第5章

 明らかに体調がすぐれないので、土曜の午後久しぶりに総合病院へ行った。事故にあった時にかつぎこまれたあの病院。

 過労による、軽度の神経失調。うん、なるほどの診断結果。精神安定剤を出してくれる、とのことでロビーで待っていたら、和泉に声をかけられた。

「神経内科の兄貴がさ、古島(こじま)君が来てるっていうから。…砂都貴ちゃん、聯絡ついたのか?」

「いや、今日で三日目だなぁ。…バイト先のケーキ屋にも電話してみたけど、しばらく休ませて下さいって連絡があっただけで、実家の連絡先はさっぱり」

 一緒に暮らし始めて驚いたこと。砂都貴だって、昼間は働いている。あんまり生活感が無いから、今までそんな姿想像したことも無かった。画材と生活費の為に、地下街のケーキ屋の売り子としてアルバイトをしてるらしいけど、始めはやはり何故か信じられなかった。

 三度くらい、砂都貴が働く姿を見掛けたことがある。夕方の混む時間なのに、ちっとも疲れた様子が無い。営業用スマイルとか、じゃなくてほんとに柔らかな、笑顔。常連らしい女学生のために、一緒になってケーキを選んでいる。店の前を通る度、僕は改めて(砂都貴っていい子だなぁ)と感心しながら、にこにこして通り過ぎる。

 和泉がにやにやしながら言う。

「同棲しても、どうせ相変わらずの仲なんだろ、お前達は」

「…悪い?」

「居直るなよ!俺はあんたらが心配なんだ。おまえさぁ、半年つきあって、同棲までして何事も無しじゃ、普通女が怒るよ。…案外逃げられたのかも、な」

「大きなお世話!」

 僕はうんざりして、いつもと同じ台詞を言った。

「ところで、指輪、真珠の買ったんだって?」

「何で、知ってんだよ!」

「おまえ、俺のコネで今の会社にいるの、忘れんなよ。あの会社には、友人が多いんだ」

 一緒に出張先に出向いたのは…同じ課の河森さん。集合場所の前の店で買ったから…見られてたのかぁ!

「砂都貴ちゃん、五月生まれじゃないの?五月はエメラルドだろ?」

「え?何それ」

「誕生石だよ。真珠っつーたら六月だろ?」

 意味のよくわからない言葉が続いてめまいがしそう。こういう、女性を喜ばす為の知識は、ほんとによく知ってるんだよな、こいつは。

「指輪かぁ。とうとうお前も砂都貴ちゃんと身を固める決心がついたんだなぁ。いや、よかったよかった」

「え!そんなつもりじゃないよ。ただ、きれいだったから、あの真珠が」

 和泉の目がまた、点になる。

「指輪ってのはなー!男から贈られる場合、女にとっては深―い意味があるものなんだよ!そんなことも知らずに生意気に同棲なんかしてるのか?」

 こいつといると、何か自信無くなってくるなぁ。こう度々、僕の無知さを驚かれると。

「僕は記憶喪失なんだからな!大目にみてくれよ!」

 あぁ、頭に血が上って、ぐるぐる駆け巡る。そんなこと聞いちゃったら、渡せない、渡せないじゃんかぁ!めいっぱいプレッシャーだよ、そんなの。

 薬局から、僕の名を呼ぶ声。精神安定剤、いますぐ飲んでいこうかな。

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