凶影(きょうえい)

……そこかしこに岩の突き出た荒野。

 人骨と死体があちこちに転がり、ひどい臭いのしているその場所に、ぼろぼろの着物に甲冑を所々付けた一団が、それぞれの武器を手に一人の娘を取り囲んでいた。

 娘は震え上がったまま声も出せずに立ちすくんでいる。

 一人が下卑た笑いを浮かべ

「娘、俺達は戦の帰りで女の身体に飢えておる。か……可愛がってやろう……」

というと、強引に肩に担ぎ上げた。暴れる娘の尻を無遠慮にさすり、太ももに口付けをすると

「お頭、どう可愛がってやりましょうかね、この娘」

と振り返って、腕を伸ばす首領のひげ面の男に彼女を恐ろしい力で放った。

 難なく男は娘を受け止め、自分の膝の上に載せると

「お許し下さい」

と繰り返す娘の着物の胸元に手を押し込み、無遠慮に彼女の乳房を揉み始める。手綱から手を離し、恥辱に震え、舌を噛もうとした彼女の口に自分の太い指を二本押し込んだ。


 彼の帯の背中にぶち込んだ槍の穂先が血ですっかりなまくらになっている。早い所それを洗い流し綺麗にしたいと思っていた矢先に現れたこの娘はきっと戦で疲れた自分への天からの褒美だろう。

 馬は彼を振り落とす事もなく歩を進めている。

「士官の土産には丁度よい」

 男はもがく娘の頬を音を立てて吸った。


 岩影からそれを見つめる別の一団があった。それぞれが口々に囁いた。

「見慣れた奴らが歩いているぜ。変わり映えしねえなあ、あいつら」

「ああっ、あんなべっぴんさんに無遠慮にあんな真似を。勿体ねえ……もっと時間をかけて色々すれば自分色に染められるのになぁ……」

 その影はしみじみと呟いた。

「だからあの時俺が

『叩き潰しておこう』

と言ったのだ」

「そうだな。元々あの首領とは女の扱いの趣味が合わなかったんだ……」

「名留羅さんて綺麗な人を見かけるとすぐそういう話ばかりね」

 どうやらこの影は女であるらしい。

「だって雨代がつれないんだもん」

「お馬鹿! で、どうしましょうか、沙衛門様」

「むう、そうさな、お前達に聞こうか。どちらに付く?」

「女!」

 二つの影が声を揃えて言った。女の影がそれを聞いて呆れたようなため息を漏らした。


 自分の後ろから気配を感じ、ひげ面の男はそちらを仰いだ。黒衣の男が槍の穂先に立ち、不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下ろしているのを見て彼は仰天した。

「うぬは……鬼岳沙衛門か」

「久しぶりだな、頭。相も変わらず弱い者いじめか。士官がどうのと言っていたが、そういう所を突付かれるぞ?」

 自分達の周囲に全く人影など見えなかった。離れた所に幾つかの岩場が見えただけだ。

 何処から聞いていたのかと男の顔が青くなった。

「う、うるさいっ! 何の用だ」

「その娘を貰いに来た。お主らには勿体無いわ」

「はっ、ふざけるな。この娘は俺達のものだ」

 そう言って再び娘の乳房を揉もうとした首領の手首の関節がこくきり、と言う音と共に一瞬にして外された。

「うっ」

 自分の腕の中にいる娘の顔は乱れた黒髪の陰になり見えないが、明らかについ今まで座っていた者とは違った。胸元から覗く白い谷間に目を奪われていると後ろ殴りの肘鉄が彼の左目を潰した。

「ぎゃっ」

 左目を押さえながら見るとそこにはもう娘の姿はなく、後ろから再び沙衛門の声。

「戴いて行くぞ」

 そう言って微笑する彼の腕には何時の間にか娘が抱かれている。


 そして手下達の方からも声が上がった。そちらを振り返ると先程の娘が自分の着物をかなぐり捨てている所であった。

 その下から現れたのは裸体などではなく、紺の着物に身を包んだ見覚えのある後ろ姿。捻った長い布を前髪の上の所で鉢巻きの様に巡らせて後ろで縛っているせいで、髪が四方にとげの様に突き出しているのを男達は驚きの目で見守っている。

 そちらを見たままそいつは言った。

「女一人に束でかかるとは相変わらずで嬉しいぜ、首領」

「お前は……すると他の奴らもいるな……?」

 額に汗を滲ませたひげ面の男の喉から震えるような声が搾り出された。

「いつぞやの、宝剣をお主らから取り戻した時よりも楽だぞ、首領」

 沙衛門ののんきな声が彼の血を逆流させた。

「ええい、首領、首領とうるさいわ!」

「しかし首領は首領だろう、首領」

 突き出た髪を風に揺らしながらその者が手を伸ばした先には二本の黒光りする二鉤十手があった。首領は叫んだ。

「ええい、こやつらを血祭りに上げろ! 娘を取り返した者から抱かせてやる!!」

「……おもしれえ。そっちがその気なら受けて立つぜ……!」

 そう言って十手千手丸は二本の十手を自分の目の前で斜め十字に構えると、獰猛な微笑を浮かべた。



 あれから十年ほどの月日が流れていた。三人の男女のお陰で千手丸はたくましく成長した。

 沙衛門が彼を助ける直接の理由になったるいに瓜二つの顔は少し生意気そうな風貌になった。それでも沙衛門、名留羅、雨代を大事にする事に変わりはなく、この時代を生き抜いていた。


 しかし彼らと過ごしている内に千手丸は自分の身体の造りに妙なものを覚えた。千手丸が十二を過ぎる頃、雨代と温泉に浸かっていた時の事だ。

 彼女が千手丸と湯に浸かるのは本人が好きでそうしているからだったが、彼の体を見て首を傾げた。

「……千手丸、胸が随分と膨らんで来ていない?」

 千手丸は自分のそれを見て恥ずかしそうに頬を染めた。それだけではない。腰回りも豊かになり、女の線を描いて来ている。

 元々体毛はなく、後ろから見るとまるで娘の裸であった。しょんぼりしながら

「俺、おかしいのかな……」

と呟く彼を今度は雨代がなだめる始末だった。時々名留羅が

「顔立ちがるいさんにそっくりなのは会った時からだから知っているけど、なーんか女らしくなって行くよなあ、あいつ」

と、腕組みして考え込んでいる。沙衛門が二人からそれを聞いて、千手丸に頼み込み、三人で確認する事になった。


 夜のあばら家。もちろん廃墟だ。

 そこでろうそくに火を灯し、正座する三人。その真ん中で、恥ずかしそうに千手丸が声を上げた。

「何をするの……?」

 沙衛門が申し訳なさそうに言った。

「お前の身体を見せてもらいたいのだ。それと造りがどうなっているのか調べなければならん。お前が体調を崩した時の事なども気にかけておきたいからな」

 真顔でそれを聞きながら、名留羅は心の奥でこう思った。

(沙衛門さんの行動法則を知らないで話だけ聞いていると納得してしまいそうだ)

 彼は笑いを堪えるのにかなり苦労した。

 雨代は雨代で少し悲しげだが、ちゃんと期待に胸を膨らませている。元々豊かだったが。

 千手丸は沙衛門の方に手を伸ばした。それを優しく彼は握ってやり

「?」

と微笑しながら首を傾げた。

「痛くしないなら……いいよ」

と千手丸はうつむいて言った。

 沙衛門は切なくなり、彼を優しく抱きしめて

「そんな事するものか。それに痛かったらすぐに言ってくれ。痛くない様にするから」

と呟いた。


 両性具有の千手丸の身体のチェックは長い時間に及んだ。その間彼は、雨代の優しい手で、柔らかい唇で、たくましくも女らしい野生美を放つ身体で男の部分をいじり尽くされ、幾度かの休みを置きながらではあったが何度も精液をぶちまけた。

 名留羅や沙衛門による全身への愛撫で、聞いている方が切なくなるような声を上げ、床に這って育ち盛りの身体を一杯に伸ばし、切なげによじり、女の部分から蜜を滴らせた。


 その結果分かった事は、

『千手丸は自分の意思で己の身体を完全な男のものにも、女のものにも出来る』

という事だ。はっきり言えば千手丸はその身体を利用すれば十分食べて行ける。

 しかし、少年はあまりそちらの方に興味がなかった。彼にとっての人生における一番重要な事は

『皆と一緒に何処までも行く』

という事だったから。


 少年の口からそれを聞いた雨代はその健気さに心を打たれ、涙を流した。

 そして、ふと気が付くと二人きりになっていた時や、一緒に浸かる湯船の中で彼女は千手丸を抱きしめながら呟いた。

「あなたはもう一人ではないんだから。沙衛門様や、お姉ちゃん達がいつもついているからね?」

 時にはそう言って涙を流す雨代を見て、千手丸が今度は涙をこぼした。

「何で泣くの……?」

「あなたが優しい子だからよ……」

 雨代は頬擦りしながら涙を禁じ得なかった。訳が分からなくなりつつ、それでも何か彼女の悲しみみたいなものが伝わり、千手丸はしゃくりあげた。

「……それなら笑ってよ。泣いちゃ嫌だよ……」

 二人は時々そうやって抱きしめ合いながら泣くのだ。まるでその光景は仲のよい姉妹の様であった。



 千手丸の背後から二人が抜刀して斬りかかったが、肩口に振り上げた十手がそれを受け止めへし折ると、手元で十手を逆手に握り直した千手丸の腕が後ろ殴りに二人の頭部を襲った。片方のこめかみから反対側のこめかみまで砕かれ寸断され、脳漿をぶちまけ、二人はその場に崩れた。

 四方八方から突き出される槍、刀、この時代にはまだ珍しい銃剣の先が彼を襲ったが、反動無しでそのまま飛び上がり、空中でとんぼを切ると手近な一人の肩に飛び降りた。その男はそのせいで瞬時に両肩が外れ、脳天から股下まで出来の悪い彫像の様に十手で断ち割られた。


 沙衛門は槍の先から大きく連中の頭を飛び越え、着地した先にいた雨代に

「このお女中を頼む」

と言うが早いか、手元の角度をつい、と変えた。次の瞬間、後ろにいた千手丸を取り囲む十人ほどの連中が何時の間にか絡み付いていた銀線により切り刻まれ、その場に崩れ落ちた。

「畜生、てめえ!」

と残りの連中が娘をかばい薙刀を構える雨代とそれを背にした沙衛門に殺到したが、後数歩で刀の切っ先が届くと言う所で、横から無造作に振り下ろされた野太刀に頭の天辺から断ち切られ、前と後ろに分かれて地に伏した。

「俺のヤッパは切り身造る為にあるんじゃねえんだがなあ……」

と名留羅がしみじみとぼやいた。


 残るは首領だけ。彼は抜刀すると馬の背からひょう、と大きく跳躍し、沙衛門の脳天から斬り下げようとしたが、平手で横に弾かれ、刀が飛んで行った。

「ば、馬鹿な……」

 男は自分の掌を見ると、沙衛門と正面から向き合った。非常に面倒くさそうに黒衣の男は彼に言った。

「まだ気付かんか」

 そう言うが早いか、沙衛門が何時の間にか胸の所まで上げていた拳をくいっとひねった。

 その途端、男は甲冑はおろか全身の肉を切り刻まれて地に汚らしい音を立てて崩れ落ち、骨と内臓だけが無傷の首の下に残った。

「活け造りだな」

 千手丸が呟いた。男が何か言おうとした瞬間に残りの内臓がこれまた切り刻まれ、地面にぶちまけられた。

 沙衛門がそれを見て、ほんの少し申し訳なさそうに

「む、済まん。斬り過ぎた」

と言うと、首領はその時初めて血を吹きながら仰向けにカラカラと音を立て、倒れて行った……。




「本当にありがとうございました。旅のお方ですよね? お宿はお決まりなのですか?」

 盗賊集団から路銀を巻き上げた形になった沙衛門達がほくほくしていると、娘からそう声がかかった。四人はそれぞれ顔を見合わせたが、沙衛門が口を開いた。

「しかし俺達の様なのを招いてご迷惑では?」

「いえ、あなた達は命の恩人です。マリア様もきっと今の事は許して下さいましょう」

 そう言って彼女は胸元から黄金に輝く十字架のネックレスを取り出した。

……結局沙衛門達は目を丸くしながらも彼女の家に向かったのである。




 数刻遅れてその修羅場に七つの影がゆらりと立っていた。一人が屈み込み、死骸を調べていたが、不意に口を開いた。

「やはり鉄の棒で砕かれた跡の様じゃ」

「すると途中途中で聞いたこの道で間違いはねえんだな?」

「恐らくこちらに千手丸はいる」

 それぞれが意見を述べていると一人の女の声がした。

「ようやく我等も日の目を見れる……」

 それを聞いてそれぞれが感嘆の声を漏らしたり、ぼやいたりする中、女の傍らにいた影が心の奥で、こう呟いた。

(もうすぐ、もうすぐ会えるのね。

……待っていて、千手丸……)

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