とある大学の講義(宇宙暦128年)

 とある大学の講義



さて、こうして人類史上最大規模の救出作戦は成功裏に終わったわけだが。ここから始まる大航海時代ならぬ大宇宙時代から見るとこの救出作戦はプロローグに過ぎない。


 この授業では人類が進む道についての概要について述べよう。


 まず、救出作戦直後に就任したウィンプス合衆国大統領は歴代政権とは比べ物にならないほどの大規模な宇宙進出を行った。代表的なものでは火星のテラフォーミングがあるだろう。ほかにも、メリフラワー号事故の反省点を生かして新造されたメリフラワー改の建造、さらに大規模輸送が可能な核融合パルスエンジン搭載宇宙船の建造など多くの功績をウィンプス政権はあげた。唯一の汚点として後世に語り継がれるのはアレックス・ベッケンバウアー法務主任の火星派遣であろう。この派遣が何をもたらしたかは周知の事実であるが、この場で振り返ることとしよう。


 世間ではベッケンバウアーを必要以上に悪役にしていると私は思っている。というのも火星が独立を宣言したのが宇宙暦93年、ベッケンバウアーが火星で息を引き取ったのが宇宙暦12年だ。つまり世間では81年前に死んだ人間が独立の引き金を引いたと、そう主張していることになる。

 ここから先は憶測の域を出ないがね、ベッケンバウアー犯人説は何かにつけて火星のかたを持ったメディアが自分たちの責任をなかったことにするためにベッケンバウアーがすべて悪いという論調に世間を誘導したのだと、そう思う。


 もちろん、ドミノの最初のパイを人事権譲渡要求という形で倒したのはベッケンバウアーだ。その事実は多くの公文書が認めるものだ。しかし考えてみたまえ、火星という地理的に遠すぎる場所で独立して活動をする集団がいつまで地球からの指示に逐一従うスタイルを守ったか?つまりベッケンバウアーがやらなくても誰かがやった可能性は極めて高いということだ。


 なお、一部の心理学者が提唱している閉鎖空間における思想同調現象が火星基地内において起きたという学説は極めて興味深いものを感じるが、残念ながら実証実験を行う方法がないという致命的な欠点があるのでここでは考慮していない。


 実際、ベッケンバウアー存命時に起きた事件は人事権、臨時立法権の司令官への移譲、司法権の法務主任への移譲の2つだけだった。その後は一部基地スタッフの帰還拒否などの騒動はあったが順調にテラフォーミングが進んだ。問題が発生していたのは30年にわたって法務主任を務めてきたベッケンバウアーが死んだときに発生した。


 誰を次期法務主任にするか、という問題が発生した。ベッケンバウアーは今日のイメージからすると意外かもしれないが、司法権の乱用といえるほどの乱用はしていなかった。しかし法務主任が持つ司法権というものは一個人の権限としては大きすぎた。火星内の記録ではベッケンバウアーの死をきっかけとして司法権を地球に返還しようという意見もあったらしいが少数派だったらしい、議論は当然の帰結として人事権を持っていた火星基地司令官に委ねられることになった。


 そうだな、諸君が考えていることは当たっていると思う。火星基地司令官は自ら法務主任を兼務するという決定を下したのだ。

 そこで私は尋ねたい。ベッケンバウアーよりこの火星基地司令官こそが、糾弾されるべきではないかね?


 一人で司令官の本来業務である行政、ベッケンバウアーから引き継いだ司法、臨時とはいえ立法の3権を握った司令官は非公式であるが初めて自らを総統と称し、行政司法立法を一元的に処理する機関として総統府を設立した。

 この時、地球から遠く離れた火星のちにおいて人類が洗練した3権分立が否定され、火星ははっきりと地球のコントロールを受けない存在になりつつあるというメッセージを内外に発したのだ。



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