月面基地 中止命令

会議を解散したあと、私が最初にした事は通信室の掌握だった。

月面基地がまだ小さかった頃、技術部門長は技術主任と呼ばれ、緊急事態の対応を指揮する都合上、基地の序列1位だった。その後基地の任務拡大に伴いより上位の基地司令職が置かれた訳であるが通信科は置き土産のように技術部門長直属になっていた。今までは職務上支障がなかったので隷属関係を見直す動きがなかったわけだが、今は私がオペレーションルームを占拠するにあたっての、やや心許ない根拠となった。幸いであった事は、通信科長のアケミは政治と無縁なたたき上げの女性で自らの昔と同じような境遇だった私には色々とよくしてくれた大先輩だという事だろう。

通信室は円形の白を基調とした明るい部屋だ。壁に沿うようにコンソールが設置され、5人のオペレーターがモニターを監視していた。

私は部屋の中心の一段高くなった座席に座る東洋人女性に声をかける。

「アケミ、ちょっと話があるんだけど…」

「深宇宙監視システムに動きはないわよ」

アケミはモニターを見つめたまま答えた。

「違うわ、相談があるの」

私はアケミに事の次第を話した。現時点では手詰まりな事、エンタープライズを使えば救出が可能な事、本部の反対があっても実行したいという意思。

「あなた、アンダーソンさんに似たわね。良くも悪くも」

「ここに来る通信をすぐに流すんじゃなくて、私を通して欲しいの」

「あのね、そういうのは司令に話を通すのが先じゃないの?」

「今は非常時対応配備中よ、今の私には司令を介さずに地上と連絡を取って独自判断で事態の急変に対応する権限があるわ、司令には事後報告で良いと定められている」

「そういう、規則の綱渡りをするようなところは似て欲しくなかったわ。」

「それで、協力してくれるの?くれないの?」

「いいわ、どうせ次に地球に戻ったら退職しようと思ってたし」

「じゃあ、本部には『技術部門長権限の緊急処置権限に基づき最善の行動をとる』と送って。この件に関する事は部外秘で直接私に連絡する事。OK?」

「そうするわ」通信室を掌握する目的は、何も地上からの通信の独占だけではない。月面基地は事故に備えてあらゆる設備にバックアップが存在する。そして、この通信室は第二発令所と呼ばれ、発令所を兼ねていた。本来であれば発令所で指揮を執るべきなのだろうが、残念なことに発令所には横やりを入れてくる気配が濃厚な月面基地司令官と監察官がいる。一応、忘れ去られていた規則によって私が責任者だと強弁できる自信はあるが避けられるリスクは避けておきたい。救出作業に当たるスタッフには第二発令所で指揮を行う旨を通達済みだ。


 そんなことを反芻していると、一人のオペレーターが私への通信が入ったと言ってきた。

「こちら第二発令所技術部門長」

「こちら、エンタープライズドック、救難艇との接続作業の件ですが救難艇の整備要員がごねています。司令官名義の命令がないと動かないと」

「司令官に確認を取られたの?」

「それは、おそらくないと思います」

「司令官に知られるのはできるだけ先延ばしにしたい。とにかく整備要員に代わって、私から説得する」

若い救難艇の整備要員はなかなか頑固だった。彼は根っからの組織型の人間で、彼曰く『月面司令部のトップは司令官であり、自分が司令官の命令なしの業務を行ったら組織としての月面基地が崩壊してしまう』という。なので私は月面基地の歴史から話始め緊急時における技術部門長の権限がいかに大きいものであるかを語って聞かせた。非常に時間がかかったが救難艇整備要員の協力が得られなければ何にもならない、これは必要な手続きだ。


「キャシー、本部から入電よ、長官名義の最重要命令書」

アケミが電話越しの説得を終えた私に話しかけてきた。いつもそうだがアケミの表情からは通信の内容を推測できない。

「内容は?」

「読み上げるわ、『月面基地は現行作業を即時停止せよ』」

「それだけ?」

「それだけね」

「どう思う?」

こういう時は長年通信に携わっていた経験を信頼するべきだ。

「本部はそうとう混乱しているわね」

「どうして?」

「通信が入るのが早すぎるわ。キャシー、こちらから通信を送ってからどのくらい時間がたった?」

「5分程度だったと思うけど」

「その間に長官に連絡が行って長官から中止命令が出たと思う?」

「ギリギリ行けるんじゃないかな?」

「そういえば、あなたはアンダーソンさん以外の上司を持ったことがなかったわね。あの人は例外中の例外よ、普通何か決定しようとしたらあの何倍も時間がかかる。覚えておきなさい」

「OK、それで早すぎるからどうしたの?」

アケミはそのくらい自分で考えなさいよ、と言いながらも教えてくれた。

「こちらからの連絡を待たなかった、というのが一つ。それにことがことだ、本部も一枚岩ではないことは容易に想像がつく。そもそも、長官名義になる時点で違和感がある」

「たしかに、現場の暴走を抑えるだけなら運用部長名義で十分なはずだ」

「それがあえて長官名義になったってことは長官が相当慌てているか、運用部長が長官の決定に反対しているかのいずれかでしょうね。それで、返信はどうするの?」

「そうね・・・、さかのぼって3分前から個々の通信機能は非常点検に入ったことにしましょう。様子見よ」

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