第五動
安心した武装特殊警務隊は、担架にジーンを横たえ、四人がかりで大型装甲偵察車の後部にのせた。眼鏡の医療兵がなにかの器具をジーンの額に押し当てている。
「完全に意識を失っています。大丈夫です」
安心してヘルメットをとった班長、大竹法務三佐は、やや忌々しげに言った。
「命令とはかなり違うがいいだろう。これぐらいの現場裁量は許されている。
しかし……あの腹黒い田巻を説得出来るかな」
来島は不敵に微笑む。
「こっちもいろいろと弱みを握ってます。奴は我々を利用しつつ心底恐れている」
ジーンを乗せた装甲偵察車は、市街地にむけて発車した。近くの基地からはヘリなどで移送することになろう。夢見は涙がでるほどうれしかった。
「あとは
ふと夢見の顔がくもり、ふりむく。大型装甲偵察車は市街地のほうへと去りつつある。夜明けが近く世間はやや明るい。僅かに朝霧が流れている。
「な、なに?」
「どうした。二曹?」
突如偵察車が蛇行しだした。ブレーキもふまない。班長も異常に気づきインカムに叫ぶ。
「どうした、なにごとだっ!」
突如偵察車のタイアなどから火花が散り、そのまま路肩の大木に激突した。
夜明け前の海辺に大音響が響く。来島も驚いた。
「どうしたっ! 夢見、運転手にアクセスできるか」
「ま、まさか……システムが勝手に?」
と駆け出した。来島や隊長も続く。特殊警務隊員達も走り出した。その時突如、偵察車の後部扉が吹き飛んだ。警務の数人が尻もちをついてしまう。
「そ、総員警戒せよっ!」
後 部座席からは白煙が噴出している。大竹班長は無線で運転者に呼びかけるが、唸り声しか聞こえない。
「医務兵、ただちに救助を」
「あの。その……待ってっ!」
と叫んだのは夢見だった。夢見は立ち止まり、見つめる。白煙の中でなにかが動いている。夢見は頭に軽い痛みを感じ、眉間に皺を寄せた。
白い煙のなかから、ゆらりと黒い人影が現れた。兵士たちは茫然とし、何人かは銃を構える。
「発砲ひかえろ! さがれ」
車の後部からよろめきつつ姿を現せたのは、ジーンである。ほとんど白目になっている。
「ジーン! 目覚めた? 麻酔がよわかったの?」
「違う、彼女の意識は眠ってます」
「じゃあ、なんだ奴は。どうして起きてるんだ。わたしの部下はどうなった」
「きっと潜在意識があの、システムを操っているんです」
班長は慌てて命じた。
「捕獲しろ」
偵察車近くにいた一人が、ジーンにむかっていった。
「おとなしくしろ。まず降りてこっちへ」
白目のままジーンが警務を見つめる。見つめられた下士官は硬直し、全身から血の気がひいた。息ができない。
ジーンは車輌から降りて兵士に近づく。しかし特殊警務隊は、硬直したままである。
ジーンが静かにその自動小銃を奪うと、持ち主はそのまま気を失ってしまう。
「ジーン!」
「行くな、夢見!」
突如ジーンは手にしていた自動小銃を、片手で発砲した。とっさに来島は伏せた。特殊警務班長は防護スーツに銃弾をくらってひっくりかえってしまう。
そして夢見の前で、銃弾が砕けて火花となった。
「ジーンっ!」
夢見は仁王立ちになって、右手で空気を押すような動作をした。一瞬「遠アテ」をくらったようによろめくジーンだが、踏みとどまる。
夢見はふりむいて大竹班長の様子を見た。転がりつつインカムで命令した。
「防衛反撃を許可、頭部は優先保護!」
ジーンは自動小銃を構えなおし、下部に装着されたグリネードランチャーを発射した。殺気にふりむいた夢見が手を伸ばすと、ロケット弾は螺旋状に飛んで至近で爆発してしまう。その爆風で夢見も倒れてしまった。
ようやく最初の警務下士官が気づいて、這いながら逃げ出した。その様子を見守っていた近くの重武装警務隊員が、半ばパニックになって叫んだ。
「い、いまだ、撃て!」
黒い武装兵たちが乱射しだした。ジーンの前で火花が散り土煙が幕となる。
しかしジーンには当たらない。少し笑ったような顔のまま、白目で夢見を見つめている。停車していた偵察車の運手席から、血を流しつつ医療兵が這って出てきた。班長が叫ぶ。
「発砲中止! 彼を救え」
兵士二人が医務兵にむかって走り出すと、ジーンの自動小銃が火をふく。警務たちは防護服に衝撃を受けて、倒れてしまう。
震えつつ立ち上がった夢見は、言った。
「や、やめて…お願いジーン」
ジーンは多少理性があるのか、銃を降ろして見つめている。
「ジーン、銃を、銃を降ろして!」
白目のジーンはゆっくりと銃をあげた。新式突撃銃は軽いとは言え女性が片手で扱えるしろものではない。しかも連射グリネードランチャーも装着してある。
伏せたままの来島が叫んだ。
「銃弾を使わせろ、彼女に強い力はない。夢見の力で抑えこめるっ!」
夢見は両手のひらを突き出すようにして、前に進みだした。白目のまま表情を硬くしたジーンは、突撃銃をそのまま片手で連続発射しだした。だが弾丸は、手をのばして仁王立ちになる夢見の前で火花となってはじけて行く。
腹を押えたまま立ち上がった武装特殊警務隊班長は、唖然とする。
「これが、これが警告を受けた力か。こいつら……いったい何者なんだ」
やがてジーンの弾がつきた。ジーンは突撃銃を投げ捨て、白目のままにらみつけている。まだ正気ではない。夢見はホッとしたように両手を下ろす。
「さ、もうあなたに武器はない」
無表情なジーンの後頭部にはめられた機械が、淡く輝きだした。小さくなにかがスパークする。夢見はまた頭に痛みを感じた。
すると衝突し、エンジンがかかったまま停まっていた大型偵察車が、ゆっくりとバックをしはじめたのである。大竹警務班長は命令することも忘れた。
「な、なに?」
這って逃げようとしていた医療兵は、バックしつつ向きをかえる偵察車にひかれそうになり、慌てて転がった。
横手から飛び出した仲間が、彼の肉体を引きずって救出して行く。車輌は一回転して、むきをかえた。前部天井に取り付けられた機関銃の銃口が夢見をむく。
「……どうして、あんな力を。気を失っているのに」
「わたしたちの力は、理性が押えています。
彼女の押さえつけられた深層意識は……」
「危ない、逃げろ、
上部機関銃が発砲をはじめた。大型弾丸はジーンの脇をかすめ飛び、夢見の前で火花になってはじけて行く。しかしその火花が夢見を襲う。
「キャ!」
地面に伏せて頭を抱えていた班長は絶叫した。
「う、撃てっ、撃てぇぇぇぇぇっ!」
物陰で構えていた大柄な武装警務隊兵士が、肩に担いだ小型ミサイルを発射した。ミサイルは白い煙をひいてすぐに装甲偵察車輌上部に弾着、機銃座を破壊してしまった。その爆風でジーンは前に倒れてしまう。
「いまだ!」と誰かが叫んだ。しかし武装兵士たちは恐ろしくて動けない。
無表情によろめき起き上がりかけたジーンは、ロケットランチャーを担いだ警務のほうをにらみつけた。
その黒い重武装警務兵士は、息が出来なくなって苦しみだした。すぐにランチャーをおとし、地面を転がりだす。
「う、ぐぐ………」
「やめてジーンッ!」
両足をふんばって、右手をいきなりさしだす夢見。ジーンも立ち上がり、夢見を白目でにらみつける。顔はうっすらと笑っている。
「お願い、正気になって。その妙な機械が……あなたを操っている!」
来島はなんとか立ち上がり、夢見に近づく。
「大神二曹、息が荒い。君も限界だ。それに麻酔弾は強力だ。
ジーンも目覚めない」
「彼女の眠った理性が必死に抵抗してます。
悲しみと恐怖が…システムに増幅されて」
「来島二尉、二曹とともに早く退避を! ここではマズい」
「夢見!」
「だめ、いま力を緩めたら……。お願い、目覚めて。あなたがどんなに悲しんでいるか、苦しんでいるか判る。これ以上自分を攻撃しないで!」
武装特殊警務隊十数人は、それぞれの火器でジーンに狙いをつけている。しかし目標から十数メートルの距離に夢見がいて、攻撃できない。
兵士や下士官は焦り、しきりに班長に発砲を求める。
「早く逃げろ! このままでは撃てない」
「大神二等曹長! 離れろっ! 命令だ」
「だめ、今は。今力を抜いたらっ!」
その時、高速ティルトローター機の爆音が、夜明け前の空に響く。それが近づいてきた。特殊警務達も空を見上げた。放置された建物の陰から、ティルトローター機「あまこまⅡ型」が出現した。
やや旧式だが、もっとも活躍している多目的垂直離発着機である。
後部格納ハッチが開け放され、完全武装の斑鳩小夜が身を乗り出している。その後ろには、真由良の不安げな顔がある。小夜は叫んだ。
「なにごとなの、夢見っ!」
一瞬、夢見の意識が小夜の心にリンクした。その隙に左肩を引いて無理に振り向かせたのは、隊長「女古武士」である。
「すまん」
と鳩尾に一つ「突き」を食らわした。不意うちをくらった夢見は白目をむいて前のめりに倒れようとした。それを来島がうけとめた。
すぐに長身の夢身をひきずりだした。拮抗していた「力」が弱まり、ジーンも膝をおって倒れかけたが、なんとか踏みとどまった。息が荒く汗が噴出す。
道に両手をついたジーンは、はげしく喘ぐ。そのすきに来島は、警務班長の手をかりてぐったりした夢見を物陰に運んだ。
ジーンの意識はまだ覚醒せず、理性は深い眠りの中で夢を見ていた。
まぶしかった。暗く広い部屋の中央、自分の顔だけにスポットライトがあたっている。
ジーンは全裸で、手術台のようなところに横たわっている。手足はベルトで固定され、頭はそりあげられて、各種のセンサーがとりつけられている。
白衣の人物達がジーンを冷ややかに見下ろしている。
「わたしは負けない。どんなことでもやりとげます」
上から頭に、平たい機械がゆっくりと降りてくる。
「待ってて母さん。負けたくない、絶対に」
突然ジーンの夢が乱れる。子供の頃の楽しかった思い出、手術後の激痛。そして過酷だった訓練などの場面が重なっていく。
「母さん!」
と叫んだとたんに覚醒した。
しかし、自分がどこでなにをしているのか、判らない。
「意識が戻った!」
ひきずられていた夢見も意識を取り戻し、叫んだ。しかし大竹警務班長は、このすきを逃さなかった。
「いまだ、全員撃てっ!」
涙に濡れ、正気になった顔を上げたジーンにむかって、自動小銃や支援機関銃が一斉に火を噴いた。完全被甲弾が赤く光りながら殺到する。
「やめてっ!」
立ち上がりつつあった夢見が叫んだとたん彼女を支えていた来島のユニコムが火花を散らす。
「撃て! 撃て!」
もう除けきれないジーンは、火花と土煙で見えなくなる。
「い、いやっ!」
来島の腕の中で暴れる夢見は、隊長とともに倒れて転がった。小夜と真由良は装甲あまこま二型から飛び降り、隊長たちのほうへと走り出していた。
「撃ちかたやめ!」
武装特殊警務隊は銃撃をやめた。硝煙と土煙がしだいにおさまって行く。夜明けが近い。空はかなり明るくなっていた。風が殺気をはらんでいる。警務班長は大きくため息をつき、ゆっくりと歩き出した。遺体を確認するために。
「なに?」
班長の足が凍りついた。うすれゆく煙のむこうに、影が立っている。ジーンだった。彼女には、一発の銃弾もあたっていない。
彼女の周囲には、ひしゃげたり砕けたりした無数の完全被甲弾が散らばっている。そして後頭部の「装置」には、赤く小さなランプがいくつもともっている。
「ば、化け物……」
藍色の天を仰いで、大きく叫ぶジーン。とたんに武装警務隊員のもっているユニ・コムなど電子機器が、火花を散らして無力化された。
小夜は頭に痛みを感じる。走っていた真由良は顔をゆがめてうずくまった。
「撃てぇ!」
と叫んだ警務班長の肉体が、数メートル後ろにとんだ。まるで見えない巨大な拳になぐられたかのように。
「ぐふっ!」
隣で銃撃しようとしていた屈強な兵士も、血反吐をはきつつ後方にとんだ。
「やめて……ジーン」
よろめきつつあるく夢見は、両手をひろげた。
「大神二曹、ジーンの力を封じろ!」
来島は叫ぶが、夢見は「力」を発揮しようとしない。ただジーンの再び閉ざされた心に、必死に呼びかけつつ近づく。
「お願いジーン。思い出して。あなたのことを。あなたのお母さんのことを」
「危ない夢身、近づくな!」
「母さん」と言われて、ジーンの動きがとまった。夢見に対して右掌をつきだしたまま。
「……そうよジーン、あなたのことを思い出して」
見つめていた来島は、斜め横十数メートルあたりで立ちつくす小夜と真由良をみとめた。
「斑鳩、
我にかえった
ハッとして夢見は立ち止まる。ジーンの顔がゆがんでいる。夢見の頭の中心に、小夜の声が響いた。
――夢見、今よ。逃げてっ!」
「いや、今はだめ………」
立ち上がった大竹警務班長は、狂おしく絶叫した。
「いまだ、撃て、撃て撃てぇぇぇぇぇぇっ!」
我にかえった警務隊武装兵は、またありったけの銃弾をジーンに集中させた。轟音が夜明け前の廃港にこだまする。
「いやぁぁぁぁぁ!」
夢見の叫びに、屈強で訓練を受けた警務隊員達は硬直してしまう。銃撃は瞬時にやんだが、ジーンの体は硝煙と土煙で見えない。
「ジーン!」
夢見はかけだした。隊長はあわてて追う。
「行くな、危険だ!」
真由良は精根使い果たし、膝をおった。あわてて小夜が見事すぎる肉体を抱きとめた。濛々たる硝煙と土煙の中、うつ伏せて穴だらけのジーン。肉体の下から血だまりがひろがっている。血は警務隊のライトに、輝いて見えた。
「そんな……」
瞳孔を見開いて見下ろす夢見に、かすかな「意志」が流入してきた。
――誰も……悪くない。総てわたしが選んだんだ。……母さん………ごめんね」
その場に膝をついて、嗚咽しだした夢見。
「……ジーン」
真由良は力つきてもうずくまっている。小夜は真由良の頭をだきかかえた。
「よくやったわ。もう大丈夫よ」
東の海から、赤い太陽が顔をだした。放棄された旧市街地を、朝日が照らす。朝霧がまだうすくただよっていた。硝煙も混じっている。装甲車わきで膝をかかえて座り込んでいる夢見に、コップの飲み物がさしだされた。
「暖かいものを飲むと落ち着く」
「……ありがとうございます。それと」
「なんだ」
「その……命令違反をしました。重大な」
「もういい。忘れろ。総て終わった」
そこへ警務隊の一人が、緊急用の大きな通信機を持ってやって来た。やや怯えている。ユニコムなど電子機器は、ほぼだめになったが、予備の古いタイプがなんとか修理できた。片手では重過ぎるほどの大きさで、音も悪い。
「あの、軍令本部の田巻一尉からです」
来島はムッとした顔で通信機を受け取り、少し離れて会話しだした。やがて夢見はぼんやりと顔を上げ、ジーンの死体があった辺りを見つめた。血だまりがまだ残っている。警務隊が集まって話し合っている。運搬車が発進していく。
「……ジーン、やっと楽になれたのね」
目が赤いが、寂しげに微笑む。そこへおずおずと近づいて来たのは、あの真由良だった。後ろには小夜もつきそっている。いつもの勝気、いや殺気に似た気配がこの美しい新入りからは消えている。どこかおどおどとしていた。
「あ……あの、大神二曹」
夢見は立ち上がり、寂しげに微笑む。
「よくやったわ、ありがとう。本当はわたしがやらなくてはならなかったのに」
「でも……」
「うん、あなたのおかげよ。わたしはまだまだ弱いな」
少し驚いたような顔を見せた真由良は、敬礼した。目から涙があふれた。夢見は傍らの小夜の目を見つめて、小さく頷いた。
「あとはまかせて」
そう言うと小夜は、新入りの肩を抱いてむこうへと連れて行った。
「本当に大変だったな……」
かわって近づいてきたのは、警務班長だった。まだ腰が痛むようだ。
「ほんとうに、あぶなかった。まったくなんて化け物だ」
田巻との通信を終え、やや険しい顔の来島が近づいて来た。
「
「……なんの」
班長の後ろにいた下士官が、両手で抱えたケースを見せる。弁当箱より一回り大きい特殊合金のケースの中は、血みどろのあの増幅装置がある。
ハっとした夢見は目をむいた。
「あの……外したのっ!」
「外したのはコア部分だけだ。頭に弾があたらなくてよかった。
脳幹に接続された本体は東京で外す。コア部分は封印するので、来島君の署名が要る。情報統監部として回収を確認した、と言う」
「……誰に、わたすのですか」
「堀口大学副学長、片野秀忠先生が分析担当のはずだ。さ、署名を」
班長は事務的に、書類とペンを差し出した。悲しげに見つめるだけの夢見に、なにも出来ない。怒った表情のまま、ニヤリとする来島。
「なるほど」
とケースに手を伸ばした。警務下士官は驚く。
「あ、素手では」
無視して装置をつかむと、警務隊が唖然とする中、増幅装置を高く放り投げたのである。金属ケースを捧げた警務は口をあけ、くるくる宙を飛ぶ銀色の装置を見つめた。
来島はその警務の腰のホルスターから新九粍拳銃をすばやく抜き取り、安全装置をはずして構えた。そして落ちてくる装置にむけて発射したのである。
夜明けの空に乾いた銃声が響く。一撃で見事に打ち抜かれて、装置は砕け散った。銀色の破片が朝日を浴びて輝きつつ落下していく。
来島は唖然とする警務のホルスターに拳銃を戻すと、目を見開いたまま固まる警務班長の手から書類とペンをとり、さらさらと署名した。
「確かに回収と封印を確認しました。それと我々と接触したことはご内密に」
ふりかえって夢見に微笑みかけた。悲しげに微笑みかえす夢見。
「さ、行こう。任務終了」
と来島は小夜たちのほうへと歩き出した。夢見も呆然と佇む大竹班長に敬礼すると、踵を返して隊長を追った。二人の姿は、朝日の中に消えていった。
旧式汎用輸送機「あまこまⅡ型」は朝日にむかって海上を飛ぶ。昔に比べて、騒音はずいぶんと減って乗りやすい。その兵員輸送部のシートに、ぐったりともたれかかっている夢見は、朝日にそまる太平洋をながめていた。
ぼんやりと眺めたまま、つぶやくように言う。
「………本当に怖いのは、人間の意志の奥に潜むものですね」
「違うよ、多分」
「………」
「人間の意志、その理性とやらそのものだ、本当に恐ろしいのは。
理性に基づけば、どんなに残酷なことでもやってのける。それが人間だよ。人工特殊超常能力の開発も、その抹殺も」
「……そうかも知れませんね」
夢見は一番後ろの座席を見た。真由良は毛布に包まってまだ嗚咽している。かたわらで様子を見ていた小夜が、心配そうに首を横にふった。
東京首都特別区の西郊、かつて小林一三が月に一度上京して街づくりを指導した閑静な住宅街である。
都内でも超一等地といわれるこのあたりでも、その屋敷は目立っていた。
建てられて百年にもなろう和洋折衷の邸宅は、林に囲まれている。国防大臣上田哲哉がここを買い取ったのは、東海・東南海大震災の直後、地価が暴落した頃だった。その豪邸の離れ座敷にも、昇りきった朝日がさしこめている。
軍令本部員の制服を着て、ベレーのような制帽「なえ烏帽子」を傍らにおいた田巻が、コーヒーを飲んでいた。
朝の早い上田もすでに食事を終え、食後のコーヒーを楽しんでいる。
「さすがの田巻君も、今度ばかりは大好きな策謀が裏目に出たか。
はじめから、装置だけを回収するつもりだったんだろう」
「さぁ、どないやろ。あんな危険な実験体とは思いまへんでした。ともかくクライネキーファー社が開発していた人工能力者は、処分できましたわ。
まあ及第点と言ったとこでしょうな。かわいそうなことはしたけど」
「あの美しい魔女たちの心に、新たな傷にならんといいがな」
「大切な我が国の、秘密兵器ですからな。飛んでくる核ミサイルを狂わせることも出来れば、……発射前に自爆させることも。それとフロギストン爆弾があれば、無敵ですわ」
「君はまだ、そんな恐ろしいことを本気で考えとるんかね」
「たとえです、たとえ。最初言うたんは、先生やし。さて、今日はいささか疲れました。ついに一晩あかしてしもた。しかもこれからあと処理ですわ」
大臣は立ち上がる。そろそろ官邸に首相を訪ねなくてはならない。
「市ヶ谷だな。送っていこう。ところで、例のお嬢さんはどうかね」
「えらく泣き続けているそうです。ちょっとショックが大きかったみたいやな。
なんでもジーンが死ぬ直前に、彼女の深層心理にアクセスしてもうたらしい。まだ心理統制訓練もすんでない子ぉには、過酷すぎましたわ。
戻れば検査入院させます。しばらくリハビリが必要です。頓服のつもりでわたしておいて試薬が、アダになってもうた……金かけたのに」
横須賀鎮守府の洋上基地に到着した国産ティルトローター機に、ただちにジャストの救急搬送車がかけつけた。
三等佐官相当の橋元医務官も待機している。毛布にくるまれた真由良は、小夜と夢見に抱きかかえられるようにして、「あまこまⅡ型」から降りてきた。
少し肥えた橋元医務官は遊部真由良にかけより、青ざめた顔を見て驚いた。あの自信と闘志に輝いていた表情は、ない。
「……かわいそうに」
二人の看護兵が彼女をひきとり、搬送車のベッドに横たえた。
「あとはまかせて。あなたたちも休息が必要よ」
橋元も搬送車にのりこみ、基地から去って行った。スガル部隊の三人は、消えて行く車輌をいつまでも見送っていた。
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