第2話 異世界の友達ら辺の巻


 喫茶店で数時間過ごして(自分の身長の半分ぐらいあるレモンケーキと一生懸命格闘するふわふわを眺め続けて)、店から出るとまだまだ日はお空の真ん中で輝いていた。

(この感覚にはまだ慣れないな)

 こっちの世界は、一日が46時間で構成されている。

 だから皆一日に食事は五回取るし、長い時間働き続ける。

 携帯でどこかに電話をする若者を見て、学院帰りにおやつを食べる女の子たちを見て、なんとまぁどこも変わらんもんだなと僕は思った。

「それで、バイト、きまったです?」

 僕の肩に座っているふわふわが尋ねてくる。

 耳が近いので、彼女の声がいつもより大きく感じた。

「んー……まぁ、明日決める」

「にーと」

「うっさい」

 僕が肩を揺らすと、ふわふわは、嬉しそうに、きゃー、とはしゃいだ。

「冒険者向けの仕事とか無いかなぁ」

「……ひっこし屋さん?」

「体を使うって言う意味じゃなくてさ」

 もっと、冒険するって言う意味で。

 お屋敷の護衛とか、お尋ね者を探すとか。

 それを言うと、ふわふわはクスクス笑った。

「そんな、時代劇じゃないんです?」

「……まぁ、そりゃーねぇ」

 百年前とか二百年前だったら、この世界も結構野蛮だった。

 戦争未満の小競り合いがちょくちょくあったし、人は皆帯刀していた。でも、戦争が終わって、戦争中の技術を転用した空素ネットワークが人々の生活に革新を起こしてから、世界はとっても便利になった。

 犯罪は起こりにくく。人々は暮らしやすく。

 戦士や格闘家は、今時スポーツマンを指す言葉だ。

 対戦におけるルールを厳密に決めたせいで、殺す殺されるの世界にない人々だ。それもすごいし立派なことだけど、ほんの少し寂しくもある。

 冒険者なんて物は500年前から必要とされていない。現代になってから、もっと必要とされていないのは確かだった。

「ローグはパラメーターは高いんだから、就職先はあります?」

「……どうだろうね。僕、学院を出ていないし」

「やっぱりヒモになります?」

「プライドが邪魔するんで」

 僕が答えると、ふわふわは嬉しそうに僕の耳を引っ張った。

 彼女が嬉しいと僕も嬉しいけど、僕の耳の奥に手を突っ込んで、その後自分の手の臭いを嗅いで、ウッ、って顔をするのは辞めて欲しい。

(この小さい友人は、僕のどんなところが気に入っているんだろう?)

 冒険者なんて金の実入りは少ない癖に面倒なことを、馬鹿みたいに続けている僕なんかの、どこが?

 僕が彼女に動物感覚で接しているように、彼女も僕を動物感覚で接しているのかもしれない。

 僕がハムスター感覚で彼女に接しているように、彼女は優しくて大きなくまさんぐらいの感覚で僕に接しているんだろう。

「私も、一緒に冒険しましょうか?」

 無茶なことを言ってる妖精を撫でてあげる。

 なぜか顔を真っ赤にして人差し指をカジカジされたけど、痛みは特に感じなかった。

「ローグは、レディの頭をなんだと思ってるです!」

「……頑張れば握りつぶせそうだなぁ、とか」

「このーー!!」

 ふわふわは、僕の髪の毛を引っ張った。

 普通に痛いので、ごめんごめんと平謝り。

「それで君。冒険するとか言ってたけど、魔法とか使えたっけ?」

「回復魔法とかは得意です」

「攻撃は」

「必要です?」

「……」

 本来、必要ない。

 攻撃魔法なんてのは、戦争の道具で、冒険の道具じゃない。

 つまり、人間には効果があるけど、魔物には殆ど意味がない。

 それは、彼らに魔法の耐性があるとかじゃなくて……。


「だって、私たちが魔物を倒せる筈がないです?」


 この世界では、魔物は強すぎる生き物だから。



   □



 自分が異世界に迷い込んだと気が付いたのは、スライムが現れたからだった。

 徒歩二十分の会社までの道のりを、古いロックンロールをイヤホンで聴きながら歩いていた僕の視界が、まばたきと同時に荒野に変わる。

 あれ、なんだ、と思うよりも先に。

 目の前を、ぷるるんとした物体が通り過ぎたのだった。


 今日は朝から会議があって、とは言え新卒の僕は真面目ぶった顔で椅子に姿勢を正して座るだけなわけで、とにかくそんな一日を過ごすつもりだったんだけど、目の前にスライムが飛んでいた。

 水色の、半液体みたいな、ボーリングぐらいの大きさの生き物がぷよぷよ弾んでいたら、それはスライムだろうと、日本の成人男子の8割ぐらいは直感的に分かると思う。

 RPG文化は偉大だ。

 小さい頃にはゲームなんて社会に出てから役に立ちませんよとお母さんから言われていたんだけど、その箴言が一瞬で崩れ去った瞬間だった。

 目の前にいるのはスライムだ。

 この窮地において敵対生物の種族がふんわり分かっただけでも、とても重要な意味になる。

 そうして、僕は戸惑った。

 大いに戸惑った。

 僕はスーツだった。

 資料の入ったバッグも持っていた。

 人はパニックになるとこんなに頭が真っ白になるのだと言うことを初めて知った。こんなに頭が真っ白になったのは、友人が生徒会長に立候補して、済し崩し的に応援演説をすることになった時以来だった。

 そうして、僕の友人は二倍もの票差を付けられて敗北した。

 ……いや、今はそんなことはどうでも良い。

(スライム? 何故スライム? マジでどうして)


 このノリ。

 知っているぞ。

 僕はサブカルチャーにも手広く食指を伸ばしていたのだ。

 目が覚めた瞬間、見たことのない世界。

 これはつまり、古くはナルニア国物語からの伝統。

 遙か彼方の日本の伝統に照らし合わせてみれば、ご先祖様は遠野物語(多分違う)。

 あ、浦島太郎の方が近いのか?

 どうでもいいよ。

 とにかく。

 とにかくこれは。

「い、異世界入ったぁぁああああああああ---!!??」


 瞬間。


「……え?」

 鼓動したのは空気。

 不味いと思ったのは本能。

 恐怖の正体が死だと気が付いたのは、僕が横に跳んだ後だった。

「……ッ!?」

 目を閉じた瞬間に風圧を感じる。

 何だと思って風が通った方を見ると、僕の耳が空を飛んでいた。

 こめかみ近くから真っ赤な血が滴って、僕の口に入る。

 鉄の味。

 血の味か。

 僕はパニックになった。

「……ひっ」

 僕は走って逃げようとするけど、ばたばたとリズムが揃わなくて、上手く走れない。

 恐怖が僕の首をねじ曲げて、背後を振り返る。

 そこでは水色のぷよぷよした物体が、表面を細かく震わせていた。

(何だよ、あれ……ッ!?)

 スライム。

 たぶん、そう。

 完全にファンタジーの知識だけど、多分スライム。

 けれど。

(今の動き……っ)

 全く見えなかった。

 ただ風圧が頬に触れたから、僕は攻撃されたと気が付いただけだった。

 剣道で、物凄く早い打突の選手を見たことがある。全国大会の優勝者で、僕の大学に練習にしに来ていて居たときの事だった。

 その面打ちを真っ向から受けたことがある。

 早く鋭く、竹刀で受けるのが精一杯だった。

 しかし、スライムの動きはそれを遙かに凌駕する。

 本当に、その動きの残滓すらも捉えられなかった。

 スライムは速いんだ。

 圧倒的に速い。

(瞬発力が高いのか!? 持久力は無いのか!?)

 頭はパニックになっていたけど、本能的に十露盤を弾く。

 逃げられるのか、逃げられないのか。

 ここが何処なのかという問いは既に頭のどこにもなく、ただアラートだけが脳髄に響きわたっていた。


 次はどうする?

 走るしかない。

 そう思った瞬間に、僕は地面に膝を付いていた。

「ぎゃがァ……ッ」

 左足が、僕の前方に吹っ飛んでいく。真っ赤な血が遠心力で大きな円を書きながら、当たりに飛沫をまき散らしていた。

「ぐ……ひっ」

 思ったのは、僕はもう片足しか無いんだなぁと言うこと。

 車椅子で歩くか、義足を付けるしかないんだなぁ。

 それが妙に怖かった。

 死ぬかもしれない直前なのに、不思議だと思った。

「……はぁ、……ぁっ」

 僕の足を穿った物体は、僕の目の前でプルプル震えていた。

 感情がどこにあるのかもわからない。

 ただその無機質な動きは、今から僕を殺そうとしているのだと、それだけを理解させるには十分だった。

 ぷるぷる、ぷるぷる。

 表面に振動が走っている。

(死ぬ)

 思うと同時に、スライムは僕の腹に風穴を開けた。

 中から腸が遙か彼方に跳んでいって、ぬるりと胃袋が穴から転がっていく。破れた胃からは胃液と同時に、今朝食べたゆで卵が、辛うじてそれと分かる形で地面に落ちる。

 それは痛みと言うより、衝撃だった。

 頭が真っ赤になって、すぐに真っ白になる。

 脳内物質が出ているんだろう。痛みは、ふわりとした快感に包まれて、僕はその場に仰向けで倒れていた。

 背中には、どこか分からない内臓の感覚。

 死はとても身近だった。

 きっと、痛みを咀嚼する余裕もなかったからだろう。

 

 視界の端にぷるぷるとした水色が映る。

(まだ、終わらないのか)

 

 スライムは、僕の脳髄を貫いた。



 ………。

 ……。

 …。



 気が付くと、僕は寝ていた。

 と言うよりも、さっきの体勢のまま、空を見ていた。

 生きているのか?

 違う。

 痛みが体中を駆け抜けて、叫び出しそうになる。

 けれど、叫ぶ声帯はすでにない。

 僕はとっくに挽き肉みたいな状態で、まともに動いている気管は何もなかったから。骨が微かな肉を伴った沢山のジグソーパスルのピースみたいに散らばっていた。

 僕は死んでいる。

 体が壊れ尽くされているんだ。

 生き物として、存在できている筈がない。

 けれど風穴を開けられた体中が熱を伴った痛みを訴えていて、僕はこの痛みを一瞬でも忘れられるなら、死んでも良いと思った。

 死んでるんだけどね。

 後から分かったことだけど、人類は、魂が空素に縛り付けられていて、どんなに体がバラバラになっても、魂が消失してしまう事はないそうだ。その仕組みを転用して、死んだ人間は教会で生き返ることが出来る。

 魂が劣化して死ぬ場合、--つまり寿命だ。の場合は、魂も死ぬわけで、そのとき以外、人類が消え去ってしまう事は無いらしい。

 ただ、『死』と言う物はとても恐ろしいもので、一度死んでしまった場合、普通は頭が狂ってしまう。この痛みに、恐怖に耐えきれなくて、PTSDになってしまうか、完全に廃人になってしまうのだとか。

 勿論そんなことを知らない僕は、痛みに呻き続けていた。体中バラバラにされる痛みを、46時間耐え続けた。

 46時間宙に浮いていた魂は、46時間丁度に教会の空素ネットワークが検知して、自動的に捕獲される。

 

 だから46時間叫び続けて(声は無く)、46時間痛みを耐え続けて(体も無く)、やっと世界が静かになったとき。


 僕は、教会で目を覚ました。




 ――その後僕は実験体として王宮に飼われる事になるのだが。


 それはまた、もう少し後に話すことにしよう。



   □



 ふわふわは、今日もふわふわしていた。

 あっちの世界でケセランパセランって言うのが偶に空を飛んでたけど、だいたいたくさんのあれを合体させた感じだと思ってくれれば問題ない。

 町並みは、近代風の建造物で囲まれている。

 異世界は経済的にも技術的にも元の世界と余り変わらない文明を誇っていて、技術の種類によっては元の世界よりも遙かに優れていたりする。建築技術なんかはこっちの世界の方がかなり優れていて、魔法を使えば壊したり立て直したりが容易なものだから、都市計画を立案しやすく、街は高層ビルに囲まれながらも清廉とした印象を受ける、少し未来的な作りになっていた。

 その中を中世風の服装を着た人々が(一概にそうとはいえないが、古い物は強い魔性を帯びるため、服を代々着回すみたいな文化が根強いのだ)歩いているというのは、ほんの少しの違和感と、ほんの少しのおもしろさを感じさせた。

「ローグ、ローグ」

 僕の頭の上で、ふわふわは、ぱたぱたと足を動かす。

「どうした」

「今日は、のみにいきます?」

「んー」

 ふわふわはこう見えて二十歳を越えている。妖精族は人類に比べて長寿なので成長が遅いのだと彼女は言い張っているが、それは結局言い訳で、彼女ぐらいの年でも大人っぽい妖精は幾らでもいる。

(お酒は好きだ)

 記憶を吹っ飛ばすぐらいにお酒を飲むのが好きだ。

 安くて度数の高い酒を、ストレートで飲み続けるのが好きなのだ。

(とは言え……)

 金がない。

 とにかく金がない。

 空素の魔法で僕が教会で生き返ったら、バトルジャケットとズボンと財布は身体と一緒に戻ってくる。

 けれど剣や道具は基本的に戻ってこないし(空素でコーティングされた剣はとにかく高価だ)、現状家賃を払う事も出来るかどうか分からないほどだ。

 だから。

「僕は遠慮しとくよ。お金が……」

「おごります」

「い……っ」

 行くと言い掛けて、けれどと気が付く。

「……人間は、君の十倍ぐらい飲むけど?」

「だいじょうぶです。最近、人間さん用のお洋服を作ったのが口コミで人気になって、デザイン量ががっぽがっぽです」

 どのぐらいがっぽがっぽなのと聞くと、彼女はにへー、と笑って僕の耳に金額を囁いた。

 それは驚くべき金額だった。

 職業冒険者と警察に言うと、フリーターですねと言い直される僕にとって、目を剥くような数字だ

「行きます。絶対行きます。朝まで飲みましょう」

 僕は一も二もなく返事をする。

 ふわふわは、ふわふわと笑って。


「ローグがヒモになるのも、もうすこしですね」


 背筋が凍りそうになるような一言を呟くのだった。





 居酒屋にて、妖精と冒険者がエールで乾杯するという、余り他では見ない光景が繰り広げられていた。

「かんぱーい」

「かんぱいですっ」

 居酒屋は、平日である今日でもそこそこ盛り上がっているようで、座敷の席は学院生の飲み会か何かが繰り広げられていた。僕やふわふわが溜まり場にしているこの居酒屋はチェーン店と言うこともあり、お酒もおつまみも安くすむので、学生さんに人気なのだった。

 淫魔族のウエイトレス達が、忙しそうにお酒を運んでいる。淫魔といえども、今時身体を売って居る連中は少ないようだ。昔こそ好奇の目に晒されていた淫魔だったが、最近は上級騎士になった淫魔も居るとかで、かなり地位は向上している。

 ふわふわのジョッキは僕の指先程の大きさしかなくて、中身はエールと言うよりも、まるで花の蜜か何かを飲んでいるみたいだった。

「ローグ、今日生き返ったばっかです?」

「うん」

「たいへんでしたね」

「まぁまぁね」

 死ぬのもそろそろ慣れてきた。

 一応死んだ後は精神療法士の所でカウンセリングを受けるのがこの世界の常識だが、金のない僕にそんな上等な物を受ける余裕はない。病院に行けば精神安定剤も処方されるから、それだけは欲しいなと思うんだけど、贅沢は言っていられない。

「こんかいは、どこまで行ったです?」

 ふわふわが、ちびちびとお酒を飲みながら言う。

 店員がハーフダックの唐揚げを持ってきて、ふわふわは目を輝かせながらかじり付いた。

「今回は緑の丘の第二地区まで行ってきたよ」

「それってどのぐらいです?」

「六時間ぐらいかな」

 すごいですね、と彼女は息を吐いた。

(……そう、歩いて六時間の距離で賞賛される)

 それがこの世界だ。

 魔物と人類のパラメーターが圧倒的に違いすぎる。

 人が『街』を出てしまえば、一晩生き残ることだって出来はしない。

「何に殺されたですか?」

「ミニオークの群れ」

「あー」

 痛かったですか、とふわふわは僕の手の甲をぺちぺちたたく。

 微笑ましくて、なすがままにされておいた。

「今回は、スーパーに並んできたよ」

「どういうことです?」

「ほら、死んでも46時間は魂は身体に残るだろ。だから、46時間以内に食肉加工されて、スーパーマーケットに並んだ」

「……食べられたですか」

「カラっと揚げられたよ」

 死んでも、痛覚だけは残り続ける。

 痛覚って言うのは魂(感覚)と強く結びついていて、どんなに粉微塵になっても消えることはない。

 だから僕は体中が数百度の熱で焼かれたのも覚えているし、オークの歯に咀嚼される感覚も覚えているし、胃液に溶かされる痛みも覚えている。

 この痛みから逃れられるなら、消えてしまっても良いと思える程の痛みなんだ。

 それが死ぬと言うことだ。

 人が、何度も耐えられる痛みじゃない。

「ほへー」

 ふわふわは、驚いた顔までふわふわしていた。

「分かったろ? 君みたいに動く綿菓子然とした女の子が、冒険するなんてのは無茶なのさ」

「そうですかねー?」

「だって君、さっき看板に頭打っただけでも泣きそうになってたじゃない」

「そうですかも……」

 まぁ、ふわふわはそれで良いと思う。

 街に戻ってきたときにこの子とお酒を飲むことが出来るのは、僕のこっちの世界での一番の楽しみだ。

(……あっちの世界では、飲み会は嫌いだったのにな)

 女の子と二人で飲む事なんて無かったし。

 いや、まぁ身長40センチ以下の女の子なんで、どうもそう言う感じはしないんだけどさ。

「ふわふわの方は最近どう?」

「んー。ちょっと、空素のべんきょーしてます」

「……インテリめ」

 空素は数十年前に見つかった元素で、世界の構成単位の一つだ。

 古くから世界は、火、水、土、風のエレメントで構成されていると言われていたが、魔法の発展によって見つかった空素のおかげで、人間の世界は一転した。

「空素ってよく分かんないんだよね。具体的にどう言うことなの」

「にんしきのせかい、です?」

「……妖精族って、人族よりも知能低いよね?」

「でも、私はローグよりかしこいです」

 うっさいよ。

 ……いやまぁ実際、僕はこの世界の義務教育を受けていなくて、特に魔法については独学だから、殆どの事を理解していない。

 魔力の還元率はかなり優秀だけど、使える魔法は少ない。

 ふわふわは話を続ける。

「世界は、観測されてはじめて、形を成すです?火も、水も、風も、土も、こうであれという指向性……同時に観測されることで、そんざいをかくりつされるです?」

「……ほう」

 僕は分かった振りをしてうなずいた。

「世界は、一層構造じゃないです? つまり、メタ世界が存在していて、存在はすべて上位世界から伝えられる指向性でもって、存在するです。その指向性は、世界に満ちているです? それが、空素です」

「…………」

 僕は居酒屋のウエイターさんを呼んだ。

「すいません、ウイスキー、ストレートで」

「もー!!」

 話してるです、とふわふわは僕の手の甲をぺちぺちたたいた。店員さんが、ほっこりとした顔で彼女を見ている。

「ローグは、はなしをきいてるですか!」

「聞いてるです」

「うそばっかり」

「ほら、唐揚げお食べ」

 ふわふわは、ぷんぷんとした。

 お詫びの代わりに、僕は彼女に質問をする。

「結局、空素って何が出来るんだい?」

「平行世界を通じて、命令を出せるです」

 それによって距離という概念が無になるし、仮想世界にネットワークを形成(空素ネットワーク)する事が出来るそうだ。

「……平行世界?そんな物があるのかい」

「魔法学の世界でのみ証明されてます。可能世界と言う形で、世界は無限に広がってるみたいです。観測した人は居ませんし、世界間を行き来出来るのは空素だけですけど」

 ……あれ。

 世界間を行き来?

 それって、もしかして……。

「……僕のために勉強してるのかい?」

 僕が言った瞬間、ふわふわの顔が真っ赤になった。

 血の巡りがいいのか、ふわふわは少し恥ずかしいだけでもすぐに赤面する。

「ぜ、ぜんぜんちがいますっ、そんなんじゃないですっ」

「あぁ、そっか。ならいいや」

「……ちがいますよ?」

「だから、なら良いって」

「う~~~っ」

 少し追求されたかったみたいだ。

 僕が異世界から来たのを、長いつきあいの彼女は知っている。

 僕が向こうの世界に帰りたがっているのも、彼女は知っている。

 彼女の友情が嬉しくて、僕は笑った。

「ありがとうね」

 そう言うと、彼女はぷいっと顔を逸らした。

「だから、ローグのためじゃないです」

 そうかそうか。

 僕がハムスターにやるみたいに、枝豆の中身を一粒摘んで彼女の顔の前に持って行くと、彼女は恥ずかしがりながらも豆をぱくりと食べた。

 ほっぺが膨らんでいて、本当にハムスターのようだった。

 かわいいなー。

 うちで飼いたい。

 頭を撫でながらテレビ見てたい。

 言ったら絶対怒られるだろうけど。

 ……あれ、もしかして僕ら、互いに飼育欲を持っているのか。

 ふわふわの言う『ヒモ』って、つまりペットみたいなもんだもんな。

「……」

 ちっちゃい羽の付いた女の子を見つめる。

「何です?」

「僕らは、相思相愛だな」

「なんですっ!?」

 顔を真っ赤にするふわふわを、僕は和やかに見ているのだった。


 不意に、背後に気配を感じて振り返る。

 気配は大事な感覚だ。

 だいたいがただの気のせいだけど、今まで何度も命を助けてられてきた。

 けれど今回の気配は、特に命の危険はないらしい。


「よぅ、お前等。相変わらず目立つねぇ」


 渋い声。

 僕の知り合いの声で僕は嬉しくなったけど、ふわふわはムムムと顔をしかめていた。

 彼女は、彼の事が嫌いなのである。

「でましたね、とかげおとこ!」

「よう、ちびっこ水色妖精」

 トカゲの頭に、流々とした筋肉。

 腕には堅牢そうな鱗が付いていた。

 彼の種族は人類。

 名前は、アーノルド・オリヴェイラ。

 国の英雄とまで言われる彼は鋭い牙を覗かせながら、がははと笑って僕らのテーブルにどさりと座った。

「テメエよぉ、おい、ローグ、テメエおい」

 彼が言う。

「ぷくく、あいきゅーの低そうなしゃべり方です」

 すかさずふわふわが嫌みを返した。

「IQが平仮名になってるテメエにゃ言われたくねえよ」

「とかげー!」

「おい、このちびっ子何とかしろ」

 僕はふわふわに枝豆を与えた。

 もぐもぐしてた。

「それで、どうしたんですかアーノルドさん。王宮騎士様が、こんな辺鄙な飲み屋に……」

 言った瞬間、僕らのテーブルにビールがドンと置かれた。

 ウエイトレスさんがこっちをにらんでいた。

「……こんな、暖かみ溢れつつも洗練された素晴らしい大衆居酒屋に、何の用でしょう?」

 ウエイトレスさんがニコリと笑った。

「テメエよう」

 アーノルドさんが言う。

「また死んだんだってな」

「おー、情報早いですね」

 僕が生き返ったのは数時間前だ。教会領から王宮に連絡があったにしては、早すぎるように思った。

「お前死にすぎ」

 アーノルドさんが睨むと、本気で怖い。

 トカゲの目って、感情がよくわかんないもんでね。

「どこでそれを?」

 僕がそれを尋ねると、アーノルドさんは、いつの間にか頼んでいたビールをこぼしながらゴクゴクと飲む。

「神父だよ。テメエ、この10年間で一番死んでるってよ」

「やりましたねっ」

 ふわふわが叫んだ。

 もう一つ枝豆を与える。

「テメエは研究費が出てるから、費用は国持ちだけどよ。一応税金なんだから、適度に控えやがれ」

「やー、お金が無くて」

 平均的な蘇生費用は、一度辺り約30万ゴールドだ。

 国に貯蔵されている魔力を使うため、それこそ税金の賜物だし、魔力を持ち出す神官もかなり体力も使うため、僕は好ましく思われていないようだ。

「だったら、死なないように気をつけろや」

「冒険者にそれを言います?」

「ったくよぉ」

 冒険者の数が少ないのは、蘇生費用が高額なことにもある。

 昔は国立の冒険者も居たようだが、現在は政治的な事情から廃止されていて、現代では国から援助を貰っている冒険者が数人、私的な冒険者が数十人居るだけだと聞いた。

「テメエ、弱っちんだから、一度まともに訓練しろや」

「ローグは弱くないですよっ」

 枝豆を飲み込んだふわふわが抗議する。

 まぁそりゃあな、から初めてアーノルドさんは続けた。

「確かに、今回のテメエの冒険は、この国の歴史上何番目かに遠くまでたどり着いたって聞くし、冒険者としては優秀なんだろうよ」

 そうだったのか。

 一応僕は、西の迷いの森方面だったら、国一番の記録を持っている。今回向かったのは東の丘で、もう少しで記録を塗り替える事が出来たらしい。

「だが、剣の段位も持ってねえし、魔法の学位も無ぇだろう」

「……学位の方は欲しいんですけどね」

 冒険において、剣を使う機会は殆どない。どんな高段者の剣士だって、スライムと真っ向から戦ったら勝てないからだ。

 けれど剣を持つのは、剣を魔法の媒介にしたり、杖にしたり、奇襲であれば最低勝てない事もないからである。

「記録も頭打ちなんだろ?少し自分を鍛えたらどうだ」

「別に記録をねらってる訳じゃ無いんですが……」

 それは分かっているがね、と彼は言った。

「あんまり焦っても仕方がねえぞ」

 そう、宥めるように彼は言う。

 それはふわふわも思っていた事らしくて、彼女も黙って、僕の手の甲をぺしぺししていた。

「死にすぎると、魂が磨耗するらしいしな」

「……でもそれは迷信ですよね?」

「頭がイかれる。死近づく。精神病院行きゃ分かるだろ。イかれた連中がクソほど居やがる」

「まぁ、それは」

「つかテメエ、病院行ってねえだろ」

 うぐ、と僕は胸を抑えた。

 そこまでバレてるのかよ。

 それを聞いたふわふわが飛び上がる。

「それはホントですか、ローグ!!」

 怒っていた。ぷんぷんだった。

「……アーノルドさんが、嘘付いてるんだよ」

「えー!!」

 ふわふわがアーノルドさんを睨む。

 アーノルドさんは医者からのメールを起動させた。

 ふわふわが僕に噛みついた。

「いたいっ」

 いつもの甘噛みでも無い、結構本気の噛みつきだった。

「あなた、眠れなくなってた時のこと、忘れたですか!!」

「……もう治ったし」

 悪夢に魘されて、眠るのが怖い時期があったのだ。

 いつも目に隈を作っていたし、往来で気絶した事もある。

 左手が常に痙攣して自分の首を絞めようとする時期もあったけど、それを槍玉に挙げないのは、彼女なりの優しさだろう。

「さいはつするって、おいしゃさん言ってました」

 泣きそうな目でふわふわが僕を睨む。

 彼女は僕を応援してくれるけど、それ以上に心配してくれるのだ。

 僕が眠れなくなったとき、一晩中近くに居てくれたのも彼女だった。

「……金が無くて」

 とにかくそれに尽きるのだ。

 蘇生費用は国が援助してくれても、精神病院の費用は持ってくれない。

 呟いた僕に、アーノルドさんは言った。

「この、『白の国』は裕福な国だ」

「ですね」

「400年前、人間何つうのは魔族の家畜だった」

「妖精もですよっ」

 ふわふわが叫ぶ。

「でも現在は、魔族に技術を輸出することで市民権を得ている」

 人間族がまともな生活が出来るようになったのは、奴隷や食用として人類が乱獲されていた時代、竜族の一人『炎竜』が、絶滅しそうになった人類を保護すべく、保護特区を作ったお陰だった。

 それから人類は文明レベルを急激に上昇させて、この国の人類は文明を発信するために一定の地位を得た。

 しかし、人類はあくまで無力。

 この街の外では、人間はただの食料だ。

 それは妖精も同じ事で、ヒエラルキーの最底辺同士、人間と妖精は仲良しなのだった。

 僕が戸籍を取得した国、『白の国』は四つの人類の国の中でも最も裕福な国で、人々はそこまで働かないでも暮らしていける。

「少し落ち着いて金を貯めて、自分のスキルも上げたらどうだ?」

「……アーノルドさん、僕を心配してるんですか?」

「当たり前だろう。友人だからな」

 アーノルドさんはにっこり笑うと、ギザギザした歯がむき出しになった。

 アーノルドさんは良い人で、前の世界では余り向けられることの無かったむき出しの感情に、少し照れてしまう。

 唐突にふわふわが、僕の手に抱きついて叫んだ。

「でも、とかげはホモ!!」

 アーノルドは悪びれもせずに。

「まぁ、同性愛者さ。それが一体悪いことかね?」

「ローグをねらってます」

「そりゃあ、性的にはストライクゾーンさね」

「むきーっ」

 と言うわけで、アーノルドさんはトカゲ頭でホモである。

 なんて言うかキャラクターが渋滞してるけど、それでもこの人は一級王宮騎士なのだった。

 なんて平等な世界だろ。

 まぁ、僕は男に興味は無いので警戒だけはしておこうと思う。

 まだ、ハムスターっぽい小動物妖精の方が性的にはアリだ。

「??」

 ふわふわは、僕を見て不思議な顔をした。

 この平和な顔を見ていると、よこしまな感情は吹っ飛ぶね。

 そもそもやっぱりちっちゃすぎだ。

「つーわけでテメエ、騎士の仕事でも手伝うか?」

「騎士ですか……」

 王宮騎士の免許は、一応持っている。

 大分前に、職業訓練ってことで下級騎士の免許を取らせて貰ったのだ。

「あんだよ?」

「やるなら……魔法関係が良いなぁと」

「これだから冒険者は」

 冒険者なんて僕以外に出会ったことあるのかなーと思いながら、僕は仰々しく肩を揺らす彼を見ていた。

「最終的に信頼できるのは、テメエだけだろ」

 確実に脳筋の考え方である。

 でもやっぱり、剣は使いにくい。

 文明レベルで言ったら銃を作る事も出来るんだろうが、魔力を通せば、剣は岩ぐらいなら両断する。

 つまり、銃を作るぐらいなら剣の方がマシなのだ。

 でも剣を魔物に突き立てても、効かないのだ。

 魔族強すぎ。何だあいつ等。

 だから、戦う剣よりも、汎用性の高い魔法を覚えたい。

 逃げる、隠れる、察知する。

 それが冒険の基本だと僕は思っていた。

「……まぁ、魔法関係の仕事も、あるはあるんだけどよ」

 アーノルドさんがそう言って、僕は顔を上げた。

「本当ですか!?」

「うそ言ったらおこるです、とかげ!」

 何故かふわふわまでテンションが上がってくれたのが嬉しかった。

 嘘じゃねえよ、とアーノルドさんは言う。

「……何だったかな。どっかの魔術師が、外に詳しい助手を捜しているそうだ」

「それって……」

「ああ、そうだ」

 外に詳しい助手を捜す魔術師。

 つまり、魔術師は外に出ようとしているわけだ。

 なにをしに行くって言うと、冒険だ。

 冒険に興味がある魔術師?

 ってことは。

 僕と、アーノルドさんは同時に口を開く。


「「テレビの取材だ」」


 僕はため息を吐く。

 ……年に何回かあるのだ。

 バラエティー番組の企画で、芸人を連れて外に冒険に行く。

 外の世界で新しい魔術を探すとか、何かを調査するとか言う魔術師なんて、居るはずがない。

 魔術師っていうのはエリートだから、わざわざ廃人になりに行く必要は無いのである。

「テレビの取材か……」

 面倒だ。とてもとても面倒だ。

 やらせ企画だったらいいんだけど、本当に外に行くとなると、命がけで芸人を護らないといけない。

 そもそも、僕だって直ぐに死ぬのに。

 素人を連れて自殺しに行けと言ってるようなもんなのだ。

 ただ、冒険者と行く外の取材は視聴率が物凄く良いらしい。人類は未だに、自由へのコンプレックスを捨てられないのだ。

 数年前に連れて行った芸人は精神を病んで今でも自殺を繰り返しているみたいだけど、テレビ局はもうあのときの事を忘れてしまったのかな。

「どうする?断るか」

 アーノルドさんが聞く。

 僕がテレビ局に対して散々言った愚痴を、彼が覚えているからだろう。

 しかし、魔術師と会う機会は貴重だ。

 魔法を使っている所を見るだけでも、自分の力になるかもしれない。

「いえ、行きますよ。仕事を選んでる状況じゃない」

 装備が必要だし、知識も必要だし、治療も必要だ。

 必要な物が多すぎる。

 ……本当は出来るだけ早く元の世界に戻るために、寄り道するつもりはなかったんだけど、確かに少し落ち着いた方がいいだろう。

 ちょっと長期で仕事をした方がいいだろう。

 とりあえずはアーノルドさんの仕事をするのが丁度良い。

 ウエイトレスさんが、三人分のウイスキーが入ったグラスを持ってくる。

「そんじゃあ、生き返ってきた友に」

 アーノルドさんが言った。

「これからも、げんきであることにっ!」

 ふわふわが言った。

「僕らの友情に」

 僕が、言い慣れない事を言った。


「「「乾杯っ!!」」」


 面倒なことは多々あるけれど。

 とりあえず今日は飲み明かそう。

 そんで、明日に考えよう。

 そんな適当な事を決意して、僕等はグラスを傾けるのだった。






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