忍法 鏡地獄

 二つの影が並走し、林の中へ飛び込んだ。沙衛門と躯螺都である。

 躯螺都の手元でどどう、という砲弾を放つ音が響き、かろうじて横っ飛びにかわした沙衛門の右腕と右脇腹から血しぶきが飛んだ。特製鉄ビシの二連発。更に同じ右手から幾条の銀線が、うなりを上げて、転がり起きようとする沙衛門の首目掛け飛ぶ。

「くっ……」

 己の霧雨を右の手元から飛ばしてそれを弾くと躯螺都が呟いた。

「甲賀の霧雨か」

「貴様が海女髪を使うとはな」

 沙衛門が返し、互いに一瞬不敵に笑みを返すと二人の周囲は更に幾条もの銀線に包まれた。異様な明るさに包まれたその光の玉にも似た空間は即座に収縮し、こすれる金属音がしたかと思うと、絡め取られ、縛り上げられた何本もの木々が寸断され、その場に崩れ落ちて行く。

 そしてその中心には、その時既に二人の姿はなかった。


 轟音から五十メートルほど離れた木陰。

 己の脇腹に手を触れ、血が止まらないのを知ると、沙衛門は懐から出した布切れを裂いて縛る。腕の方にも布を巻いた。

 木に背中を預け、脂汗を浮かべながら沙衛門は思った。

(あの飛んで来るのを何とかせんといかんな……)

 あの様な技を使う奴と立ち合うのは初めてだ。血がなくなるのが先か、奴を倒し、鴉丸と対峙するのが先か。

(倒さねばならんか……)

 沙衛門は背後に気配を感じた。

(ちっ……)

 躯螺都の海女髪が一瞬早く前方へ飛び退いた沙衛門の寄りかかっていた木に絡み付き、切り崩す。

 そして落ち行く木片突き破り、どど、どう、という音と共に三発の鉄ビシが迫る。振り返り、背中から倒れ込んで行く沙衛門の目前で、二つまでを霧雨が断ち切ったが、三つ目の時間差で射出された鉄の砲弾が、彼の左の鎖骨を貫き、背を突き破って血と骨の欠片を撒き散らすと、樹木へ襲いかかって行った。

「あぐっ」

 一体何があれの勢いを殺せるのかと思えるほどに中心を貫かれ、粉砕され、薙ぎ倒されて行く木々を眺める間もなく、沙衛門と躯螺都は木々の間を飛び、かいくぐり、突き進んで行く。

 そして流れる木々のカーテンが不意に途切れた時、壮絶な沙衛門の剣風が、躯螺都の視界の左下から吹き上げて来た。

……いや、違う。空間に銀線が鎖となって大きな長方形を描いた。

(霧雨か)

と、即座に判断した躯螺都は刹那、自分の胸の前で握り拳の親指と人差し指の側を目前へ向け、死の砲弾を発射した。

……己の姿が映る一枚の鏡と化したその中心へ。

 砕け散る鏡。




「『忍法 死化粧』……」




 沙衛門の囁きに、躯螺都が思考する間もなく、彼の鉄ビシは、彼を取り巻く木々のカーテンは、彼の上半身は、そして……一瞬視界をよぎった巴の微笑は、次の瞬間、粉々に砕け散った。




 土煙を上げる林の中から、ひとまず霧雨で縫い合わせたものの、左の肩口に開いた傷口を押さえ、腕と脇腹の被弾した個所からも血を流しつつ、沙衛門がよろよろと歩み出て来た。

 自分の意思に反して、足取りが、とてつもなく重く感じられる。

「う……」

……殺してしまった。

「くそっ……」

 膝をついて、右の拳で地面を殴り付ける。腕から流れた血が、拳からはねた。

 そこで不意に、ひざまづく彼を影が覆った。

「こうなってしまったか……」

 顔を上げた沙衛門が飛び退りながら見たのは、いびつな形の斧を片手にだらりと下げ、残念そうに林の煙を見上げる、鴉丸肖座の憂いに満ちた顔であった。


 二メートルほどの間合いを取り、二人は対峙した。

「鬼岳沙衛門よ」

 見上げたまま、不意に鴉丸が声をかけた。

「何だ」

 左の粉砕した鎖骨の激痛に耐えつつ、沙衛門が答えた。

「巴も血祭りに上げたか」

「あの娘は逃げた。躯螺都がかばって逃がした。

 俺の仲間達が追い付いていなければ、また、お主らの頭領の……柘榴か。あれが妙な真似をしていなければ、問題はない……俺達が用があるのは、言うなれば、あの娘以外の奴らだからな」

 それを聞いた鴉丸の目が驚きに満ちた輝きを放ちながら、沙衛門を見やった。

「本当か」

「つまらん嘘はつかぬ。あの娘に個人的な恨みもない。

 名留羅も雨代も……きっと、千手丸も」

「……そうか。そうか!」

 鴉丸が嬉しそうに目を細めた。

「どういう事だ?」

 怪訝そうな顔をする沙衛門に、鴉丸は口を開いた。

「その傷では早急に手当てをせねば助かるまい。冥土の土産に教えてやろう。

 躯螺都は不死身なのよ」

 沙衛門の目が驚愕に見開かれた。

「不死身だと!?」

「おうよ。

 なあ、沙衛門殿。とんだ骨折り損であったな」

 鴉丸は皮肉さを交えて言い放ったが、それを聞いて、数秒の後、沙衛門は笑い出した。

「ははははは! そうか、そうであったか!!」

 今度は鴉丸が怪訝な顔をする。

「何がおかしい?」

「いや、深手を負った甲斐があったと言うものよ。そうか、躯螺都は生き返るか……」


 沙衛門の中に渦巻いていた先ほどまでの悔恨と絶望は何処かへ吹き飛んだ。

 自分は躯螺都を本当の意味で殺さずに済んだのだ。そう思うとおかしくてしょうがなかった。

「そうか……良かった」

 沙衛門の言葉に、鴉丸はある疑念を晴らしたくなり、声をかけた。

「どういう事だ?」

「いや……まあ、お主ならいいか。はっきり言えば俺は今の今まで躯螺都と、あの娘を逃がしてやろうと思っておったのよ」

「あの二人を!? お主がか?」

「ああ、今告げた通り、元々俺が危ないと思っていたのはお主らの首領の柘榴という女、それに苦悶という奴と、凪という娘の三人くらいであったからな……お主らはそれに比べれば、俺の仲間に危害を加えそうな印象はずっと薄かったのよ」

「すると……」

「うむ、そうと分かれば、躯螺都と巴を含めたお主ら三人と殺り合う気などはなっから、今も全く更々ないわ。

 あーあ、ふふ……全く……もっと早く教えてくれれば……あいたたた」

 そう言って沙衛門はよろけながらも、またおかしそうにふふふ、と笑った。


 鴉丸はそれを聞いてあっけに取られていたが、不意に申し訳なさそうな表情になり、

「沙衛門殿、傷を……!」

と、駆け寄ろうとしたが、彼の鼻先に沙衛門がうつむいたまま突き付けたのは、沙衛門が時々口の端にくわえている苦無であった。忍者としての不屈の根性でどうにか、かろうじてその姿勢を保っているが、多量の出血による寒気で、その切っ先が震えていた。

 しかし、彼の口から次にこぼれた言葉は、あくまで穏やかであった。

「なあ、鴉丸よ」

「な、何だ?」

「それなら……純粋な立ち合いが出来るな?」

 鴉丸は何をか言わんや、とばかりに叫んだ。

「沙衛門殿!」

「まあ、聞いてくれ。俺はこれまで、そういう純粋そのものの立ち合いをした事が無い。

 甲賀の為だとか、金の為だとか……そういう事でしか殺し合いをした事が無い」

「……沙衛門殿……」

「連れの娘が生きている内は、それでも良かった。そんな俺の都合は二の次、三の次。喜んで後回しにしたさ。

……俺はその娘が生きていてさえくれれば、他には本当に何も要らなかったからな」

「連れの娘?」

「俺に仕えてくれた……るいという娘がいてな。俺はるいが好きだった。他には、本当に何も要らなかった。

……こんな俺をかばって奴が死んでしまうまでは」

「……」

「ところが勝手なものでな……俺の中で何か開放された様な気分が生まれるのを感じた。

『これからは何の為に闘っても良いのだ』

という状況が巡って来た事が分かった。

『生き死にではなく、純粋な闘いに臨んでも良いのだ』

という事が分かった。

 死ぬまで修行中であろうに、それを見誤った。師匠より免許皆伝を受けた後で、どうしたら良いか分からなくなる様なものだ。

 それが分かるまでは名留羅や、雨代に散々迷惑をかけた。

 そしてそれが分かった所で千手丸と出会った。

……俺はみんなの為に生きようと思う様になった。だが、再び純粋な立ち合いから遠のいたのを俺は感じた」

「……今が、それをする好機だと言うのか?」

「察しがいいな。談合の時……躯螺都と巴を後ろにかばう様に座っていたのは、たまたまではなかったという事よな」

 彼の言葉を聞いた鴉丸は苦悩の汗を浮かべた。

「しかし……」

 沙衛門は苦無を下げると、死相を露わにしたその顔に、寂しげに微笑を浮かべた。両頬に、るいを亡くした後、そしてその後、新たに加えられた、顔の中心を向いて走っている二本ずつの牙の様な文様、『甲賀 血墨』(こうが ちすみ)がそれに反し、深い紅の色を鮮やかにする。

「元々純粋な闘いなどというのは外に求めるべきではなかったのだな。自分で決めるものであった事に……やっと気付いた」

「……今、その理由から俺と立ち合っても、他の者達にはお主らと俺達の闘いにしか見えぬ。それも狙いか?」

「ああ。仲間への面目も果たせるというものよ」

「……承知した」


 鴉丸は手にしていた斧を握る手に力を篭め、そして言った。

「正直言うと、俺も沙衛門殿と同じ様な闘いを求めていた事があった」

「……そうか」

「ひとついいか」

「ああ」

「……躯螺都と巴、そして千手丸は……どう向かい合うだろう?」

「……さあな。

『心配でも当人達に任せるしかない時が来た』

という事なのだろうよ、恐らく今が」

 鴉丸が笑った。

「全く……心配で仕方がない」

「俺もだ」

「だが、こればかりは誰にもやりたくない。ありがたい苦労だと思わぬか」

「ああ。こんな酷い時代だからこそそう思えるのかも知れんが、ずっと見守ってやれるなら……俺はそうしたい」

 二人は声を出して笑った。


 そして、沙衛門が言った。

「全ては己が欲するがままに。

……そうだな?」

「……ああ」


 次の瞬間、沙衛門は己の腹部を深々と小太刀の刃が刺し貫いているのを見た。


……自分のものではない。

(鴉丸のものか……)

 目の前に一瞬鴉丸が立っていた様に見えたが、彼はやはり間合いを取って立っている。

「な……!?」

 そしてそのうめきが消えるよりも早く、斧による一撃が沙衛門の背中の皮膚を食い破った。

「ぐふっ!」


 口から血を吹き、のけぞり、空を仰ぎながらうつ伏せに倒れんとするその時、沙衛門は見た。空高く、鴉丸の斧が舞っているのを。それを右の拳が握り締めているのを。

……そして、その拳から霧雨ほどに細い糸の様なものが伸び、鴉丸の腕に繋がっているのを。


 人間の細胞を横に繋げると、地球から月までを楽に辿り、何往復かするほどの長さになるという。鴉丸はそれをやってのけるのである。

……己の細胞を横繋ぎにし、瞬時に再連結させ、変幻自在の攻撃を仕掛ける忍者。

 かつて名留羅との間にいた躯螺都と彼をも巻き添えにせんとした、苦悶の髪と剣の結界を苦も無く潜り抜けたのは恐らくこの忍法を以ってしての事であったろう。


「おお……あ……あああっ!」

 左肘をついてがくがくと震えながら起き上がった沙衛門は、絶叫を漏らしながら、腹部から小太刀を引き抜いた。吹き出る鮮血。はらわたがはみ出ずに済んだのは腹に巻いたさらしのおかげか。

 霧雨で強引にそれを縫い止めるが、意識が飛ぶまでは時間の問題だ。

「あ……ぐうっ……!」

 うめきつつもよろよろと立ち上がった沙衛門の手から小太刀が消え失せ、しまった、と彼が前に飛んだ時には既に遅く、稲妻の様な斬撃が彼の背を袈裟懸けに斬り下ろしていたのである。




 彼はそれを食らった、ほんの一瞬ではあったが、頭の中でぼんやりとこう思った。

(……何ゆえ諸国大名どもや里の連中は、俺や仲間やるい、そしてこんな奴を作り出したのだ?

 見ろ、中途半端な忍法のせいで、お互いに殺し合って自分の力を周りに示すしかない。

 周りには恐れられ、行き場と言ったら地獄だけだ。食う為に無理を聞かされ、一山幾らで戦に放り込まれ死んでいく。

……おのれ……!)




 遠くなりかけていた意識の中、そう思った彼は猛烈に腹が立って来た。

「え……えいっ!」

 全身を覆う激痛を抱え、それでも沙衛門は疾走した。腹立たしくて、このままとどめを刺されるのがどうしようもなく苛立たしくて、彼は走った。

 彼の瞳はその時、深紅に染まっていた。その足元を追って鴉丸の斧を握った拳がうなりを上げて飛ぶ。

 地を蹴り、斜め上に飛び退いた彼を、斧を握ったままの鴉丸の細胞連結の螺旋が追う。文字通り渦中へと内包された沙衛門が三角飛びで、連結によって生じた細胞の輪を足場にし、上へ上へと飛んで行く。踏む度に閉じて行く足元の輪を振り返りもせず。

 飛ぶ度に血の霧が自分の拳に降り注いでいる事に鴉丸は気付いただろうか。

……沙衛門が幾つもの長方形を描きながら飛んでいる事に、その意味に彼は気付いただろうか。

「死ぬか!?己の血を撒いて死ぬか!!

 狂ったか、鬼岳沙衛門!!」

 沙衛門は遥か下にいる鴉丸のその叫びを忍者独特の聴覚で聞き取った。

「ああ、死ぬ!俺は死ぬぞ、鴉丸肖座!!

 仲間の為に撒く血なら、惜しい事などあるものかよ!俺のこの血で良ければ喜んで幾らでも撒いてやるわ!!」




 るいや千手丸、名留羅、雨代とかいくぐって来たこれまでの戦場での事が脳裏をよぎる。

 幾度彼らに命を救われたか、分からない。

 また、幾度彼らを救って礼を言われたかも、嘆かわしい事に思い出せなかった。


 彼にとってはそれは、極々、当たり前の事だったから。




 これまでは、どうにか生き延びて来られた。どうなる事かと冷や冷やさせられながら、それでもどうにか。

 千手丸が、名留羅が、雨代が、今頃は相手を前に、事実を明らかにしているだろうか?




 鬼岳沙衛門は、改めて覚悟を決めた。

 言い切ってからで何だが、どうやら自分はここまでの様だ。


(すまぬな、千手丸。名留羅。雨代。

 俺は行けぬ。お前達と共には……もう行けぬ。

 呆れた事だが、広い目で見れば気心の知れた奴と共に地獄行きだ……皮肉にも程がある)


 螺旋の輪の中に地面と平行に描かれた長方形。それと更に平行に沙衛門は長方形を描き続ける。幾層にも間隔を空けて、それは鴉丸の伸ばした腕を取り込んだまま、次々に鏡へと化した。

 自分の血を使ってしか描けぬそれを見下ろす沙衛門の何と楽しそうな事か。頂点へ達した時、己の血にまみれながらも、彼は心底楽しくて声高らかに笑った。


(しかし、俺は今、とても楽しい。

……本望だ。みんな、つまりは……そういう事だ。

 すまぬ……)




「ははははは!

 鴉丸よ!!俺は今、とても愉快だ!!

 身体中痛くてしょうがないが、とても楽しいぞ、鴉丸!

 そしてこの世で最後の大奉仕だ! 見るがいい!!

 忍法……鏡地獄……!」


 そう叫ぶと鬼岳沙衛門は大振りのバックナックルで、自分へと伸びて来る斧を映しているであろう、正面の長方形の裏面を叩き割った。そしてそこに映った、その下に幾層にも渡り存在する鏡が次々に荘厳な音を立てながら割れて行き、霧の中に広がる銀河を現出させた。

 光の中に微笑を浮かべてそこにある沙衛門の姿は、ようやく地上から、彼を束縛していたあらゆるものから解き放たれたかの様であった。


 腕を戻そうとする鴉丸だったが既に遅く、それを追いかけるかの如く、粉砕の銀河の奔流が彼を包み込む。

 ぱん!!

 弾ける音と共に、鴉丸肖座は真っ赤な粉塵となり、立ち消えた。




「やったぞ! 俺はやった……!!」

 沙衛門は地上を見下ろして叫んだ。

「今まで、体得しながら一度も使う事の無かった『忍法 鏡地獄』をついにやってのけた!

 つらら殿! 名留羅、雨代、千手丸!!

……るい……!

 俺は……俺は……嬉しい……」


 大地が大きくえぐれ、粉微塵になった土が、石が、煙となり、更にそれを包み込む。

……急速に収縮し、拡散していく光の奔流。それに飲まれる様に、沙衛門はそれを見下ろす様にしながらも自分もその中へ落ちて行った……。




 数十メートルの上空から落下した沙衛門はうつ伏せに倒れていた。

 着地は何とかしたものの……そのまま倒れてしまい、もう一歩も動けない。血が流れ過ぎているし、足は折れてしまった様だ。

 そして……その顔は、全身は……死の怖気によって、観念したかの様に震えている。


「……やれやれだ……」

……夢か現か、千手丸が泣いている姿が彼の眼に映った。自分を揺さぶって泣いている。

「沙衛門さん……起きてくれよ……!

 こんなの辛いよ……!!

 俺達だけじゃ駄目なんだよ……沙衛門さん!」

 良く見ると名留羅も、雨代もいた。

「おじさん! 何でだよ……くそ……おじさん!!」

「沙衛門様、沙衛門様……!

 いやあああぁ……!!」




(そんなに俺がいないと……嫌か……)

……鼻の奥がつんとした。涙が溢れて来る。


(俺は……死ぬのだな……)

 仲間と別れる辛さが、彼の負ったどの傷よりも深い痛みを、彼にもたらした。


 瞬きすると、みんなの姿は消えてしまった。

(……みんな……)

 そしてこれまでの事が、頭をよぎっては……消えて行く。




 両親が死に、つららというくノ一にして忍法の師匠に付く事になり、厳しいながらも楽しかった忍法修行に明け暮れ、必死に悲しさを忘れようとした事。

 そして、ある日突然、その厳しくも優しかったつららが乱暴され尽くした遺体で見つかった事。

 恐らくそれをやったのは、村民達の噂によれば、自分達の村の次期首領となる、重(かさね)という男ではないかという事。




 るいとの出会い。

 重に目を付けられたるいと共に村を飛び出し、追っ手を退けながら、あちこちで仕事を請け負い、過ごした日々。

 名留羅との出会い。

 そして……るいの死。

 雨代、千手丸との出会い。


……それから、今ここにこうして倒れるまでの……これまでの事。




 沙衛門は目をぎゅっとつぶり、しゃくりあげた。

(……み……みんな……)




 しかしその時名留羅の笛の音が聞こえた。苦悶を名留羅が討ち取ったのだ。

……それを聞いて彼は、

(どうやら自分は仲間達への役目を果たしたらしい)

と思った。


 残りの危険な奴は凪と柘榴だけだ。しかし、凪については雨代の忍法がきっと何とかしてくれる。

 柘榴については名留羅と千手丸が何とかしてくれるだろう。




……自分が欠けてもあの三人が、きっと。




 そう思うと、自分がこれまでやって来た事はそれほどヘマばかりではなかったのではないかと思えて来た。




 沙衛門はそっと……かつての連れ添いの娘に、こう囁いた。




「……これでいいんだよな、るい」




 その時、血の海に伏した沙衛門の頬に、暖かい手が触れた。

 目を開き、顔を上げる。何故かそれは先ほどまでよりずっと楽に出来た。


……そして、そこにいたのは。




「……るい……」



 悲しみに目を細め、涙をボロボロとこぼしながら、るいは沙衛門を見下ろしている。

 彼女はその外見にそぐわぬ力で彼を抱き起こした。

 沙衛門の顔を胸に抱き寄せ……幾度も頭を撫でる。


……昔、二人で同じ様にしながら空を見上げた時の如く。


「沙衛門様……私ですよ、るいです。

 お迎えに上がりました。……ま、また……ご無理をされたのですね……」

(はて? るいは死んだのではなかったかな?)

と思いつつも、彼は返事をした。

「いや……無理などしていないぞ、るい。

……なる様に……なっただけだ……」

「それがご無理だと言うのです。自分一人で抱え込んで……何時もそうなんだから……」

「また……怒られてしまったな……」

 沙衛門は力無く笑った。るいはそれを見て

「さ、沙衛門様……。それでも私は……そんな沙衛門様が大好きです……。

『忍法 鏡地獄』……確かに私が……あなたのお傍に何時もお仕えするこの私が、この目で見届けました。

……ご立派でしたよ……!!」

と呟くと、微笑を浮かべ、改めてその胸に、愛おしそうに彼を抱きしめた。


 抱きしめたまま、るいは呟いた。

「……私ね、ずっと見ていましたよ?

 沙衛門様が頑張られるのを。

 私の事を忘れられずに苦しみながらも、それでも歯を食い縛って前に進もうとするのを。

 千手丸さんや、みんなの盾になろうとするのを。

……聞こえなかったかもしれませんけれど、拍手もしていたんですから……」

「そうだったか……お前には……面倒ばかりかけるなあ……」


 彼女に抱かれながら、虚空を見つめていた沙衛門は、不意にこう、呟いた。

「千手丸は……名留羅は、雨代は、自分達の思った通りにやって行くだろうか……」

 るいは切なげに眉間にしわを寄せ、しゃくりあげながら微笑した。

「き、きっと……みんなそれぞれの道を行ってくれるはずです。

 だって……あなたが付いて行こうと、あなたに付いて来ようとしてくれた仲間なんですから。

 あなたが大好きだった仲間なんですから!」

 沙衛門は切なさで涙をこぼしつつ、

「……そうだな」

とだけ呟いた。


 その涙を拭ってやると、るいは言った。

「それほど心配なら……空の上から見守っていてあげましょう?

 私と一緒に見守っていてあげましょう?

……これからは沙衛門様と私は……何処までも、ずっと一緒なのですから……」

 彼女の顔を見て、涙を拭ってやると、沙衛門は呟いた。

「るい……色々済まなかった。

……そうだな、見ていてやれば良い。そうだよな。

 全く俺とした事が……情けない、少しボケたかな?」

「沙衛門様……」

 二人は微笑を向け合うと、そっとくちづけを交わした……。




 血の海に、微笑を浮かべて事切れていた沙衛門を抱き起こした雨代と、左腕を包帯で吊った名留羅が座している。

 二人は、周囲の惨状の中から、多量の血痕、そして躯螺都のものと思われる着物の切れ端と、鴉丸のものと思われる斧の残骸を発見した。

「……おじさん……二人も片付けちまったんだな。

……良くやったな、おじさん……」

 名留羅はそれだけ言うと、ただただ、切なげに微笑し、涙を流した。


 同じ様に涙を流しながら雨代が沙衛門を優しく見つめつつ、顔の血を布で拭ってやると、そっと呟いた。

「沙衛門様……満足そうに笑ってる。多分、るい姉さんが迎えに来てくれたんだわ……」

 名留羅がそれを聞いて更に辛くなり、

「ぐっ……」

とうめきながら目をぎゅっとつぶり、涙をボロボロとこぼして、ふう、と息をついてから、告げた。

「そ、そうか……だと、だといいな。

……それなら……沙衛門さんも喜ぶよ……」




 やっと差して来た朝日が三人を照らす。その光を浴びながら眠る沙衛門に頬を寄せ、心の内で彼に別れを告げると、雨代は呟いた。

「きっとそうよ。

 だってほら……こんなに嬉しそうに……微笑んでる……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます