救助計画

ワシントンD.C.の一角に航空宇宙局本部はあった。

さらにその一角には長官の執務室があった。


過去数年の宇宙開発促進政策は、莫大な予算を現場にもたらしたが、同時に政治という疫病も持ち込んでしまった。そして病巣たる長官執務室に今、俺(ウィリアム・ハーパーメリフラワー計画技術主任39歳)はいる。


「―つきましては、緊急事態発生時における緊急初動マニュアルに従い、月面基地所属の無人救難艇2隻が出動しています。しかし、技術者によりますとメリフラワー号の速度と無人救難艇の最大到達点との関係でランデブーはほぼ困難とのことです」

俺は、昨日の朝、当直から引き継いで以来、3時間の仮眠を挟んで疲れ果てた身体をカフェインの力で無理やり動かして長官への報告を終えた。

「ほぼ、とはどういうことだ」

「現在、メリフラワー号の詳しい状況は分かっていません。もし、アンダーソン少佐がまだ生きていて、メリフラワー号の故障が対処可能なものであった場合、月からの救難可能距離まで 自力で引き返せる可能性があります」

「その可能性はどれほどか?」

長官の声には明らかな打算の色があった。俺はこの手の打算が嫌いだが、同時に己の職責には忠実でありたいと思っている。

「絶望的です」

もしかしたら、今の俺の発言で少佐の命は絶たれたかもしれない。でもまあ、判断するんは保身へ走る老人たちだ。

「マーク、対策チームの人選を進めてくれ」

長官が、人事部長に命じたことは、ちょっと信じられなかった。

「お待ち下さい。事態への対処は目下メリフラワー計画の本部で行なっております」

「君たちは良くやってくれた。見事な初動対応だった。だが以後の対処は私が直率する対策チームで行う」

長官の声に含まれる打算の色合いが先ほどより強くなっているのを感じ、積極が徒労と化すことを予見しながらも言わざるおえない。

「長官、現在も予断を許さない状況が続いております。組織改編による無用な混乱は避けるべきかと」

「君の言わんとすることはよく分かるが、世論は分かりやすい対策を欲しているのだ、そして私はそれを与えなくてはいけない」

俺はあまり信心深いとは言えないが、この時は神を呪おうかと思った。

「了解しました、準備が整い次第引き継ぎを行います…」

金髪の下に顔が付いているようなボサボサ頭の青年が長官室に乱入して来たのはその時だった。

「緊急のお話です!今すぐ聞いてください!」

あまりの唐突な闖入者に執務室にいた面々は呆然としていた。

はじめに口を開いたのは長官だった。

「君のとこの部下かね?」

「いえ、違います」

他の部門長らも相次いで否定の意を示した。

「君は誰かね?」

記憶が正しければ、今は非常事態として部外者の立ち入りは禁止しているはずだ。

「僕は、研究員のスティーブです。ちょっと相談があるのですがよろしいですか?」

「人生相談なら後にしてくれ、もうすぐ終わるから」

「じゃあ、このままほっておいてアンダーソン船長は救えるんですか?」

寝不足が原因だったのだろうか、もともと忍耐力はなかったかもしれないが、俺はこの発言を受け流すことができなかった。

「俺たちが真面目にやってないとでも言いたいのか?のこのこ修羅場にやってきて煽りに来たのか?帰れ!」

周りのスタッフがある人は興味深そうに、ある人は苛立たしげに見つめて来た。

「アンダーソン船長を救えるかもしれない策があるんです!」

その言葉で俺は幾分かの冷静さを取り戻した、長官は話を聞くのが得かどうか打算をめぐらしている表情をし、人事部長は興味深そうに目を向けていた。

「わかった、俺たちは同志だ。話だけは聞いてやろうじゃないか。だが、ふざけた内容だったら、もうどこにも就職できないようにしてやるからな」

勢いで出て来た言葉だったが、長官が同じことを言ったら冗談ではなくなる。そんなことには構わず金髪に付随した顔を持つ青年は話し出した。

「いいですか。今のままメリフラワー号が加速を続けた場合、従来のヒドラジン燃料エンジンを積んだ救難艇では追いつけません」

確かにこの小僧のいう通りだ、史上最強のエンジンが今となったらあだになってしまった。今の我々にメリフラワー号に追いつける宇宙船はない。

「—そこでです、メリフラワーと同じ、核融合パルスエンジンを使います」

「なるほど、放り出される覚悟はできたか?小僧」

救難艇に核融合パルスエンジンがついていれば苦労はしない。所詮は子供の空想だったか。

「ちょっと待ってください、我々は核融合パルスエンジンを持っているはずです」

技術者出身ではない人々は「何を言っているんだ?」と顔に書いてあるような表情をしている。

「もしや、エンタープライズのことを言っているのか?」

小僧は必死に首を上下させて肯定の意を示していた。

「しかし、エンタープライズは進宙前の建造中だぞ」

「機関部は完成しているはずです、あとは予備の救難艇の制御システムを書き換えた上でエンタープライズを接続して、エンタープライズをブースターとして使用します。見たところメリフラワーは損傷の影響で従来の最大出力の60%ほどしか出せていません。3時間以内に発進させればメリフラワーに追いつけます。時間が惜しいのですでに月面基地のヤン技術部門長に連絡をとって作業を初めてもらっています」

青年が話している間、長官の顔が赤くなっていることに気づいたものは少なかった。

「今すぐ作業を中断させろ!」

長官は叫んだ。

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