷いてるだけで。まともに会話する気ねーっつって」

「……はい」

 僕は下を向いて返事だけをしていた。

「……そーじゃないよね」

 グラサンをつけてオールバックにしてるオーナーは言った。

「はい、じゃないよね。そういうんさ、ちがくない? はい、じゃなくて、次どうしますかっつー話だよね。君、そういうとこだと思うよ。ハシシくんの口利きだから雇ってあげたけどさぁ」

「……はい」

「だーかーらー」

 オーナーのお説教は続く。ねっとりとした口調で。

 小汚い控え室の隅っこで、延々、僕が社会的にどれだけしょーもない奴かを感情論で説かれる。

「やっぱさぁ、まともな職に就けなくて、冒険者なんてやってるからじゃないの?」

「……一回は就職してました」

「どこに」

「……メーカーです」

「どのぐらいの間」

「……半年ぐらいですけど」

 オーナーは大袈裟にため息を吐いた。

 根性がないんだよね、君、から始まって、僕の人格否定は続く。

 あとどのぐらいこのお説教は続くんだろう。

 オーナーの息はたばこ臭かった。

 僕も喫煙者だけど、こんな感じに臭うんだろうか。

 自分の口臭って分かんないんだよな。

「あ、すんません、オーナー!!」

 不意にスタッフヤードに入ってきたのは、僕より若い副店長。

「今ちょっと待ってよ、ローグ君に教育してるから」

 あ、これ教育だったんだ。

 けれど、副店長は言う。

「いえ、指名入りましたんで」

 誰の、とオーナーが尋ねる。

 副店長は僕の方を見た。

「え……?」

 何を隠そう、一番驚いて居たのが僕である。



 なんだこの状況。

「……」

「初めまして、俺は薄汚れた白鳥、ハープさ。お嬢さん、若いね。どこの花畑から迷い込んだ蝶々なのかな」

 僕がそう言うと、その少女、確か名前はイチリだったっけ?は、とても気持ち悪そうな顔をした。

「マジ?」

 そうして、そう一言だけ呟いた。

 ドン引きしていた。

「……おかしいな。マニュアルに書いてあったのをそのまんま読んだんだけど」

「……そのマニュアルがおかしいよね。それにすら気が付かない君の頭もおかしいよね」

 頭がおかしいとか言われるとちょっと傷つく。精神病院に通っている身としては。

「それで、お嬢さん。何を飲む? ドンペリ? ドンペリ? ドンペリ?」

「未成年に何言ってるかな君は」

「……野菜スティック?」

「あと、ジンジャーエール」

 近くのウェイターにそのまま伝えると、彼女は、

「それと、この人の分のビール」

 と、付け加えた。

 一気に好感度があがる。

 僕はそのぐらい、この数分間人の優しさに飢えていた。

 彼女が口を開く。

「それで……」

「何だい、お嬢さん」

「次その喋り方をしたら、怒るから」

「……ごめんなさい今お店で問題起こしたら追い出されるんです勘弁して下さい」

「……はぁ」

 彼女は僕を見て、盛大にため息を吐いていた。

 淫魔なんかもふつうに暮らしていたこの街では、未成年だからといってこういういかがわしい店に入れないなんて言うことはない。ただ、お酒に関しては成長を阻害するとか言う理由で止められているけど。

 彼女は、これが本当にあのときと同じ人なのかよ、とブツクサぼやいている。

「それで、……イチリちゃん、だっけ?」

「……イチリで良い。呼び捨てで」

「ヤダよ。十代を呼び捨てするなんて、恥ずかしい」

「……」

 彼女は、ジトりとした目で僕を見た。

「あなた、ホント変な奴」

 偶にこのセリフは良い意味で使われる事もあるみたいだけど、今のは単純に侮蔑だった。バカにされていた。

 無視することにする。

「それで?イチリちゃん。何でこんなとこに」

「分かるでしょ」

 それってつまり、未だ冒険者を諦めてないって事?

 僕に冒険を手伝えと。

 ……なんだかなぁ。

 僕にはどうも分からん。何で冒険者なんて物を目指すんだか。

「手は、燃やせた?」

「……燃やせなかった」

「そっか」

 ウエイターが野菜スティックと飲み物を持ってくる。彼女はそちらに目もくれずに続けた。

「おねがい」

 彼女の大きな目が僕の目を覗き込む。

 端整な顔立ちに、良い匂いのする髪に、長い睫毛。

 こっちの世界に来る前の僕だったら、これだけで惚れていたかも。風俗とか、こっち来て初めて行ったし。

「嫌です」

 けれど今の僕はそれなりに成長してるわけで、真っ向からノーをいえる大人になっていた。

 童貞だけど。

 うっせえ。

「前にも言ったけど、子供を廃人にするつもりはない」

「……ならない」

「そんなの、誰にも分からない」

「でも、なるかもしれなくても、私は行きたい」

 僕は彼女を見た。

 彼女の瞳はとても真剣で、そう言えば冒険者を目指す人間の4割はこんな目をしていたなと思い出していた。

 懐かしい。

 こんな綺麗な目をした人が、皆灰色の瞳に変わっていく。

「……僕みたいに」

 僕が呟く。

「僕みたいな奴に一番キツいのは……もう、自分が死ぬ事じゃない」

 他人が死ぬのが一番怖い。

 知り合いの瞳が灰色に染まることが。

「だから、駄目だというの?」

 彼女が僕に尋ねる。

「あなたが悲しむから?」

 僕は頷いた。

「あなたが私をかわいそうだと思うから?」

 そう言って、彼女が僕の襟首をつかむ。


「――ふざけるな……!!」


 彼女が叫んだ。

 賑やかな店内が一瞬静まる。

「私は……私は……一人で生きている……ッ!!」

 それは知っている。

「何様だ。上から目線で。人を哀れんで」

 彼女がこの店で僕を見たとき、ほんの少し安堵したような表情を見せて、直ぐにキリッと顔を引き締めていた。

「あなたは強いのかもしれない。でも私にだって、信念はある!」

 未成年の彼女がこんないかがわしい店に入ったのは、きっと物凄く勇気が必要だっただろう。更に言うなら、僕らが最初に出会ったとき、あんな失態を晒しておいてまで、こんなところまで頼みにきた。

「私の信念を哀れむな!これは、そんな汚い物じゃない!!」

 その辺の貴族が出来るような事じゃない。

 きっと誇り高い人なんだろうさ。

 だから僕の上から目線が気にくわない。

「君には分からない」

「教えろって言ってるんでしょうが……!」

「……」

 荒げた声をあげる彼女の腕を、ウエイターがつかむ。

 彼女は強い力で振り払って、僕を睨んだ。

「やらないといけないんだッ!! 私は……戦わないと……!!」

 店の奥から数人の男が彼女を羽交い締めにして、店から追い出そうとする。

 彼女は僕を見て叫び続けた。

「この!卑怯者!!お願いだから、私に教えてよ……!!戦い方を、教えて……!!」

 彼女はジタバタと暴れながら叫ぶ。

「私がどんなになっても構わないから…っ。廃人になっても、哀れまなくていいから……お願いだから……っ私には、何があっても構わないから!!いつ見捨ててくれたっていいから!!」

 彼女が店から追い出されそうになる。

「私に……っ、力を頂戴……っ」


 僕は立ち上がって、彼女の腕を引っ張った。


 そこには、治療しきれていない火傷の痕が幾つもあった。

「……治療の魔法が下手なのか」

 店員に腕を引っ張られて袖の間から見えた火傷。

 数秒火に肌を当てて、それ以上の痛みに耐えきれなくて、思わず引っ込めてしまったんだろう。

 僕は彼女の腕を握って、店を出る。


 背後からオーナーが、冒険者はこれだから、と呟いていた。



 夜の街を、イチリと共に歩いていた。

 彼女はどことなくしょんぼりしながら、下を見ていた。

 感情的になった自分を戒めているのかもしれない。

「こりゃ、クビだね」

 僕は軽く言い放った。

「……ごめんなさい」

 良いさ、と僕は笑った。

 ごみごみとした汚い街の中では、若者からお年寄りまで、赤ら顔を浮かべながら騒いでいる。

「一つ聞きたいんだけどさ」

 僕は呟いた。

「君は、どうしてそんなに冒険に行きたいの」

 彼女が答える。

「息苦しいから」

「それだけ?」

「……分かんない。お父さんがそう言って死んだからかな」

 彼女のお父さんは結構偉い騎士で、自由のために政治を動かそうとし続けて、結局何も変えられず、泣きながら死んでいったらしい。

 そっか、と僕は呟いた。

 親の呪縛。よくある話だ。

 よくある話だけど、とても大事な話だ。

「君、腕を燃やしていたじゃない」

 僕がそう言うと、彼女は首を振った。

「最後までは出来なかった」

「ううん、上等さ」

 少なくとも覚悟は分かった。

 どうしようかな、と僕は悩んでいた。

 何の覚悟もない人間を廃人にするのは、抵抗がある。

 だってそれは、先に僕が何も教えられなかったせいだ。

 でも、覚悟がある人間が廃人になるのならば。

「君、僕がどうしても駄目っていうならどうするのさ」

「他を探すよ。一人でだって行く」

 どうしようかな。

 イヤだな。

 彼女が病院に縛り付けられるのを見てしまったら、僕はまたきっと泣いてしまうだろうな。

 あぁ、本当にイヤだ。

 全力でイヤだ。

 気が滅入る。

 けれど。

「僕は、結構スパルタだよ」


 僕の言葉に、彼女は両目を輝かせて喜んでいた。



   □



 ローグ=シュヴァイツェンは本当にスパルタだった。

 この野郎、って感じだった。

 今夜にでも寝首を掻いてやろうかな、と、私、イチリは思った。

 たぶん、世界にはスパルタっぽい人は沢山居ると思うけど、彼はその中でもトップクラスにスパルタだった。

 具体的に言うと。


 それは、最初の訓練の時のこと。

 冒険を共にするとは言っても、私は冒険の素人だ。

 だから、まずは冒険のイロハを知らなければならない。

 ってことで、私は彼に呼び出されて、訓練をすることになったのだ。

「それじゃあ、イチリちゃん」

 ローグが私に手を差し出した。

 彼はいつもの、くたくたのバトルジャケット。今日も剣すら持っていない。

 訓練前の、握手かな?

 私は何も考えずに、彼の手を握ろうとした。

 瞬間。

「……いぎっ」

 彼は私の小指を掴んで、折ったのである。

 折った。

 折りやがった。

 私は物凄い勢いで叫んで、彼はそのままの表情で呟いた。

「それじゃあ、今から戦おうか」

 私は痛みで、彼が何を言っているのか分からない。

「剣を抜いて」

 何?

 彼は何て?

「もう一回だけ言うよ。剣を抜いて」

 私が怒りで、彼に何かを叫ぼうとした瞬間だった。

「……あぐっ」

 彼の蹴りが、私のボディを叩きつける。

 私は地面に倒れて、彼を見た。

「早く剣を抜くんだ」

 傷は、いつでも治せる。

 それがこの世界の常識だ。

 死んだら終わり。

 死ななければ勝ち。

 死なないためなら何でもしろと言って、彼は私を痛めつけた。

 私が立ち上がろうとすると、彼は私に杭を投げて刺した。肩が貫かれる。服が血で汚れた。

「ぐっ……そぉおおおお!!」

 私が痛みを耐えながら剣を抜くと、彼に向かって走る。

 彼はその場に立ち尽くしていた。

 私は全力を込めて切りつける。

 私を彼を切り裂いた。

「…………え?」

 私は彼を切り裂いた。

 肩から脇腹にかけて、一筋の赤が走る。

 彼は苦悶を表情に浮かべながら、私の頭を掴んだ。

「これが冒険者の戦い方だ」

 そのまま、私を頭から地面に叩きつける。


 私は意識を失った。


 目が覚めると、私の怪我は治っていて、彼は自分の身体に治癒魔法をかけていた。

 その姿は痛ましく、彼の顔は真っ青で、今にも死にそうだった。

 でも死なない自信があるんだろう。

 彼は目覚めた私を見た。

「剣を取って」

「……え?」

 私は自分の耳を疑った。

 彼はだらだらと血を流しながら立ち上がる。

「来なさい」

 いけるわけない。

 そんな全身に痛みを貼り付けた人に。

「じゃあ、僕からいくよ」

 私の足下から土壁が勢いよく飛び出して、私の顎を殴りつける。

 呪符?

 眠っていた間に貼り付けていたのか。

 彼は回復魔法で光りながら、ふぅ、と息を吐く。

「今日は僕を殺せたら訓練を終わりとします。それまではあなたを痛めつけ続けます」

 土壁ではねとばされた私の背中を、別のとこから飛び出した土壁がもう一度はね飛ばす。

 内蔵が潰れるのが分かった。

 私は地面に這い蹲って、彼を見る。

 彼は煙草を吸っていた。

 私は剣を取って、叫んだ。

「うおぉぉおおおおおおおおおおッッ!!」

 剣を振りかぶって、彼に切りつける。

 彼は剣を真っ向から腕で受け止めた。

 剣が手のひらから、肘辺りまで骨を切り裂く。

 彼は痛みに耐えながら、私の腹を膝で殴打した。

「おぐっ」

 口から何から吐き出してしまいそうになる私の頬を、彼は思いきり殴り飛ばした。

 私は吹き飛んで、地面に倒れる。

 同時に、太股に杭を打ち込まれた。

 私はすぐに剣を取って、彼に打ち込もうとする。

 瞬間、体に電撃が走った。その場に倒れる。

「……くっそ……っ」

 体中が痺れる意識の中で、私の視界は段々と暗くなっていった。


「剣を取って」

 私が目を覚ますと、彼の怪我はある程度治っていた。

 でも、私の怪我の方が治っていた。一番に治療してくれたんだろう。

 あれだけの傷だ。完治とはほど遠くて、ぼろぼろだったけど。

 そんな風に、私は彼を斬り続け、彼は私をぶっ飛ばし続けた。

 明らかに彼の方が傷は大きかったのに、彼は一度も気を失っていない。

 瀕死の傷を何度も入れ、彼の全身が真っ赤に染まったとき。

「今日はこの辺で終わろうか」

 私はもうとっくに立てなくなっていて、彼はそう呟いた。

 傷は彼が何度も治してくれていたから、体自体は問題ない。

 ただ、心がもう諦めていた。

 立とうとすると、恐怖が体中をすくませて、足がふるえて、立てないんだ。

 私は全身の水分が吹き飛ぶぐらいの涙を流して、地面に横たわっていた。

「あああああああぁぁあああああああああああっっ」

 私は弱い。

 なんて弱い。

 くそ、よわい。

 よわい、よわい、よわい!!

 彼は自分の体を治療しながら、ゆっくりと煙草を吸っているのだった。

 彼は私に一つの言葉もかけずに去っていく。

 涙を流しながら立てなくなっている私を介抱したのは、私の家のメイドだった。


 それが彼の教え方だった。

 冒険者の戦い方。

 それを、言葉を使わずに教えようとしていた。

 くそ野郎、と、私は一晩中彼を呪っていた。



 次の日。

「私、先生を殺したくありません」

 一言目に、私は彼にそう言った。

 何となく彼は先生と呼ぶべきだと思ったし、何となく敬語になっていた。

 彼は呟く。

「僕も君を殺したくないよ」

 その一言がとても決意に満ちていて、あぁ、そうかと私は気がついた。

 私はこの人に殺されるんだ。

 そうだったな。

 私は彼に冒険に連れて行って貰って、そこで死ぬ。

 それは彼にとっては、私を殺すようなものなんだ。

 だから私はもう、我が儘は言えなくなっていた。

 その日私は左足の骨を折られて、右目を潰されて、肩を脱臼して、左手首を切り落とされた。

 一方彼の方は、殆ど切り身みたくなっていた。

 彼は致命傷は外すけど、基本的に私の攻撃を避けはしない。

 私が剣を振ったら、必ずどこかが切り裂かれる。

 その日の彼は、はみ出た腸を自分の手で押し戻そうとしていたぐらいだ。

 彼は、彼の怪我よりも私の怪我の方を先に治す。

 私は彼のそんなところが、大嫌いだった。


 三日目、四日目、五日目。

 私は彼を殺せなかった。

 でも、段々と、痛みに耐えられるようになってきた。

 六日目、七日目、八日目。

 訓練の時間が段々と長くなる。

 もう、擦り切れた心が諦めるような事は無くなってくる。

 だから、十日目。

 

 私は、やっと先生を殺せたのだった。

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