第九動

 夕闇が迫っていた。深度五十メートル程度をひたすら進んでいたUSSビューセファラースは、米海軍の至近弾威嚇に耐えかね、浮上したまま四十数ノットに減速していた。

 クラスターガード強殻のあちこちに皹がはいっているが、致命的ではない。

 米軍も思い切った攻撃が出来ない。高速駆逐艦が前へ回りこんでも、平気でぶつかりすりぬけて行く。

 その発令所は非常警報が鳴り響き、あちこちで水漏れを起こしている。

 艦長大佐ロドニィはただ一人、潜望鏡わきの艦長椅子に深々と座り陶酔したように微笑んでいる。海軍士官の正装に略章をならべ、満足げである。彼の脳裏には甘美な声が響いている。

――さあ大佐もうあなたを妨げる者はないわ。つき進みなさい、栄光へむかって。

 あなたは実質的世界最高権力者、合衆国大統領の実の息子なのよ。

 つまりこの混沌とした世界の、正当な継承者なんだわ」

「そ、そうだ私は、偉大なる世界の王、合衆国大統領の実の子供だ。もう誰にも日陰者なんて言わせない。みていろ、私は私の権力と能力を示してやる」

――そうよ大佐。雑魚は無視して進むのよ。ただ栄光にむかって」

 最新原潜は、しだいに日本領海に近づきつつあった。


 ジャスト海上航空部隊のグレーに塗られた特殊機が降下して行く。目標は夕陽に照らされた米潜水艦である。

 頃合を見計らって、取り巻いている艦艇が一斉に攻撃をやめた。

 完全武装で軽量個人装甲パンツァーヘムトをまとった夢見は、開け放たれたスライドドアから見下ろして身震いした。

「あ、あんなところへその……降りるんですか?」

 こんな訓練など受けたことはない。航空整備兵見習出身なのだ。

 軽いとは言え五キロはある強化特殊アーマーをつけたまま海に落ちれば、泳ぎの苦手な彼女は溺れてしまう。

「抵抗はない。非常脱出用ハッチを爆破して侵入する!

 敵の精神波攻撃に気をつけろ」

 オーリャは頭にかすかな痛みを感じている。

「相当強いPSNで操られているようね。わたしたちだけで妨害は無理だわ。

 気の毒だけど、相手を始末しないと」

 過激な言葉に夢見と小夜が凍り付いた。そのとたん、機体に振動が走る。司令塔後方のミサイル発射筒群上部に着陸したのだ。突撃銃を構え、来島三尉が叫ぶ。

「急げっ! 潜航されたらおしまいだ」

 文民のオーリャにだけは武器がない。しかしこの場合、銃など意味はなかった。

 四人は荒波と強風に足をとられそうになりながらも、なんとか発射甲板に降りたつ。すぐに多目的垂直離発着機は飛び上がった。

 来島は部下に伏せるよう命じ、非常脱出用上部ハッチに煙草箱大の爆薬をしかけた。ハッチのロック部が吹き飛ぶと、二尉は自慢の怪力でハッチをこじ開けたのである。

「突入っ!」

 と言うが早いか、来島は喜びいさんで飛び込んだ。夢見は幾分不愉快になった。

「ほんとに楽しそうね、戦う時」

「戦うために生まれてきたような人だから」

 小夜も重い腰をあげた。

「私までひっばりだされて。児童福祉法違反だけど、これも特別手当のためよ」

 オーリャが続いてハッチに飛び込んだ。


 米海軍特殊部隊の無線指示により、四人は魚雷発射室後部の緊急待避区画にたどりつき、十数人の乗員を解放した。

 乗員達はただちに発令所に攻めこむことを主張したが、太平洋艦隊司令官の直接通信命令によってしぶしぶ脱出することになった。米海軍のヘリが甲板から乗組員を回収していった。

抵抗は全くなかった。コントロールされているのは艦長一人であり、「敵」は乗り込んでいないらしい。オーリャは遠方からの精神派コントロールを感じていた。

「発令所は完全封鎖状態だね」

 来島はありとあらゆる操作を行ったが、発令所へ通じるハッチはあかない。いよいよ艦長の心理に介入するしかない。

 防水ハッチの前で、オーリャは中を透視しようとする。額に脂汗が滲む。

「だめね。発令所自体が電子的隔絶されている上に、敵の干渉精神派が強すぎる」

 オーリャは、物憂げな瞳を見つめた。

「でも夢見。あなたになら出来るかもね!」

「私が?」

「あなた日本最大、ひょっとするとアジア一の特殊超常能力の持ち主のはずよ」

「そ、そんなこと…………」

「私がトンネルの中から出した精神の叫びを確実に感じたのは、あなただけ」

 来島も言う。

「命令だ、大神三曹。躊躇している暇はない」

 夢見は三人の視線に刺されながら、静かに目を閉じた。無論艦長に会ったことなどない。潜水艦の内部にいる白人男性を想像した。しだいに大佐の心にアクセスして行く。怒りと混沌。それに強烈な影が感じられる。

「これは? 悲しみ?」

 ロドニィ大佐の精神は栄光と苦悩、恍惚と悲しみが渾然一体となっている。すでに「正気」も「理性」も侵されてしまっていた。

 強力なPSNの過干渉によって、正常な精神が破壊されていたのだ。

 夢見は、大佐の心の奥底に、ある巨大な「存在」を見つけた。それは夢見にも見覚えのある初老の白人男性である。毅然とした態度と、整った顔立ち。

 人物は、大佐の愛情と憎しみと憧れを受け、確かな存在感を放っている。恐らくは大佐が現在まで育って来た人生そのものに、その存在が大きく影響しているに違いない。夢見はそのことを実感していた。

 ついに彼女は、まちがいなく父親であろう初老の男性の顔を思い出した。

「あっ?」

 小さな悲鳴と共に夢見は目をあけた。胸が高鳴る。部隊長が問う。

「どうした? 敵のポテスタースか」

「あの、その……違います。あれは、あの人物は」

 夢見はヘルメット右側のスイッチを押して、東京の小林御光一佐を呼び出した。

「はあい、どう? うまくいってる?」

「艦長は父親の幻影に支配されてます。

 敵は彼の強烈なトラウマを活性化させることによって、常態を破壊したんです」

「へえ。中々専門的なこと言うわね。

 私も一度、人の心をのぞいてみたいわ」

「………あの、小林一佐、発令所占拠している艦長って、アメリカ大統領のなんですか?」

「さすがいいカンね。ロドニィ大佐はね、サリヴァン大統領がまだ情報スタッフだった頃、議員秘書に産ませた実の子供だそうよ。

 サリヴァンもなかなかやるわねぇ」

 夢見も小夜も、そしてオーリャすら仰天した。あらかじめ聞いていたのか、来島は厳しい顔のままだった。

 サリヴァンがまだ情報局員として議会関連の仕事をしていた頃、某議員の秘書兼愛人である美女といい関係になってしまった。

 そして彼女を妊娠させてしまったのである。

 そんなことが発覚すれば若きサリヴァンに未来はない。その有力議員の子供と言うことで、ジュリア・ロドニィ秘書もおし通した。

 後にサリヴァン自身が上院議員となるにおよんで、息子を密かに認知したのだと言う。無論このことは合衆国の国家中枢付近ではタブーとなっているが、それがゆえにロドニィは海軍内部で異例の出世をとげた。

 しかし所詮は日陰者である。自分の父親が出世するに従い、複雑な性格に影を落とした。

 周囲もどこか腫れ物にさわるように扱う。そして背後でなにごとかをささやきあう。元々陽気な人物ではなかったが、ますます頑なにそして人嫌いになった。

「相手も相当したたかね。まるで古狐みたいに弱い心にとりついて」

 相変わらず小林は、芸能界の噂話でもするかのように語る。

「じ、じゃあ、原潜乗っ取ってるのはっ!」

「紛れもない、合衆国現職大統領の息子さんよ。だからアメリカさんも正面きって手が出せないのよ。夢見ちゃん、なんとか正気に戻せないの」

「だめです! ポテスタースで操られているならともかく、もう大佐は正常な意識が破壊されています。

 精神の呼び掛けにも一切答えず、ひたすら自分の歪んだ夢想の中で。

 もしも救出したとしても、一生回復しないでしょう。もちろん名誉も階級も」

 来島が口を挟んだ。

「課長! どうします。このままでは四十分ほどで、横須賀湾に侵入します!」

「首相がやっちゃっていいか、って問い合わせているからもう少しまっててね」

 夢見は瞳孔を見開いた。

「何をですか?」

「…………セイル部と耐圧船体の接合部ね、案外もろいものなの。

 三尉の指示で、破壊箇所を探しておいてね」

「あの……その、破壊っ?」

「そう。クラスターガード耐圧船体の一部を破壊して、発令所に海水を流入させるわ。それで原子炉は非常回路によって緊急停止。

 四人で力あわせればなんでもないわよ」

 夢見は切れ長の目を見開いて部隊長を見つめた。女武人は厳しい表情のまま、堅く閉ざされた防水ハッチを見ている。


 永田町首相官邸では、白瀬首相と官房長官、上田国防大臣と英語の達者な秘書官だけが深刻な表情で集まっていた。

 白瀬が持つ特殊専用テレヴァイザー電話の相手は、トーマス・タウンゼント・サリヴァン・ジュニア、アメリカ合衆国大統領その人だった。

 六十数歳になる大統領は、ホワイトハウス執務室にたった一人でいる。白瀬のあまりうまくもない英語でも、話は通じる。しかし映像は切られ、音声のみだった。

 だれにも自分の苦悩の表情を見せたくはなかった。

「閣下、ご決断を。時間がありません」

 帝都大出身の日本国最高統治者は、焦りつつあった。やがて大統領は、目を赤く腫らして静かに答えた。ハーバートなまりが残る。

「シラセ閣下、こうなれば仕方ありません。

 ………義務を、日本の為政者としての義務を……果たしてください」

 白瀬にもその程度の英語は判った。

「大統領閣下。本当に、よろしいのでしょうか」

「………私は合衆国大統領です。友好国の利益と私的感情を天秤にかけたりはしません。………よろしくお願いします」

「かしこまりました」

 元官僚は沈痛な面持ちで電話をきり、度のきつい眼鏡を指で押し上げた。向かいに座る肥満ぎみの国防大臣は、細い目で宰相を見つめ、聞いた。

「では首相」

「情報統監部スガル部隊に命じたまえ。ビューセファラースを沈めろ、と」

 上田は傍らにあった電話をとった。相手は服部球磨邦統合軍令本部総長だった。

 命令は石動情報統監部長を通じ、三分以内に情報第十一課長に達した。無線の受話器をとり、小林は今度こそ微笑まずに命令した。

「部隊長来島三尉に命令。ただちにビューセファラースの司令塔下部に亀裂をつくり、海水の侵入を確認次第脱出しなさい」

 それだけだった。来島は平然と命じる。

「指示したパイプの下を破壊する」

 雑嚢から取り出した薄い雑誌大の情報端末画面に、たちまち軍事機密たる原潜の設計図があらわれた。夢見は青ざめている。

「あの、でも隊長! 彼は、大佐は犠牲者ですよ、それをその……あの」

「……合衆国大統領、いえ、艦長の実の父親からの命令だ」

「しかしっ!」

「まもなくこの潜水艦は、横須賀港の岸壁に激突するでしょうね。

 原子炉が破壊され放射能がまき散らされ、何万人もの犠牲者が出る」

 オーリャは鋭い目つきで夢見を見据えた。

「目の前の小さな感傷に溺れてる暇はないわ。

 それとも、自分だけ手を汚さず悲劇を傍観していられるかしら?」

 夢見は涙をためた目で、十六才の小生意気な美少女を見据えた。

「さあ、手伝うから早く………」

「……手出し無用です! これぐらい私がっ!」

 両手をかざし想像した。固い合金の分子が崩壊していく様を思い浮かべる。

 手からかすかにスパークがほとばしる。小夜とオーリャは脳幹にかすかな痛みを感じた。接合部分のパイプから蒸気が吹き出す。四人の女性の回りを風が渦巻く。 やがて船体を貫く鋭い音がして、きしみはじめた。

 夢見は力なく座り込んだ。汗みずくで涙を流している。すると、大量の水がもれる音が近づいて来た。たちまち天井やパイプから海水が吹き出す。

 再び鋭い音が響く。通常魚雷の近接爆発にすら耐えるはずの耐圧殻に皹がはしった。そして見る間に海水の白い泡が、ほとばりはじめたのである。

 艦内に警報が響き、やがて自動的に前進が停止した。間もなく行き足もとまるだろう。機関緊急停止、原子炉閉鎖が確認され、ビューセファラースはゆっくりと沈みはじめた。

「………急いで脱出だ」

 来島は部下を促した。小夜が、茫然とたたずむ夢見の腕をつかんだ。


 自動操縦で帰還した「あまこまⅡ型改」にかわって、ジャストのヘリが司令塔直上でホバリングしていた。まず小夜が自動巻き取りロープであがり、副操縦席に座った。続いてオーリャと部隊長を引き上げた。

 潜水艦はもう司令塔の上部まで沈んでいる。その沈みゆく原潜ビューセファラースの司令塔上には、まだ夢見が残っている。気付いた小夜が叫んだ。

「さ、三曹っ! 早く救命ロープを体に取り付けてっ!」

 驚いて来島も下を見て驚いた。司令塔の潜望鏡わきで、夢見は目を固くつむって立ち尽くしている。押し寄せる荒波が顔にあたっても身動き一つしない。

 表情は険しく悲しげだ。

「ど、どうした!」

「最後の精神感応ね」

 オーリャが後ろからそう答えた。夢見は、ほぼ海水で満たされた発令室の光景をみていた。水の中でもがき苦しむ艦長の意識に同調している。

 アナポリス海軍兵学校を優秀な成績で卒業して以来エリートコースを歩み続けた将校の思い出は、まだ幼い日々にすごした母とのイメージに満たされていた。

 少年が見上げる青空には、巨大な最高神のごとき人物が輝いている。それはアメリカ合衆国大統領だった。

 サリヴァンはやや悲しげに、実の息子に微笑みかけている。

「…………父さん、僕もそこまで行くよ。まってて……………」

 肺が泡立つ海水で満たされ、脳へ酸素を送る血液がとだえた。

ロドニィ艦長の意識は、懐かしさとともに暗黒の中へと飲み込まれていった。彼の意識に同調しその最後を見届けていた夢見は、腰まで海水につかったまま涙を流し続けるだけだった。

「しっかり!」

 ロープを装着してヘリから降りた来島は、背後から夢見の冷えきった体を抱きしめた。

「上げろぉぉぉぉっ!」

 水滴をしたたらしながら、二つの肉体は連れ下げられていく。

 その真下では、USSビューセファラース号の潜望鏡とマルチセンサー柱が泡に飲み込まれて行くところだった。


 情報統監直率重武装情報特務挺進部隊「スガル」。名前はたいそうだが実質は三人の軍人と一人の「顧問的軍属」の四人だった。しかもその存在自体が最高の国家機密、俗に「アルカーナ・マークシマ」と言われる暗い闇の中に潜んでいる。

 それでも噂は流れた。伝説と言っていいかもしれない。いや神話だろうか。

「情報第十一課エルフィンの神秘的乙女たち」

 誰言うとなく、憧れと恐怖をともなってそう呼ばれ出していた。

色黒く精悍で野生的な来島三尉。やや太目だが人のよさそうな童顔の斑鳩二曹。そして美人と言えば美人だが、中々厄介そうな大神三曹。

 それにまだ十六歳と言われる謎の多い東洋系ロシア人美少女。この四人の存在は、市ヶ谷台の要塞地区でも異様な雰囲気を醸し出していた。

 大神夢見は任務終了時にかなりの精神的ダメージを受けており、二日ほど市ヶ谷台の医療部に検査入院していた。担当医師ともあまり口をきかなかった。

 すでに医療訓練をかねて、医療大学校から医学修士橋元由紀が来ていた。小林が目をかけていた有能な女性で、小夜に似たおっとりとしたタイプのようだ。

 小夜よりも幾分脂肪をまとっている。橋元は多方面解析センサーに横たわる夢見をのぞきこみ、呟いた。

「噂は本当なのね。こんなにきれいでこんなに恐ろしい人がいるなんて」

 夢見は女医のタマゴを睨んだ。

「あの、恐ろしいなら見ないで下さい。私は化け物でも見世物でもないです」

 いつにない激しい語気だった。とたんに分析装置がショートした。煮詰まっていた怒りと悲しみが爆発したのかも知れない。

「ご、ごめんなさい。でもあなただって恐ろしいでしょう。

 あなたの繊細な心が悲鳴をあげているじゃない」

「………私だって、こんな力なんてあの……欲しくなかったんです」

 夢見は目をとじた。涙が一筋こぼれた。

「本当にごめんなさい。改めて、医務研修生の橋元って言います。ポテスタース・スペルナートゥーラーリスの方面で論文書かされそうだから、これからもちょくちょく会えるかもね」

「こっちこそ……言いすぎてごめんなさい。

 ここんところ感情がコントロールできなくて」

 橋元は気の毒そうに言った。

「無理もないわ。いろいろあったんでしょうね、この若さで」

 しかし夢見自身の選んだ道だった。

 この超常の危険で厄介な力が、自分の人生にとってマイナスであるか否かは、総て彼女自身の決意にかかっているのも確かだった。

「橋元はん。どないやろ?」

 田巻である。小心者は、心底心配そうな顔を見せている。橋元とは旧知らしい。

「脳波、心理解析ともに良好です。あとはただ本人が………」

「その……もう大丈夫です」

 と検査台から置きだした。素肌に、薄いバスローブのようなものをまとっただけで敬礼する。田巻はやや焦った。そして内心喜んだ。

「ご心配をおかけして申し訳ありません。現職に復帰させてください」

「………しかし。センセ、どうやろか」

「最終検査を受けなければ断言できませんが、本人さえその気なら大丈夫だと思います。来島三尉に打診されてはいかがですか」

 かくて夢見は無事復帰、まるで忌まわしい記憶を汗とともに流すかのように、教練に熱中しはじめた。


 政府、中でも上田国防大臣とその後援会である八洲やしま重工は「特殊超常能力PSN」の産業、特に国防技術利用についてますます自信を深め、次期国防整備五ヶ年計画で正式に研究予算を要求すべく政治工作をはじめていた。無論反発もまだ多いし、国家機密のままである。

 先天的な策謀家、田巻己士郎こしろうは早くからこの力に着目し、上田に取り入って小林一佐指揮下のプロジェクトの「横取り」を画策している。

 そんなキナ臭い情況とはお構いなく、斑鳩小夜はつかの間の休息と、予想以上の特別手当を楽しんでいた。彼女の趣味は、濃いエスニック料理の食べ歩きである。

 夢見も休養を「命令」されていた。江田島の統合術科学校時代、休暇でもベッドで横になっているだけだった。

 浦和の航空兵站部衛戍地でも、ほとんど休暇をとらなかった。せいぜい松崎里美にひっぱりだされて、苦手な人ごみをうろつくぐらいだった。

 この二日間の特別休暇で夢見自身、自分がかわりつつあることを感じた。親切だが少々デリカシーに欠ける小夜に誘われ、ショッピングやお茶を楽しむことになったのである。

 体感立体映画も生まれてはじめて見た。他愛のない恋愛ものだが、涙が出た。

 この休暇まで大神夢見は、およそ女性らしい楽しみをほとんど経験していなかったのだ。

 小夜が心理防御をサポートしてくれているせいか、雑踏や騒音も平気だった。

街にあふれる刹那的で無軌道な若者に声をかけられても、平然と無視出来た。ただ裏通りにいまだ溢れる浮浪者の群れには、心を痛めた。

 日本経済は回復しつつあると言われている。しかしいまだ失業者は多く、犯罪はさほど減っていない。それが、世界的には好調と言われる日本の現実だった。

 とは言え二日間で夢見は、女の子としての楽しみを無理に満喫、堪能したのだった。密かに心を「モニター」していた小夜も、心から喜んで言った。

「あなたかわったね。市ヶ谷に来て本当によかったわ」

「………みんなのおかげです」

「ね、こんどまとまって休めたら、温泉でも行こうよ」

「あの、温泉ですか。いったことないな」

「本当に化石みたいな人ね。私たちホップにはね、雄大な自然の中の露天風呂が、何よりの癒しなのよ。是非行きましょう。女どうし、文字通り裸のつきあいよ」

 一方オーリャは、小林から約束された「顧問料」の大半で日本製の安価高性能なハイパー・ニューラル・チップを買い込み、「外交関連資料」として無検査無課税で故郷に送った。

 世界的に有名な日本製ハイパーチップは、東欧などで莫大な利益を稼ぎ出す。オーリャはしごく満足だった。

 来島は相変わらず自分を鍛えることだけに専心し、小林は妖しげな色香を市ヶ谷にふりまいて、それなりに楽しげである。

 休暇後、憑き物が落ちたような大神夢見は軍事教練、特殊武器取り扱い訓練、メンタルトレーニングや深層心理統制訓練など、過酷なスケジュールでこなしていく。付き添う斑鳩小夜はそのがむしゃらな姿に、心配しつつも何も言えなかった。

 そんな夢見たちを観察している橋元を、小林が呼び出した。あのごみため、地下第三層の第十一課長執務室である。香水の匂いと艶かしい体臭が充満している。

「どう、いい博士論文かけそう?」

「前例のない研究ですから、どんな評価受けるか不安です」

「まかせて。医療学校の副学長、むかし私に言い寄ったことあるから。

 それより、わたしの可愛い小妖精エルフィンたちはどう」

「…………大神おおみわ三曹は、気の毒なぐらいトレーニングに打ちこんでます。報告書みた時は、かなり心配したんですけど。対人恐怖症のケもあったし。

 でもこうして実際に接してみると、別人みたい」

「危機が人をつくる。艱難辛苦汝を玉にす、か。まあこのところ、いろいろあったから。

 よかったわ、彼女にとっても。これで安心して、決着をつけることが出来るわ」

「なんの決着です?」

 小林は珍しく真剣な、そしてなにごとか悲しげな表情を見せ視線を逸らせた。

「……誰も気付いていないかも知れない。私にもはっきりとしたことは判らない。

 何故今世紀にはいって世界中でスペリー、超越人類が生まれたのか。それは人類の将来にどう影響してくるのか。

 あのセイントとか言う連中は、知っているのかもね」


 前回、予備会議がすんでのところで大惨事になりかけた反省から、各国首脳が密かに集まる本会議会場は慎重に選ばれた。

 富士山麓の丘陵部、御殿場東富士演習地の端にある完成間近のジャスト特別訓練教育施設を急遽極秘会場とし、大突貫で工事を急がせた。

 我が国最高の建設会社が、莫大な追加予算によって、見事要求にこたえた。

 かくて前回の事務レベル予備交渉から二十二日で会場は完成した。特急拵えであちこちに荒が目立つものの、警備保安関係は完璧に近いはずだった。

 そして超心理防御は、当然のように情報第十一課にまかせられたのである。

 田巻己士郎はこの週末、また後見人たる上田哲哉国防大臣と二人きりで、夕食をとった。築地の同盟通信社ビルに近い料亭である。

 田巻は好物の鮑と伊勢海老に舌鼓をうった。食べることには多少煩い。酒は好きだが相当弱い。酔うと女性に不埒な発言をしがちである。

「父上の墓は、京都だったな」

「ええ。三周忌には是非先生も」

「ああ。世話になったからな。もっとも随分泣かされもしたけどな」

「親子ともども、お世話になります」

 田巻初喜郎と言い、関西の私大で歴史学の講師をしていた。はじめ上田の選挙参謀、やがては「微笑みの寝業師」の懐刀となった。陰険な策士、謀略家である。

 とは言え時代を斜めに読む能力と、人の裏をかく力は素晴らしく、上田はおかげで保守与党の重鎮となれた。一昨年、肝臓の病で死んだ。

 酒をやめるぐらいなら治療を拒否すると主張し、事実延命措置は受けずに逝った。その一人息子はまだ自衛隊の広報会社時代から上田の「世話」になり、今はこうして情報係、「草」として奔走していた。

 統合自衛部隊ジャスト発足の「どさくさ」で、正式武官にねじ込んだのも上田である。運動能力のない田巻など「丙種合格」、つまり不採用のはずである。

「最後まで飲んでおったな。そしてお前さんのことばかり心配していたよ」

「あれでも一応、人間でしたから」

「またそんな口を。それで君は本当に今のままでいいのかね」

「前にお話した通りです。僕の夢はただ一つ。この世界的混乱と来るべき破局の中、我が国をポテスタース・スペルナートゥーラーリスで防衛したい。

 総てはまあ、お国の為」

「…………ほう。お国のねえ」

 初喜朗は一人息子に遺言を残した。PSNの解明と制御は今世紀を制する。

 己士郎は自分の将来が、この分野でのイニシアチブにかかっていることを充分に承知していた。

 元来小心なこの策謀家にとって、ポテスタースこそ最大の武器なのである。

「けど今やPSNと超種族スペリーの存在は、世界中で公然の秘密。そろそろ公表したかて、よろしいのんと違いますやろか」

「そうはいかん。各国の調整と機運の情勢が必要だ。

 いきなり、現世人類より高等な、継承人類があらわれました、なんて公表出来ると思うかや。

 君は早めに公開して、パテントを押えるなんて言うとるらしいが」

「パテントなんて、そりゃ無茶な。ただ、もっとも進んでいる我が国主導で、PSN利用についての基本方針固めるのは急がななりまへん。

 無論、我が国に有利なふうに」

「………それはワシとて充分判っとる。高等計画局のほうには、わしのほうから言っておくから、公開時期の検討については君が指導すりゃあええ。

 くれぐれも慎重にな」

 田巻己士郎は細い目をより細め、嬉しそうに頭を下げた。



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