第九動
定例情報連絡会議を終え、いつもの銀の参謀飾緒を揺らしつつどこかうれしそうに出てきた田巻は、エレベーターを降りたところでスガル部隊の三人につかまってしまった。まるで田巻がここに来ることを予言したかのように。驚く田巻に、来島が敬礼する。室内だが挙手の敬礼だった。
「なんやなんや、まだマユラのことで言いたいんか」
「いえ。国際環境テロリスト『真実の夜明け』についてです」
今時珍しいどの強いレンズの底で、細い目が僅かに動揺した。
「……ここではマズい。将校クラブ行こう。
僕といっしょやったらユメミンたちもOKやし」
将校クラブは文字通り、准尉以上の幹部の集会所兼食堂だった。しかし給仕などは下士官・兵が行い、将校の「つきそい」として下士官や地方人も利用できる。
市ヶ谷要塞北棟内にある国防共済会将校クラブは、昼間閑散としている。田巻は半個室状態になった眺めのいい一角に座って、給仕にコーヒーを頼んだ。
「……あの狂いきった連中がどうした。言えることと言えへんことがあるが」
夢見の大きな目に見つめられると、心の底まで見透かされるような気がする。
来島はいつもの低めの声で、言い出した。
「例のサロンを占拠していて自爆した連中、あきらかに薬物で恐怖心を消していました。大神二曹も異常な心理を確認しています。ドクター橋元の見解も同じです。 あれほど恐怖心を消滅させる薬物はそうない。恐らく」
「つまりラクリマデイー言うやつか。まあうすうすは気づいておったけどな。
ただしマユランにつこてるモンとは精度が違う。それと君らの聞きたいこと、判ってる。断じて言うとくが、イカレたアホどもの狂気のテロと、我が国政府は関係ない。関係あるなら、この僕が知らんはずはない。
だいたいわが国かて、被害におうとるやろ」
「一尉殿が言うと、説得力ありますね」
来島の皮肉も、この厚顔無恥な策士には「褒め言葉」にしか聞こえない。
「ともかく何度も報告しとるように、『真実の夜明け』は人類文明そのものを憎んどる。地球人類が繁栄し、人が増えたんが諸悪の根源やと信じとる。まあ間違いではないけどな。
多分狂った奴らを煽ってあやつっとるのは、国際仕手集団『世界友愛クラブ』や。えらい名前やな。平和とか愛とか唱えるやつほど、危ないちゅう典型や。
さらにその背後には『セプテムウイリー』つう科学者集団がいるっちゅう噂や。
確認はとれんがともかく銭の亡者どもはメタン市場に金つっこんで、国際的な価格つり上げを狙ろとる。そのために、商用核融合開発を阻止したがってんのや」
「あの…つまり環境テロリストの目的はその、メタン燃料市場の暴騰なんですか」
「そやユメミン。それもあるけど、それだけとも限らん。
最近、中東の商用核融合炉の建設が急ピッチやけど、それ請け負ってる東欧の会社が実はクライネキーファー重工の傘下らしい。穏当な本家筋とは違う、はねっかえりらしいが。そこんとこ、世界情勢はいつも複雑や。
世界が平和で安定していた時期なんて、ほぼないが。
日本もほらフロギストン爆弾起爆システムの応用で、モノポール式とかの核融合炉の商用運転の試験中やろ。けどそれも政治的理由で、えらい時間かかっとるわ。
ほんま言うたら実験もクソもない。明日からでも本格的に『くくのち』の百パー稼動は可能やし、東日本電力の『アピ』ができたら、日本の電力需要の七割は二つの核融合炉でまかなえるようになるやろ。まさにエネルギー革命やな。
けどそんなん発表したら、わが国がほとんど寡占状態にある、メタンハイドレート市場が崩壊してまう」
無資源国家日本にとって、安定したエネルギー源確保は、国家的悲願だった。
「つまりメタンハイドレートの市場価格を維持するために、完成水準にある核融合技術を小出しにしていると言うことですね」
「そんなに怖い顔しぃなや、来島二尉。僕が絵ぇ描いてるわけちゃう。裏国策や。
欧州と中東で開発中のトカマク式にも、わが国は技術援助して資金も提供してる。なんでかわかるか。あれがうまくいかん可能性が、大きいからや」
驚いて夢見と小夜は顔を見合わせる。来島も横目で小夜や夢見を見るが、二人とも少し困る。
「判らんでもええ、軍人が政治に口出すべきやない。政治に関わる武官は軍閥言うやっちゃ。ともかく奴らの破壊活動は、実はわが国の利益になってたりもする。
案外、テロリスト操ってるの、ほんまに我が日本かも知れんなあ」
「え……まさかそんな。えっと、その……」
驚く夢見たち。もしそんなことしている者がいるとすれば、田巻以外にない。
「だから冗談やて。僕が君らを危険な目ぇにあわせると、おもうか」
それだけは事実である。田巻は自分が発案した部隊と信じている。
「つまり日本政府としては応援はせぇへんけど、いかれたテロ集団に、感謝はしとるかも知れへんちゅうこっちゃ」
田巻の不気味な微笑みに、スガル部隊の三人は凍りついた。
この日、通常の訓練と心理トレーニングを終えた後、夢見は特別病室に真由良を見舞った。
「今は落ち着いている。沈静作用のある微弱電磁波と薬のおかげで」
と橋元は言う。しかし病室に入ってきた夢見を見て、真由良は取り乱す。
「どうして。わたしよ。あの……怖がらなくてもいい」
「こ、来ないでください。お願い、もう許して。ごめんなさい」
と泣き出してしまう。
「ちょっとまだ不安定だから、これぐらいにしておいて」
橋元に言われて悲しそうに病室から出ようとした夢見の心に、なにかが触れた。
ふと振り返った夢見は、真由良の赤く大きな目を見て微笑んだ。
「わかってる。いつかまた、いっしょにね」
ここ一週間ほど夢見も疲れていた。少し休暇が欲しかった。南紀のサナトリウムにいる両親にも、しばらくあっていない。戻りつつこんなことを考えてしまった。
「PSNがあるって、進化的にはどんな意味があるのかしら」
この日、情報統監部では臨時戦略情報評価会議が開かれた。
発足したばかりの国際連邦「インク」の緊急警告を受けての開催である。出席者は石動統監部長将帥ほか上田国防大臣、服部軍令本部総長など、ごく限られたメンバーだった。
まだ一等尉官にすぎない田巻が出席を許されたのは、極めて異例のことである。 通常は情報関係各部の長以上とその副官、秘書などに限定される。
狂信的環境テロリスト集団「真実の夜明け」に直接接触したことがあるのは、田巻の影響下にある情報第十一課武装機動特務挺進隊「スガル」だけだった。
田巻はいままで定例会議や来島たちに語ったことを、やや自慢げに続けた。
中には彼の憶測も含まれていたが、某略好きの小心者の情報能力には端倪すべからざるものがあった。
「やはり人造超常能力者ジーンを作ったのは、クライネキーファー社末端の科学部門です。ただし上層部や一族会の了承を得ない暴走だったようです。
あの事件ではツー・デァ・クライネキーファー本家がえらい謝ってきまして、以後本家とはまあ良好な関係が続いてます。
実はクライネキーファー一族かて一枚岩やない。本家たるツー・デァ家以外にも、末端のクライネキーファーとかほかの苗字とかいろいろあるみたいです。
本家の影響の弱いフォルティア・マーグナ社には、てこずってるようですな。
前に報告しましたように、この会社の株の大半は国際仕手集団『世界友愛クラブ』に買い占められてます。例の世界賢人会議ワイズの後釜かも知れない、怪しい連中に。
当然幹部もそう入れ替えられ、そしてほぼ間違いなくやつら国際的経済詐欺師たちは、『真実の夜明け』をあやつってますな」
情報統監部長、
「つまりFM社は、クライネキーファーとはもう関係ないのかしら」
「とも言いきれまへん。しかしあの国際財閥のエネルギー部門はほぼフォルティア社が牛耳ってますよって、なかなか切るわけにはいかんようです。一族内の複雑な事情もあるし。
フォルティア社は、もともと石油利権からメタンハイドレート利権にシフトしようとして失敗。今は日本のメタン系会社の株に手ぇだしてます。
そして核融合関連の施設が攻撃されるたびに同社株は高騰。その都度売って、また下がったら買い占めてはりますな。まあわが国の関連産業株も乱高下を繰り返してます。
奴等が稼いだ莫大な資金の一部は、ウワサされる超科学者集団に流れてるのかも知れません」
田巻の後見人、「微笑みの寝業師」こと上田哲哉国防大臣も腕組みをする。
「そこまで判っておって、なぜ新組織国際連邦インクも環太平洋条約機構も動かんのかね」
第二次世界大戦後、長く唯一の世界的機構だった国際連合は、今年「発展的解消」し、新組織の国際連邦「インターナショナル・コモンウェルス」、通称インクが発足している。しかし不安定に船出したばかりで、まだ本格的に機能しているとは言えなかった。
「わが国の治安機関もです。わが国の有力政治家や革新派官僚にも、世界友愛クラブの金が回ってます。船出したばかりの国際連邦かて、無傷ではおへんやろ」
などと言い出したので、一堂はざわめきだした。
「そのルートは今、情報七課のほうで当たってます。このさい我々にとって都合の悪い議員や役人を消すのに、ええ材料かもしれまへんな」
「しかし国防族にもその……いるのかね」
「あ、先生の周辺にはいてはらへんようです。が、ある大物議員は相当汚れてはるようですなあ。先生もよう知ってはる、そしてちょっと煙たがってはる」
「まさか……しかしそんなことが発覚すれば、その、わが国政は」
「発覚する前にうまぁく処理できますがな。予算と許可さえいただければ。これも淘汰のええチャンスやし。
自然淘汰こそが、人間ちゅう最強最悪の生き物こさえたんです。自然淘汰を克服しつつある人類には、社会淘汰が必要でしょうな。社会の浄化言うてもいい。
いや、夢見みたいなんが今後どんどんでてきたら、淘汰されるのはむしろ我々かな」
細い目をレンズの奥でゆがめ、また不気味に笑う。この小心で姑息な策謀家がなにを考えているのか、ほとんどの関係者は理解できなかったが、ただ恐ろしかった。
「パスワードを入手しろですって?」
情報第十一課長執務室に出頭したスガル挺身隊でも、隊長の来島が一番驚いた。寡黙な課長代理、富野先任一尉は眉間に皺を寄せている。課長ポストは通常二佐、特例で三佐がつく。冨野は近々三等佐官昇進が決まっていた。
「中央情報総局からの要請で、石動将帥も黙認してらっしゃるらしい」
と、横目で田巻をにらむ。夢見は来島のやや後方で俯いている。心を探るような仕事をおしつけられるのは、自分なのである。小夜も不満げに黙っている。
「PSNの作戦外使用は、明確な軍規違反です」
「硬いこと言いなや。あんたら情報統監直率の特殊部隊やろが。これも情報戦の一部や。
ええか、どうもこっちの動きがフォルティア社や仕手集団に漏れとる。みんな後手後手や。今のうちに手ぇうっといたほうが、犠牲が少なくていい」
「そんなコソどろみたいな真似。これは正式命令なんですか」
「統監部長は無関係らしい。ただし黙認と言う形になる。この田巻はそう断言している」
「ま、非合法作戦にありがちなことやけど、命令書は出されへん。発覚したらまあ僕が全責任とらされるかな。
免責の一筆は、内々でとったあるが。そこんトコぬかりはない。
首相の懐刀の片野大先生が味方の今しか、危ない橋わたるチャンスはない」
「発覚の場合一切免責するとの文書を下さい。さもないと拒否します」
「……僕に逆らうんか」
「ラクリマデイーの入手。警務隊に訴えましょうか」
「ぼ、僕を脅すんか! スガル部隊作ったの、誰やおもとんねん?」
「一尉殿の保身と出世のためなどに、大神二曹の能力は使わせられません」
「我が国の平和のためや。僅かな犠牲で大勢救うのが、防衛の基本やろ。
平和守る為やったら法律も倫理も良心もない。どんなエグいことでも汚い事でもやったれ。それが国防や。国民を守ることや。
ちょっとぐらい良心いたむし、大先生はエラいことになるかも知れん。でもそれが一番確実で犠牲が少ない。正攻法で行ったら必ず犠牲者が出る。
彦太郎大先生はフォルティア社の関係会社から、きっちり迂回献金されとる。 あの子にしてあの親あり。明確な政治資金法違反や。もし検察のほうから手ぇ入ったら、それこそ国政揺るがす大騒ぎになる。
いや、世界友愛クラブのほうからリークされたらそれこそ……」
しかし田巻の説得も空しく、来島は命令ならぬ「依頼」を拒否してしまった。
真由良はこの頃、橋元医師のすすめで箱根に転院していた。富士山の海側、通称双子山の中腹にある東部衛戍病院が管轄する新設のサナトリウムである。
しかも幹部クラス専用豪華施設で、真由良は個室を与えられていた。
症状は回復している。監視はカメラなどで充分だった。暖かい海を眺めてのんびりしていれば、確かに気が安らぐ。
この日の夕方、介護人と共にほかに人もいない海岸を散歩していた。海を見つめていると、母の悲しげな顔を思い出す。元は幹部陸上自衛官だったが、任務は極秘だった。娘も知らない。
「あなたは確かに、わが遊部一族古来の不思議な力を継いでいる。でもあなたはあなた独自の、あなたの信じる道で幸せになって。決して無理はしないで」
思い出すと涙が頬をつたう。中学生の頃から肉体が極度に発達し、そして男どもの魔手におびえ続けた。そんな彼女が特殊な自己防衛能力に目覚めたのは、第二次性徴期の頃だった。
「う……」
介護女性の小さな呻き声がきこえる。ふりかえると彼女が砂浜に倒れるところだった。
「だ、大丈夫ですか」
あわててかけよる真由良。見ると腰のあたりになにかが刺さっている。ごく小さな筒は麻酔弾のようだ。
「あっ!」
真由良も腰に痛みを感じた。見ると麻酔弾が刺さっている。立ち上がろうとすると意識が混濁する。それでもふりかえって海のほうをみた。
アクアラングをつけた人物が胸から上を波の上にだし、銃を構えている。
大柄で肉感的すぎる真由良は意識を失って、介護人の上に倒れた。すぐに海からアクアラング姿の二人が現れ、そして真由良をかついで海へと入りだした。
海からは黒い小型艇が浮上しハッチをあけた。そこへ三人がかりで真由良を入れようとする。
そのとき海岸での異変に気づいた施設で、警報が鳴り響いた。しかし小型艇はミサイルを発射して施設の一部を破壊、混乱に乗じて潜航していった。
沿岸警備隊が気づかなかったのは、このステルス小型潜航艇が日本国籍を示す識別コードを発信し続けていたからだった。
この事件は日没後、市ヶ谷にも緊急通報された。首都郊外で訓練中だったスガル部隊も呼び戻され、富野から一切を聞いた。
夢見は真由良の意識を追ったが、眠らされているらしく感知できない。
「残念ながら真由良はさらわれた。今度はわたしたちの戦いだ。
さらった連中は、おおよそ想像はつく。ジーンを作り上げた連中だね」
ただちに自動哨戒機と哨戒潜水艦が、小型潜航艇を追った。しかしステルス性の高い小型艇は日本の領海内で消えてしまったらしい。
「あの時、僕の言うこときいとったら、こんなことにはならんかったのに」
夢見は振り向いた。入り口に田巻が立っている。笑っているのか怒っているのか、細い目がさらに細い。隊長が一歩前に出た。
「大物政治家の隠し金庫を洗うことがですか」
「あの箱根のサナトリウムな、片野建設が作ったんやで。警備システムもな。
誰かが外からそのシステムに侵入して、真由良の予定を知りおった」
「どう言うことです」
「……知らんな。上田先生には悪いが、そろそろ片野の御大が邪魔になってきたな。名門片野一族、役所や国会に勢力広げ過ぎとる」
それだけ言うと田巻は出て行ってしまった。常に冷静な富野は言う。
「与党の大物である片野大臣は、白瀬首相擁立にも相当な金を使った。そして例の世界的な経済詐欺集団から、企業迂回で相当の賄賂を受け取っているらしい」
片野秀信内閣長期政策諮問委員会副委員長、堀口大学副学長片野秀忠なども、所謂「清濁併せのむ」タイプだった。その他華麗な人脈を誇る。
来島は忌々しそうに言う。
「その大先生が、間接的に真由良を売ったわけね。馬鹿息子を救いに行って傷ついたあの子を。まったく、なんてヤツなの」
夢見は眉間に皺をよせ、脂汗を流している。
「……判らない。彼女はほとんど意識がないし、よほど深い海の底か頑丈な施設の中です。どこにいるの! 答えて!」
遊部真由良の瞼が少し動いた。しかし目をさますことはない。
彼女は暗い中、実験台の上に寝かされている。全裸で、体に様々な測定機器や端末が取り付けられている。横になっても豊かな胸はほとんど形を崩さない。
「ああ……」
小さくうめく。彼女をとりかこむ影は四つ。そのひとつが言った。
「覚醒しますか」
「まだだ。真の覚醒のためには、もっとラクリマデイーがいる。
彼女に、本来の力をさずけよう。そして真実の歴史がはじまる」
東の果て、水平線から朝日がのぼるまでにまだ時間があった。ヤシマの多目的STOL輸送機「やまばと」は北太平洋を東南へとすすむ。
激しい訓練のあと、そのまま独自偵察に飛び出した夢見はさすがに疲れ、後部のシートでうたたねをしていた。
――助けて!」
突如頭の中に声が響く。
「真由良!」
夢見は大きな目をあけた。隣の小夜が驚く。
「新入りの意識を感じたの?」
夢見は目を見開き、中空を見つめている。
「……と思います。でもすぐに消えた。あの、理性は眠らされている。でも……心のそこで助けをもとめているんです。
だめ、意識が追えない。あんなに恐れているのに……」
「よっぽど遠くにいるのかしら」
「いえ、それほど遠くないと思います。その……でも意識が……妨害されてる」
「それって電磁障壁なの? 実験室パンドラみたいな」
操縦席の来島が振り向く。
「電磁的隔離できるほど、大きな潜行艇じゃないはずだ。そんなに航続距離もないと思うし、原子力でもないことは沿岸警備隊が確認している」
操縦席前に田巻の像が浮かび上がった。眠そうである。
「どうや。そろそろ燃料危ないかな」
「でも夢見がアソベ三曹心得の意識をキャッチしました。このままでは」
「このまま飛びつつけて海に墜落するつもりか。ちょっと南へ飛んでもらう」
「日本に戻るのではないのですか。なんです、このポイントは」
「我が国が誇る実験潜水空母『
「潜水空母? そんなもの、いつ作ったんです」
「基本実験終えてまだ訓練中。伊四○○シリーズ以来のお家芸やし、不思議なことあらへん。
ともかく実験潜水空母『あまつかぜ』で補給と整備、君らも休み。僕もひと寝入りして豪華な朝ごはんごちそうになってくるわ」
確かに「鉄の女」来島はともかく、小夜たちは疲れている。ほどなく「やまばと」は二つの船影をレーダーにとらえた。遠くの影は大きな「メタン燃料運搬船」らしい。
ほどなく、「あまつかぜ」からの誘導電波をキャッチし、輸送機は着陸態勢に入った。しかし暗い太平洋にはなにも見えない。
突如、黒い海面に光の滑走路が現れた。浮上していた「あまつかぜ」がライトをつけたのだ。
ヤシマの多目的STOL輸送機「やまばと」は、光の滑走路に下りていく。こうしてスガルの三人は、実験潜水空母に収容された。
朝早く田巻はあくびをかみ殺しつつ、専用車で横浜へとむかった。全自動運転のタクシーではなく、下士官が運転手兼衛兵として付き添う。
海の見える高台に豪華な屋敷があった。元は明治の貿易商の邸宅だったという。自動警備に加え人間の警備員も常に待機している。一種の要塞とも言えた。
広い車回しで、公用の黒いリムジンがとまった。グレーの軍令本部勤務服にベレー帽状の「萎え烏帽子」と言う正装で降りた田巻は、日本人執事に案内されて入っていった。
通されたのは豪華なサンルームである。朝の早い当主はすでに朝食を終え、コーヒーを飲んでいた。
豪華な朝食をあてにしていた田巻は落胆したが、徹夜あけでさほど食欲はなかった。田巻は残念そうに腰を下ろした。執事がコーヒーを運んでくる。
極東総支配人ゴットフリート・ヴィルヘルム・フォン・リヒター・ゲナント・ツー・デァ・クライネキーファーとは何度かあっていた。
まだ四十前だろうが、風格のある大柄な紳士である。
「朝早く申し訳ない」
「いえ、こちらこそ来ていただいて。またしても不幸な事件のようですな」
かなり流暢な日本語を話す。英語やフランス語、中国語も得意だった。
「なんでも箱根の保養施設が襲撃され、兵士が一人誘拐されたとか」
「……マスコミにはボイラーの事故と発表してます。負傷者も失踪者もいないことにね。しかしさすがの情報収集力ですな」
「我々をまだお疑いですか」
「ならここには来まへん。ご本家と末端のお家騒動はこちらも調べております。
ご本家がおしすすめている国際連邦、インターナショナル・コモンウエルス結成後も、旧国際連合派などがえらい抵抗しているようですな」
「特権を失う常任理事国がね。しかし中国もロシアも、経済的には我々の影響下にあります」
「そう簡単に言いきれるところがスゴいですな」
「アジアの復興にも国際連邦の順調な船出にも、日本の協力は必要です。ですから我々もできるだけの情報を出しています」
かつての国際連合は今や発展的に解消し、主として難民兵士や傭兵からなる強力な常備軍を持つ国際連邦が稼働していた。現在は過渡期であり、両組織が並立している。
しかし新たな国際機関を作り上げた先進各国の思惑とは反対に、国際連邦は全世界の均一化、資源と富の再分配を唱えだしていた。スポンサーK家の思惑は大きく狂いつつある。
「……フォルティア・マーグナ社もえらいことになりましたな」
「あの会社はグループ会社の株も持っていましてね。なんとも困っています」
「世界友愛クラブの背後になんと言うかエリート科学者集団がいる、言う噂は」
「……かつての世界賢人会議ワイズの後継勢力ですか。残念ながら確認できていません。しかしなんらかの思想集団のために、世界友愛クラブは詐欺的な投機をくりかえしているようです」
「うちの警察なんかは、世界友愛クラブに政治的理念はあまりない。純粋に儲けに特化した守銭奴集団と信じとります。
我が国の政治家にもかなり金まいとるし、そろそろ切り捨てな危険や」
「最終目標は、やはり世界経済のコントロールでしょう。そのための世界統一通貨づくりをもくろんでいるかも知れませんが、その前に世界経済の一旦破綻を画策しているとも言われます」
「その構想は、アメリカの大反対で昔消えたと聞きましたが。
基軸通貨はドルや言うて」
「かつての世界帝国アメリカはもうない。インフレと財政赤字で苦しむ病人こそが、世界通貨を必要としているのです。
ドルは発行しすぎて、価値低下が著しい。世界友愛クラブは限定先進国以外の新興国や中進国でのバブルを煽り、いっきに崩壊させて国際中央銀行の支援を受けさせ、ゆくゆくは国際中央銀行が発行する世界統一通貨に切り替えさせるつもりでしょう。我々の目指すゆるやかな世界連邦構想とは、かなり違います」
「なんか複雑な話やな。国際共通通貨作って、なにかエエことあるんかいな。
むかしのユーロかてアジア共通通貨かて、ついに失敗したやないですか」
銀髪のゴットフリートはテーブルの下から、ノートのようなものを出して開いた。それはおりたたみしきのモニターだった。画面に触れると海図が映りだす。 それを拡大して、衛星画像にきりかえた。巨大なタンカーがうつっている。
「この船は?」
「フォルティア・マーグナ社が実質所有している、メタン燃料運搬船です。
目的地は中東らしいのですが、なぜか日本領海間際まで北上し、途中で東におれています」
と、奇妙な航路を示す。
「そもそも、メタン燃料を中東の油田地帯に運ぶ理由も不明やな」
田巻は気づいた。昨夜高速小型潜水艇が消えた地点と、運搬船の航路が近い。
「………なるほどねえ」
統合自衛部隊の公用車は、市ヶ谷へもどりつつあった。朝の渋滞がはじまる頃だが、田巻の車は緊急道を通るため、渋滞とは無縁である。
車中から、田巻は軍令本部に報告していた。
「ツー・デァ・クライネキーファー本家は、新国際連邦に命をかけてはりますわ、やっぱり。しかしツー・デァのつかない普通の親戚連中は、もっと金儲けにかけてるみたいです。
その最たるものが、フォルティア・マーグナ社の幹部らしいですな」
「クライネキーファーにもいろいろあるのね。複雑な世界財閥だわ」
石動はすでに統監室にいた。彼女も朝は早い。故郷は日本橋人形町だが、もう町自体がない。
「あの狂信的テロリストは、クライネキーファー本家にとっても、敵なわけね」
「まちがいはありません。せやけどそこに、日本の国益や政治闘争もいろいろからんできますなあ。下手にヤツラと背後の国際詐欺集団には、手ぇだされへん」
「政治か。わたしには苦手だわ。自衛隊時代から、政治家は鬼門よ」
「人間は政治闘争する奇怪な生き物です。社会生物学的には、まるで無意味な努力ですな。それと、大収穫がもう一つ。
誘拐された遊部三曹心得の行方について、有力な情報です」
闇の中、真由良はまだ眠っている。手術は終わった。頭はそりあげられ、その後頭部には金属製の「装置」を取り付けられたまま、各種端末に埋もれた裸体を横たえている。
眼鏡をつけた顔が、のぞきこんだ。
「大丈夫か」
「今度は改良版です。意識もコントロールできる」
答えた男は、手術台わきにあるモニターを見つめた。
「う………」
眠ったままの真由良は、苦しげに小さく呻いた。
「どうした」
「装置が自動的に神経接続を修復しています。装置が安定したら覚醒させます。
ラクリマデイーも併用すれば、どれほど能力が高まるかわかりません」
「危険はないのかね」
「……ええ。もう彼女は我々のものです」
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