第四動


 海洋牧場は試験的な施設だが、連続大震災以降衰退しつつあった日本の水産業を活性化させている。民間ではヤシマ系の大日本水産開発や、東亜漁業などの大規模漁業社が出資、協力していた。

 悪夢の東海・東南海大震災あとの食料自給率増産国策の、成果の一つである。

 震災後、第一次産業の企業化工業化は急速に進み、常時の食料自給率は五十七パーセントを超え、また緊急時の計画では九割になるとされていた。

 農耕地の集約効率化と並び、海洋牧場や人工養殖工場の開発が進んでいる。


 自動機械「オペラートル」がこの牧場で獲られた様々な魚を、定期的に本土へ積み出していた。その荷受場は岩をくりぬいたトンネルの奥にある。

 定住人口もなく特に重要施設でもないので、さほど警戒は厳しくない。偵察車から降りた三人は、暗い倉庫のような施設から、僅かな灯りで照らされた階段を下りていく。

「むかし映画で見たユーボートの基地みたいだな」

 来島はそんなことを言った。特に自らを鍛えることにしか興味のない無視無欲な女古武士だが、古い戦争映画と時代劇をよく見ていた。昔の武人にあこがれてのことである。

「あの、あれでしょうか」

 夢見は、岩窟内の船着場に浮いている、平たい二十メートルほどの自動輸送艇を見つけた。魚運搬用のコンテナを積み込むものらしい。居住性は悪そうだ。三人が近づくと、前方の操縦部のハッチが開いた。

「乗るしかないか。二曹は最後。警戒して。それにしてもいつも周到だな、あの謀略家」

 小心者で嫉妬深いが、用意周到である。そして後見人は、白瀬首相をも動かしている国防大臣の上田哲哉だった。

 確かに来島の部隊は、あの謀略参謀に護られていた。狭い操縦部から這うようにして後ろへむかう。天井は高いがコンテナが積み込まれている。

 三人に許された空間は六畳間ほどの広さで、かなり生臭い。そして灯りはほとんどない。ジーンはやや不安げに、膝をかかえて座った。

 隊長は左手首の通信装置をつかった。

「来島より斑鳩一曹、指定した船に乗り込み完了。おくれ」

 あえて田巻には連絡しなかった。ほどなく自動運搬船は静かに船出し、洞窟から出て太平洋へと乗り出した。目指すは北西、日本の東海地方である。

「あの…一尉ってやっぱり総てお見通しみたいですね。いつものことだけど…少し怖いです。この人についても、なんか知っていそうですね」

「奴の政治力は毒にも薬にもなる。でも後ろ盾の上田先生が失脚したら、やつも終わりさ。

 あの謀略家とは、ある程度距離置いておいたほうがいい。今は役に立ってもな。

 君たちも気づいていると思うが、君らに対する目つきが尋常じゃない」

「…一番のお気に入りは斑鳩一曹みたいです。彼女、男にあまり興味ないのに」

 あのつばの広い大き目の帽子をジーンは、ホッとした顔を見せた。安心感が心にひろがっていくのを感じ取った夢見は、尋ねた。

「あの、どうして、わたしに助けを求めたの」

「……あなたは世界最高のPSNを持つ、継承人類ユーバーメンシュだからよ」

 ドイツ語で「超人」と言う意味である。複数ではユーバーメンシェンになる。

「継承人類………なんて言う人もいるけど、特殊超常能力PSNなんて、本当はどの女性も先天的に持っているものだと思うわ。

 わたしたち、たまたま発現しちゃったけど」

「でもあなたたちは特別よね。夢見さんたちのことは、会社で習ったわ。

 世界最強の能力者達、新時代の魔女、かな」

「わたしは違う。代々の武人としての勘は鋭いが、能力者じゃない」

 来島郎女は静かに断言する。時にそのことが残念でもあった。

「そう、じゃあわたしと同じね。もっと力が欲しかった、強くなりたかった。

 だから軍経由の秘密募集に、応じたのよ。……お金も魅力的だったし。世界再編成も人類正常淘汰も、わたしにはどうでもよかった。

 やつら日本のPSN研究独占に焦ってたのよ。なぜ日本人ばかりから能力者が出るのかも不思議だって、言ってたな」

「やつらとは、誰かな」

「……この国にも深く入り込んでいる。日本人のふりをして、国債なんかを買い集めている人達」

「クライネキーファーか。スイスレマン湖畔に湖畔を持つ、錬金術師の末裔。

 いや、本家に反発している若い分家連中とも言うな」

「ね、どうして日本に特殊超常能力保持者が出現するのかしら」

「まぁ魔女狩りやなんか、残酷な歴史がないからな、我が国には。夢見みたいな特殊能力者は、世界に破局が近づくたびに、少しづつ生み出されていたらしい。

 種としての人類の自己保存の為にね。まあ突然変異と言えばそうかな。仕組みはよく判らない」

「その、極めて特殊な劣性遺伝で伝わるのよ。でも日本では、歴史的に能力者を尊んだの。神の声を聞くもの、その…神の子孫としてね。

 だからその遺伝子が拡散したみたい」

 低く雲の垂れ込めた夜空に、爆音が響く。その下、暗い海面を北へとむかう自動高速艇船倉の内部で来島は左腕にはめた軍用ユニ・コムを操作していた。

「……警察のお出ましだね」

「あの……市ヶ谷はどう処理するんでしょう」

「仲間割れ、お互いに殺し合かな。そんなところさ、田巻の思いつきそうなのは」

 夢見はあらためて思った、多分自己防衛のためとは言え、このコケティッシュなジーンが十人もの若者を破滅させたのだ。

 自分にできる芸当ではなかった。PSNの能力はさほど違わないかも知れない。 しかし夢見にあんな残酷な真似は、とても出来そうもなかった。


 東京首都特別区市ヶ谷台。連続震災のあと、急速に整備が進んでいた。その地上部は国防省と統合軍令本部であり、平成新古典様式の豪壮な建物が並ぶ。

 しかしその地下部分は広大なシェルターが広がっている。市ヶ谷台の岩盤をくりぬいたその地下施設は、市ヶ谷国家中央永久要塞と呼ばれている。

 公式には地下第三層までしかないが、実際は地下第四層まであり、さらな極秘中の極秘エリアたる地下第五層も工事が進んでいた。

 その地下第三層にある戦時作戦指揮所「シチュエーション・ルーム」で、田巻己士郎こしろうは濃いコーヒーをがぶ飲みしつつ、度の強そうな眼鏡で見つめたキーボードを叩いていた。

「………全く話が違うやないか。死人が出るなんて、なんちゅうこっちゃ」

 デスクにある特殊暗号電話がしつこくなる。仕方なく田巻は出た。

「なんや君か、こんな時間………が、外事保安情報室が?

 なんで……。ほんまか? クライネキーファー商会の極東総支社がぁ? 返せ言うんか。誰が会いたいて?…ツー・デァ・クライネキーファー! 本家の?」

 田巻は今時珍しい度の強い眼鏡をずりおとして、驚いた。


 夜明けまえ、海は一番暗い。風がなく波もない黒い海に、朝霧が薄く流れている。全自動小型運搬船は静かに、箱根に近い漁港に入っていく。

 東海大地震のあと、この一帯は不思議と漁業は盛んになっていた。政府のかかげた食糧自給率七割計画のおかげで、第一次産業全体が活性化していた。

 とは言え漁業は各種自動機械「オペラートル」に頼りがちで、技術の後継者不足に悩まされている。その漁港も漁獲高が大きいわりには、定住人口が少ない。

 小型ロボ船は無人埠頭から、ドッグのようなところへ入っていく。ドッグの両脇から出てきたアームにつかまれ固定されると、荷台のハッチがあいた。

「さ、出るよ」

 来島は下船準備をさせた。荷卸作業用の、オペラートルとも呼べない自動機械が複数近づいてきて、天井の開かれた船倉から生臭いコンテナを運び出しはじめた。そのあいだに夢見たち三人はドッグに降りた。

 人間はおらず、有蓋ドッグの中は暗くて広い。

 来島は左手首の多機能通信機を操作した。大型の腕時計と言った形状で、内側に開閉式のモニターがついている。それを開くと小さな携帯電話状態になる。

 商品名は「ユニヴァーサル・コミュニケーター」、略してユニ・コムと言う。

 日本の通信大手三社が共同開発したもので、特に軍需用のものは輸出禁止品となっている。

「おかしいな。出ない」

 何度呼び出しても、田巻は応答しない。かわりにモニターに「メッセージが入っています」との文字が出る。

「どうしました? 迎えかなにか来ないのでしょうか」

「ランデヴー地点変更と……連絡封止?」

「連絡封止って、傍受されてるんですか」

「奴め、またなに考えてんのかね」

「でもあの、ここからでは、とても心は読めません」

 ジーンは不安げに言う。達者な日本語だった。

「わたしのしでかしたことで、またなにかあったの?」

「警察が動いているから、回収地点を秘匿しようとしているんだ、多分。

 心配しないでいい……と思う。ともかく地図のさししめす地点に急ごう」

 夢見はふと、嫌な予感がした。このジーンは、かの国際財閥秘蔵の「兵器」のはずだ。それが亡命しかけているのに、一切追っ手が来ていないのだ。

 しかしジーンは亡命出来たことを、心から喜んでいた。


 田巻が指定したのは、半ば海に沈んだ古い市街地だった。世界経済恐慌に拍車をかけてしまった、東海・東南海連続大震災で沈下した一帯である。

 そこにかろうじて残る防水倉庫のような建物が、指定された場所だった。そのむこうは急に落ち込んで、海となっている。

 黒い海面から壊れた建物の先端が突き出している。周囲には人気も明りもなく、波の音だけが聞こえる。来島のユニ・コムが鳴った。

「またヤツからメッセージだ。随分複雑な暗号で、解読に手間取ってる」

 また夢見は嫌なものを感じた。心の底で、市ヶ谷にいるはずの小夜の意志を近くに感じる。なにかを警告しているようだが、遠すぎてよく判らない。

 PSN保持者どうしでも、言語情報を伝え合うことは滅多に出来ない。しかし「感覚」を共感しあうことはよくある。

 斑鳩小夜はなにか事態の変化に関して、とまどっているのだ。少し脂肪のついたおっとりとした好人物だが、危機に際しては落ち着き度胸のある一等曹長が。

 疲れたらしく、黒づくめのジーンは柱にもたれて座り込み、大きくため息をついた。夢見は雑嚢から飲み物を取り出して、ラテン系の美女にわたした。

「ありがとう。ハポネスはやさしいわ。来てよかった」

「ハポネス……南アメリカで日本人のことね」

「ええ。あと、正直者働き者って意味もあるわ」

 来島は腰につるした新九ミリ軽量拳銃を念のために確かめた。自分でも理由は判らない。

「手の込んだことして、結局しばらく待機しとけだって。いつもながら勝手ね。

 ……ジーンさん、おなかすいてない?」

「少しね。飛行艇捨ててから水しか飲んでないから」

 夢見はすでに腰の雑嚢から、圧縮固形食を出してわたした。

「その……味は少しナンだけど、一日分のカロリーと栄養素が凝縮してあるわ」

「ありがとう」

 この二十歳ほどの女性は、心底安心しているようだった。いままで怯え、気をはりつめ続けていたはずだ。他人の悪意や敵意も敏感に感じ取りながら。

 そして世界でたった一人、自分と似た能力を持つ夢見に助けを求めて、組織を裏切ってやってきたのである。その為にかなりの人々を犠牲にして。

 ほどなく緊張がとけたのか、ジーンは小さないびきをかきだした。夢見はどこか悲しくなっていた。彼女も自分の「同類」に間違いない。

「この人、どんな人生送ってきたんだろう。どうしてこんな危険な手術しようと思ったんでしょうねえ。その、自ら志願したらしいけど」

「みんないろんな深い理由をもってるんだ。それぞれの人生と、思いを……」

 朝が近く霧が薄く漂っている。来島スガル隊長は左手首のユニ・コムをいらつきつつ操作した。

「いったいどうなってるんだ。封止どころか総ての通信が途絶している」

「あの、ここら一帯で通信が途絶しています。妨害電波じゃないでしょうか」

 ふと夢見は心の底にまた黒いものを感じた。表情にすぐに出る。

「どうした?」

「あの、そのなんだか殺気を感じます。敵意かな」

 ジーンもなにかを感じたらしい。ハッと目をさました。

「その、センサーにも車輌反応。えっと、レーザーポインターで狙われてるようです」

 九ミリ軍用拳銃を構えた来島は、こわれた窓から倉庫の外をうかがった。胸ポケットから出した大型サングラスをかけると、暗視スコープになっている。

 廃墟や木陰に装甲車、警備車とその間に完全武装の兵士十人ほどが見える。みな銃口をこっちむけて、少しづつにじりよって来る。

「……囲まれた」

 ジーンも驚いて立ち上がった。

「あの、えっと……我々が包囲されるわけはありません。迎えの部隊では?」

「気配を消して接近してくるか。銃口をこちらにむけて」

 来島は左手首のユニ・コムを操作するが、やはりつかえない。

「妨害電波だね。あの装備……武装特殊警務隊だ」

「え……特殊警務隊? そんなものがなぜ」

 旧軍での憲兵にあたる司法警察を、統合自衛隊でも警務隊と呼んでいる。防衛官のみならず地方人の捜査、逮捕権を持つ。

 その特別なセクションが武装特殊警務隊である。

 特殊部隊に準ずる武装を持つが、捜査権はない。緊急逮捕権のみである。

「いったいなにがおきてるの」

 ジーンは心配そうに言う。なんと答えていいか、夢見は判らない。

 彼女自身も混乱している。なぜ友軍のしかも警務が、自分達を包囲しているのだ。なにか命令にまちがいがあったかのかも知れない。


 黒い戦闘服に黒い三三式ヘルメット、肩章だけは血のように赤い特殊警務隊部隊が、海辺の半壊した倉庫を包囲する。中の様子は各種センサーで手にとるように判っている。

 問題なのはそのセンサーの画像などが、しばし不可解に乱れることだった。

 もっとも倉庫に近づいた武装兵は、電柱の陰からマイクにささやく。

「班長、誰か出てきます」

 そのやや後方、武装車輌の陰にいた「班長」は浅黒い顔を険しくして命じる。

「いよいよだ。探照灯つけ」

 武装車輌からのライトがいくつかともされた。強烈な光が、仁王立ちになる来島郎女を浮かび上がらせる。

 夢見ほど身長はないが、鍛え上げられた戦士型の肉体である。

 来島は大きく深呼吸すると、よくとおる美声で叫んだ。

「我々は、軍令本部情報統監部の特殊部隊だ。

 本作戦の現場責任者は誰か?」

 スガル部隊は存在自身が最高機密である。班長は銃を降ろし、前へと出る。

「来島隊長と大神二等曹長。即時危険人物のもとから離れてください」

「何故? どうして彼女のことを知っている。

 そもそも警務隊の出る幕じゃないよ」

「情報統監部長も承認ずみです」

「なんですってっ!」

 緊張した夢見が出てくる。警務達は銃を構える。

「あの、た、隊長、気をつけてください。彼ら殺意すらもってる」

 そのうしろから不安げなジーンが顔を出した。光がまぶしい。キャップの下の顔を、偏光双眼鏡で確認した警務隊員がマイクに叫んだ。

「も、目標確認! 班長!」

「こちら大竹。全員命令まで発砲控えろ!」

 大竹班長はほとんど叫んでいた。発砲と言う言葉に、来島と夢見は思わず顔を見合わせた。瞳孔を見開いたジーンは、「あっ」と小さな悲鳴をあげた。

「わたしを撃つの? そんな」

 帽子の下、後頭部につけた「装置」が淡く光った。そのことに気づいた者はいない。当のジーンも含めて。

 ジーンの体内にアドレナリンが噴出し、血圧があがる。少しめまいがした。その時、偏光双眼鏡でのぞいていた警務下士官が全身を硬直させた。

「う……」

 突如双眼鏡を落として、両目を覆う。

「うぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 他の武装警務兵は銃を構え緊張する。あわてて振り返る夢見は、後頭部に痛みを感じた。後ろには瞳孔を見開いたジーンが立ち尽くしている。

「やめて、ジーン!」

「え? で、でもわたし何もまだ」

「? あなたの……意思じゃない? でもあなたから強いPSNが」

 顔を手で覆って泣き叫ぶ下士官を、他の警務が引きずって行く。大竹班長は焦った。

「全員下がれ、命令あるまで待機っ!」

 見ていた来島も命令する。

「二曹、こっちも一旦さがろう。まずいことが起きている」

 三人は半壊した倉庫にもどった。ジーンは当惑している。

「なにがあったの。わたし何も……」

 夢見はジーンを見つめた。

「あの、帽子とって……みて」

 彼女がとると、後頭部を銀色に輝く金属に覆われた禿頭が現れた。

 その一部、小さな発光ダイオードが赤くともっている。そのことを指摘されたジーンは驚いた。

「そんな、わたしはなにも……勝手に?」

 来島のユニ・コムが、冷ややかに鳴った。

「田巻一尉っ! あの、通信封止じゃないんですか」

「…残念やけど、状況が変わった。クライネキーファー社からの情報が入った。

 そいつは、ジーンはすでに十人近い犠牲者を出している。もう危険すぎるわ」

「……ジーンについて知っていたのですね。また総て一尉殿が仕組んでっ!」

「別に総て知ってたわけやない。あの国際財閥系の会社が特殊超常能力の増幅システム開発してて、何か大事故が起きたことぐらいは、情報部でつかんどった。

 しかし重要被験体の亡命は予想外や。大神二曹の意識に不可解にアクセスしてきたのが本人とは、こっちかて意外やったし」

「助けを求めてきたんです。それをキャッチできる人間なんてそうはいないわ」

「極東総支配人が、手違いや言うてワビいれてきおった。ともかくそいつは危険だ。殺人鬼だ。もう手ぇ出すな、特殊警務隊大竹班に逆らうな。

 君らの立場がマズうなる」

 動揺し、青ざめるジーンの瞳を夢見は見つめた。人の目を見て話すのは大の苦手だが。

「あの…本当なの? でもあなたには……」

「わ、わたしじゃないっ! こいつが、この機械が勝手に!」

と頭の後ろを両手で押さえた。

「わたしの意思に反してこいつが。先生達を焼いたのも、こいつのせいよ。わたしはただ、怯えていただけなのに……あんなひどいことに、どうして……」

 夢見は少しあきれたように、ジーンの瞳を見つめた。

「あなた……深層心理統制トレーニングとかは、その、受けていないの」

「自律自我統制ぐらいはやったけど、会社では聞いたこともない」

「そのシステムに理性なんてないさ。君の潜在意識を、そのままキャッチするんだろう」

「きっと理性がゆらぐと、たちまち恐ろしい深層意識、原始的な本能がのぼってくるのよ」

「………そう、この忌々しい機械は、わたしの意思に反して……いえ私の心に秘められた欲望に反応するの。

 だから……だからわたしは逃げ出した。もう、嫌だったっ!」

 ジーンは「悪夢」を思い出していた。あれはどこか大きな特殊船の中だった。 頭を剃り上げられ電極を装着された彼女は、全裸のまま起き上がった。後頭部にはあのいまわしい装置がつけられている。

 そして彼女は慄然とした。彼女がよこたわるベッドの周囲に、白衣を着た数人が血まみれで倒れているのだ。偽装特殊船舶に、警報が響き渡る。

 ジーンは呆然として、やがて嗚咽しだした。

「しっかり。わたしの目を見て!」

 夢見の声に、我にかえった。ジーンの両肩を揺さぶる。

「もうこれ以上誰も傷つけたくない」

「あなたの記憶が、少し私にも感応した」

「誰も憎んでなんかいなかった。ただ、自分の能力を開花させたくて、実験に志願したの。

 でも奴等、恐ろしいことを企んでいる。そしてわたしの頭を支配する化け物が、わたしの意志に反して暴走するの。こんなもの、もう嫌っ!

 でも日本なら、日本の進んだ医療技術ならこのいまいましいモノを外せる。奴らは時々そう言ってた。元々外すことを想定せずにわたしの脳に……」

「恐怖感にとらわれなければ、あなたは人を傷つけたりしないわ。落ち着いて」

「自分が怖い。死にたくないし誰も殺したくないのに。

 わずか能力があったばかりにうぬぼれて、危険な任務に志願したばっかりにこんな」

 来島のユニ・コムから田巻の声が響いた。いつもの嫌な声が、焦っている。

「まだいっしょにおるんか、はよ逃げ! 攻撃されたら、君らかて助からん!」

「うるさいっ!」

 と隊長はユニ・コムを外して、投げ捨てようとしたが、一瞬考えてまたはめてしまう。

「誰のせいでこんな目に……」

 来島は怒りを押し殺した顔で、残念そうにジーンに近づいた。敵意のないことはジーンにもよく判る。しかし全身から殺気を発している。

「わたしたちはもう、あなたを保護できない。本当にすまん」

「……いいの、わたしが選んだ道なの。今までありがとう」

「ま、まってください隊長」

「仕方ないんだ。命令だ。あとは特殊警務に投降するしかない」

 夢見は諦めたようなジーンの顔を見つめた。心の中では助けを求めている。

「そうだ、特殊警務なら鎮圧用の各種兵器をもっていますよね。

 あとあの、医療キットとかも」

「それはそうだろうが………」


 ほどなく、夢見は壊れた倉庫入り口から、ゆっくりと出てきた。

「その、おねがいです、あの……撃たないで」

 武装特殊警務隊の包囲部隊に、緊張が走る。全員が特殊部隊訓練を勝ち抜いた猛者である。

 さきほど同僚の悲劇を目の当たりにしていた下士官の一人が、思わず指に力を入れて発砲してしまった。撃ってしまった下士官が硬直する。

「う、撃つな!」

 大竹班長の声すでにおそく、銃弾は夢見にむかって飛んだ。しかし次の瞬間、弾は夢見を避けて倉庫の扉にあたって火花を散らした。

「やめてっ!」

 夢見が右手を差し出すと、撃った警務下士官は尻餅をついてしまう。

「その……エルフィン、情報第十一課の大神二曹です。

 えっとその、現場指揮官にお話があります。わたし、コワくないですよ」

 班長は車輌の陰から、恐る恐る出てきた。

「わ、わたしだ。大竹法務三佐だ。第……十一課だと?」

 夢見は相手の心に安心感を流し込みつつ、ゆっくりと近づく。

「あの……大竹三佐、お願いがあります。

 麻酔薬かなにか、もってませんか? 暴れる相手を沈静化させるなにかが」

 しばらく唖然としていた班長は、なにかに気づいたらしく振り向いた。

「………医療兵」

 めがねをかけた兵士が、後ろのほうからやってきた。

「はいっ?」

「瞬間麻酔弾はあるか」

「後方の支援車にありますが」


 暗い倉庫の中で、ジーンの大きな目が不気味に輝く。後頭部の奇怪な「装置」も小さな光を発している。

 夢見は直径二センチほどある麻酔弾の弾頭をねじり、なんとか開けた。中には細長いペンシルのようなものがはいっている。それを取り出した。

「あった。心配しないで、強力な麻酔薬よ。

 強く押し付ければ、皮下に薬が注入される」

「わたし、眠るの?」

「ええ、その……意識を封じたまま市ヶ谷へ運べばいい。

 そうすれば装置が潜在意識に感応して、PSNを活性化させたりしないわ」

「なるほどいい考えだね……多分。田巻もこれで納得するでしょう。

 いや、させてやる。目的のものも手に入りそうだしね」

「目的ってあの、やっぱり一尉は彼女のことを知っていて…仕組んだんですね」

「多分ある程度はね。人工PSNの存在は噂されていた。情報部はその正体を必死で追っていたはずだ。そして堀口大学那智研究所での事件。

 夢見なみの強力なPSNの発信源からある程度の証拠をつかみ、ジーンを探り当てた。

 それがまさかの脱出亡命、強力なPSNを出しながら日本に近づいた。まあそんなところだろうな。まったくいけすかない奴だけど、たいしたものだよ」

 来島のユニ・コムに、メッセージがはいった。

「小夜だ。遊部あそべ三曹心得とともに、急いでこっちにむかっている」

「マユラたちまで、あの……どうして」

「田巻がよこした応援か、それとも説得のためかな」

「いつでもいいわ。信じてる」

「深く眠っているあいだにあの、なんとか機械を外せると思うから、えっと……安心して」

「ええ、あなたを信じる。たとえここで死ぬことになっても」

 夢見はいくぶん不安げに銀色の細い圧縮注射器を、ジーンの二の腕に押し付けた。薬剤が皮下に噴出され、少しジーンの顔がゆがむ。

 たちまち目がおもくなり、柱にもたれかかったまま座り込んでしまった。

 夢見はジーンの体を支えた。屈託のない、素直な寝顔だった。夢見も嬉しくなっていた。

 ほどなくジーンは深い眠りにはいってしまう。来島はほっとしたようだった。

「いい考えだった。これでひと安心だな」

「…………だといいんですが」




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