第二動

 事件から五日が過ぎた。浦和市郊外の東部軍航空総隊浦和航空兵站衛戍地では、大神夢見上級兵卒の日常が続いていた。朝は教練、昼は任務、夕方は学習である。

 教育担当である竹中一曹は事件について何も言わなかった。日頃から己と他人に厳しい人物である。

 ただ、無口で陰気な夢見のことを、よく気にかけてくれていた。

 それが突然、彼女を教務室に呼び出したのである。昼食後のことだった竹中は真剣な眼差しで「問題児」を見つめる。夢見もこの人物にだけは頭があがらない。

「君は先週、警務隊から何か言われたか」

「……報告書に書いた通りです。あの……別に被害者もおらず、総ては電気統計の事故として処理されたそうです。沢田三尉からそう伺いました」

「君にからんだチンピラは、いずれもケンカ慣れしたプロらしい。格闘成績の芳しくない君が、物理的に危害を加えたとは考えられない。

 だが、病院で検束された一人が、発狂したのは知っているか」

「……そんなことも聞きました。でもその……何がおきたかはわかりません」

「そのことに関係するのかどうか。市ヶ谷が君のひとを嗅ぎまわっている」

 統合自衛部隊Japanese Unified Self-defense Troops=「JUST」の最高司令部は「軍令本部」と称し、市ヶ谷の中央永久要塞にあった。

「ともかく身をつつしみたまえ。君は卒業後、航空学校を受けるつもりなんだろう。私も君に是非、うかって欲しい。

 ささいなことでもいい。私に報告してくれ。いいな」

 竹中に言われるまでもなく、彼女に帰る場所はなかった。家には戻れない。「娑婆」に出ることも出来ない。彼女に通常勤務がつとまるかどうかはなはだ疑問だ。 パイロットになるしかないのだ。彼女が社会で生き抜くためには、世間と距離を置くしかなかった。

 島嶼保安駐屯部隊の独立監視員なら、一人か二人で何ヶ月も離れ小島暮しだ。

 しかし残念ながらこの任務は男性に限られている。あとは孤独な航空哨戒任務ぐらいであろう。

 父は悲しいまでに頑なな愛を注いでくれた。母には、嫌われこそしながったがうとまれていたかも知れない。少なくとも真剣に愛された経験はない。

 まだ小さい頃は、葛城の実家で母に抱かれた記憶もある。よく母乳を飲んだとも聞かされている。しかし義務教育をうけはじめるころに、かつての美麗様は自分の世界に閉じこもりかけていた。アイドル美少女霊能者としての永遠の日々を。

 実の娘が、むかしの自分に似てくるに連れ、過去の栄光を渇望しだした。

 狂おしいほどに昔を愛した。自分の歪んだ世界に沈むと同時に、娘を無視するようになった。

 一方父親は自分に厳しく、そして一人娘に熱心だった。家事から教育、休日の遊びまで見てくれた。

 しかし言葉少なく、いつも沈みがちだった。自分を責め続けていたのだ。

 夢見はそんな父がいじらしくもあり、またその頑なな真面目さが憎らしくもあった。嘘でもいいから、妻の「能力」を信じてあげるべきだった。

 欲深いステージパパと、腹黒い大手プロダクシヨンから妻を守ったが、その妻の言うことを生真面目に疑った。

 そのことが大神美香の精神をいっそう荒廃させている。今でも母親は、海を眺められるサナトリウムで、かつての「美麗様」としての記憶の中だけに生きている。

 大神夢見にも「力」は遺伝していた。また「力」のせいで母親がおかしくなったと信じている。

 やさしく健気な、そして自分に厳しすぎる父を、母は時として罵倒した。

 自分の今はお前のせいだ、と。また一人娘に対しても、時折癇癪を爆発させた。

「お前も私を、インチキだと思っている!」

 江田島の統合幼年術科学校に入って以来、夢見は過去と決別するつもりで、学科と教練に精を出した。

 おかげで成績はよかった。しかし人嫌いは改善されないまま時が過ぎた。

 そんな中で、里美とだけはなんとかまともに話すことが出来る。とは言え、本心を見せることはない。

 親分肌の少女、里見の家は裕福ではなかった。親に負担をかけずに勉強したいと、大震災前後に発足したジャストの統合術科学校へ入ることになった。

 だが日々の訓練と任務をこなしつつ、三年間で一般高校程度の学力をつけなくてはならない。かなりハードなスケジュールではある。

 男っぽい里見はクラスの人気者だった。そして何故か、美しいが無口で人見知りの激しい夢身を庇い続けたのである。

 夢見は早くから空に憧れていた。一人で青空を飛べば、人々の思念に悩むことはない。いつかパイロットになって、一人で鳥になりたいと考えていた。統自に入って航空士官を目指せば、金もかからないしパイロットになりやすいはずだった。

 しかしそれが実に甘い考えであることにやがて気が付いた。パイロットは航空兵の中でもエリート中のエリートである。競争率も高い。

 ならばせめて航空整備兵にでもなろうと、なんとか努力していた。一号生徒を優秀な成績で終えれば、三等曹長心得として正式配属される。

 しかしそれからは実力の世界だ。早い者だと半年で昇進するし、士官を目指す人間ならば、来年には横須賀の統合防衛大学校を受けるだろう。

 彼女はこの三年近くで随分「大人」になったかも知れない。人付き合いも躊躇いながら、最低限はこなすようになった。

 しかし心の底では決して、他人を受け入れることなどなかった。唯一の例外かも知れない里美すらどうしてもこじあけることが出来ない、心の冷たい鎧に辟易することがあった。


 屈強な男が、深夜の波止場を行く。十年前の大規模暴動、実質的な局部内戦によって荒廃しきった「天使の街」ロス・アンジェルス新港のはずれだった。

 この辺りは、ニューヨーク共同租界などと並んで、アメリカ連邦政府の国家権力が無価値である「無法無道地域」の一つだった。

 ここは混沌の局地たる世界の、無様で醜悪な縮図なのである。かつての「人種の坩堝」「新世界」は、「悪意の坩堝」「暗黒世界」と化していた。

 十年前に作られた「新港」は朽ち、人間社会とは明らかにちがった様相を見せている。ここは暗黒勢力の暴力だけが支配する、犯罪の「聖地」だった。

 任務とは言え、こんなところへ侵入するのは命がけだ。海兵隊で武術教官までつとめた彼は、消音拳銃と超小型ロケット弾などをしのばせ、渡り労働者のいでたちで暗い倉庫街を歩いていた。時折罵声と悲鳴がこだまする。人影を見れば敵と思わなくてはならない。

 男は「禅」の修行を積んでいた。他人の気配、中でも「殺気」を読み取ることが出来る。恐怖心を押さえつけることも容易だった。その彼をして、心胆が冷え冷えとしている。

 AICアメリカ情報共同体の中では、「ビショップ」の暗号名で知られたプロフェッショナルは、やがて半分壊れかけた大きな倉庫に辿りついた。

 情報通り、車が何台か止まっている。合衆国軍の車両だ。中ではきわめて危険な取引が行われているはずだった。


「こ、これが、最新の配置図です」

 空ろな目の将校は、航空宇宙軍の少佐だった。マッチ箱大のチップを渡した。東洋系の女は、闇の中でサングラスをかけている。

「この中に、スカイ・センティネルの哨戒ルート。

 各基地の警備情況もはいっています」

「ありがとう。助かるわ」

「す……総てはミネルヴァ様の……為」

「ふふ、伝えておくわ。あなたは基地に戻って総てを忘れること。

 また必要になったら、呼び出すからよろしくね」

 恍惚とした表情で、少佐は敬礼した。きびすを返して出ていく。倉庫二階のキャットウォークで「気配」を殺して見つめていた「ビショップ」は、その異様な光景に戦慄した。

「心をコントロールされてやがる」

 いまだ世界最大の軍事力をほこる米連邦軍の機密データが、どんどん漏洩していた。操られている少佐も、その「亀裂」の一つにすぎないはずだった。

 突然、ビショップの全身を鋭い痛みが襲う。小さなスパークが服を焦がす。男はのけぞるように倒れ、階段を転げ落ちた。しかし頭や首はなんとか守った。

 一階下のキャットウォークに背中を打ち付け、息がつまる。起き上がろうとすると「声」が全身を緊張させた。

――気配を消していたとは、さすがね」

 耳ではない。頭の中に声が響く。男はやっと立ちあがり、邪悪な影を見つめる。

――そうか、修行をしたのね。でも元々素質があったのかも知れないわね。

 本当に残念ね、男なんかに生まれて」

 ビショップは腰のホルダーから拳銃をぬいた。長身の女は右手をかざす。とたんに拳銃の十ミリ口径銃口が少し歪む。

――我ら選ばれし「セイント」に忠誠を誓ったらどうかしら。正式メンバーには到底無理だけど、よかったら、使い走りぐらいになれるわよ」

「ほざけっ!」

 ビショップはトリガーをしぼった。弾丸は発射されたが、歪んだ銃口にとめられた。火薬の爆風が逆にほとばしり、銃を破壊した。

 ビショップは吹き飛ばされた人差し指を庇いつつ、転げまわる。

――馬鹿なことを。苦しむだけよ。ほんと、劣等人類っておろかね」

 別のホルダーに隠した超小型ロケットランチャーに左手をのばした。その瞬間、ビショップの肉体は細かいスパークに焼かれた。

 脳や心臓の組織に致命的ダメージが与えられ、情報員の生命は確実に消えつつあった。苦しげに呼吸し、口から血を吐き続ける男に、影が近づいてくる。微かに笑っている。

 特殊情報工作員ビショップは最後の力で、頭をもたげた。

「お……お前が、ミネルヴァか」

 この妖しい女性も、闇の中でもサングラスをかけている。髪は染めているのか、血のように赤い。彼女に光は基本的に必要なかった。

――名前を知っていてくれてうれしいわ。あなたがかの有名なビショップとはね」

 「ミネルヴァ」は一切口を動かしていない。

「こ、この化け物め!」

「………いいえ、世界を滅ぼす悪魔よ。

 あなたは大変な修行を積んだみたいだけど、私達の前ではまるで赤ちゃんね」

 やっと「言葉」で話し出した。きれいな東部標準米語だ。声は清んで落ち着いている。

「おまえらにメンタルジャックされた人物の大半は発狂するか、自殺したぞっ!」

「フフフ。私は仲間を増やしたいだけよ。

 劣等種族の中から救ってあげなくっちゃ」

「…お前等の魂胆は判ってる。主要国の政治経済をコントロールするつもりだな」

 ミネルヴァは小馬鹿にしたように笑った。

「政治経済を? 何のためにそんな無駄なことするのよ、馬鹿馬鹿しい。

 我々はね、腐敗した人類を浄化するのよ」

「じ、浄化?」

「そう。浄化、消毒、害虫駆除、雑草抜き。

 正しい人、セイントのみが繁栄出来る社会を作るの。そのためにはゴミ以下の下等人類が邪魔なのよ。

 だからお互いにつぶしあうのが一番よ。自滅の武器にはことかかない。

 でもその前に、セイントとして生まれながら気付いていない仲間を目覚めさせなくてはならない。真の人達は是非、救済しなくちゃね」

「な………なんだとう」

「それが我等継承人類『セイント』、聖別されし知性の、神聖至高の義務よ」

 元海兵隊武術教官は、冷たい鉄製通路にはいつくばり、かろうじて頭をあげて「敵」を見つめていた。怒りと恐怖の中で、一言いい返してやりたかった。

「なに……戯言を。狂人め」

「さて、おしゃべりがすぎたようね。じゃ、おやすみなさい」

 赤毛のミネルヴァはサングラスをはずし、血まみれの相手をにらんだ。断末魔の悲鳴とともに、ベテラン情報部員の肉体は光と炎に包まれた。

 すぐに悲鳴は止まった。喉と舌が破壊されたのだ。ビショップは悶えつつ、急速に焼け縮んでいった。


「いやっ!」

 夢見は飛び起きた。生きが荒い。灰色のシャツが汗でべっとりと濡れ、肌に張り付いている。隣の里美もおきた。

「ど、どうしたの。いつもの夢?」

「…………い、いまの、何?」

 何も見なかったのだ。事実、彼女が「夢の精霊」と呼ぶブロンドの美少女を見なくなってから、夢というものを見ることが極端にすくなくなっていた。

 たった今見たのは夢ではなかった。イメージをともなわない強烈な憎しみと敵意のように感じられた。心臓が高鳴っている。夢身はわけもわからず、無性に悲しかった。


 統合自衛部隊JUSTは、陸海空三自衛隊の整理統合により誕生した。その基幹は四つの航空機動艦隊と機甲陸戦部隊である。

 横須賀と舞鶴には第一・第三航空機動艦隊が、そして大湊と佐世保には第二・第四護衛艦隊が待機し、十六万余の将兵を誇る。

 軍備規模では世界第三位、実質戦闘力では第二位とされる。しかしあくまで防衛戦力であり、外征能力は低い。

 混乱と対立の世紀と言われる今日、国連平和強制軍の必要性はますます高まっている。主として常任理事国の軍事力によって構成されるが、日本はジャストの特殊な編成と平和憲法をたてに、強制軍参加を極力回避していた。

 そもそも国際連合という組織自体が、今ではその前身たる国際連盟よりも悲惨な最後をむかえようとしている。

 変わるべき組織は、所謂先進国間で調整が進んでいるとされていた。

 ジャストの壮麗な「最高司令部」は、首都市ヶ谷台に完成しつつあった。元あった、宇治平等院を模したといわれる建物を立て直し、何層にも施設を作った。地下三層までしか公表されていないが、広大な弟四第五層も仕上げにはいっている。

 全体的には中央棟と呼ばれる高層ビルを中心に、左右に建物が並ぶ。我が国の情報の中枢たる統合軍令本部情報統監部は、その中央棟地下第三層にあった。

 そこからある日、統監部長付き情報参謀と名乗る人物が航空兵站部浦和衛戍地に突如あらわれた。統合軍令本部勤務を示す青みがかった灰色の制服に、銀色のたいそうな参謀飾緒を吊るしたずんぐりとした男で、丸い顔に今時珍しい度のつよい眼鏡を光らせている。

 男は重そうな鞄を抱え、統自ご自慢のダクテッドファンVTOL機「あまこまⅡ型改」から降り、兵站部司令棟へと入った。

「田巻一尉です」

 対応した竹中はいぶかしみながらも、命じられた通りに夢見を班長室へ呼び出した。将校は細い目をそらに細め、ねっとりとした視線で均整のとれた夢見の体をなめまわす。

「君がかの大神おおみわ君やね。前に浦和近くのトラム駅で、なんやケッタイなことになった。実物の方がベッピンやな」

「そ、そうでありますが、あ、あれは……」

「そう緊張せんかてええ。別にとって喰わへんし。

 わざわざ東京から来たんは、そんなことのためやない。時間あるか?」

 夢見はずんぐりとした一等尉官に連れられて、司令棟一階の将校用談話室奥の個室へと入った。幹部専用の部屋である。

「たいへんやったけど、教育総監部も警務隊本部も全部話は通してある。ノラ犬が何匹傷ついたかて誰も気にもせえへん。近所の地方人たちは喜んではるやろ。

 大切なことはやな、おかげで君の隠れてたモンが明かになったかも知れへんこっちゃ」

「…………」

「そんな恨みがましい目ぇで見つめなや。なかなか別嬪やのに、そう暗うては台無しや。まあ複雑な生立ち考えたら、しゃあない面もあるけどな。

 君なあ、統合幼年術科学校受ける時、特別精密検査受けたやろ。そん時におもろいデータ出てたらしいな。担当者が、よう読み取れんかったみたいやけど」

 目の細い将校は厚いレンズの底から、視線で相手を舐めている。夢見は視線を避けた。

「ど、どんなおもろいデータでしょうか」

 脳波検査や三次元投影式脳内電位測定で異常な結果が出た。しかし検査ミスまたは偶然として処理された。今回田巻はあらためて過去のデータに着目した。

 実は夢見が検査入院した病院のマルチスキャニングのデータも不正に入手していたのである。

「州警察から警務隊に、報告が回って来とった。なんでも突然電気吹き飛んだり、窓ガラス割れてもたそうやてね。警察では偶然の電気系統事故やとしてる。

 闇の中にスパークが走りまわって、明りついた時には何人かが血まみれで逃走。君はベンチに座りこんで、瞳孔開いて放心状態」

「な、なにがあったか憶えていません。

 私一人でそんな真似できたわけがありません」

 田巻は顔をのぞきこみ、目をいっそう細めた。邪悪な微笑みだった。

「いや、君や。ほかにもデータあるんえ。まぁ言われへんけどな。

 実験が失敗したん栗山先生の言うた通りやった。実験そのもののミスやない」

「あの……実験? その、なんのミスです」

「いや、それでだいたいわかった。ポテスタース・スペルナートゥーラーリスあるんや」

「ポ、ポテスタース?」

「スペルナートゥーラーリス。特殊超常能力PSN。

 平たく言うたら、まあ超能力やね」

 目を丸くする夢見に、田巻はまくしたてた。今世紀に入って特殊超常躍能ポテスタース・スペルナートゥーラーリスの存在が、学会から密かに認められた。

 政府はその利用、特に「産業化」を極秘裏に模作し続けていたが、大震災ののち今年に入って正式に国家予算をつけた。

 とはいっても、一切が秘密裏に行われている。今まさに国防省でその軍事利用についての研究を開始し、実験体である能力者を集めているのだと語る。

「わ、わたしがそのポテスタースなんですか? その……わたしは別に…………」

「この前のあれなぁ、どう考えてもなみの人間のするこっちゃあらへんえ。

 キミのおかげで、『しなとべ』予備の能動作用量子通信の秘密実験が、ワヤになってもたし」

 夢見はあの時の不思議なイメージを思い浮かべ、冷や汗が出てきた。

「で、でもそれは自分には、その……」

「まぁ悪いようにはせんがな。とって喰うたりせぇへんし」

「わ、わたしは………その」

「親元帰るのいやなんやろ? パイロットになって大空飛び回りたいんやろ?

 それやったら統監部に協力しいや。こんなエエ話、滅多にあらへんえ。ちょこっと実験に協力するだけで、航空学校でも何でも行かしたげるよって」

 ねっとりした言い回しで情報将校は口説く。転属命令を出せばいいはずだが、多分彼の言う「特殊プロジェクト」はあくまで志願を建前としているのだろう。

 それに情報統監部と航空兵站部ではまるで命令系統がことなる。一般に情報関係セクションは、「現場」から胡散臭い目でみられている。

「まあ、よぉ考えといてえな。ほんま悪い話ちゃうから」

 田巻己士郎は何かと甘言で誘い、その日はひとまず引き上げた。その目には「断れるはずがない」との傲慢な確信があった。

 のちに心配している竹中に事情を説明すると、腕を組んで真剣な顔を見せた。

「軍令本部勤務とは、君のような隊員にとってはまさに幸運だ。それだけに不安だ。それにあの田巻と言う男、かなり黒い噂がつきまとっている」

 夢見には何がなんやら判らない。「ポテスタース・スペルナートゥーラーリス」などと初耳だったし、自分にそんな特殊な能力がるなどとは、気づきたくなかった。

 昔からいじめられっ子で人見知りが激しく、人付き合いが苦手な、孤独を愛する女性だった。だが言われてみると、確かに不思議な記憶もある。

 いじめられっ子においかけられ、崖から飛び降りて気を失ったことがあった。気が付くと、三人の苛めっ子はそれぞれ怪我をして泣きじゃくっていた。

 その頃だったかも知れない。「夢の精霊」が現れはじめたのは。

 父によると、生まれて半年もたたないある深夜、突如夢見は激しく泣きだした。その時の記憶はないが、二、三日は何かに怯えていたと言う。

 あるいはいつもの「悪夢」をはじめて見たのだろうか。物心ついた時には、美しく悲しげな「少女」が夢をしばしば訪れた。

 論理的な会話が出来るようになってからは、「夢の精霊」に相談することもあった。夢見はその名の通り、夢の中でのみ本来の彼女に戻ることが出来た。

 精霊は大人びた口をきいた。夢見より年上に思えた。しかし姿は、五歳か六歳のままである。いつも白いドレスを着ている。

 美しい金髪を風になびかせ、薔薇色の頬と青く大きな目が印象的な美少女。しずかでやさしく、そして悲しげな姿は、夢見を魅了した。

 夢の中の会話ゆえ、つじつまの合わないことが多い。精霊の名前もしらない。しかし母も父もいないらしい。

 彼女は何度も、夢見を励ました。成長するに従いますます心を閉ざし、日々のルールとマニュアルに従って言葉少なに生きる少女も、夢の中では屈託のない笑い声をたてた。

 そして最後に「会った」のは、何年も前のことだった。精霊が消えて以来、夢見は孤独な自分をごまかしつつ日常に耐えている。


 宿舎棟に戻ると、里見がさっそく心配して寄って来た。いきさつをたどたどしく語ると、怪訝な顔をしながらも一応喜んでくれた。

「スゴいじゃない! 軍令本部なんて。しかも泣く子もひきつる情報統監部よ。

 なんか判らないけど、現状打破のチャンスかも知れないわ。ともかくあんたの能力認めて、引き上げてくれるんでしょ」

 このままここにいても、パイロットになるチャンスなどめぐってこない。そこまではさすがに言わなかった。

「…………里美がそう言うなら、そうかもね」

「九月に卒業すれば、多分職場はばらばらよ。私はもうあんたを支えてあげられないと思う」

「私も、自分で歩いていかないと」

「うん。でもね、これ師団本部の噂なんだけど田巻って情報将校、たよりなさそうに見えて中々の策士らしいわよ。

 けっこうスケベみたいだし、美人には優しいって」

 確かに胡散臭い、どこか信用出来ない人物だ。なんでも現在の国防大臣辺りが後見人で、そのスパイのような役目もあるらしい。

 何かと黒い噂がつきまとうのは確かだ。

 だが田巻の言うように、このままではパイロットなんて夢のまた夢だろう。

「あのね、夢見。あなた、本当に市ヶ谷へ行ったほうがいいかも知れない」

「でも……ここでも勤まらないのに」

「ううん。この二年ほどで随分かわった。強くなった。少しでも心をひらいてくれた。

 呉の学校入るんだって、大変な決意だったんだしょ? 死にかけたし、精霊さんとやらはいなくなっちゃうし。

 でもあんたなんとか立派にやったじゃない。幼年部時代は挨拶も出来なかったし、相手の目も見られなかったのが」

「みんな…里美のおかげよ」

「あんたが自分で乗り越えたんだよ。あたしは助けただけ。精霊さんと同じよ。

 案外あたしが来たから、精霊さんは消えちゃったのかもね」

 松崎里美の言うことも、もっともだった。統合自衛部隊にも「再編成」「人員配置効率化」がさけばれている。

 特に肥大化した政府機構に対する国民の視線が厳しくなりつつある今日、統合自衛部隊内部にも綱紀粛正の嵐が予感されている。

 そんな中で、夢見のような性格の女性がまともな任務につけるのだろうか。難関中の難関と言われるパイロットテストに通る自信は、残念ながらなかった。

 運がよくてせいぜい航空整備兵か基地要員として、上官や部下のあいだで揉まれて暮すしかなさそうだ。

 軍事組織はことのほか上下関係、ついで同僚との連帯を重んじる超体育会系である。突出した個性や、特に協調性の欠如は問題とされる。

 自立と安定を求めて防衛官になった夢見とは言え、そんな「社会」は苦手中の苦手だった。彼女は比較的個性派、個人主義者の多いパイロットになるために、ジャストを選んだのだ。

 時期がくれば退役し、民間空輸会社ででも孤独な空中輸送業務を楽しもうと考えている。

 しかし悪夢の東海・東南海大規模地震から時もたち、復興はなしとげられたが、経済と社会はまだ混沌としている。

 世界は三分の一がまだ混沌の中にあった。空輸業も氷河期のままだ。まして夢見は、航空学校への入試資格すら得ていないのだ。

「あの……私、里美とはなれるの、こわい」

 里美は言いにくそうに、かぶりを振った。

「あたしがいたんじゃ、あんたいつまでも自立出来ない。それに悪いけど、あたしだって家族の面倒見るために、どんどんわりのいい任務を希望しなくちゃ。

 ゆくゆくはスカの統合防衛大学校へ入るつもりよ」

 スカとは横須賀の略である。出身者のことを揶揄し「統防者とうぼうしゃ」とも呼ぶ。呉の統合術科学校卒業者は反対に、「島モノ」などと呼ばれている。

「…………里美、ごめんね。迷惑ばっかりかけて」

 夢見は泣き出しそうな顔を見せた。里見には屋品はなくてはいけない親がいる。彼女は昇進し、弟を一般大学へやりたかった。

「あたしも楽しかった。人の面倒見るのって、小さい頃から慣れてるんだ。

 それよりもよく考えなよ。千載一隅のチャンスって奴かも知れないからね」

 夢見は久しぶりに、人前で涙を流した。


 悩み迷い、眠られぬ夜を過ごす夢見に、「結論」がやって来た。

 それは、選択の余地のないものだった。教官室に呼び出された夢見にはある種の予感があり、竹中一等曹長に比べて、いくぶんさめていた。

「君の件が、むしかえされて問題になった」

「あの………総ては処置した、とおっしゃっていましたが」

「どうも上層部の意向のようだ。何が起きたかは知らない。

 君は来週付けで、情報統監部配属と決まった。急な話だが、転出願いを出せ」

 夢見は例によって何かに耐えるような視線をおとしている。

「卒業は特例で繰り上げられる。君は来週、正規の三等曹長に昇進する。異例だが心得ではない。そしてそのまま市ヶ谷だ。

 前代未聞のことだが、一応君の希望と言う形をとる」

 竹中は大きくため息をついた。

「その、例の一尉が言っていた職務に?」

「私には聞く権利すらない。ただ一つ確かなことは、推薦書は軍令本部総長が発しているということだけだ」

「は、服部最高将帥から?」

 最高司令官である。ジャスト創建功労者の一人で、初代軍令本部長を続けている。そんな人物が直接転任に関する推薦書を書くなど、極めて異例のことだった。それがゆえに竹中も当惑していた。

 夢見はもう躊躇すら出来なかった。

 里美が言うように「チャンス」と信じたかった。




 

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