第2章
初めて砂都貴とキスしたのは、二か月前。
あの夜は、一応世間の慣習として十五夜なんて言われる夜だった。砂都貴は、僕のアパートの一階にあるコンビニエンスストアから、銀のすすきと真っ白なお月見だんごを買ってきて、僕のドアをノックした。ほんとは、エレベーターから走り出てくる軽い靴音で、彼女だとわかるけど、僕は二回のノック音を聞いてから立ち上がって、いつもどおりゆっくりとドアを開く。…彼女はいたずらっぽく舌を出し、コンビニの袋を差し出す。
エアコンを切り、窓を開くと、夏の終わりのぬるい風が吹き込む。一緒に飛び込んで来るのは、ビルとビルのほんの小さな隙間に見える、真ん丸い月。都会の住人には有り余るほどのぜいたくな偶然に、二人はアップルティとロゼワインで乾杯した。
それぞれの飲み物とお月見だんごのミスマッチに大笑いしながら、僕はふと、今ものすごく幸せだなぁ、と感じた。
「砂都貴」
呼びかけてみると、彼女は大きな瞳で僕をじっと見た。底のない湖みたいに、真っ黒な目。僕も負けるもんかとじっと見返す。ああ、何だか強烈な引力を感じる。
「キスしたい」
苦しい沈黙を破って、やっと言葉にする。すると、砂都貴の目尻が下がった。
「水凪(みなぎ)さん、酔ってるでしょ?」
「ちがーう!少しは酔ってるけど、酔いに任せて言ってるなら、こんなに苦しくはないよ」
でも自然な気持ちなんだ。今、砂都貴とキスしたい。
「私も、アップルティで酔える特異体質なんだ」
砂都貴は白いカラの花のようにひっそり微笑んだ。
互いの瞳の中の月を見つめながら、くちづける。震えもしない、抵抗感もない、ただ、つないだ両の掌から、決していそがない、しかし確実な、熱い鼓動が伝わって来るのがわかった。
息苦しくならない程度の長さで、くちびるが離れた。一瞬、心がすぅっと透明になった。砂都貴は僕の目を見つめたまま、窓の桟にもたれてクスクス笑っている。僕も同じように、笑うしかなかった。
後は、いつもの夜と変わらない、あてどなくおしゃべりするだけの夜だった。けど二人が、少しだけ昨日よりもしあわせになったのは、確かだと思う。
その日から、砂都貴は小鳥のように、僕の部屋に住みついた。
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