憧憬(どうけい)

 娘の家は寂れかけた宿場街の外れにあるにしては随分と立派に見えた。

「どうぞお上がり下さいまし」

 通された先にいたのは、今回助けた娘・お夕の姉・お時であった。彼女は丁寧に挨拶すると、にっこりと微笑んだ。

「妹を助けて頂いたそうで、本当にありがとうございます。この家は私と妹の二人暮し。幾らでもお泊りになられて結構ですよ」


 彼女達は今は亡き村長の娘だとかで、親の遺した財産を少しずつ使って生活しているのだという。

キリスト教の教えを広めたのも彼女達の父親だとの事であった。

 お時とお夕の微笑する様子を見て、名留羅は照れくさそうに頭をぽりぽりとかき、沙衛門は快活に笑い、雨代は雨代で人懐っこそうな笑みを浮かべた。

 そしてお時を見た千手丸は……硬直していた。



「なあ、様子が変だぜ、千手丸。お時さんを見てから、お前と来たらずっと上の空じゃねえか。

 一目ぼれでもしたのか?」

 先ほど千手丸は

『一寸見回りでもして来る』

と家を出て、それを見た名留羅が一緒に付いて来ている。腕組みをしたまま考え込む千手丸にさっきからずっと間隔を置いて訊ねているのだ。見回りもへったくれもない。ずっと地面を見て真っ直ぐに歩いて行く。

 その千手丸の腰帯を今は片手剣のみを腰にぶち込んでいる名留羅が掴んで引っ張った。我に返る千手丸が振り返って

「ああっ、もう何さ」

と少々苛立たしげに言った。

「方向転換。このまま真っ直ぐ行ったら村を出ちまうぜ?」

 そう言われて辺りを見回すと、なるほど、村の外れまで来ていた。目の前に緩やかな砂利道の坂があり、その先は街道になっているらしいが、中途半端に生えた木々が屋根になり、壁になり、視界を遮っていた。

「名留羅、ごめん」

「いいって。そこに切り株があらあ。座って話そうや」

 二人はそれぞれ腰掛けると顔を見合わせた。千手丸はため息をつき、両手で顔を覆った。

 名留羅は頬杖をついて何時もの調子で訊ねる。

「さてと、それじゃあ兄ちゃんの質問に答えてもらおうか?」

「うん……名留羅。いや、兄ちゃん」

「ん?」

「俺はまだ会った事がないけれど、

『この世の中にはそっくりな人間が三人はいる』

って前に言ってたよな」

「ああ、まあ滅多に見ねえけどな」

「……俺はお時さんに会ってびっくりしたよ」

「誰かに似てたのか?」

「……死んだ姉様にそっくりなんだ」

「おーやおや」

 頭の後ろで手を組み、名留羅は片方の眉を一寸上げた。

「本当だぞ?」

「いや、なあに、別に疑っている訳じゃあねえ。

『世の中面白く出来ていやがるなあ』

と思ったのさ」

「面白く?」

 千手丸は怪訝な顔をした。

「だってお前と出会ってから色々な目に遭っているが、退屈した事は覚えている限り一度もねえ。

『生きてるなあ』

って実感する事ばかりさ。良くも悪くもな」

「そうか……」

「からかっている訳じゃねえから勘違いしねえでくんなよ?

『お前と一緒に来て良かったな』

と思っているんだから」

 嬉しいのか、泣きそうな顔になる千手丸の手を取り、名留羅は揺すりながら言った。

「で、お前はどうしたい?」

「……あのさ」

「ん?」

「確か伴天連の教えはご法度だったよな」

「ああ。太閤秀吉のする事は訳が分からねえ。まあ、昔からだけどな。

『成り上がる事しか考えてねえんじゃねえか』

ってもっぱらの噂だぜ」

「美しい女ばかり集めているって話も本当らしいな」

「別嬪ばかりはべらせてるようだなあ」

「……腹が立つんだけど」

「俺もだ。そもそも『女』ってのはとっかえひっかえで扱うもんじゃねえんだよ。

 もっと何つーか、こう、猫を抱く様に……」

 難しい顔をして、身振り手振りを交えて説明しようとする名留羅をちらりと見て、

(あ、長くなりそう)

と思った千手丸は無情に続けた。

「守ってあげられないかな、あの姉妹」

「……お前、時々冷たいなー……」

「だって兄ちゃん猥談になると長いんだもん」

「『猥談』

とは何だよ、

『猥談』

とは。俺は美しいものを愛でたくて、それを説明しようと」

「それはまたいずれ」

「……親離れだな。お前もついに自立か。

 辛くとも優しく見送らないといけないんだなあ。今日は泣けて眠れそうにないかも」

 名留羅は袖で涙を拭うそぶりを見せた。

「名留羅……」

「何だ? いけずな千手丸」

「……。

あのねえ……俺が名留羅の事を嫌っていると思うのかい?」

「……千手丸」

「なあに?」

「俺は色々な世間の荒波に揉まれまくったせいで随分臆病になっちまってな。早い話、言葉だけじゃ信用出来ないんだよ……」

 またも袖で涙を拭うふりをする名留羅。それを見て千手丸は困った様なため息をついた。

「それじゃあどうすればいいんだよう……」

「沙衛門さんや雨代はお前が寂しそうな顔をしている時、どういう風にしてくれる?」

「……あ、何となく分かった」

「それを兄ちゃんはして欲しいな」

「……ふう。本当に名留羅はつけ込むのが上手いよなー……」

 そう言いながら千手丸は立ち上がると、ひとつ息をついて目を閉じた。

……ややあって、股にあった

『今は邪魔なもの』

が無くなったのを確認すると、彼の頭をふくよかな胸に抱いた。

 名留羅は満足げな微笑を浮かべながら顔を埋め、千手丸の腰を抱いた。

「こうしている時の兄ちゃんは子供みたいだ」

 そう言いながらも千手丸は優しい微笑を浮かべて彼の頭をそっと撫で続けた。

「大人だって甘えたい時があるさ。でなきゃあ辛くって生きて行けねえ……ああ、いい匂い。

……なあ、今日は一緒に寝ような、千手丸」

「雨代姉ちゃんが不機嫌になると思うけど俺は知らないからそのつもりで」

「それはちょいと考え物だな」

 千手丸と名留羅は月の光に照らされながら、しばらくそこで動かなかった……。




 翌日。同じ村の外れにある一膳飯屋。そこに明らかに雰囲気の違う一団が、一番隅の、全体を見渡せる席で飯にありついていた。

 七つのその影のほとんどが特徴的な格好をしていた。女が三人いるが、いずれもこの村ではあまり見ない様な、他の土地の香りを漂わせた美女であった。

 羽織を着ている女の瞳は猫の様に輝いており、髪は銀髪だ。

 逆毛の男は普段は覆面をしているらしく今はそれを顎の下まで引き下げて飯を食っている。

 地に付くほどの長い前髪を肩口から後ろに流してお茶をすすっている着流しの男は、笑顔を浮かべている様に見えてその実、細目で何かを伺っている。

 先ほどの女とは別の、白髪の女はすねた様にそっぽを向いて頬杖をつき、物思いに耽っている。

 長い髪を真ん中で分けてはいるものの、眼の辺りが隠れている巨漢の男は椀に盛られた味噌汁に舌を漬けているだけで箸を動かそうとしない。

 残りの二人の男女は特に変わった所は見られない。


 ざんばらの髪を高い位置で縛っているが、まとめきれていない男が美しい黒髪を長めのおかっぱにした娘に食事を与えていた。

 良く見れば娘の着物の本来腕があるべき場所には膨らみが無かった。

「美味しいか? 巴」

 ざんばら頭の男が聞いた。男の名前は躯螺都くらつという。

 肩の所で袖を引き裂いた黒の着物の胸を筋肉質な胸板が押し上げている。黒く日焼けしたその身体は野生の活力がみなぎっている様に見えた。

 整ってはいるが、普段は余り笑う事がなさそうな容貌が今、娘に微笑みかけている様子からも見て取れる。

「美味しいわ、躯螺都。何時もごめんなさい……」

「好きでやっているんだ。気にするな。さあ」

 その時、次の一口を与えようとした躯螺都と巴という娘との間に、これまたむさ苦しい酔っ払いが割り込んだ。腰のものがある所から一応は侍である様だ。かなり廻っている。

 酒臭い息を吐き散らしながら、ぞんざいな態度で、怪訝そうな顔をする巴の顎に手をかけた。

「この宿場では見ない顔だな。

……目が悪いのか?」

 巴の白黒反転の瞳が男の興味をそそった様だ。

「おやめ下さい」

「御仁」

と声をかけた躯螺都の存在を無視し、周りに座っている彼らの仲間には目もくれず、巴にだけ男は話しかけた。

「しかし吸い付きたくなる様な色っぽいおなごじゃ。可愛がってやるから一緒に来い」

「お願いですからおやめ下さい」

 懇願する巴の肩を強引に抱き寄せようとした男は、巴の両腕が肩の所から存在しない事にその時気が付いた。

「この娘、両腕が綺麗にないぞ? これはたまげた」

 大きな声を上げておどける男。たちまち好奇の視線が巴に集中する。

 辛そうにうつむく彼女の表情を見て、躯螺都の目に凶暴な光が宿った。

「……こら、くされ侍」

 刹那、後ろ殴りに鞘に収まったままの刀が躯螺都の右目目掛けて突き出されたが、横から叩けばただの板、躯螺都の裏拳に軽くいなされた。

「何をする」

「はん、

『何をする』

ってのはこっちの台詞だ。人の連れに恥をかかせるのが侍か!

 頭に来たぜ。表に出やがれ、二本差し」

「躯螺都」

 心配そうな巴の肩の辺りに手を置いて、躯螺都は微笑した。

「すぐに戻る。鴉丸、巴に飯を食わせてやってくれ」

 そう言うと彼は悪態をつく男と、のれんをくぐり、外に出て行った。


 何人かの客が、どんぶりやらお椀やらを手に、入り口へ野次馬根性むき出しで歩いて行く。躯螺都に声をかけられた鴉丸と言うらしい逆毛の男はもう食べ終わったものと見え、躯螺都のいた席に移ると、心配そうな視線を入り口に飛ばす巴に

「躯螺都の事は大丈夫だ。それより飯をちゃんと食わんといかんぞ?」

と、微笑して声をかけた。


 砂埃が舞う宿場街の通りに躯螺都と男は十歩ほどの距離を置いて対峙していた。

「聞くだけ聞いてやらあ。俺は躯螺都。名を名乗れ」

桐川きりかわ次兵衛じへえ

……躯螺都か。何躯螺都だ?」

 男の酔いは醒めている様子であった。

「何もねえ。只の躯螺都だ。……始めようか」

「良かろう」

 男は抜刀しながら強靭な踏み込みで斬り込んで来た。

「えやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 白刃が逆袈裟に空を切り、躯螺都を断ち切るべく迫る。躯螺都は不敵な笑みを一瞬浮かべると、再び険しい顔で懐から一個の黒い毛玉のような物を出し、握り込んだまま親指と人差し指の側を相手の顔に向け、今で言うピンポン玉を飛ばす要領で更に少し強めに握り込んだ。

「それで殺り合うつもりか!」

 男が叫んだその刹那、きゅずぐしゃっ、という空気を切り裂く音と相手の頭が砕け散る音が同時にし、躯螺都の脇をすれ違う様にして顎から上を失った身体が砂けぶりを上げてつんのめり、倒れて行った。


 今、躯螺都の使った毛玉は特製の鉄ビシであった。彼はそれを握り込み、一種の『砲弾』として射出するのであった。

 秒速100キロオーバーで打ち出されるそれは表面の温度を上昇させつつ飛んで行き、相手を貫くその瞬間に毛に見えるスパイクが一斉に外を向くのだ。


……躯螺都は風に吹かれながら、振り返りもせず、何時の間にか傍にいるざんばら髪を適当に縛った巨漢に告げた。

「屍鬼藤、お前の舌はこんな奴でも食うのか?」

「食う」

 食事中には真ん中に分けたまま味噌汁に舌を漬け、とうとう縛らなかった様だ。屍鬼藤と呼ばれた男は死骸の脚を無造作に引っ掴むと、それを引きずりながら林の奥へ消えて行った。




 村の者達の話し声に、袖を捲り上げて薪を割っていた千手丸は顔を上げた。

「何かあったのかい?」

 家の中で繕いものをしているお時とお夕の事を少し考えてから、問題に頭を戻し、怪訝そうな顔をしている千手丸に、井戸から水を汲んでいた沙衛門が額の汗を拭いながら答えた。先ほど彼は村の事情通の文吉という中年のすばしっこそうな男から話を聞いていたのだ。

「少し歩いた所に旅篭の集まっている所があったろう」

「ああ」

「あそこで小競り合いがあった様だ」

「物騒な話だなあ」

「それがな」

 沙衛門は濡れ手拭で汗を綺麗に拭いながらふう、と息をついた。

「片方は侍だった様だが、もう片方は旅の無法者の様だったという話だ」

「じゃあ、喧嘩かな?」

「侍の方は頭が破裂したとさ」

「何だ、そりゃあ」

「無法者が拳を相手にこう向けたら」

 沙衛門は千手丸の方に握った拳の親指と人差し指の側を向けて見せた。

「大砲を撃つような音がして侍の頭が弾け飛んだとよ。

……どうした、千手丸」

 何かを思い出そうとしているような千手丸の顔を見て、沙衛門は訊ねた。

「……俺のいた村にそういうやり方を得意にしている奴がいたな、と思ってさ」

「伊賀者かな?」

「他の村の奴は簡単に踏み込めない土地だから当然そうさ」

「服部半蔵殿のお膝元だものな」

 あの時はああいう状態だったから自分は踏み込めたのだ、と沙衛門は苦笑した。通常なら甲賀者である自分が踏み込んで生きて帰れる保証はゼロだ。

「で、そいつの話。俺とあまり歳は違わないはずだけど、暴れん坊だったって話だ。

『猪を殴り倒して泡を吹かせた』

とかそんな話ばかりだよ。

 別に友達だった訳ではないからよくは知らないけれど、親がない奴で小さい頃はいじめられていたって。自分が強くなるしかなかったから、結局暴れん坊になっちまったって聞いたっけな」


 忍びの里ではそんな話は珍しくない。厳しい修行と生きて帰れる見込みのない秘命のどちらかに身を置く暮らし。

 子の小さい内に親が死に、親の若い内に子が死ぬ。

 お頭がその場で

『腹を切れ』

と言えば切らねばならぬ、そんな暮らし。

 幸いにして沙衛門はその様な憂き目に遭った事はなかったが、従者のるいにお頭から

『身を捧げよ』

とのお達しが来た時にはどうしても耐えきれず、手に手を取って村を出た。

 抜け忍として追われ続けて得たものはるいの死だけであったのを思い出し、彼は悲しげな目をした。


 るいに瓜二つの顔をした千手丸が横にいる事に違和感を感じながら。


「名前は覚えているか?」

「名前が変わっていなければ……躯螺都」

「……ふむ、覚えておこう」

「ところで名留羅と雨代は? まだ帰って来ないの?」

「雨代はともかく名留羅が何処かで娘でも引っ掛けているのではないかな?」

「……だといいけど」

 妙な事にならなければいいが、と沙衛門は思った。


 塩と味噌を手に入れようと、名留羅と雨代は肩を並べて歩いている。名留羅は雨代と一緒でご満悦、雨代は何処か物憂げだ。不意に彼女が声をかけた。

「ねえ、名留羅さん」

「ん?」

「千手丸の姉上にお時さんが似ているって本当?」

「あいつがそう言っていたんだから本当さ」

「……そう。

でもあの子のお時さんを見る目は何か違うものを感じるな」

「あ、雨代もやっぱりそう思うか」

「だってどう見ても

『惚れた女を見る目』

じゃないの。頬を染めて、物陰でため息ついてるのよ?」

「普段は隠し事の出来ない奴だな、あいつ」

「……女の子を好きになった事がないのかしら、あの子」

「ほら、沙衛門さんに可愛がられているから。誰かに恋したのは初めてなのかもしれねえな」

「ああ、そういう事か……」

 つまらなそうな顔でぼそりと呟く雨代に名留羅は訊ねた。

「あ、もしかして雨代は千手丸の事が好きなのか?」

「……弟の様なものよ」

 そうは言ったが無理に言った様に名留羅には聞こえた。

「今の間は何だ?」

「名留羅さんに言われたくない。自分だって前はあれほど私に

『お前が好きだー』

って言っていたくせに今は千手丸にちょっかいだしまくりじゃないの。

 あの子言ってたわよ?

『名留羅って最近甘えん坊じゃないか?』

って。

……ねえ、何したのよ、千手丸に」

 雨代はじっとりとした目で名留羅を見た。うっ、とうめく名留羅。

「……いや、俺は何もしてませんよ?」

「丁寧な口調が怪しいのよ!」

 名留羅が雨代にほっぺをつねられて悲鳴を上げる。

……そこへ一人の男が声をかけた。

「仲良くしている所申し訳ない。旅の者とお見受けするが」

 二人はとりあえずの小競り合いを止め、男を見た。逆毛をつんつんに立てた男が覆面を下げ、一礼した。つられて二人も一礼する。

「俺の名は鴉丸肖座からすまる・しょうざ。旅の途中で俺の連れが探している者がこの村にいると伺ってな。

 手分けして探しているのだが、もしやお主達の仲間に十手千手丸という奴はいないか?」

「……あんたは何者だ?」

 名留羅の目が真剣なものになったのを見て、鴉丸は自分の後ろにいる旅装束の娘に

「巴、こっちへ」

と手招きした。

 雪の様に白いその娘の肌を見て名留羅は息を飲んだ。


 娘は懇願する様な眼差しで名留羅と雨代の顔を交互に見てから、深々と頭を下げ、こう告げた。

「お願いです! 千手丸が一緒にいるのでしたら会わせて下さい!!」

 名留羅と雨代は顔を見合わせた。

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