第4章

 八月はじめの、三日月の夜。

 出張から戻ってくると、地下鉄は最終になってしまった。

 出発前夜、つまり三日前。砂都貴の機嫌がすこぶる悪かった。

帰る日の夕食のリクエストを尋ねられ、

帰りが何時になるかわからないから、その日は待たなくていい、と言ったら、

しょんぼりして、言葉少なに帰ってしまった。

 そういえば、ここ最近塞ぎこみがちだったし、

気持ちを抑えているようでも苛々しているのが何となく伝わった。

「女の子ってのは面倒なものなんだなあ」

 溜め息混じりに言いながら、地下鉄の出口の階段を上がっていて、いきなり腕を捕まれた。

「ミュウ!」

「は?」

 いきなり「MEW」と英語読みで猫鳴きされても…

 振り向くと、ポニーテイルの小学校三年生位の女の子が、

僕の目をじっと覗き込んでいる。

「うん、やっぱりミュウとおんなじ目の色。探したんだよお、さあ、香夜子(かよこ)と一緒におうちに帰ろ」

ぐいぐい腕を引っ張って地下鉄の入口に戻ってく。

「待て、僕はきみを知らないぞ」

「何言ってんの! あの日の晩御飯は、香夜子が腕によりかけて作った大好物のおかかのおじやだったのに、すっぽかしたきり戻らないで、もう!」

「ちょっと待て。きみが探してる僕は猫か?」

 我ながらかなり日本語おかしいぞと思ったが、彼女、香夜子は至って真剣に頷いた。

「・・・で、・・・僕・・・がいなくなったのはいつ?」

「去年の七月」

 ・・・頼む、止めてくれ。先月の雅子さんの一件以来、

その手の話が悪い冗談に聞こえないんだから。

 まあ、あの件は、新婚早々旦那に逃げられたらしい雅子さんのノイローゼ尾から来た幻覚症状ということで納まったが。

「だってだってだって、ミュウと同じ匂いがするし、ミュウと同じ蜂蜜色の目!」

「僕の名前は、み・な・ぎ!」

 名前だって「み」の一文字しかカブってないじゃん。何でこんなチビの戯言を僕がムキになって否定してるんだ。 

「香夜子ちゃん、おうちどこ?」

 急に女性の声が割り込んできた。

「!…きみは…」

 先月、電波塔の下ですれちがった、あのロングヘアの女性。

呆気にとられている僕に、

軽く片目をつぶって見せ、香夜子の目の高さに合わせて膝を落とした。

「私ね、このお兄さんが香夜子ちゃんの猫さんか、確かめる方法、知ってるんだ。だから、今日のところは私に任せてくれないかな?」

「ミュウ…猫だった時のこと、全然覚えてないの?」

 彼女は香夜子の問いに応えるように、

黙って寂しげに微笑んだ。

そうして、タクシーを停めると、香夜子と一緒に乗り込んだ。

「取り合えず、今夜は私がこの子を送ってくね。

その代わり、明日、ゆっくり会って、話をさせて」

 タクシーのドアを閉める前に、素早くこう言った。

「覚えておいてね。

私、夏。愛川夏(あいかわ なつ)。…あ、そうそう、今すぐ貴方の家に電話入れてご覧。砂都貴ちゃん、貴方を待ってるよ。部屋に灯り点いてたから。じゃ明日夕方六時、電波塔の下で」

 そして、最後にひとこと、ゆっくりと言った。

「私は、覚えてたのよ。ずっと貴方を」

 タクシーが去った後には、夏の笑顔の悲しさが、ヤケに鮮明に残っている。


 つくづく逆ナンパされやすい質だなあ…僕は。

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