第八動

 白瀬首相と上田国防大臣は、マスコミ対応で五日間を潰した。

 田巻お得意の「作戦」で、マスコミ役員は抑えられても、記者魂を持つ各種ジャーナリストを抑えることは困難だった。かえって火に油を注ぐ。

 政府の広報担当部門はかけまわり頭を下げ、なんとか「爆発事故、被害軽微」でおさえることが出来た。政府の緊急マスコミ対策マニュアルに従い、この日の為に「敏腕、大物記者に顔のきく謝り上手」十数人が昼夜かけまわっての結果である。

マスコミが報道しないことは、起こらなかったことになる。

 とは言え連続する不祥事に、野党はおろか連立与党からも白瀬退陣を求める声がおきはじめた。

 それを押さえて回るのが、「微笑みの寝業師」上田哲哉の役目だった。

「今回は苦労したし、金もかかったがや」

 上田は古い同志たる首相に、珍しく愚痴った。田巻も今回は同情していた。

 しかし一番の問題は、修復予算の捻出だった。莫大な国家予算をと年月をかけた国有資産が、甚大な被害をこうむっていた。やっと数年前に復興特別財政年度が終わり、我が国はまだ財政再建に苦しんでいる。


 そんな政府中枢の苦労をあざ笑い、小林御光一等佐官は事件以来上機嫌である。

 夢見の能力がまた一つ開花したこと。国防大臣一派にまた一つ貸しを作ったこと。それに待ちに待った心強い「助っ人」が正式にメンバーとなったことなどが主たる理由だった。

 一方、いつものように強い精神的ショックを受けていた夢見だったが、小夜のサポートを受けた「心理同調」でなんとか平静を取り戻そうと努力していた。

 小林の調合した秘薬を溶かしこんだ生理食塩水の中に夢見を浮かべ、音波と電磁波を完全遮断した状態に隔離する。そして装置の外から小夜が意識を同調させ、小夜自身が瞑想することによって夢見の脆弱な精神を安らげるのである。

 こうして三十時間後、夢見は医療部の集中検査室によこたわった。かなりやつれているとは言え、精神状態も脳波も戻っている。

 一方つきそう小夜も、疲れきっていた。そして何故か、かすかに動揺している。

見舞に訪れた部隊長は、衰弱した部下たちの顔を見るのが辛かった。

「どうだ」

 小夜は敬礼しようと椅子から立ち上がって、少しよろめいた。

「そのままでいい。二曹も治療が必要だな」

「いえ、私は大丈夫です。でも」

大神おおみわ三曹の様子はどうだ」

「今回は人命を救っただけあって、かなり楽です。

 エルネギーの使いすぎですから、ほどなく回復すると思います」

「………仕方ないとは言え、過酷すぎる。こんな少女に」

「でも少しづつ変わってます。それは実感できます」

「能力が開花しつつあるのか」

「それもありますが、心に張りついた氷が溶けてきているみたい。

 過酷な事件ばかりで、繊細で無垢な精神は恐れ戦いています。本当に今時珍しい、純真な子です。

 でもそのままでは発狂するか、力が悪い方に爆発するしかありません。

 彼女の理性がそれを必死で防ぐため、なんとか力をコントロールしていい方向へ発現させようとしているんだと思います。意外なほど頑張り屋ですよ」

「そう感じるんだな」

「………ええ。それに……いえ、個人的なことです」

 女武者は、意外なほど優しげに微笑んだ。正規の特殊超常能力こそないが、先天的に勘の鋭い彼女は、男に興味のない小夜が、夢見にただならぬ思いを抱いていることに気づいていた。

 スガル特務挺身隊長三等尉官来島くるしま郎女いらつめは、横須賀の統合防衛大学校を優等成績で卒業した。

 防衛力統合で誕生した、統合幼年学校の第一期卒業生である。幼年学校は夢見や小夜の出た江田島の統合幼年術科学校とはことなり、教育費は無料だが寮費や制服代は自弁であり、入学試験も受験校並みの難関とされる。

 彼女は角館出身で、弟が一人いる。事故で早くに引退した父親は陸上自衛官、祖父は警察官だった。先祖には軍人や武人が多い。代々武人の家計だが、先祖は北面の武士とも、朝廷に最後まで抵抗した先住民戦士とも言われている。

 およそ私信がなく、自分を鍛えることが趣味だった。父や祖父は、弟に武門の来島家を継いで欲しかったが、生来病弱だった。

 弟に代わって、自分が「さむらい」になると決心したのは、新制中学校にあがるころだった。以来剣道、古柔術、その他スポーツに打ち込んだ。

 やがて学校推薦で幼年学校を受け、大学校も優秀な成績で卒業、一年ほどの隊付勤務を経て、高級幹部の登竜門たる統合幹部学校への入校を進められた。

 しかし彼女は実務を希望した。その武人としての独特の勘の鋭さと、豪胆さをかわれ、田巻提唱の特殊部隊を引き受けることになったのは、一年前だった。


 翌日夢見は精密検査、深層精神精査の結果回復と診断され、自室に戻ることを許された。訓練と職務復帰は自己判断にまかされるはずだった。

 しかしその日の昼過ぎには、さっそく呼び出された。シャワーから出たばかりの夢見に、小林からテレヴァイザー電話がかかって来たのである。

「元気そうじゃない」

「その……悪くはないですね。まだ疲れが残っていますから二、三日………」

「大丈夫ならちょっと降りて来ない? 面白い人を紹介するわ」

「あの、自分はまだちょっと。それに知らない人とはなるべく」

「あなたと親しい人よ。恩人かな」

 妖艶で悪戯っぽい声だった。拒否も出来たが、夢見は十五分後に地下第四層に出頭した。


 警戒厳重な通路の突き当たり、建設途中の研究施設に隣接した、雑然たる小林執務室である。今日は多少片付いていた。それほど埃っぽくはないが、香水の匂いはひどい。入るとすでに斑鳩小夜と来島郎女がいた。

 さらに見なれない少女が立っている。

 一部編んだ髪を背中にたらした、見覚えのある神秘的美少女だ。夢見はやや背中に寒いものを感じて緊張した。ロシア連邦の国籍を持つ小柄な東洋系女性は、大きな金色の瞳で挑むように見つめる。仕立てのいいスーツがよく似合う。

「みんな、あらためて紹介するわ。ロシア連邦大統領通訳兼超心理的警護員で、このたび大統領の好意でわがジャストに『出向』して来た、オーリャよ」

「はじめまして、じゃないわね。オーリガ・パヴローヴナ・ラストーヴァです」

 まだ十六才だと言うが、随分大人びている。身長はそれほどないものの、足がとても細長い。

 カムチャダールとバイカル湖畔のネオ・モンゴロイドの血が入っているとかで、いくぶん東洋的な顔立ちだ。いどむような大きな目が、炯炯と輝いている。

夢見は唖然としているようだった。オーリャは不敵に微笑む。

「ユメミ。双子山はお返しのつもりだったけど、結局はまた借りを作ったわね」

「に……日本語達者ね」

 妙なことに感動した。

「父が元情報部の日本担当だったの。英語やドイツ語なんかも得意よ」

 と自慢げに言う。夢見はその神秘的に輝く瞳を、見つめ続けている。

「……やっぱりあなたね。トンネルの時、私の意識に介入したの」

 オーリャは意味ありげに微笑む。

「あれからこちらも警戒強めてね、大統領から特別対策責任者に任命されたの。

それでミネルヴァの動きを衛星でスキャンしてたら、日本に来ていることが判ったのよ。

 まるで厚化粧女が香水の匂いプンプンさせてるみたいに、彼女のポテスタースはあちこちで目立つのよ」

 夢も、あの時感じていた。もう一つの不思議な意志。怒りと憎しみ、悲しみと舌鋒の混じった不思議な「気持ち」。

 そして奇妙なことに、夢見は懐かしさすら感じていた。

 特殊超常能力のない来島隊長は、聞いた。

「課長、彼女の身分と階級は?」

「本業は通訳だし、たいした戦闘訓練なんか受けてないわ。一応情報統監部の顧問。まぁ軍事留学生ってところね」

 小林とオーリャは顔を見合って微笑んだ。夢見はこの美少女も、どこか危険で信用出来ないように感じていた。


 マイケル・ロドニィ海軍大佐は明日の出港を控え、ロスの夜を思う存分楽しんでおこうと考えていた。

 四十一歳で、世界最大最強の原子力潜水艦の艦長である。

 無論実力もあったが、それだけではない。大佐もそのことはよく承知していた。そしてその「背景」ゆえに複雑な性格であり、友達も少ないしいまだ家庭ももたなかった。

 乗組員の多くが上官や部下、あるいは同僚と連れ立って町へ繰り出しているが、艦長はいつも一人である。車でわざわざ危険なロスまで来て、裏寂れた下町のバーで明け方近くまでちびりちびりとやる。

 いつもほとんど無言である。この夜も、比較的治安のいい旧市街地にある、馴染みの小さなバーにいた。

 週中のことゆえ、他に客は二人。あとバーテンじいさんだけだった。

 三杯目のスコッチを飲み干した時、古いドアがきしみながら開いた。客が驚いたのは、あまりにも場違いな女が入ってきたからだ。深夜の二時頃である。

 大佐は気にもせずに、今度はジンライムを注文した。長身の冷たい赤毛美女は、すぐ隣のストゥールに腰掛けて同じものを注文した。

 大佐はいぶかしんだ。街娼には見えないし、今時どこかのスパイとも考えられない。軍人服務規定に違反し、所在も明らかにせず危険地域で飲んでいる自分を監視しているのかとも考えた。

 女は挑むような鋭い目つきで微笑んでいる。やがて東部の言葉で言った。

「いつも一人ですのね。孤独がお好き?」

「………人間、結局は一人で生きるしかないんでね」

 女は何もかも見通している、と言う眼差しで見つめている。

 大佐は心の中に言い知れぬ不安と悲しみがわいて来た。何か大きな力が自分の心を包みこんでいく。


 富士山麓での一件以来、大神夢見にも多少は自信がついたようだ。

 立派に特殊超常能力が役立った。とは言えあの時の感覚を再現しようとイメージしても、ちっともPSNは働かない。なんとか意志でコントロールしようとすればするほど、力が萎える。

 かえって肉体トレーニングにつかれ、うとうととしている時に悪い夢を見て、うっかり力を発揮してしまうことがある。

 はっとして目覚めると、目の前にあった鉄棒が折れていることもあった。

 そもそも研究とか訓練などとは名ばかり、データを集めつつ手探りであれこれやっているのだから、無理もなかった。

 訓練を見学、実質薄いトレーニングで汗を流す三人を時々「鑑賞」に来る田巻が、こう言って自慢していた。

「なにもかも手さぐり、設立当時の中野学校みたいな試行錯誤やな」

 確かにマニュアルも先例もない。先に来島隊長と小夜が考えた精神的トレーニングを、夢見が自分なりに工夫改良するしかなかった。

 手作りの超心理教練だった。


 オーリャは二、三日で市ヶ谷の様子にもなれ、時折夢見と小夜の座禅や精神集中訓練を面白そうにながめている。彼女自身はなんの訓練もしなかった。

 この日も夕方に一通りのトレーニングを終え、夢見は講堂地下でシャワーを浴びていた。すると隣のボックスに、全裸のオーリャが入ってきたのである。

 スラブ人の血がまじっている、肌は驚くほど白い。漆黒の髪とは対照的だ。その肌を高級石鹸で洗いながら、声をかけて来た。

「毎日ご苦労なことね。でも不思議なことしてるのね。

 東洋のシンプって奴かしら」

「………神秘でしょ、東洋の神秘ね。あの、何も私だって好き好んでやってるわけじゃないわ。精神統一とか呼吸法なんて。

 どうやったら自分でコントロール出来るか、試行錯誤中なのよ」

「ふふ。地下ではうまくいったのに。穴掘ってもぐってみたら」

「あなたはいつ気付いたの。自分の力に」

「………ものごころついた時にはね。

 当時のロシアでは、自分の身は自分で守るしかなかったからね」

 夢見はシャワーをとめ、体をふきつつロッカーへ戻った。

 小生意気で小悪魔的。どこか夢見に敵意を抱いたようなオーリャは、どうもはじめから気に入らない。夢見の苦手なタイプだった。しかしオーリャも追うようにロッカーへやって来た。

 全裸のまま、多少なまりのある日本語で話す。

「あなたと違って、私には、生活がかかってるのよ。なんでも対人恐怖症を治すために軍人になったそうだけど、まったく優雅なものね」

 随分な言い方だが、事実だった。オーリャの故国も、アジア発の世界的経済恐慌のダメージから、立ち直っているとは言えなかった。

 十年の混乱で、世界人口は一割以上が減った。世界の三分の一が今も実質的に紛争地域であり、減ったとはいえ難民も数億人もいる。

 石油や天然ガス、その他天然資源に恵まれたロシアだが、経済はまだ迷走を続けていた。

「……あ、あなたの理由なんて知らないわ。私には私なりの理由があるの」

 オーリャはきつい表情でにらんだ。美少女の怒りはそれなりに迫力がある。

「そんな安易な考えじゃ、世間を敵に回して生き残れないよ」

「その………なんのこと、どう言うことよ」

「私達はね、好むと好まざるとにかかわらず時代の寵児。

 そして多分……社会の敵なのよ」

「敵? わ、私達が?」

「昔から言われる継承人類、つまり今の人類に取って代わるべき超人類なのよ。

 ミネルヴァが言ってたことは、ある程度冷酷な事実だわ」

「その……あの、どう言うことよ。奴等の正体、知っているの?」

「…………彼女の頭の中探ろうとしたけど、ガードが硬かった。

 でも、サンクティタースって言葉だけは強烈に感じたわ」

「何それ。サンク?」

「よくは知らない。でも、私の母がむかしかかわっていたような研究の、アメリカ版だったような気がする。なにかの資料で読んだと思う」

「………あなたのお母さん、何してたの」

 オーリャは寂しげに微笑むと、黙って衣服を着だした。驚いたことに下着をつけず、いきなりシャツとパンツを身につける。

 妙な顔つきの夢見に、やがて言った。

「ポテスタース・スペルナートゥーラーリス。いえ、当時の言葉でESPの開発研究よ」

「ええっ!」

「詳しくは知らないわ。知っていても、言いたくはないかな。

 でもね、他人の悪意に傷つき苦しむのはあなただけじゃない。他人がどう思おうと構うことはないのよ。

 母さんはそう教えてくれた。だから私は立ち直れたの。

 今のあなたには同情もするけど、自分で克服できないなら軽蔑する。あなたの心の中には、まだまだ冷たい闇がうずまいているわ。それと甘えもね。わたしもはじめ、こんな能力がとても疎ましかった。でも今では誇りに思ってる」

 そう言ってロッカールームから出て行こうとする。長身の少女はおずおずと聞いた。

「あなたその……人の心を読むの?」

「……ある程度はね。でもこの私でも本当に恐ろしいのよ、心の奥底は。

 だからどうしても必要なとき以外は、決してのぞかない。そうじゃないとこっちの気がおかしくなるわ。

 ついでにこれも言っとくと小林一佐は危険よ。野心も邪心もないけど、奇矯な好奇心だけで生きている先天的愉快犯ね。どっちの味方か判ったもんじゃない」

 また悪戯っぽく、そしてどこか悲しげに微笑むとそのまま出て行った。一人残された夢見は、しばらく静かにたたずんだままだった。悲しくはなかった。


 軍令本部総長最高将帥服部球磨邦くまくには、元々精神科医官である。

 当時の防衛医大を卒業し、心理戦の研究から情報畑に移った。以来緻密な思考方法と信頼される人柄で、わが国「情報コミュニティー」になくてはならない人物となって行った。中肉中背、灰色の髪をもつ学者然とした紳士だった。

 天才肌でも豪傑でもない。およそ過激な思考とは無縁の人物で、自分たちの組織になにが出来て何が出来ないか、そして何を為すよう努力すべきかを、冷静に把握していた。

 現国防大臣の上田哲哉や、官僚上りの白瀬首相とも二十年のつきあいになる。

 服部は市ヶ谷に出来たばかりの軍令本部棟執務室に、旧知の情報統監部長石動いするぎ麗奈将帥を呼び、いつになく言い難そうに語った。二人とも旧自衛隊情報本部の出身である。

「来週はじめに横須賀で開催される非公開国際事務交渉について、政府から我がジャストに正式の警護命令がくだった。

 いわゆるサイキック・ディフェンスです」

「サイキック……つまり、我が特務情報部隊を?

 やはり例のセイントの動きがあるんですか」

「ええ。アメリカ情報コマンドAICからの警告です。官邸に対してね。

 いつもながら手のうちを総ては見せてくれないが、セイントは東西冷戦の闇から生まれた危険因子だと言ってきた」

 経済的理由と相次ぐテロに嫌気のさしたアメリカが、「一方的な世界の保安官」を降りて以来、混沌がこの星を覆っている。

 今もまだ世界の三分の一近くが戦火に包まれているとされる。そして莫大な財政赤字と貿易赤字、ドルの過剰供給はこの世界帝国を今も苦しめ続けている。

 それでも世界最大最強の空母打撃艦隊を五つも運営し、死活的に重要な二つの大洋だけは死守し続けていた。

 そして日本は豪州、カナダなどとともにアメリカと環太平洋防衛同盟を形成している。

「その噂は聞いています。冷戦の遺物ですか。もう半世紀近く前のことなのに」

「そして君も知っているように、国際連邦誕生を阻止せんとする保守派の思惑もあります。

 それが例のクライネキーファー商会と関わっているのかどうか。知っていたとしてもアメリカさんは言ってくれまい。ともかく国際情勢は日々奇怪さ複雑さを増しているから、用心にこしたことはない」

「スガル部隊の配備は上田先生あたりの思惑も絡んでいるのではありませんか」

「………あいかわらず鋭いですね。

 国防大臣としても、相当の予算をぶんどってきただけに、ここらで彼女たちの存在感を示しておかなくてはならないんでしょう。

 北陸の件と双子山の事件は、内部隠蔽が極端すぎました。緘口令も厳重過ぎるとかえって妙な憶測を呼ぶ。上田先生なども多少不満だったようですね」

「人類の将来を左右するかもしれない乙女達も、政治の道具というわけですか」

「戦争は政治の延長だよ」

 服部は寂しげに笑った。陸・海・空・航空宇宙の精鋭をひきいる最高統率者といえども、特別職国家公務員と言う役人にすぎないのだ。

 役人にとって政治家を敵に回すことは、今にかわらぬ自殺行為だった。石動はふにおちないものを感じながらも、小林第十一課長に出動命令を下した。


 夢見はまた夢を見ていた。父と母と一家三人ででかけた記憶が、あまりない。小学校の頃、美しい母はあまり口をきかなかった。ただ彼女にはやさしかった。

「結局誰にも信じてもらえなかった……」

 時折、そんなことをつぶやいていた。参観日など学校行事は、仕事を休んで父が参加した。たまに大金が入ると、父とおいしいものを食べに行った。

 母にはたいていお土産を買う。外へ出ることを嫌がった。

 「アイドル霊能者」時代の母の姿は、インターネットで時々見ることができる。しかし母は映像記録や雑誌記事を、凡て処分していた。

 父は密かに当時のブロマイドと雑誌記事を隠し持っているらしいが。

「……母さん、いっしょに行こうよ」

「ああ、行ってやる。さあ、仕事だよ」

 そう答えたのは、隊長の声だった。驚いて目をあけると、あの野性的でそれなりに美しい武人の顔が、近くにあった。

 朝早くから来島は、喜びいさんで士官用宿舎を「襲撃」した。二人の部下を叩きおこすためである。小夜はすでに準備をはじめていたが、夢見はついつい夜更かしをしていた。

「急げ、十分後に集合! 完全装備」

 小夜に手伝ってもらい、寝ぼけたままなんとか完全軍装を身にまとったのは、集合時間一分前だった。新式軽量個人装甲パンツァーヘムトに三三サンサン式鉄帽などで、武器はない。

 漸く完全に目覚めた時、新鋭VTOL輸送機「あまこまⅡ型改」の上にいた。

 鎮守府のある横須賀へむかうはずだが、太平洋上である。となりでは装甲戦闘服姿のオーリャが、コーヒーを飲んでいた。

「おはよう。眠り姫さん」

「………ここどこ?」

 副操縦士席の来島は、緊迫した声で受話器を握り締めている。「あまこまⅡ型改」は現在試験的に統自に数機配備されている、八洲重工製の垂直離発着機である。ティルトローター機の「Ⅱ型」より静かだった。

「いま、目標位置を確認しました。空中給油地点の指定をお願いします」

 何かただならぬ事件が落ち、急遽作戦が変更になったようだ。やがて部隊長は三人の乙女に、よく通る声で伝えた。

「今から十分ほど前に命令変更となった。

 警備行動でも本戦準備でもなく、正規の出撃命令が出た」

 何も知らなかった夢見は驚いた。

 オーリャもあからさまに怪訝そうな顔を見せる。

「出撃? 訓練ですか」

「喜べ、実戦だ。我々は約三十分後、アメリカ太平洋艦隊所属の最新鋭原潜、ビューセファラースと接触し、強制移乗する」

 アメリカ太平洋艦隊司令部からの連絡はこうである。艦長のマイケル・ロドニィ海軍大佐が叛乱をおこし、艦をのっとったらしい。

 ビューセファラース号は完全自動化実験潜水艦であり、武器システムさえいじらなければたった一人で動かすことが可能なのだ。

 無論、搭載核ミサイルの発射コードは司令部で管理しており、艦長といえども手が出ない。ロドニィ艦長は航海訓練中突如警報を出し、二十数名の乗員を命令と恫喝で緊急待避区画に監禁してしまった。

 とめようとした士官一名と副艦長を射殺、一人で発令所を占拠封鎖し七十ノットの速力で一路西を目指していると言う。現在原潜ニアリードが追跡中だが、追いつけない。

「このまま進めば、二時間以内に横須賀港に突入する。

 艦長の企図は不明だが、我々が超心理的警護任務につくべき重要会議に何等かの妨害を加える恐れがある。

 すでに市内には各国の担当事務官が集まりって来ている。

 無論早急に待避させつつあるが、もしビューセファラースがこのまま速力をゆるめず護岸に激突すれば、原子炉が破損して大災害に陥る可能性がある」

 小夜ものんびりと驚いた。

「そんな、アメリカ海軍が自殺攻撃を?」

 オーリャはいたずらっぽく笑った。

「カミカゼは日本のお家芸なのに。イスラム原理主義に学んだかな」

 まだ頭のはっきりしない夢見は、馬鹿げたことを聞いた。

「ええっとつまり、そのビョーなんとかは、まっすぐに突進してくるんですか」

「そうとしか考えられない。それが軍令本部の結論だ。魚雷担当官など総ては監禁され、艦長一人が艦をひたすらまっすぐに進めている。

 艦隊本部からの必死の問いかけには、狂った受け答えしかしていないそうよ」

「撃沈しちゃったらいいのに」

 オーリャはこともなげに言う。中には十数名の人質が閉じこめられている。それにフル稼動の原子炉を破壊すれば、西太平洋の日本近海は死の海になる。

 大佐は制御系統を、総てオープンにしてしまっているのだ。

「あの……だったら、私達が行ってもどうなるものでもないでしょう?」

 来島は夢見をにらみつけた。

「優秀で名門の大佐がゆえなく叛乱暴走するはずはない。明らかにメンタル・ジャックされている。これはサイキック・テロだ。

 我々はなんとしても大佐を正気に戻す。それが不可能なら…………」

 それ以上は言わなかったが、追跡原潜には対潜ミサイルが搭載されていた。



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