苦悶(くもん)

 名留羅と雨代はまず千手丸を呼びに行き、そのまま名留羅と千手丸だけがUターンする形で鴉丸と巴の元へ戻った。

 何やら怪しいものを何処かで感じた名留羅が雨代の同行を危惧したのだ。

 戻るとざんばら髪を高い位置で縛った若者が一人、彼らの傍にいた。

「躯螺都だ。巴達の連れだよ」

と、ぶっきらぼうに彼は言った。

 千手丸と躯螺都は同郷だが互いに直接の知り合いではないので、改めて挨拶する事になった。


「千手丸……千手丸なのね?」

 彼の姿を見た巴がたたた、と駆け寄った。両腕が無くてもくノ一の端くれ、危なげな所は微塵も見せなかった。

 彼らの、そして沙衛門達のいた村では同族結婚、近親結婚の末に生まれた者がほとんどであったので五体満足な者が少ないのだ。

 そして何の区別される事も無く忍法修行に明け暮れる。体が持たずに死ねばあざ笑われるだけであった。

……全ては、伊賀は甲賀を、甲賀は伊賀を一族血の海に沈める為。ただそれだけの為に血を掛け合わせ、今まで生まれなかった者達を生み出し、術を編み出す。


 千手丸、巴、るい、沙衛門、雨代、その他の者達。彼らは総じてその犠牲者であったと言えよう。


 話が逸れた。

「場を外すから二人で話して来い」

と、酒場へ消える名留羅達三人に、

『後で行くから』

と、店の名を聞き、千手丸は、巴をためらう事無く抱きしめた。その髪に何度も頬擦りする。

 彼のふくよかな胸に頬を寄せた巴の閉じた瞳から喜びの涙が流れる。

「千手丸は女だったの?」

 日頃はあまり意識していないそれについて違和感を覚えたのか、問いかけて来る巴。千手丸は苦笑して告げた。

「ああ、これか。

 大人になってから分かったんだが、俺はどちらにも意のままに姿を変えられるらしいよ。

 生まれ持った忍法のひとつかもな」

「私に両腕がないのと同じ?」

「広く言えばそうかもしれない。

……あの混乱の中で、巴は死んでしまったものとばかり思っていた。あの時、助けられなくて済まなかった」

「こうしてまた会えたんだもの、大丈夫。

 私に手があれば撫でてあげられたんだけれど……悔しいね」

「気持ちだけもらっておくよ。お互いに身体の事は伏せておくとしようか。俺達が悪い訳ではないし」

「……千手丸、お姉様は?」

 千手丸の胸中に亡くした姉の面影と、新たに出会ったお時の面影が浮かび、複雑なものが生じた。

「……死んだよ」

「そう……」

「今いる仲間に助けてもらったから俺はここにいる。でなきゃ慰みものにされて死んでた」

「千手丸、ではあなたのお仲間は命の恩人なのね? 後でお礼を言わなければ」

「……お前は昔のままだなあ」

 懐かしそうに千手丸は自分を見上げる巴の顔を見て言った。

「本当?」

「ああ、何処も変わらないよ。でも、綺麗になった」

 彼は少し照れくさそうな苦笑いを浮かべつつ、彼女の目を見てそう告げた。巴の頬が桃色に染まり、白黒反転の瞳が彼を見返す。

「本当に?」

「ああ、一寸見では多分分からなかった。それに俺がお前に嘘をついた事があったか?」

 巴の胸に幼い頃の千手丸の姿が浮かんで来た。修行の合間を縫って、何時も彼女に手を貸し、山々を共に駆け回って遊んでいた頃の彼の姿が。

「……千手丸……」

 巴はもう一度彼の胸に顔を埋めた。


 夜。

 少し歩こう、という巴の誘いに応じ、二人で来た川原。

「今の連中とはどうやって知り合ったんだ?」

と、千手丸が巴に訊ねた。

「私もあなたと同じ様なもの。殺されかけていたのを躯螺都が助けてくれたの。

 で、生き残った者同士で村を離れたのです」

「そうか。

……お互い苦労したなあ」

 巴がそれを聞いて苦笑した。

「千手丸ったら一気に歳を取ったみたい」

「ええ? ひどいなあ。こいつめ」

「きゃっ」

 ふざけながらも巴を抱きすくめる千手丸。怖がるふりをしながらくすくすと笑い、それに身を任せる巴。

 この時の二人は、まさに青春の盛りを謳歌していた。


 そして、この時千手丸は、目の前のこの娘が自分の能力に目を付けてひたすら追跡して来た者達の一人である事をまだ知らなかった。

 その中に自分が目を合わせただけで震え上がるかつての天敵が含まれている事を知らなかった。




……そして。

 一体誰が、後にこの微笑みを交わす二人が、不本意ながらも互いの命を取り合う血みどろの死闘に身を投じる事になると推測できただろうか。




 酒場。

 躯螺都と鴉丸は名留羅と向かい合わせになる形で座っていた。他の客は数人の浪人者と見られる男達だけだ。

 お猪口に注いだ酒をくい、と躯螺都が飲み干し、憂鬱そうにうめいた。

「あーあ、ちきしょー」

「そううめくな、躯螺都」

 鴉丸が苦笑した。

「どういう事だい?」

と名留羅が訊ねると、躯螺都が口を開いた。

「名留羅って言ったっけ、あんた」

「ああ」

「あの千手丸って奴、どういう奴なんだ?」

「どうって……奴が小さい頃に俺の仲間が命を救った連れさ。

 性格は至って真面目だね。泣きもすれば笑いもするし、物も食えば起きて寝るからな。

 俺に言わせればあまりにもすれてなくて先行きがやや不安かな」

「巴の好いた男を悪く言いたかないが……ううっ」

 躯螺都は台に突っ伏した。

「おいおい」

 鴉丸が苦笑しながらその背をぽんぽんと叩く。

「惚れてるんだな?あの娘に」

「悪いかよう」

 躯螺都が顎を台に載せ、上目遣いで名留羅を見た。

「いや、

『若いっていいな』

と思ったのさ」

「あんたも見た所そんなに変わらないじゃないか。幾つだ?」

「三十路はとっくに過ぎたかな。ヤッパ振ってると時間が過ぎるのが早えや」

「俺にはまだ分からない。今生きているのが不思議なくらいだしな」

 名留羅は頬杖をついた。

「一寸昔の事を思い出してな」

「昔?」

「惚れた女がいたんだな?」

「ああ、いたよ。

 死んだ。殺されちまった」

「殺した奴はやったんだろうな?」

 血気盛んな躯螺都は訊ねた。

「ああ、叩き斬ってやったよ。

 兄貴だったけどな。腹の虫が納まらなかった。

……好きなら言える内に言っておきな。俺に言えるのはそれだけだ。

……あーあ、何でこんな話したんだろう……」

 名留羅も台に突っ伏そうとしたその時。

「酒飲みか」

と声がかかった。

 そこにいたのは彼らの仲間である、地に付くほどの前髪を肩から後ろに流している着流しの男、苦悶であった。


「遅いから迎えついでにそこらを一軒一軒覗きながら来た。お主、何者だ?」

 苦悶は細目を名留羅に向けて訊ねた。彼が答える前に、鴉丸が

「この男は千手丸の仲間だ」

と答えた。

 その途端、苦悶の細目が一瞬だけぎろりと開かれた。光を受けて輝く三白眼を見て、

(何という狂気に満ちた光だろう)

と思った名留羅の背筋に冷たいものが走った。

「話は済んだのか?鴉丸」

「いや。今日は巴を千手丸に会わせるだけで良かろう」

「のんきな奴め……まあ良いわ。

 ところでお主、その腰の物、飾りではあるまいなあ?」

「……これかい?」

と名留羅が自分の腰の片手剣に視線を落とした瞬間、彼は反射的に腰を落とした。

 きゅん、しゅずかかかっ!!

 聞き慣れた沙衛門の銀線・霧雨のそれに似た音を耳にした名留羅はそのまま後ろに転がって膝をつき、それでもまだ抜刀しないでいる彼は自分達の座っていた席が椅子や机の脚の一本一本に至るまで寸断され、散らばるのを見た。

 仕切りの格子戸が、天井が、避け損ねた何人かの浪人者がバラバラに切り裂かれるのを名留羅は見た。

 そしてその向こうに刀を鞘に納める苦悶を、長い前髪がばさ、と輝きながら垂れ下がる苦悶を見た。


……その髪が垂れ下がる時に少し触れた木片が、まるで刃を当てた豆腐の様に易々と寸断されるのをも。


 苦悶の後ろに何時の間にか下がっている躯螺都と鴉丸を見て、名留羅は怪訝な目を向けた。酔いはとうに醒めている。

「どういうこった」

「ふむ、出来る様ではあるな」

「名留羅、済まなかった。こいつの髪は危なくて俺達も手を焼いておる。

 苦悶、そこまでだ。まとまる話もまとまらなくなる」

 鴉丸が止めに入った。しかし苦悶はずい、と一歩名留羅に向かって歩み出た。

「お主に興味が湧いた。是非立ち合いたい」

「やめようぜ。刀って奴ぁ抜きてえ時に抜けなくて抜きたくない時にはするっと抜けやがるんだ。

……分かるだろう?」

「……ふ。やはり飾りか」

 あざ笑う苦悶に、仰る通りでと返す名留羅。止めに入る鴉丸。

「もういいだろう。名留羅、済まなかった。これは詫び賃だ。受け取ってくれ」

 鴉丸が懐から小さな包みを差し出した。

「いいさ、気にすんなって」

「いや、頼む。受け取ってくれ」

「律儀だなあ。早死にしちまうぜ?」

 一礼してそれを受け取り、じゃあな、と背を向けた彼に鴉丸がそっと

「後でその包みの中を見てくれ」

と告げた。

 その瞬間、名留羅の後頭部を、頭を後ろにくい、と振った苦悶の長髪が下から薙いだが、既に前に転がっていた名留羅が瞬時に椅子を掴み、正確に苦悶の顔面目掛けて放った。それに絡み付いた苦悶の髪が寸断しようとする刹那、その椅子の座る部分の板を貫いて、名留羅の片手剣の刃が苦悶の鼻筋目掛け迫った。苦悶は椅子を寸断しながらかがんで抜刀し、横に一閃する。

 名留羅の足をなます切りにしたと思った瞬間、上から名留羅が逆手に握った片手剣を突き立てるべく落ちて来たのを、苦悶は後ろに転がり、かわしながら長髪を上に目掛けて薙いだが、その時何と、まだ宙に浮いていた木片を名留羅は足場にしてとんぼを切り、髪の攻撃をかわした。

 きゅぞば!!という音がしたが何の音だろう。

 着地するかしないかの内にだん、と地を蹴って相手を睨み付けながら這う様な低い姿勢で刺突の構えで名留羅の刃が苦悶に迫る。その二人の間にびょう、と風を切って妙な造りの斧が突き出された。

……鴉丸であった。

「そこまでだ! もうやめろ、苦悶!!」

「……」

 二人は飛び退いて距離を取り、無言でそれぞれ刀を鞘に収めた。

「名前を聞いておこうか」

「苦悶」

 名留羅の問いかけに苦悶が答えた。

「俺は名留羅真夜。おっかねえ旦那だ。あんたとはなるべくやり合いたくねえな。

……巴さんを探してここに送りに来る」

 けろっとした顔で名留羅は今度こそ店を出て行った。


 その時、苦悶の長髪が丁度途中からばさ、と音を立て断ち切られ、地面にばら撒かれた。

「……恐ろしい奴よ」

 苦悶が汗を浮かべているのは珍しい事なので、それを見た躯螺都と鴉丸は目を丸くした。

「恐らく先ほど木切れを足場にとんぼを切った時、後ろ殴りに剣を振るい、断ち切ったのだ。

 奴の太刀筋、俺にも見えなかった。やはり奴とは一度立ち合わねばならぬ……」


 川原へ向かいながら一人行く名留羅。月明かりに照らしながら、名留羅は包みの中を読んでいた。

「二日に一度、ここの親父にことづてを頼んでおく。聞きに来て欲しい。俺達は大事な話をお前達としなければならぬ。

 鴉丸」

と、そこにはあった。

 それを懐へしまうと彼は立ち止まり、腰の片手剣の柄に手を載せ、眉間にしわを寄せながら呟いた。

「面倒な事になりそうだぜ、みんな……」

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