続・霧散らす剣閃

 夜。千手丸達に与えられた納屋の一室。

 名留羅と雨代は早々に寝床に引っ込み、沙衛門は一人、ろうそくの下で考え事をしていた。

 奇しくも彼は、その時鴉丸と同じく、自分が鴉丸と真っ向から対峙しなければなるまい、と考えていたのである。

 更に躯螺都も、出来れば彼の事をそれほど知らぬ自分が仕留めたい。必要があるならばだ。

 そう思ったのは、あの千手丸が最終的に彼等に決意表明した談合の場で、傍から見ていて

(どうもいまいちまとまりのない集団だ)

と見たからである。

 自分達の所も似た様なものだが、と思って彼は少し苦笑した。


 何処ら辺が妙に感じられたかと言うと、各人の性格形成のようなものと言えばいいだろうか。

 秘命を得て恐らく彼等はやって来たのだろうが、今の言い方をすればいささかバラエティーに富んでい過ぎる様に思った。作戦遂行に支障はなかったから今になって自分達に追い付いたのだろうが、巴と凪の二人の存在が異質に感じられたのである。

……ひょっとしてあの二人が一番恐ろしい忍法を使うのではないだろうか?

 沙衛門はあの談合の場で、もしかしたら自分の意のままに腐食性の体液を操る凪の肌の香りを感じ取っていたのかもしれない。


 また、

『服部半蔵が後ろ盾している』

と言うのはかなり眉唾だが、千手丸の存在と口ぶりからすると全てが嘘ではないと見える。

 沙衛門は千手丸の出自を根っこから調べたくなった。何処かの貧乏な藩の藩主からからあの伊賀の里に預けられたという話もないではないからだ。

(むう……)

と沙衛門が思考を巡らせていると、襖の外に気配と声がした。

「……沙衛門さん、起きてる?」

 驚いた事に千手丸だった。沙衛門は優しく声をかけた。

「どうした? 入って来るが良い」

 そして襖を開けて入って来た千手丸を見て、沙衛門は目を丸くした。


 そこにいたのは、立派に化粧をして、着物は有り合わせではあったけれど漆黒の中に白い百合が揺れて花びらが舞っているのを瀟洒かつ優雅に着こなした、まるで傾城の様に匂い立つ様な色気を漂わせた、心細げな表情で自分を見つめる千手丸だったからだ。

 口元に差した真っ赤な紅がろうそくの灯火を受けて煌き、長いまつげが揺れている。




 ただ、悲しい事に、その姿は紛れもなく、かつてのるい、そのままの姿だったのである。




「……雨代と名留羅がそうしてくれたのか?」

 千手丸は彼の問いに頷いた。

(しょうのない二人だ……これではるい丸出しではないか)

と思ったら顔に出たらしく、千手丸は右の袖をつまんで眺め回してから沙衛門の顔を見た。

「……おかしいかな?」

「いや……あんまりお似合いなのでびっくりしたのさ。

 しかし何でまた……」

 千手丸の赤い唇から言葉が漏れた。

「……おじさんに抱かれに来たからさ」

「……俺に?」

「ああ。

……何かさ、あれから一寸考えたんだけど……今、とっても辛いんだ。雨代と名留羅に慰めてもらったけど、何か、誰かに抱いていてもらわないと崩れてしまいそうなんだ」

「……お時殿の事か」

「それもある。でもさ……みんなの事もなんだよ……」

「俺達の?」

「そう……苦悶に言われたんだ。

『お前は生きている限り永遠に誰かを失い続ける。

 早く気付け』

って……」

 名留羅に告げた事を千手丸は沙衛門へも口にした。

(……あやつ……)

 苦悶の、千手丸への言葉が己の身をもあぶる様に感じられた沙衛門は、千手丸の手を引き、

「おいで」

と、優しく囁くと、自分の胸元に抱き寄せた。

 千手丸は、正座した彼の膝の上にまたがりながら、胸に頬を寄せるのではなく、彼の首に両腕を回して豊かな胸を彼の胸板に押し付ける様に抱き付いた。

「千手丸」

「これでいいんだ。初めっからそのつもりで来たんだから。……こうさせて」

「……いいのだな?」

「うん……沙衛門さんがいい。初めて会った時、抱きかかえてくれた時、とっても落ち着いたんだ。

 姉様が死んでしまって泣いてたけど……えふっ……と、とても、嬉しかったんだよ……!」

 途中からすすり泣きながらも告げるその言葉に、切なさが込み上げて来るのを沙衛門は禁じ得なかった。

「……千手丸……!」

 彼は千手丸の背中と腰を、強く抱きしめた。千手丸はしゃくりあげながら言った。

「……お、俺は……みんなと……一緒にいたいだけなんだ……」


 沙衛門はこの初めて会った時から自分やみんなに懐いている少年が不憫でならなかった。置いてきぼりになるまいと、

『おじさん、おじさん』

と自分を呼びながら、必死に、それでも楽しげに笑いながら付いて来る幼少の頃の面影が胸に突き刺さった。


「……分かっている。ちゃんとおじさんは、いや、名留羅と雨代だって分かっているぞ、千手丸……!」

 ろうそくの明かりを消そうとすると、千手丸はいやいやをする様に首を振った。

「今回の殺し合いで、どういう結果になるか分からない。

……俺達の中の誰かが、いや、みんなが死ぬかもしれない。そうなってもおかしくない。

 だから……俺の体を良く見て、覚えていて欲しいんだ。

 しっかりと手で触れて覚えていて欲しいんだ。

『こういう奴がいたな』

っていうのを。

 俺も沙衛門さんにしっかりと触って覚えておく事にするよ。

『こういう優しくて強いおじさんがいたんだな』

って、もし、何かあった場合に後で思い出せる様に。

……いいだろう? 沙衛門さん……」

 沙衛門は彼の瞳を、微笑を浮かべながら見つめると

「そうだな。千手丸……」

と呼びかけながら、暖かい昔の思い出に浸る時間をくれた名留羅と雨代に心の底から感謝しながら、千手丸の唇に自分のそれを重ねつつ、彼の後ろ頭に手を添え、押し倒した……。


 着物を脱ぎ捨て、手甲を残して鎖帷子まで剥ぎ取った沙衛門が、大事そうに千手丸の裸体を抱きかかえ、組み敷き、その胸の谷間から腹に至るまでを、瞳を閉じて静かに何度も舐めている。頬を染め、唇をわななかせ、見事に張った乳房を揺らして、千手丸が身をよじる。

「あん……っ。は……ううっ……く、くすぐったいようっ……おじさあん……!」

「……こういうのはいやかな?」

「ううん。

……久々だから恥ずかしくて……」

「……可愛いぞ、千手丸」

 両手で頬を覆い、黒髪の奥から、千手丸は沙衛門に切なげかつ嬉しそうな視線を向けた。

「やっぱり恥ずかしい……」

 千手丸の耳元に唇を寄せ、息を吹きかけると彼の背筋を電流が貫いた。

「ああん……っ!

……おじさん……っ」

 千手丸のまつげを涙が濡らす。沙衛門は訊ねた。

「どうする? やめておくか?

 今ならまだやめられるぞ」

 千手丸は少し考え、自分から彼の腰に両足を絡めながら、首を振った。

「俺、そういう所がいくじなしだから……やめないで。

……るいさんの姿を俺に重ねてもいいよ。沙衛門さんにも……気持ち良くなって欲しい……」

「じゃあ……本当につらい時だけ言ってくれ」

「いいんだ。

……ねえ、俺を縛ってよ。みんなと一緒に何時までもいられる様に。名留羅の、雨代の、沙衛門さんの身体と、優しさ無しではいられない様に。

 絆で縛り上げて、がんじがらめにしてよ。みんなが望むなら俺も応えるから、俺が望んだ時には目一杯もてあそんでよ。

……正直、壊れてもいいんだ。バカでも……色惚け呼ばわりされてもいいんだ。普通に仕事は今まで通りにやるしさ。

……みんなと一緒にいて死ぬなら、俺は本望だよ……」

 そう言って自分の首に再び両腕を回し、頬擦りして来る千手丸の頭を優しく撫でながら、沙衛門は幸せそうな微笑を浮かべた。

「よしよし。

……お前は可愛いな……入れるぞ?」

「うん……んんっ……」

当の昔に濡れている千手丸のそこへ、沙衛門はゆっくりと押し入れた……。


 今、千手丸は後ろから沙衛門に胸を揉みねじられつつ、突かれ、喘いでいる。

「んっ、あっ、ああっ、あはっ、あああっ!さ、沙衛門さ……んっ、いや……あ、あああ……んんん……っ!!」

 虚ろな目で、髪を汗で頬に貼り付かせながら、頬を染めて歓喜の涙を幾粒もこぼし、震える千手丸。沙衛門はその右肩に吸い付くと、動きを激しくした。

「ん、ああんっ!

……ひっく……あんっ、んふうっ、ああ~っ……さ、沙衛門さん……ああっ……」

「ど、どうした……っ?」

「動きながらでいいから……は……んんっ……話……聞いてぇっ……」

「分かった……!」

「さっきの……苦悶の言葉……あっ……なんだけど……っ」

「ああ……」

「今まで……そう、ならない様に……色々、考えて来たし、

『そうならない様に自分で何とかするしかないんだ』

って、結論も……だ、出した……っ!」

「う、うむ……」

「や、奴等と、そして……最悪の、場合……と、巴と……殺り合う、覚悟も……出来てるっ」

「……せ……千手丸……」

「だ、だから……巴と柘榴は……っ、お、俺に……やらせて……」

 汗を流しつつ、挿入したまま千手丸の態勢を変えさせ、自分の方を向かせる沙衛門。

「……良かろう」

「あ、ありがと……」

 その返事が終わる前に、沙衛門は彼を力強く抱き寄せ、唇を音を立てて吸い上げた。

「んん……ふ、ううっ……」

 切なげに瞳を閉じて、涙をこぼす千手丸の口の中へ、舌を挿入し、絡ませる。千手丸も自分から絡ませた。

「ん……んん……!」

「んふ……ん……!」

 二人で立ち上がったその態勢のまま、沙衛門は千手丸の腰を、左手で尻の肉を掌で包む様に抱きかかえ、右手で彼の太ももに手を這わせ、支えながら自分の腰に絡ませる。

「んっ……」

 唇を離すと、うつむき、千手丸は苦しげに喘いだ。

「……こういうので……いいの?」

 その前髪をかき上げてやり、彼の瞳を見つめながら、その乳房に口付けをしてから、沙衛門は言った。

「上出来だ。今度名留羅や雨代にもしてやるといい。喜ぶぞ」

「そうかな……」

「そうさ。

……んっ」

「あ……!」

 下から突き上げられ、あわてて再び彼の首に両腕を回してバランスを取る。沙衛門は千手丸の乳首を口に含み舌で転がしている。


 昔から変わらない、力強い腕が自分を抱いてくれている。

 千手丸は我を忘れて彼を求める事に没頭した。




……全てが済んだ、その闇の中。

 二人は再び身体を重ねて横たわっていた。

 彼の腕の中で、千手丸は訊ねた。

「俺は……何処へ行けばいいんだろう」

 沙衛門は昔と同じ様に千手丸の頭を撫でながら

「いっその事、みんなで海の向こうへでも行ってみるか?きっと違う世界が広がっている。どうだ?」

と優しく訊ねた。

 行ってみたい、と言う千手丸を優しく抱きしめながら彼は言った。

「好きな所へ行くがいい。俺達は何処へでも付き合ってやるぞ?

……楽しい所へ行こう、千手丸」

 嬉しさに涙ぐむ千手丸に、沙衛門はそう呟いて微笑んだ。




 明朝。

 沙衛門と名留羅はお夕の家の外で背中合わせで木の切り株に腰掛けていた。

 お夕には千手丸が例の藪に包まれた隠れ家に向かう様に伝え、街道で会う手筈になっている。

 雨代はここへ来るかもしれない連中の片付けをし、その後、自分と名留羅がそれぞれ吹く、片付いた合図の笛の音を聞いたら船着き場へ向かう事になっている。

 千手丸は巴に事の真相を確かめるべく、船着き場で張っている。


……どちらともなく口を開いた。

「全く面白え人生だよな」

「ああ」

「そしてこんなけったくそ悪い気分にさせられたのも初めてだよ」

「全くだ」

「てめえの手の届く範疇にいながらよ、また刀と関係のねえ、それも弟みたいに可愛がっていた奴とひょっとしたら上手く行ったかも知れねえ女の人を、死なせちまったかもしれねえんだ」

「最低の気分だ」

「それでだ、沙衛門さん」

「うむ」

「忍法使いとサシで殺り合うってーのは随分久々だ。だろう?」

「そろそろあの根来の連中との事も思い出にカビが生えつつあるな」

「気が抜け過ぎているかもしれないよな」

「刀を抜けないくらい腰が抜けているかもな」

「そうそう。これから潰しに行くってのにそれじゃあ困っちゃうよなあ」

「全くだ」

「でもさー、正直おっかないのも本音なんだよなあ」

「俺もおねしょしていないか布団を何度も確かめた」

「荒事で飯食って来ている奴等の台詞とは思えねえよなあ」

「正直布団を被って寝ていたい」

「俺もだよ」

「ふふふふふ」

「はっはっは」

 二人は声を上げて笑った。実に楽しそうに笑った。

 次の瞬間、二人は振り返り様に抜刀し、互いの身体目掛け一閃した。沙衛門は逆手に握り締めた忍者刀を横薙ぎに叩き付けた状態で、名留羅は片手剣による居合の一閃を逆袈裟で叩き付ける状態で。

……二つの刃は触れる寸前で止まっていた。

 その状態のまま、名留羅が口を開いた。

「どうやら心配ねえ様だな」

「お前と手合わせする度に寿命が縮む思いだ」

「良く言うぜ。おじさん、あんた何時修行していたんだよ」

「お前なら言うか?」

「……いいや、言わねえやね」

 互いに刀を鞘へ納めながら、ふっと息をついて一礼し、名留羅が口を開いた。

「……またみんなと一緒に行くんだ。忘れないでくれ」

「分かっている」

 そして二人は声を揃えて言った。

「雨代と千手丸が泣くからな」

 それだけ言って微笑を互いに返すと、二人は二手に分かれて走り出した。




 それより少し後。別の道で。

 深い霧の中、船着き場への道を、苦悶は左腕は懐に入れたまま、孤剣を携え、一人歩いている。

……行く手に立つ影に気付いた彼は、それを見据え静かに歩いて行くとその手前1メートル半程度の間合いを置いて立ち止まった。


 霧の奥から冷え切った視線が痛いほどに感じられる。真っ赤な格子模様が着物の全面を覆い尽くし、正面には逆さ磔の花魁が黒髪を振り乱し、視線を正面に向けている。

 その腰帯に片手剣をぶち込み、身の丈を越す刀身を鞘に包んだ野太刀の柄を風閂で括り、己の、布を指先から肘の上までバンテージの様に巻いた状態の手で掴み、肩から後ろに下げている。

 この時代では珍しい、クリーム色に近い、色素の抜けた髪を風になびかせながら、口にくわえた長い楊枝を舌でもてあそぶと、ふっ、と苦悶の左目目掛け、瞬時に飛ばして来た。

 それを肩を逸らして半身でかわすと、苦悶は目の前の男の名を呼んだ。

「名留羅……貴様か」


……片腕の忍法剣士と化した苦悶の行く手を遮る事にしたのは、どういう因縁か、これで三度対峙する事になった、剣鬼・名留羅真夜であった。


「ああ、俺だよ。

……少しいいかい」

「良かろう」

 名留羅はその姿勢のまま、言葉を続けた。

「あんたと……初めて殺り合った時、俺は本気で

『二度と立ち合いたくねえ』

と思った」

「ほう」

「誰に師事したのか知らねえが、あんたの剣舞(けんばい)は本物ってこった。もう一度何処かで会うかもしれないかと思ったら、痛いくらい肝が縮み上がったさ……」

「そうか。恐れ入る」

「全くな」

「ふふふ」

「ははははは」

 これから殺し合いをしようというこの二人は笑っていたが、何しろ深い霧の奥でその表情は見えなかった。

「……なあ、千手丸の何処ら辺が気に入って、何処ら辺がどうしようもなく気に入らねえんだ?これが最後かも知れねえ。良ければ教えちゃくれねえか」

「……良かろう。俺はな、名留羅。あれの全てがいとおしく、そして切り刻んでやりたいくらい憎くてたまらんのよ」

「へえ……そうかい。俺も時々あんたと似た様な気分になるぜ」

「お主もか」

 苦悶は意外そうな顔をした。

「ああ。あんなに可愛らしくって、いいとこ取りの奴ぁ見た事がねえ。

 微笑んだ時の可愛らしさ、抱き付いてくる時の香り、そっけない時の横顔。何が何でも自分一人のものにしたくなるぜ」

「うむうむ。何だ、お主、わしと同門ではないか」

「そうなのかも知れねえな……」

 霧の奥で再び名留羅は少し笑った様だった。


「……だがよ」

 彼の声の調子が変わったのを感じ、苦悶の頬のうぶ毛が逆立った。

「俺としては自分の都合ばっかり押し付けたくねえ。時間をかけてじっくりと自分の色に染め上げたい。ちなみに今もそいつは進行中だ。

 つまりだ、余計な奴に横槍入れて欲しくねえんだよなあ……」

 さあっ……と音がし、うつむいた名留羅の右手に握られた野太刀が静かに鞘から抜刀されて行く。

「……早い者勝ちではない、という事か」

「そういう事さ。奴の惚れてた女を殺したってーのもよ、どうにもこうにも俺は気に入らねえんだ……!」

「ぬるい話だ」

「ああ、全くな。でもよ、今はそれでいいと思ってる。

 てな訳でだ、

『千手丸が欲しかったら、俺をぶった斬って力ずくで奪い取ってみやがれ』

ってこった」

 名留羅の瞳が凶暴かつ不敵な色に染まって行く。

「しゃあっ!」

 苦悶が不意に振り上げた前髪の軌跡を鼻を鳴らして半身でかわし、何時の間に振り上げたのか、上段から苦悶の脳天目掛け斬り下ろすべく、野太刀が風を切った。

「ちいっ!」

 苦悶も半身でそれをかわすが、名留羅が下から殴り付ける様に振り上げた左腕から銀光が飛ぶ。その銀光―三本の鋭く尖った小柄だった―をかわすべく、再び前髪を振り上げた。しゅきかきん、という金属音がして、それは全て叩き落された。

 素早く手元に野太刀を引き寄せ、切っ先を、左手の甲を上に向けた状態で親指と人差し指でそっとつまみつつ片膝をついて、まさしく狙撃の態勢を整えた名留羅が言った。

「はっはっは! 全くてめえほど目障りでぶっ殺し甲斐のある奴はいねえや……。

 こっちは牢人上がりのくそったれな農民剣術の慣れの果てだがよ、伊達に道場こしらえて一子相伝で生き延びて伝えて来た訳じゃねえ。

 あっちの戦場(いくさば)、こっちの戦場と鴉に突付かれながらよ、楽しい時ゃあ楽しいが、何時まで経ってもホントに死体臭くてかなわねえ。

『死ぬのは鴉の腹の下』

と来たもんだ。

……そういう訳だが極端な話、あんたが俺のくたばり損ないの亡霊剣術の足元にも及ばなくても恨みっこなしだぜ? 上等なご趣味をお持ちのおっさんよう!」


 そう言い放つと刺突撃の姿勢のまま地を蹴って、右手を腰の刀に添えた苦悶の心臓目掛け、名留羅は不敵な笑みを浮かべながら殺到した。

「えやあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

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