第三動

 市ヶ谷は帝国陸軍時代から、首都圏最大の軍事拠点である。

 太平洋戦争後は防衛庁の所有地となった。今世紀はじめまでは新宿区の一部だったが、数年前の地方自治改革で現在は政府直隷特別区に入っている。

 大神夢見がここを訪れたのは、統合幼年術科学校の集団見学旅行以来のことである。今年はじめに完成したばかりの中央棟は、「新古典帝冠様式」の傑作だとされている。

 しかしその地下には巨大な核シェルター等の各種施設が潜んでいる。まさに東洋最大の要塞なのである。そのことは国民に半ば隠されていた。

 通称市ヶ谷台または「丘」と呼ばれる一帯の正式名称は、市ヶ谷中央永久要塞。 そこには首都防衛の要、第一連隊の精鋭と全部隊を指揮する統合軍令本部が置かれていた。

 この日は月曜日だった。しかし航空兵站部浦和衛戍地えいじゅち司令官の「御配慮」により、里美は特別休暇をもらっていた。

 無論、夢見の見送りの為である。

 オートトラム駅からはチューブと呼ばれる地下コンベアを使った。御堀端で地上に出ると、目の前にはやや厳しい建物が聳えている。

 道中ほとんど口をきかなかった同僚に、大きな鞄を渡した。

「いよいよだね。たまには遊びに来てよ。こっちから行くのは敷居が高いから」

 微かに青ざめていた夢見は、いきなり唯一の友人に抱きついた。

「やっぱり私、こわい」

「ほら、すぐに涙ぐまない。大きななりして。美人台無しだよ。

 あなたには他の道はないんだ。航空兵站部にも学校にも戻れない。戻る実家だって老人療養施設。いや、家があったって戻る気なんてないんだろう?

 男がいるわけでもないし、今のキツい世の中で一人暮していくなんて無理さ。

 あのゲートくぐって、別世界で守ってもらうしかないよ」

「で、でも」

「いい夢見。あなたの辛い過去は知ってるし、繊細すぎる心もよくわかってる。

 本当にこのせちがらい世の中で、あんたみたいな無垢なのが生まれたのは奇跡だよ。でもね、あたしがずっとつきっきりってわけにはいかないんだ。

 いずれ、別々の部署に赴任する。ちがった人生を送る。

 あんたみたいなタイプ、世間の荒波の中では生きていけない。軍事組織って言う、管理がいきとどいていて至れり尽せりの環境で、なんとか順応していくしかないよ。そうでないとあんた、いつか精神がまいっちゃうよきっと」

「……里美」

「そんな顔しない。一度でもあたしが、あんたの為にならないこと言ったかい。

 これが一番いいんだ。確かに田巻って奴、いけすかないみたいだけど、美女は大切にしてくれるってさ。それに後ろ盾はあの上田大臣だから、いざと言うとき泣きつけるかな」

 と笑った。そして、夢見の制服を直してやった。航空兵科の二種軍装が長身に似合う。

「さ、いきなよ。なにも外国に赴任するんじゃないし、また遊びに来るよ」

 夢見は里美にまた抱きついた。頭一つほど夢見のほうが大きい。銃を構えて立っていた歩哨が、なにごとかと驚いている。

「じゃあ、元気でね。三等曹長殿」


 里美は上官となった親友を、敬礼で見送った。夢見は何度も不安そうに振りかえりながら、ゲートをくぐって歩いて行った。

「そうよ、わたし行かなくちゃ。父さんたちには頼れない。自分で生きるって。決めたのよ。

 もう精霊様も里見もいないの。ね、夢見……」

 見上げると、中央棟がいかめしく聳えている。目の前に中央衛所があった。

 兵士二人が四三ヨンサン式突撃銃を捧げて敬礼した。我が国が開発した突撃銃で、ブルパップ式である。しかし公算躱避こうさんだひ即ち命中精度は、自衛隊時代の名銃「六四式」に匹敵する。

 夢見は立ち止まる。衛所の中の下士官が、妙な顔で見つめている。夢見は制帽を目深に被り直し、恐る恐る歩いて行く。

 ついに衛所の前に立った。センサーが全身を精査する。当直の下士官が、顔を出した。

「おはようございます」

 まだ若い二等曹長である。夢見はポケットからぎこちなく命令書と身分証明を出した。鋭い目つきの衛兵がじろじろ見つめる。

 やがてキーボードで身分を確認していた別の下士官が頓狂な声を出した。

「情報第十一課ぁ? 狂い咲きオミツのとこなんぞに、何の用だ?」

「く、狂いざき?」

 夢見は日本的な切れ長の目を見開いた。

「あの……第十一課長、小林ゴコウ一佐殿のもとへ出頭せよとの命令です」

 若い曹長が小さく笑う。

「ゴコウじゃない。おミツだ御光」

「なるべく本人の前でその名を出すなよ。それと、毒牙にかからんようにな」

 人見知りの激しい新任三等曹長は青ざめた。

「あの、小林課長は…………その………」

 やや年上の下士官はにやにやしている。

「行ってみりゃ判る。なんせ存在しないはずの十一課は治外法権、命令もへったくれもありゃしないらしいから。おっとこれも機密だったか」

 そう言いつつ身分証明をかえした。夢見はやや青ざめながら、書類をぎこちなくポケットにしまった。そのままつっ立っている。

「あ……あの、第十一課は」

「中央棟です。まっすぐ歩いてどうぞ。すでにIDは登録してあります」

 夢見は固まりそうになるのを堪え、歩いて行った。中央棟入り口までの二百メートルが、二キロにも感じた。並んでいる列柱が、卒塔婆のようにも思える。

 中央棟は、明り取りを兼ねた巨大な地下拭き抜けに面して建っている。まだあちこちに工事車両がとまっていた。夢見は大きなエントランスで簡単な荷物検査と身元確認を受けると、専用エレベーターのパスカードを渡された。

「統合自衛部隊軍令本部へようこそ、オオガミ三曹殿」

 ベテラン上級兵卒がそう言いつつ敬礼した。

「あのう」

「は?」

「い、いえ。いいです。オオガミで」

 地下一階が軍令本部人事総本部である。大きなエレベーターは夢見を乗せて降りて行く。一階降りるのに随分時間がかかった。エレベーターが両側にあくと、航空兵科をあらわす紺色の制服を着た、人のよさそうな将校が立っていた。

 夢見が挙手の敬礼をしつつ素通りしようとすると、声をかける。

「オオミワくんだね」

 夢見はぎくりとして硬直し、ゆっくりとふりかえる。

「は、はい」

「ようこそ。人事の加藤二尉だ。ついて来たまえ」

 統合自衛部隊はその名の通り、陸・海・空・海兵の統合戦力である。陸海隅での階級の差はなく、一様に曹長、尉官、佐官などと呼ばれている。

 加藤の位は、世界的には中尉となる。

 夢見は大きな鞄を抱えるようにして、加藤のあとに従った。地下一階の応接室に通され、堅いまま腰をおろした。加藤は書類を手馴れた手つきで点検する。

「そう堅くなるな。どうした? 熱でもあるのか」

 顔は上気し、微かに震えている。

「ほう、なるほど。特記事項に対人恐怖の傾向か。そりゃまた…………」

 ベテランの人事担当者は呆れたように聞く。三十代半ば、おそらくは教導学校出身の下士官からたたき上げた、人事のベテランだろう。たいてい人格者が兵務人事を担当する。

「そんなのでエルフィンには、本当に志願したのかね」

「エ、エルフィン?」

「情報第十一課さ。ドイツ語でエルフテ・インフォルマチオン・ビューロー。

 略してエルフィンだ。公式には存在しない極秘セクシッョンへ、何故」

「なんて言うか………その…………スカウトされたって言いますか」

 夢見はいいにくそうに田巻の名を出した。加藤の表情は険しくなる。

「そうか、あの田巻一尉か。田巻己士郎ねえ。エラいのに見込まれたな。ま、君なら課長に気にいられるだろうが、それが悲劇だな」

 人事将校は気の毒そうにバインダーを閉じた。

「気をつけろとは言いたくないが、まあ君みたいな美人には弱いからな」

 夢見が青ざめて何かたずねようとしたとたん、木製の重々しいドアが勢いよく開いた。

 士官と下士官は仰天して硬直する。そこに立っていたのは、灰色の第二種軍装のシャツの前を大きくはだけ、黒い下着を覗かせた美女だった。

 歳は四十前ぐらいか。化粧の濃さもさることながら、本人も相当妖艶だ。女の色香を暴力的にまき散らしている。

 中背ながらそのグラマラスな体を、わざと小さめの制服に無理矢理包み込んでいた。兵科色は軍令本部要員を示すブルーがかったグレー。胸がシャツの下からはみ出している。

 女将校は挑むような目つきで夢見を見つめる。やがて艶めかしい声で言った。

「上官には一応敬礼しておくものよ」

 我にかえった二人は、飛び上がるように立ち上がって敬礼した。

 妖女は微笑む。

「ご苦労さん。じゃ、この子預かるわね。あと適当にね」

 と、呆れる人事担当二等尉官からファイルをひったくる。

「夢見ちゃんね、よろしく。今日から私があなたの女王様…………かしら」

「! あ、あの、小林?」

「そうエルフィン課長の小林一佐よ。俳句なんて読まないからね。ついてらっしゃい」

 夢見は唖然としていた。驚き怯えるゆとりもないほどに。人事将校が気の毒そうに手で合図する。

 「犠牲者」は慌てて荷物をつかみ、尻をふって歩く女のあとをついて行った。

 小林はエレベーターで地下第五層へと降りた。

 情報部はなにかと秘密性が高く、十数メートルごとに自動検問がある。また廊下にもホールにも、監視装置が目立つ。ようやく夢見は怯えつつ口を開いた。

「あ………あのう、失礼しました。自分はてっきり、その」

「女でびっくりしたんでしょ」

 それだけではなかった。起立と秩序を重んじる軍令本部に、こんな人物が生息していることが馬鹿げている。現実とは思えない。悪い夢であって欲しい。

「ふふ。ほかにも呆れてるみたいね。

 まぁ無理ないわ。あの白瀬総理の肝いりでなけりゃ、統監の麗奈おばちゃまはとっくに私を放り出してるでしょうし。いえ、銃殺かしらね」

石動いするぎ将帥ですか」

 統合自衛部隊きっての才女と言われる女性である。沈着冷静な軍人中の軍人だ。その石動いするぎを「おばちゃま」などと言うこの女の正体は何か。夢見はふるえがしてきた。

 二人は廊下のつきあたり、最高機密区域とかかれたドアの前に立った。小林は言う。

「声紋チェックよ。判ってるでしょ。名前は登録してあるからどうぞ」

 いつそんなことをしたのか。ともかく夢見はふるえる声をはりあげた。

「オオミワ・ユメミ。……三等曹長! 十七歳」

 ややあって電子音と共にドアがあいた。研究室らしい施設が現れた。

「ようこそパンドラの箱へ。ミワちゃんでいいかしら?」

「な、なんとでもお呼び下さい」

「やっぱり夢見ちゃんがいいわ、ファンタスティックで。

 さて、今日からここがあなたの仕事場で生活空間、そして墓場………かもね」

 全体的に明るく、地下施設にしては天井が高い。長い廊下の両側にドアが続いていて、なにやら怪しげな記号が並んでいる。各ドアにはそれぞれ厳重なセキュリティーがあり、一定のクリアランスレベルがないと通れないらしい。

 一番奥が、情報第十一課長小林御光おみつ一等医務佐官の執務室だった。 中はまるで偏狭な学者の書斎である。本と書類が散乱している。夢見は一歩入るなり、ほこりと香水の匂いに立ちくらみをおこしかけた。

 小さな応接テーブルの上には、ありとあらゆる化粧品が雑然とならんでいた。 夢見の俸給では手のでない高価なものばかりだ。一佐に言われ、古いソファーに腰をかけた。

「一応このファイル読んでおいて。ここでの生活と職務について書いてあるわ」

 とケースにはいったファイルを渡される。

「外に持ち出さないでね。外に出ると自動的に真っ黒になっちゃうし、コワァい警務隊からいろいろと不愉快な目にあわされるわよ。

 そう言うの平気なら構わないけど。

 あなたに執務室はないけど、入り口付近に待機所があるから、任務のないときはそこでのんびりしていていいわよ。仲間もいるからお気軽にね」

 市ヶ谷台には特に将校用の宿舎があるが、夢見は下士官ながら特にそこで寝泊まりすることになると言う。特別手当と言い、総てが破格の待遇だった。

「それであの、私は一体ここでなにを」

「あらあら、タマタマちゃんから聞いてなかったの?」

 田巻にはその後テレヴァイザー電話や電子メールで問い合わせたが、ともかく転属すれば判る、としか言ってくれなかった。

「まあモルモット扱いしないから安心して。大事な素材なんだし」

「その……素材?」

「ふふ、青ざめちゃってかわいい。まあトレーニングと思ってくれていいわ。

 ちょっとかわっているけどね。あなたぐらいの年齢の子たちが全国から集まってる。御友達もたくさん出来るし、女学校のクラブみたいで楽しいかもよ」

「はあ……………」

「さてお嬢ちゃん。正十二時から、上の将校クラブで歓迎昼食会よ。

 私はいろいろとやりあわなくちゃならないから、御世話できないわ。あなたみたいな素敵な人、独占するとなったらいろいろ手続きが面倒でね。

 あの加藤ちゃんから宿舎わりあてられたら、きちんと化粧して準礼装でいらしてね」

 小林はウインクしてキスを投げた。

 課長執務室から退出すると、夢見はかなり疲れてしまう。やたら喉が渇いた。しかし下士官はどこで飲み物をもらえるのか。

 はじめての地下五階機密区画で、迷ってしまう。薄暗い廊下を少し歩くと、突然天井から冷静な男の声が響く、

「三等曹長オオミワ夢見。君は最高機密区画にいる。どこへむかうのか」

 驚いた夢見は、天井を見上げた。

「あの迷ってしまって…なにか飲み物が欲しいのと、待機場所が知りたいです」

「そのまま直進し、最初の角を曲がったエレベーターで地下一階へあがりたまえ。そこで加藤二尉がお待ちだ」

「あ、ありがとうございます」


 十二時十分前、夢見は航空科をあらわす紺色の下士官勤務服に略帽をかぶり、中央棟の将校クラブへ赴いた。下士官ごときがなんの用だ、受け付けの兵士はそんな目で見つめる。

 しかし小林課長の名を出したとたん、ひきつったような笑顔を見せた。

「ど、どうぞ!」

 案内されたのは、クラブ奥の食堂である。すでに数人のメンバーがそろっている。小林はなんのつもりかパレード用の礼装を着込んでいる。

 立ち上がって大袈裟に迎えた。

「主役登場ね! こちらがうわさの内気美人、夢見る女神さまよっ!」

 夢見はぎこちなく敬礼した。

「お……大神おおみわ上級、いえ三等曹長であります」

 対面にいた男性が立ち上がった。

「よろしく。課長副官の富野だ」

 長身のみるからにハンサムな男は、無機質にそして儀礼的に微笑んだ。

 夢見の心臓は収縮した。その顔はよく知っていた。実際こうして見ると噂以上の人物である。

 強襲海兵隊出身の富野勝一尉は、ジャストきっての射撃の名手であり、甘くクールな容姿から女性防衛官のあこがれのまとだった。

 噂では、五百メートル先の移動的に八割の確立で命中させられると言う。レーザー誘導のない通常直進小銃弾を、である。だが夢見はへんな噂も聞いている。 女、と言うより人間に興味がないと言うのだ。ともかく敬礼した。

 続いて立ち上がったのは、闘士型の鍛え上げられた女戦士である。浅黒く、豹のような精悍な美しさが光る。

 来島くるしま三尉と名乗った。鋭い視線で見つめる。

「ようこそエルフィンへ、歓迎する。

 いずれ君にも特務情報部隊について判ると思う。覚悟しておきたまえ」

 夢見は硬直した。はじめて見る顔だが、その「気配」に覚えがあった。なにかしら殺気だったものも感じる。相手も夢見を見つめ、緊張しているようだ。

「………なるほど、君だったか。これは頼もしい部下が出来た」

 そんなことを呟き、一人満足そうに頷いた。

「情報部隊……ですか」

 情報部隊なんて初耳だ。何を覚悟するのか。確か何かの実験にかかわるはずではなかったのか。

 いぶかしむ夢見に、少し太った見るからにおっとりした女性が立ち上がった。

「二等曹長の斑鳩いかるが小夜さよよ。これでやっと三人ね」

 夢見は出身地や専門兵科など簡単に自己紹介し、着席した。こうして歓迎会がはじまったが、昼にもかかわらずシャンパーニュが出る。飲むと正体をなくす夢見は舐める程度にした。一佐と来島三尉は水のように飲み続ける。

「あら、飲まないの? 法的成人認定は、下士官昇進と同時になされてるはずよ。あなたは選挙権はまだないけど、れっきとした大人なのよ」

 課長は妖艶に笑う。今や、成人国民として認定されるにも、簡単な資格検査がある。

「ふふ、緊張しちゃってかわいいわね。

 ここでは上下関係なんてあんまり意味ないわ。

 私と富野一尉には残念ながら能力がちっともないけど、あなたを含めこの三人はジャストきっての戦力だから大きな顔していいわ。

 そのかわり訓練厳しいわよ」

「あ、あの、つまり、ポテスタースなんとかの?」

「そっ! 特殊超常能力ポテスタース・スペルナートゥーラーリス。略してPSN。あなたはね、栄えある世界初の実戦スペリー部隊に配属されるのよ」

「スペリー……ですか?」

「そう。卓越せし者って感じね。超人かな。ラテン語だけど、わたしの命名。

 我が情報十一課オルフィン特務情報部隊はスペリーだけで構成されるわ。

 正式名称は情報統監直率武装機動特務挺進隊」

「武装? 挺進部隊?」

「そ。通称スガル。武装特別グループの略ね」

 夢見は少なからず仰天し、あらためて自分を待ち受けている運命に戦いた。

「あ、あの………田巻一尉殿のお話しでは、そのポテスタースの実験に協力するだけとか。

 そうすれば航空兵になれるよう、その……何かと。私はそのことを信じて…」

 小林はクククと笑い出した。来島がやや気の毒そうに言う。

「そうか。田巻一尉にひっかかったのか。あの人らしいな。

 いや、確かに当初は研究実験主体のプロジェクトだったが、ここ半年の事態の急変により、急遽実戦参加が決まったのよ」

「実戦……ですか?」

「そうだ。研究目的の実戦参加と考えてもらいたい。特殊超常能力の研究ははじまったばかりだ。今後いかなる事実がつきとめられるかは判らない。

 君も飛び入りしてくれた通信実験も、極めて性急かつ強引に行われた。

 世界情勢の変化によって、もうのんびり研究している暇は、なくなってしまったんだ」

「あの…………実戦って、どこかで戦闘行為があるのですか。わたしが何に飛び入りを?」

 富野が静かに答えた。

「いずれすべて判る。慌てなくてもいい。君は兵器としての君自身の完成を急ぎたまえ」

「兵器……あの、武装機動特務挺進隊って。つまり、重装空挺団や強襲海兵隊と同じような、最前線突撃部隊なんですか?」

 小林が妖艶に微笑みながら、陶酔したように言った。

「そう。あなたたちは私のかわいいジガバチ、そして小妖精エルフィンなのよ」

「ジガバチ……」

「知らなかった? スガルは、呪文を唱えて人を蜂にかえる、魔法の虫の古い名前。そしてもう一つの意味があるわ。

 雷神を捕えた、神話上の豪傑の名前でもあるのよ。素敵でしょ」

 夢見は硬直したまま、一佐の瞳にうつる己が姿に戦慄していた。


 この日の夕方、田巻己士郎はくたびれたネルーカラー・スーツ姿で、築地の料亭にいた。ここは築地警察と同盟通信社ビルに挟まれた、都会の谷間のような場所である。歴史ある料亭の離れは、今や「影の総理」とも呼ばれる上田国防大臣のお気に入りの場所だった。

 テーブルを挟んで座る田巻が、目の細い国防大臣に酒をついだ。

「まずは第一段。あとは彼女をどう開発して行くかでんな」

「しかし、あの小林君なんぞに預けて大丈夫かね。白瀬首相はお気に入りだが、わしゃどうも、ああ言うタイプは信用できんがや。色っぽいのはエエが」

「マッド・サイエンティストちうヤツやろけど、まぁこの道の権威ですから。

 ただ、一応基礎的なデータとって、ある程度開発したら本格的な調査研究にはいると言うてあります。僕の『しなとべ』の精神通信実験にも大いに貢献しそうやし。

 それにしても一等医務佐官で課長言うのも、おかしな人事ですな。統監部の課長クラスやったら、二佐が普通。僕が最初に仕えたお方も女性やったけど、最初三佐やった」

「それは隊務局でも多少問題になっとってな。しかし彼女ほどこの分野に精通している将校もおらんし、余人をもって代えがたい言うヤツじゃよ。

 第十一課を作ったのは彼女だ。

 第一本人が、動かないようにいろいろ工作しとる。例によって色仕掛けで」

「統合防衛医科大学校か、高等国防研究所かにていよく追い払ったらエエのに」

 そもそも特殊超常能力に注目し、その軍事利用を提言したのは、まだ情報統監部特別雇員だったころの田巻だった。昔からいわゆる「オカルティックな分野」に詳しい。

「まあ……彼女にはファンが多いからな。もっと言うとその、弱み握られ取ると言うか。あの美貌と体と色気に、たいていの男はあらがえんからな」

「ああ……そう言うことですか」

 言いにくそうな顔を見せるこの初代国防大臣を見て、田巻は「まさか」とも思った。

「しかしな、田巻君。PSNの研究をこれ以上独占するのは、いろいろと厄介だがね」

「充分判ってますって。ちんたら研究しとるうちに、各国のスペリー兵器開発は進みます。だからこそ、あのイカレた色気オバハンをせいぜい利用して、この分野でのトップレベルになったところで、どっと公開する。

 一佐がどかんなら、せいぜい利用しましょう。

 よろしおすな先生。スガル部隊は我が国の国際プレザンスを左右する戦略的軍事力。その原則を忘れはったら、あきまへん」

「そりゃ、判っとるがね」

 鼻の下の八の字髭が震える。上田は重宝しているものの、この男が信用出来なかった。

 しかし上田も老練な政治家である。ここ十数年、中道保守政治を支えて来たのである。清濁あわせのみ、様々な勢力を巧みに操っていかなくてはならない。

 そして二十一世紀も三分の一以上が過ぎた今日、産業と軍事の将来を握るのは、特殊超常能力の研究開発だった。上田こそがどの政治家よりも、そのことを痛感していた。

「それて……僕もこのトシでいつまでも尉官ちゅうのも、その。大学校でやったら三十過ぎ、幹部学校やったら二十代でも珍しない。

 なんや下士官たたき上げのベテランなみのトシですわ」

 上田は判らないようにほくそ笑んだ。

「君はなんせ元地方人。そんな君を情報特別雇員として準文官採用するのも、統合自衛部隊正式発足のドサクサで、無理に武官にするのも苦労したぞ」

「そりゃ感謝してます。ですからこうやって、恩返ししてるんです」

 何が恩返しだ。ワシをせいぜい利用しているクセに。上田はそう口には出さなかった。



  

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