第3話 ヒロイン登場!の巻

   □



 昔々、僕が子供だった頃。

 僕は一人が好きな子供だった。

 と言うよりも、周りとうまくやれない子供だった。

 一人が好きな訳じゃないけど、一人が好きなんだと自分をごまかして、いつも家で本を読んでいた。

 本と言っても、だいたいは漫画だ。

 とくに読んでいたのは、親が途中まで揃えていたこち亀だった。

 百巻ぐらいまでが、本棚に並べられていたように思う。

 子供の頃って言うのは不思議なんだけど、同じ事を飽きもせずに繰り返す。

 だから僕もその例に漏れず、こち亀を何度も何度も読み返し続けた。

 こんな人間になりたいなと思っていた。

 いや、確かにあの作品の主人公はむちゃくちゃだ。

 初期の方は直ぐに拳銃をぶっぱなすし、後半になってくるとお金をもうけてはやりすぎてドブに捨てを繰り返している。

(でも)

 彼の周りの人間は、皆楽しそうなんだ。

 僕の気のせいなんだろうか?

 彼に振り回される人も、彼のせいで損をした人も、皆、どことなく楽しそう。

 だから、皆なんだかんだ彼の周りにいるんじゃないかな。


 あの人は、僕にとってのヒーローだった。

 無茶苦茶で、いい加減で、ふざけている僕のヒーロー。

 

 僕は、あんな風になりたくて生きていた。


 ……まぁ、結局全然似てない生き方をしてるけどさ。

 でも、やっぱり僕の理想は今でも彼だ。

 彼は今なにをしているんだろうか。


 きっと、無茶苦茶な事をしているんだろう。


 あの日常を、もう一度。

 そのためなら、僕だってどんな無茶でもしよう。

 無茶苦茶に、周りを皆巻き込んで、邁進するんだ。

 僕は夢の中で決意して、眩しい朝の光に目を覚ますのだった。



   □



 空は青く、晴れていた。

 僕がアーノルドさんの紹介で貰った仕事の打ち合わせに行くと、広場で一人の大剣士が僕を待っていて、思わずげんなりしてしまった。

(大剣士。戦争の遺産)

 魔力を鎧に纏わせて、戦陣に真っ直ぐ切り込んでいく筋肉の弾丸。

 人類同士が戦争している頃……つまり百年前の頃までは、大剣士って言うのは必須の戦力だったそうだ。けれど現代、人の戦争が大規模魔術による遠距離からの物にシフトして以来、大剣士の需要は無くなった。

 遠距離からの爆撃。その後、スピードに特化した戦士による殲滅。

 大剣士の使い所は既に余りなく、それでも現代まで大剣士をやっている連中が居るとしたらそれはとんでもない偏屈物か、それとも……。

「お初御目見得に成ります。ストックウッド=ヴァン=ジルドレイクと申します」

「……はぁ、どうも」

 ――ゴテゴテの貴族のどちらかだ。

 今時貴族なんて大した優位性も無いけれど、人脈と歴史の重要性を誰よりも把握している彼らは、礼儀と作法の修得に余念が無い。

 僕みたいに、この世界の人にとっては余りに『わけわからんとこ』で育った僕としては、貴族って連中はどうも苦手なのだった。

「僕はローグと言います。それで、今回はどのような仕事を……」

 けれど、貴族って事はこの人、テレビのクルーじゃ無いんだろうか。僕がよく分からなくて首を捻っていると、ストックウッドさんは僕の外見をじっくりと眺めた。

「失礼ですが……」

 僕はうなずく。

「あなたが本当に、ローグさんなのですか」

 何言っているのかよく分からなかった。

 ストックウッドさんの顔は彫りが深くて、なんて言うか、古い漫画の中ボスみたいな雰囲気を醸し出している。

「とても、この国が誇る冒険者には見えないのですが」

 マジで失礼だなぁおい。

(つまりこういう事だろう)

 冒険者にしちゃあ随分弱そうじゃないっすかねえ、お嬢さん。

 確かに僕は見た目強そうじゃないのは確かだけど、実戦なんて殆ど経験したことのない男に馬鹿にされるのは少しムカついた。

「それはどういう意味でしょうか」

 僕が尋ねると、ストックウッドさんは表情を変えずに応える。

「申し訳ありません。依頼主より、あなたが本当に使えるかどうかを判断してこいと申し遣っておりまして」

 あ、『使える』?

 あぁ、そう、そう言うこと言っちゃう。

 ナチュラルに人を見下してくるのは、とても貴族らしい。

(そもそもおかしいと思っていたんだ)

 僕が呼ばれたのは会議室でもなく、王宮の広場。

 これはもう、腕試しでもするつもりなんだろう。

(……この世界の人たちは、生き死にや怪我に対しての考えが少し緩い)

 いつでも治療できるし、いつでも生き返るから。

 だからこの国では決闘罪みたいな物もないし、死刑制度も無い。

 罪人を死刑にしちゃっても、生き返って精神を煩って病院で国税を無駄にするだけだからね。

「つまり、どう言うことでしょう?」

 僕が分かり切った事を尋ねると、彼は小さく笑った。

「ここで私と戦っていただきたい」

 冒険者らしくて良いじゃないのよ。

 了解です、では、今からでよろしいですね。

 そう言って僕は彼の金玉を膝で蹴り飛ばして、うずくまった彼の側頭部に拳を叩き込みたかったが、それじゃこの人が納得しないかもしれない。

 僕は彼から数メートル離れた。

「武器は?」

 彼が僕に尋ねる。

「そちらは使った方が宜しいと思いますが」

 僕はまだ剣を購入していないので、無手だった。

「訓練用の剣を持ってきております。お使い下さい」

 彼がそう言うと、僕は眉をひそめた。

「僕は要りません」

 訓練用の剣?

 馬鹿にしてるのか。

「剣士の流儀として、剣を持たないものに剣を向けるわけにはいきません」

 彼は言った。

「雑魚に剣を使う必要が無いと言っているのです」

 僕がそう言うと、彼はぴくりと動いて僕を睨む。

 それでは、と言って彼は背中の大剣を真っ直ぐ構えた。

 刃は付いていない。

 大剣だからそれでも僕を挽き肉にするのは容易だろうが、やっぱりこの人の態度は余り好きになれなかった。

「行きます」

「どうぞ」

 彼は火系の魔法で身体をコーティングする。

 大剣士の基本は身体を硬化させて突進すること。

 だから僕は彼がスキルを発動させていく間にポケットからフラッシュライトを取り出して、彼の顔面に向けた。

「……ぐっ」

 火系の魔法で強力な光を発するだけのこの魔道具は、安価な上に使いやすい。何かあるかもと思って幾つかの魔道具を買ってきて良かったかもしれない。

 視力が全く失われるのは数秒と言った所だろう。

 取り出したのは杭。僕の手から放たれたそれは、彼の肩に刺さった。彼は痛みに悶えて、叫びながら突進してくる。

 僕は杭と同時に土系の呪符を取り出して、地面に40センチほどの段差を作っていた。彼の視界はかなり閉ざされている。しかし今の状態であれば、僕に遠距離攻撃を続けられるだけだと思ったのだろう。剣を振りかぶって踏み込んだ。

(だから、躓く)

 段差に躓いた彼の頭をサッカーボールのように蹴り飛ばした。

 魔法でコーティングされた身体にダメージは通らないようだが、靴底に取り付けられていた幾つもの杭が、彼の耳を引き剥がした。

 彼は俊敏な動きで僕から距離を取り、僕はすぐさまその場に土系の呪符を地面に投げた。

 2メートル程の土壁が僕らの間に立ちふさがる。

(彼は焦っているはず)

 対してダメージは入っていないだろうが、良い風に遊ばれているのも確かで、視力も削られている。

 彼は土壁を回って、僕を視界に捕らえようとした。

 けれどそこに僕は居ない。

 彼が辺りをきょろきょろ見渡すのを、僕は土壁の上から見ていた。

 風系の魔法で操る杭を、彼の周りに4本打ち込む。

 瞬間、4つの杭は電流を帯びて、彼の肉体を電撃で焦がした。

 彼が凄まじい叫び声をあげて、電撃から逃れようとする。

 僕は水系の魔法を纏うと、彼に水流を浴びせる。水は導線となって、彼に電流を流し続けた。

 電気は彼の身体を痙攣させて、その場に膝を付かせた。

 僕は土系の呪符を彼の手元に投げて、土壁を出現させると、彼の大剣は出現する壁の勢いと共に、空へと跳ね上げられた。

「……ぐっ」

 僕は土壁の上から呟く。

「まだやりますか」

 彼の体力は30パーセントぐらい削っただろうし、身体は電撃で痺れているだろう。

 実力を見せるのは十分だと思ったのだが、彼の方こそ未だやるき十分で、僕が座っている土壁を殴り飛ばした。

「了解です」

 僕が風系の魔法で飛び上がると同時に、土壁から数千もの細かな針が飛び出した。彼の全身に刺さるが、細すぎて痛みはなく、目くらましにしかならない。

「ぐ……っ」

 次はどうしよう。

 僕の対人戦法としては基本的に今の動きを繰り返すだけで(型のように訓練してるので、淀みなくはまっているというのもある)、派手な技なんかは特にない。

 彼があきらめるためにはどうしたら良いかなと考えて、僕は懐から拳銃を取り出した。

「これ、何だと思います?」

 男が全身に刺さった針を手で払いながらこっちを見る。

「拳銃って言います。火の魔法で小さな爆発を起こして、高速で鉛の弾を撃ち出すためだけの装置です」

「……鉛の弾?」

「はい。魔力でコーティングされていないので、威力はありません」

 魔力というのは、常に身体を取り巻くものだ。

 肉体の防御力を上げ、斬撃の攻撃力を底上げする。

 だからこの世界では素手で壁をぶち抜くし、魔力を伴っていない物体で人を傷つけることは出来ない。

 僕らの攻撃が魔族に効かないのはそのためだ。奴らは魔力の量が段違いだから。

「一つ、聞かせて頂いてもよろしいでしょうか」

 僕は尋ねる。

「これは決闘ですよね」

「……あぁ、そうです」

 言質は取った。

 これで法の問題は解決。

「僕はどの程度あなたを傷ついても宜しいでしょうか」

「……」

「言い方を変えます。あなた、死んだ経験は」

「ありません」

「殺しても良いですか」

 彼がごくりと唾を飲む。

 この世界ではお互いが決闘を受託した場合に限り、殺人も認められている。どうせ生き返るからだ。

 彼は地面に落ちてくる大剣を片手でつかんで、僕を睨んだ。

「それは、私もあなたを殺して良いということですか」

 まだやる気満々だ。

 すごいな。根性ある人だ。

「いや、まぁそれも構わないっちゃあ構わないんですが」

 僕は彼に拳銃を向ける。


「もう、詰んでますよ」


 彼が叫びながら剣を振りかぶった。

 僕は拳銃の引き金を引く。

 瞬間、血飛沫が辺りを濡らした。

「がっ、ぎゃあああああああああああああああ!!!!」

 身体を貫かれるのは初めてだったんだろうか。

 まぁ、大剣士と言っても決闘の経験は少なかっただろうし、そもそも人間同士の決闘は魔力切れでどちらかが気絶するパターンが多いからな。

 太股から血を流している彼を見ながら、僕は言った。

「始めにあなたに刺した杭は、魔力低下の魔法がかけられていました」

 僕は彼に近づいて、彼が手からこぼした大剣を蹴り飛ばした。

「今あなたに刺さっている針は、魔力回路を狂わせる神経毒が塗ってあります」

 両方とも効果が出るのに時間はかかるが、ゆっくりと、けれど確実に身体を蝕む。

「現在あなたは表面上魔力切れを起こしています」

 体内魔力はいくらでも残っているだろうが、体外を守る魔力は回路が完全に死んでいる。

 針を刺すだけではここまで綺麗に決まらないだろうが、彼は魔力低下の呪いをかけられていただけでなく、痺れによって抵抗力が低下していた。

「だから、この魔力を伴っていない拳銃が最も効果的です」

 魔力でコーティングされている武器や技って言うのは、基本的に速度が無い。魔力には伝達速度って言うのがあるせいで、手から放たれた武器は目視できる程度の速度に収まる。

 雷の魔法ですら、熟練した戦士なら避けるだろう。

 それがこの世界における遠距離武器の弱さで、戦闘では剣が好まれる理由になる。

 だからこそ魔力を介さない拳銃の弾は、この世界では何よりも早かった。

「見えますか? 見えませんよね」

 威力は殆ど無いが、何よりも速い。

 魔力を纏わない今の彼には、弾丸こそが効果的。

 杭で貫いて痺れさせて針を刺して。

 それでやっと、僕は彼を無力化できる。

 それは誇るべき事なのか、どうなのか。

「これで、信用していただけましたか」

 彼は痛みに悶えていて、僕の言葉が届いていないようだ。

 一瞬、面倒だから殺してしまおうかと思ったけど、もしも彼が廃人になってしまったらクライアントの印象も良くないかもしれない。そもそも、殺したって良いことは特にない。ただこの耳障りな叫び声が聞こえなくなるだけで。

 自分が死にまくっているせいからか、僕は日に日に冷たい人間になっているような気がした。

 今は痛みにうずくまる彼を見たって同情の一つも沸き上がらない。必死に回復魔法を唱えているようだが、集中力は残ってないし魔力の流れは毒で阻害されているしで、魔法が発動しないらしい。

(元の世界に居た頃は、もっと優しい人間だったように思うけど)

 今の僕の表情は、ふわふわには見せられないな。

「信用して頂けたようですね」

 僕はそう言うことにしてしまって、彼に回復の魔道具を翳す。

 淡い光が彼の太股を照らして、数秒で傷が癒えていく。

 何度見ても凄い光景だ。

 冒険者の傷と言ったら基本即死なので、あんまり回復魔法を観察したことは無かった。

「……参りました」

 彼は口では言うけれど、目が明確に、この卑怯者めと呟いていた。

 まぁ卑怯とは思うけど、卑怯を徹底して廃止した結果がスポーツだろう。これはスポーツじゃ無いんだから、ちょっと勘弁して欲しい。

「これで認めて頂けますか」

「それを決めるのは……私ではありません」

 なんじゃいそれ。

 と、思いかけて、なるほど、と。

 僕は今まで全くそのことに気が付かなかった自分を反省しながら、後ろを振り返る。


「合格だね」


 少女の桃色の髪は陽光を反射させている。

 古くさいローブにハットはクラシックスタイルの魔術師みたいでコスプレみたいだったけど、彼女の明るすぎる桃色の髪には似合っていた。

 歳は、15か16ぐらいだろう。育ちかけの肉体が、成長の兆しを主張している。

 彼女は自信満々の笑みで叫んだ。


「君を、私のパーティの一員として迎えるよ!」


 僕は、取り敢えず煙草を懐から取り出した。

 指先で火の魔法を発動して、煙草に着火する。

(面倒くさそうな仕事になりそうだなぁ)

 帰ったらふわふわと遊ぼうと、僕は決心するのだった。



   □



 私、イチリ・ロータスがその日夢から覚めて一番初めにやったのは、お気に入りの枕をタコ殴りにすることだった。

(むかつく! むかつく!! むかつく!!)

 桃色の髪をなびかせて、私は先日のことを思い出す。

 あの腹立たしい冒険者。ローグ=シュヴァイツェンとか言う名前の男。へらへら笑う、すかした男。

 だいたい、ちゃんと人の目を見て話せって言うんだ。

 この。この。

 私は余りに腹立たしかったので、枕を殴り続けた。

 あの、煙草を吸いながら話していた彼の言葉を思い出すと、どうしても枕に八つ当たりせずにはいられない。

(偉そうで、この野郎、何様って感じだよ!)

 私は別に貴族であることを鼻にかけてるつもりは無いけど、あの男は無意味偉そうだった。

 なんだ。

 冒険者がそんなに偉いのか。

 死んだことある奴がそんなに偉いのかよ。

 この。

 くそ。

 この~~!!

 私は、ローグ=シュヴァイツェンと言う名前の事を二度と忘れまいと決意するのだった。



 ――時は遡って、34時間前。

 私はあの男の背後に仁王立ちして、登場シーンとしてはかなり決まっていたつもりだった。

 そりゃもう決まっていた。

 決めセリフも決まっていたし、タイミングもばっちし。

 私これ格好良いぞ惚れるなよこの野郎とか思っていた。

 でもその男は事もあろうに時代遅れの煙草を吸って、はぁ、と詰まらなそうにため息を吐きやがったのである。

 以下、再現。


「子守ですか」

 この時点で私は、いつかこの男をぶん殴ろうと決めていた。

 男は続ける。

「観光なら、青の国に行くのをお勧めしますよ。僕も一度行ったことがありますが、海が綺麗で良い。映画大国ですしね。俳優とかも一杯住んでます」

 この二言目で、いつか蹴り飛ばすのも決めていた。

「まぁ、白の国も映画作りには力を入れていますけどね。青の国とは予算の大きさがどうも違う。アクション作品なんて目も当てられない。コメディ映画やホラー映画には秀でていると思いますが、やはり各国に配給出来るレベルの物では無いですね」

 しかも話を映画の方に持って行こうとしていやがった。

 この三言目で、私の中の残虐フォルダは尽きていた。

 どうしようもない。

 これは論破するしかない。

 私は大股で歩いて彼に近づいて、口を開いた。

「君を雇うよ。私と一緒に冒険に来て」

 論破って言うかごり押しだったけど、まぁいいや。

 彼は煙草の煙を空に吐く。

「理由を聞いても宜しいでしょうか。何故あなたが冒険に出たいか」

 彼は額に汗を掻いていた。うちの大剣士相手に余裕綽々で戦っているように見えたけど、結構大変だったみたい。かなり神経を使っていたように見えたしね。


「自由!」


 私が叫ぶと、彼は驚いたように目を開いた。

「ここは檻。それが嫌。だから、外に行きたい」

 それが私の本質だと思う。

 この国は、私たちの世界は、政治の事情で生かされている。

 数えられないほど多くの魔族達が私たち人類の技術を欲していて、牽制して、そのお陰で中立地帯が確立している。

 吹けば飛ぶような平和だ。

 世界は平等だから。

 オークは私たちより遙かに強いが、その代わりに、私たちは彼らより遙かに賢い。

 弱いけど賢い。

 だから、何とか生きている。

 それが嫌だ。

 強くなりたいと思う。

 誰よりも強く。何よりも強く。

 そのために必要なのは、外に出ることだと私は思うんだ。

 圧倒的な技術革新。

 魔物と正々堂々と戦えるような技術。

 外の世界には、魔族でさえも不可侵な領域が幾らでもあり、新しい魔法も、新しい技術も、どこにだってあるかもしれない。

 だから、私は冒険に出たい。

 そんな感じのことを私は早口でまくし立てると、彼は頭をポリポリと掻きながら呟いた。

「僕は、その、政治とかぶっちゃけよく分かんないし、興味ないし、自分がつっこんで良いもんじゃないんだろうなー、と思ってるんですけど……」

 そんな前置きの後、彼は言う。

「半端な武力は、戦争になりますよ」

 分かってる。

 でも、戦わないといけないんじゃないだろうか。

 自由。

 それ以上に尊い物なんてどこにも無い。

 そう言うと、彼は詰まらなそうな顔で煙草を吸う。

「……そんな物」

 それ以上に彼は何も言わなかった。

 ただ、向けられている感情が侮蔑なんだろうと言う事だけは理解できて、ムカついた。

 でも彼の感情なんてどうでもよくて、必要なのは彼の技術だ。

「あなたに必要なのはお金でしょう。私に必要なのは力。ただそれを交換しましょうと言う話なんじゃないの?何で今更ケチをつけるわけさ」

 そう言うと、まぁそりゃあそうなんですけどね、と彼は呟いた。

「子供を廃人にさせて罪悪感を覚えない大人なんて居ません」

 蘇生による精神疾患。

 確かにそれは聞いたことがある。

 人類がこの世界を出て生き残る事が出来る平均時間は4時間。その殆どが知性も持たない魔族の手による物だった。

 それは知ってるけれど、だからといって逃げるわけにはいかない。

「怖がってたら、何も出来ないじゃない」

 私がそう言うと彼は、

「はぁ、まぁそれもよく聞く類の正論なんですけどね」

 と、とても面倒くさそうに吐き捨てた。

 では、と言って、彼は手のひらを地面に向けると、真っ青の炎を地面から湧き上がらせた。

 詠唱に、数秒も掛かっていなかったように思う。そんなに速い魔法を生で見たのは初めてで、まるで映画のワンシーンみたいだった。

 彼は続ける。

「この火は、2000度あります」

 とてつもなく熱い、と言うことだ。

 彼は何の躊躇もなく、自分の右手をその火の中に突っ込んだ。

 瞬間、彼は凄まじい悲鳴をあげる。

 悲鳴?

 これが悲鳴なんだろうか。

 人が出せるような叫び声では無いと思ったし、

 肉は直ぐ真っ黒になって骨まで溶かす勢いで、

 どことなく香ばしくて美味しそうな臭いがして、

 頭がおかしくなりそうだった。

 私はその場で動けなくなったし、その場で嘔吐した。

 彼はたっぷり一分間ぐらいは自分の腕を燃やし尽くして、急いで自分の腕を治療した。

「……ぁぁ、……がぁ……」

 彼は回復魔法を発動させながら、未だ人類のものとは思えないおぞましい音で呼吸する。

 私はわけが分からなくて、口元が汚れている吐瀉物を拭っていた。

「……これは」

 彼が言う。

「……滅茶苦茶痛いです」

 でしょうね、と私は思った。

 少なくとも、想像を絶する痛みなのは確かだ。

 彼は、やべ、回路がイカレちまった、と呟く。

「で、死ぬって言うのは、この十倍ぐらい痛いです」

 端的だけど分かりやすかった。

「で、その痛みが46時間続きます」

 分かりやすいけど、想像もできなかった。

「で、それだと未だマシな部類です」

 それでマシ、なのか。

「はい。知性のある魔族に奴隷にされたり、拷問趣味のある連中に捕まったりすると、その程度で済まないです」

 まぁ、自殺用のアイテムを持つようにしてからは、そんな事は先ず無くなりましたが、と彼は言った。

「人間は、大きな爆発を近くで聞いたり、仲間がバンバン死んでくようなストレスに長時間晒されるだけでも、トラウマになってしまうような生き物です」

 彼は痛ましいやけどを負ったままの腕のまま続ける。

「種族として、弱いんでしょう。我々は肉食動物では無い。だから、弱く作られているんです」

「……弱く作られている?」

「はい。草食動物の幾つかは、肉食獣から群れで逃げている時に、弱い個体が精神的な原因から倒れます。すると、他の個体は無傷で生還できます。そう言う風な仕組みがあるんですよ」

 デコイとしての機能が人類には在るのだと。

 彼は言った。

「人間は死ぬ事に耐えられません」

 何十回も死んだ人が言う。

 少なくともここ数十年の記録上には、すでに彼よりも蘇生回数を上回っている人類は居ないそうだ。

 戦乱の世や、人間が家畜だった頃は、沢山居たのだろうけど。

 今生きている人類の中で、彼が最も死を経験している。

 冒険者の寿命は短いと言うのが定説だ。

 1度目の死亡で過半数が何らかの精神疾患を発症して、二度目の死亡で過半数がまともに生活を送ることさえ出来なくなって、三度目の死亡では、過半数が自殺病に陥る。

 自殺病。

 つまり、生きては死に、生きては死にを繰り返す病。

 その厳密な理由は未だ解明されていないが、磨耗し続けた魂が、消滅を望むのだと言う。

 タナトス。崩壊を望む因子。

 それが、全てを覆い尽くしてしまうのだと。

「そうして、タナトスを乗り越えても」

 彼は言う。

「心が死にます」

 魂ではなく、心が死ぬと彼は言った。

「自分の所在がわかり無くなります。自分の存在が希薄になります。笑っている自分の感情に自信が持てなくなります。視界にあるものの価値が分からなくなります。生きている事の意味とか今更考えちゃいます。偶に一人で泣いてたりするぐらいです」

 彼の目はとても無機質で、まるで亡霊か何かが喋っているようだった。

「あの、痛みこそ。死の痛みこそ、本当なんじゃあないかと」

 そんな、くだらない妄想が頭の中から離れなくなります、と。

 まぁ、だからこそ日常を大切に思えるんですけどね、と。

 彼は一切の幸福を感じさせない笑みを浮かべていた。

 端的に、気持ち悪い、と私は思った。

 余りにも悲しい目で、直視できなかった。

 彼は火傷した手から、もう一度炎を生み出す。

「あなたは、ここに手を突き入れる勇気をお持ちですか」

 青い炎。2000度にもなる、限りなく少ない詠唱で作られた炎。

「僕はあなたを護衛しますが、冒険の中であなたは必ず死ぬでしょう」

 それが出来ないのであれば、と彼は言う。

「自由なんて物は望まない事です。そんなの、大した物じゃない」


 そうして私は動けなくなった。

 彼は私を見て、小さくうなずいて、ゆっくりと歩いていった。

 フォンを取り出して、一言目で、『ふわふわ?』とか呟いていた。

 どういう意味だ。

 そう言う言葉がおじさんの中で流行っているのか。

 分からないけどとにかく私は彼に追い縋る事も出来なくて、彼の肉が焼けた臭いの中で吐き気を抑えていた。

 それが私と彼との出会い。


 イチリ=ロータスと、ローグ=シュヴァイツェンの出会いなのだった。


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