霧散らす剣閃

 姉がいなくなってからのお夕のうろたえぶりは大変なものだった。

 たった一人の家族であるお時が煙の様に消え失せたのであるから当然だったが、彼女の気丈な所は、

『現在の状況から判断して千手丸達に当たるのは少しおかしいのでは』

と思い留まった所ではないだろうか。

「見つかるのを待ちます。場合によってはこの家を捨てて、探しに行きます」

と、お夕は千手丸達に告げた。


 千手丸も、あの時苦悶の言葉を聞いて、かっとなってしまったものの、冷静になって考えてみると

『苦悶の言葉はそれほど信用性に足るものであったか』

という疑問が頭をもたげて来た。

 元々千手丸をいたぶる為だけに存在しているような男であるから、彼が困っていれば喜んで追い詰めるだろう。

 しかし、あの男、ああ見えてそれほど頭が切れる方ではなかった様な気がする。


……もし、自分の欲望を優先してあの様な台詞を吐いたのだとしたら。

(結論を今出してしまうのは、かなり低い確率とは言え、お時が何処かで生きている可能性を揉み消してしまうのではないだろうか)

と、千手丸は沙衛門達に進言した。

 その内容を彼の口から聞きながら、沙衛門達、特に名留羅は

(千手丸の頭がいい意味で冷えているのだ)

と思って、内心ホッとしていた。


 それならばだ、自分達は何としてでも『七ツ針』の連中を問いただし、事の真相を明らかにしなければなるまい。そう思って、どう彼らに接触するかを考えていた、事件から二日が過ぎた昼下がりにその矢文はお時・お夕の家の軒先に撃ち込まれた。


 見つけたのは警戒の為に交代制で家の周囲を見廻っていた沙衛門であったが、

それにはこうあった。


『先日の談合の結果、どうしても我々には納得が行かぬもの也。よって、十手千手丸発見の知らせと返答を服部半蔵殿にご報告申し上げ、後の判断を仰ぐものとす。

 明朝卯の刻六ツ半(今の朝七時頃)、我等七ツ針、総じて宿場の港から旅立つもの也。半蔵殿への報告を不服とするならば、追跡及び妨害の手段を取るも策かと我等は提案するもの也。

 結果生ずるであろう殺しの旅もまた楽しからずや。 七ツ針」

 沙衛門は文面を見て、来るべき時が来たのだと、認めざるを得なかった。


 それから間もなく、お夕も含めた家の座敷で。

「連中は千手丸を服部家に渡すつもりなど毛頭あるまいよ。

罠だとはっきり分かるが、それでも服部半蔵殿に千手丸の所在が知れるとかなりまずい事になるな」

と、名留羅達の顔を見回しながら沙衛門は言った。

「じゃあ服部半蔵に事が知れる前に、連中の口をまとめて封じなきゃいけねえって事かい」

と、名留羅がうめく様に言った。

「それもお時殿の失踪に関する事を全て聞き出してからだ」

「……かなり難しい所ですね」

と雨代。

 千手丸を含めたこの四人でやって来て、初めて直面する恐るべき難題であった。


 七ツ針の出立を阻止できなければその後の追跡は困難を極める。

 最悪の場合は七ツ針を含めた、徳川に身を寄せている服部組数百人を相手にしなければならないのだ。

 自分達の様なはぐれ者集団に、徳川からの信用を得るべく西へ東へと奔走して、徳川家の懐刀としての居場所の地固めをしている服部半蔵がどれほどの手勢を回してくるかは分からないが、千手丸の体得している『忍法 変身転生』の重要性からして、その数は恐ろしいものになるだろう、と沙衛門は告げた。

 どいつもこいつも総じて忍法を体得している曲者揃いだ。お夕は口封じの為に殺されるかもしれない。

「じゃあ何としても止めなけりゃならねえな」

 名留羅の言葉に、彼等四人は覚悟を決めた。


「状況に応じては、お夕殿には我々と共に旅立って頂かなければならぬやもしれません」

と、苦い表情で告げる沙衛門に、お夕は

「姉が見つかるのでしたら、私はどちらへでも参りますわ」

と言うと、旅支度を始めた。




 同じ頃。同じ村の港の、とある宿の裏で。

 翌朝の出立の支度を整え終わった躯螺都は苦悶と対峙していた。片手を失った苦悶は、怒りの為にまるで削り落とされたかの様に頬がこけていた。

 対して躯螺都は既に覚悟を決めているからか、以前よりも野性味と瞳の輝きが増している。

 つい先ほども巴と身体を重ね、愛を確かめた所である。巴は事情を聞いたせいか浮かない顔をしていたが、それでも激しく躯螺都を求めて来た。

(まだ何か吹っ切れていない所があるのかもしれない)

と思い、躯螺都は無理に聞く事はしなかったが。


「小僧、どういうつもりだ」

 苦々しげに苦悶が睨みを聞かせてくるのを何処吹く風、という風に受け流し、

「見たまんまさ」

と不敵に輝く視線を躯螺都は返した。

「俺はもう覚悟を決めたんだ」

「覚悟? 何の覚悟だ?」

 躯螺都は少し考えて、続けた。

「奴等と殺り合う覚悟さ。今の俺には怖いものなんて何にもない。

 もしやるっていうのならあんたともやるぜ?」

 その言葉から苦悶は躯螺都の中に底知れぬものを覚え、初めてこの青年に恐怖を感じた。

「……きゃつらを倒し終えた後、貴様にも地獄を見せてやる。覚えておけよ」

「名留羅に切られた残りの方の腕でか? あん時のあんたと来たらざまあなかったぜ。屍鬼藤はやられちまうしよ。

 それにお互いに生きてれば、の話だろ? 下らねえ」

 躯螺都は、ふん、と鼻を鳴らした。更にどす黒い顔色へと変貌した苦悶はうめきつつも背を向けて宿へ入って行った。

 すれ違いに鴉丸と巴が出て来る。

「苦悶のおやじ、随分と怒っていた様だが」

「名留羅に腕を斬り飛ばされたのが余程悔しいんだろう」

「なるほど。まあ、あれにはいい薬だな。

 それでだ、明日の段取りを決めておこうと思う。顔を貸せ」

 躯螺都は目を丸くした。


 港の船着き場。それとなく周りの気配を窺ったが誰もいない様だ。

「明日の朝、俺は柘榴様とは一緒には行かぬつもりだ」

と、月を映す水面を見つめながら鴉丸が言ったのに巴と躯螺都は驚いた。

「な、何故だ?」

「……お前等を送り出す為よ」

「私達を?」

「ああ。

……なあ、巴、躯螺都。お前達、契りを交わしたんだろう?」

 その言葉に躯螺都は口篭もり、巴は頬を染めた。

 鴉丸は口元まで覆う布を下ろすと、二人に微笑を向けた。

「俺はお前等の事がずっと気がかりだった。

 苦悶はあの通りあぶない奴だし、柘榴様も巴に並々ならぬ興味を抱いている。

 遠からず良くない事が起こるのではないかと、ずっと気にかけていた。

……伊賀の里を出た頃から」




 その言葉に二人は頭を棒で殴られた様なショックを受けた。

 この村に来てからあまりにも目まぐるしい状況の変化が連続して起きた為に、自分達は一番大事な事を忘れていたのではないか?

 自分達はまず、この逆毛の男に全てを相談すべきではなかったのか。

……自分達の兄代わりのこの男に。




 何時の間にか彼を邪魔立てするなら殺す方の人数に足していた躯螺都と巴は自分が恥ずかしくなった。

「鴉丸……俺……」

「どうした、躯螺都。巴もそんな沈んだ顔をするな。

 お前達は新しい道を見つけたんじゃないか」

「道?」

 二人は声を揃えて訊ねた。

「そうだ、道だ。共に手を取って幸せな人生を築くがいい。

……こんな時代だ。どんな些細な事でも……いい事があれば、見つけられれば、そのありがたみが幾十にも大きく感じられるのではないかな」

「か、鴉丸……」

「……俺はそういう意味では村を出て良かったと思っておる。

 自分達の中からそういう道を見つけられたお前達と知り合いで、心の底から良かったと思っておる」

 躯螺都と巴は、申し訳なさと感謝の気持ちが入り混じった為に溢れる涙を流しながら、鴉丸にただただ深く頭を垂れるばかりであった……。


 ややあって巴が訊ねた。

「鴉丸は私達を逃がすつもりなの?」

「そうだ。

『バラバラに目的地へ向かう方が奴等の戦力を分散させる事が出来ましょう』

とはもう柘榴様には進言してある。その提案は通ったから十分お前達を逃がす事は可能だ。

 お前達は柘榴様と凪と共にとりあえずは船に乗り、途中で俺と同じ進路を取るべく港に下りる。そこに来る俺の用意した船頭が漕ぐ船に載り、柘榴様と凪を見送り、後はおさらば。

 その後、俺達が再び柘榴様の前に現れる事はない、という寸法さ」

 その言葉に一抹の不安を感じた躯螺都は彼に訊ねた。

「俺達を逃がしたとして、お前は……その後どうするんだ?」




(自分が

『行かない』

などと言ったら、この二人は困るのだろうな)

と鴉丸は内心思った。下手をすると逃げないなどと言い出すかもしれない。

(……世話のかかる連中だ)

とまた心の中で苦笑したが、身寄りのない自分に懐いているこの二人が、何時にも増して掛け替えのないものに感じられて、胸が切なくなった。




「行くさ、俺も。

 何処かで合流しよう。後で知らせる」

 その言葉にホッとした表情を見せる躯螺都と巴。

……しかし、鴉丸はこの時点で既に、少なくとも名留羅と沙衛門は自分が、もし力及ばずとも名留羅だけでも潰しておかねば、と覚悟を決めていたのである。




 最大の敵に廻ってしまった千手丸の事はとりあえず後で考えるとして、あの二人を放っておくのは危険過ぎる。

 特に鬼岳沙衛門。あの男がいかなる忍法を用いるのか、自分達の中でそれを知るものが誰一人いないという事が、鴉丸の心に暗雲を漂わせた。

 苦悶が安易にお時殺害に走った為に話し合いの余地がなくなった事を、鴉丸は苦々しく思った。しかし、この未来ある二人を逃がしてやる作戦を自分に課した事から来る、駄目元承知のやる気が、彼を血震いさせた。


 鴉丸は口を開いた。

「合流するのも、お前達が身をくらます事が出来るかどうかも、まずは初めの柘榴様のいる船着き場まで無事につければの話だ。とにかくそこまでは自力で辿り着け。

 今は俺が合流するのが遅れた場合の事を決めておこう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る