第一動

 ドアのすきまから光がさしこめる。そのむこうには部屋があった。見知らぬ部屋。しかし懐かしい。総てがミルク色の靄につつまれたように曖昧だ。

 その部屋の中で、女性が倒れようとしている。ブロンドの髪を持つ美女。その口を、ごつい手が押さえている。

 誰かが女性の口に錠剤をねじ入れている。抵抗と涙。言いようのない恐怖。

「ママっ!」

 そう叫ぼうとするが声が出ない。「ママ」の「意志」が喉をしめているのだ。声を出したら殺される。せめて一人娘だけでも助けたい。

――静かにっ!」

 死につつある女性は、娘の心に必死でそう訴えていた。

――ママっ! ママっ!」

 やがて光景が闇の中に消える。悲しみと憎しみだけが、うずまいていた。


 大神おおみわ夢見ゆめみは毛布の中で息をあらげていた。また「あの夢」を見た。何年ぶりだろう。

 しばらく忘れていた。悲しく恐ろしく、胸をしめつけられるような悪夢。

 しかしその悪夢が、「夢の精霊」との出会うきっかけだったのは確かだ。あれは彼女、夢見にとっての「ダイモン」が見た、現実なのだろうか。

 ならば精霊は実在したのか。あるいは悲劇の中で死んでいった少女の「霊」なのかも知れない。その「夢の精霊」に会えなくなって何年かたつ。見るのはこんな悲しい夢ばかりである。

 彼女が自閉状態から「自死」しようとした時が、最後だったはずだ。その時「精霊」は夢見の意識に介入し、そして確かに彼女を救った。そして消え去った。

 かくて夢見は底知れぬ孤独から、なんとか立ち直ることが出来た。

 実在したにせよ彼女の心が作り上げたにせよ、「夢の精霊」は大神夢見を救い、生きることへの希望と自信を与えたのである。だから彼女はこうして生きている。

 その役目を終えたのか、もう夢に現れ、語りかけてはくれない。時折見るのは、悲しすぎる悪夢ばかりだった。彼女は以来、一人で自分を励まし続けた。

 大神夢見はこの九月に、晴れて統合自衛部隊統合幼年術科学校を卒業、第2種特技労働資格を持つ三等曹長心得として、しかるべき部署に赴任する予定だ。

 しかし数ヶ月後に卒業前の総合演習をひかえ、このところ体調がよくない。

 ここ二年ほどなんとか押さえてきた鬱傾向が、またひどくなっている。親友であり唯一の理解者たる里美とも、口をききたくないことがある。重症だった。

 彼女は長身筋肉質で、端正な顔立ちをしている。明るさに乏しいものの、相当の美形である。言い寄る者も多い。しかしほとんど誰にも心を開くことはなかった。

 それは彼女がようやく身につけた処世術である。人の「心の声」に怯え、人々から白眼視され一時は自殺まで企てた彼女は、自らの心を闇に静めることで平静を保持しだした。

 それは自殺、と言うより「自死」に近かった。自らの意志で呼吸と心臓の鼓動をとめようとしたのだ。彼女の強力な意志は、自立神経すらコントロールすることが出来た。

 しかし消えつつある意識の中に、あの「夢の精霊ダイモン」が現れた。久しぶりだった。前とかわらない美しい幼女の姿で。

 しかしその精神と考えはずいぶん大人びていた。

――逃げるなんて卑怯よ。

 夢見を励まし、死を逃避だとなじった。夢見はその真剣な説得に答え、人生観をややかえた。呼吸を再開した夢見は、自室のベッドの上で汗みずくだった。 その中で確かに、愛らしい声を聞いたのだ。

――もう会えない。私は私の世界を生き、使命を果たす。あなたもがんばって。

 それが何を意味するのかは今も判らない。それが精霊ダイモンと「会った」最後だった。

 彼女は復活し、どうにか義務初等教育を卒業した。新学制によって専門教育や大学予科、高等教育などのコースを選べる。

 あきらかに性格のかわった彼女は、自らの意志で呉の幼年術科学校を選んだ。ともかく父母の元をはなれ、なんとか対人恐怖と心理閉塞を打破したかった。

 この学校であれば授業料がいらない上に全寮制で、衣食住に不自由はしない。第二学年からは初年兵卒として、僅かながら給金も出る。

 そのうえ卒業後の「就職先」も保証されている。福利厚生もそれなりにいい。

 とは言え心理的に極めて脆弱で、環境適応能力の低い彼女にはたいへんな冒険だった。さすがに父はとめた。哀れなまでに生真面目な父だったが、現実の前についには折れた。

 さらに当時の社会状況はまだまだ酷かった。犠牲者行方不明者一万人以上を出した東海南海広域震災から約十年、世界的不況は続いていた。。

 インフレによって莫大な赤字国債は目減りしたものの、円は急落。経済成長率はなんとかプラスになった程度で、失業率は十パーセント近かった。当然公務員人気は高く、一方で政府再編成と大改革で多くの公務員が追放されていた。

大神夢見が難関を突破できたのは、その集中度といざと言うときの落ちつきのせいだと思われた。そして呉市の寮に入った。 ともかくそれ以来、夢見は家には戻っていない。母の容態が思わしくなく、父とともに今は大和州南部の海べりで療養している。

 彼女は去年の九月に無事二号生徒となり、上等兵卒の身分で浦和へ赴任した。三年目は、上級学校進学者以外ならば各衛戍地の「分校」で遠隔授業を受けることが出来る。

 夢見の赴任地は関東州航空兵站総隊指揮下の浦和衛戍えいじゅ地だった。「いざという時」のための物資を貯蔵しておく場所である。宿舎は基地内にある。

 定期的に休暇も出たが、夢見は誘われてもめったに「地方」、即ち基地外へは出なかった。

「今日ぐらいつきあいなよ」

 上等兵卒となった大神おおみわ夢見が、その週の土曜日に珍しく外出したのも、唯一の親友である松崎里美に強くすすめられてのことである。

「少しはとっつきやすくなったけど、このところまた暗いよ。土曜ぐらいは街に出て世間の風をすってないと、口頭試問でバツくらっちゃうよ」

 統合幼年術科学校の卒業検定演習まで三ヶ月。浦和衛戍地内分校での授業や教練の成績はまずまずで、卒業検定合格は確実と思われた。特例で三等曹長と言う下士官になれる。

 しかし彼女の心理判定結果にはかなり問題があった。やはり対人恐怖は直っていない。いくら命令には従順でも、こう心を閉ざし続けていては「兵士」として問題だ。学科試験と富士山麓での演習のあとも、心理分析官立会いの元にいろいろと質問される。

 別に世間の情勢に疎くとも卒業に影響はなかろうが、確かにこう塞ぎがちでは、とても良い成績はもらえまい。特別職国家公務員たる防衛官にかぎらず組織で重要視されるのは、対人関係と従順さ、そして要領のよさなのである。

 なんとか自分の心を開こうとしている里美の誘いをことわることは、心苦しかった。他人の考えが不幸なまでに読める夢見は、自我を守るために高い「防壁」を作っている。

 それでも悪意や暖かい心は、壁から滲みこんで来る。

 里美の場合は、近くにいるだけでその誠実な思いやりがどうしても伝わってくる。夢見にとって世間、外界は言わば総て敵地なのだが、里見だけは唯一と言っていい味方だった。


 衛戍地からオートトラム駅へむかったのは、昼食後である。昨夜里美は遅くまで近くのパブで騒いでいたらしい。陽気であるがゆえに冒険心にとみ、異性にも人気が高い。

 外周新線を通って浦和市街地へ出かけたのだが、途中見た光景はやはり夢見に暗澹たる思いを押しつけた。

 郊外ではニュータウン計画がすすみつつある。美観を優先した古典的な邸宅が立ち並ぶ。

 一方で被災者住宅はまだ減っていない。加えて、大陸などからの難民は、すでに五十万を越えていると言う。今後アジアの争乱は終息にむかうらしいが、経済的混乱は悪化の一歩をたどっている。難民もマフィアもますます増えるだろう。

 政府の全国準警戒状態宣言解除からまだ数年。実質的にまだまだ準非常時だった。犯罪率もここ半世紀で最悪となり、各地で武装盗賊団が暴れまわっている。 それを取り締まる武装警察攻撃部隊は過酷かつ徹底的だが、凶悪犯罪はあとをたたない。父、大神悟が語ってくれた「栄光と繁栄の平成」など、夢見たちの世代にとっては夢物語だった。

 里美の買い物、間食につきあうこと数時間。夢見は疲れてしまった。夕方前になって同僚は嬉しそうにうちあけた。

「陸戦部隊の連中と騒ぎに行くんだ。深夜帰営許可はあんたの分もとってある」

 いつの間にそんなことをしたのか、と驚いた。夢見が熟睡している間に、指紋リーダーをかってに持ち出して許可申請したらしい。

「ありがたいけど本当にごめんなさい。このところ気分がすぐれなくて」

 嘘ではなかった。数日前、またあの「悪夢」を見てから調子が悪い。ここ数年でかろうじて崩れかけた心の壁が、また臨戦状態になっているような気がする。

 里美は悲しい友人の当惑をたちまち察した。元々期待はしていなかった。

 街の猥雑な空気に触れて多少は気分がのったところで、騒ぎに連れ出せないかと期待したのだ。

「いいわよ、判ってるって。他の女の子達も来るから気にしないで。でも本格的に勤務しだしたら、いろいろと付き合いもあるから慣れておかないとね。

 まさかと思うけど、一人で帰れるよね」

 夕方の混雑する繁華街で、二人は判れた。夢見は航空兵科をあらわす紺色の制服に、薄いブルーの略帽をかぶっている。

 人いきれと騒音、そして渦巻く人々の「想念」で息苦しくなってきた。もう限界だった。

 首都郊外オートトラム第三線駅へ辿りつくと、来た車両にとびのった。

 生徒防衛官の運賃はただである。それだけに上官許可のない場合は席に座るな、と指導されているが、この日ばかりは座りこんでしまった。

 顔色も悪かった。肉体的なものよりも精神的に疲労が大きい。しばらくして夢見は、激しい頭痛に教われた。そんなことははじめてだった。全身が冷え、汗が流れる。隣にすわった「地方人」紳士が思わず声をかけたほどだった。

「だ、大丈夫です」

 ちょうど無人トラムが停まった。夢見は逃げるように降りた。しかし降りるべき駅の一つ手前だった。足元がふらついている。視界が黒くかすむ。

 ともかくホーム外にあるトイレにかけこんだ。里美とともに食べたものを総てはいてしまうと頭痛はやや収まったが、得体の知れない闘争心が彼女の心を「侵そうと」しているように感じられた。はじめての経験だった。

「な…………なに、この感覚は」

 夢見は立ちくらみをおこし、トイレの外へ出ると改札わきのベンチに座りこんだ。目をつぶると、妙なイメージが頭に侵入して来る。それは何かを一心不乱に念じる妙な「意志」だった。

 何を念じているのかはわからない。しかし必死である。義務と信念によって支えられた強固で、どこか頑固かつ純粋な「思念」または「精神」。それが強烈に夢見の「心理防壁」を揺さぶっている。その正体も理由も判らない。

 やがて夢見は確かに感じた。相手も夢見の存在に気付きかけて、当惑しているらしいことを。

 相手には敵愾心も邪心もない。ただ一心不乱な思いを「送って」いる。それにたまたま夢見が「同調」してしまったかのようだ。

――あなたは誰、なにをするの! 妨害しないで!

 相手にそう、心の中で叫んでいた。

「何してるんだい」

 軽薄な下心のある、下等な声だった。汗みずくの夢見はなんとか目を開けた。 当世流行の十九世紀貴族風の派手な服に身を包んだ、二人連れだった。化粧を念入りにほどこした顔から、獣性と下賎さがにじみ出ている。甘い声で流行語を羅列し、しきりに何かを誘っている。二人とも二十歳前後らしい。

「気分楽になるから来なよ」

「……じ、自分は大丈夫ですから、ほっておいて下さい」

「随分いい女じゃん。いこうよ」

 やがて仲間がもう二匹増えた。駅のあちこちで網をはっているらしい。

 ぐったりした夢見を見下ろし、性欲を高めつつにやついている。夢身の中で嘔吐感が高まって来た。

「どうする。このまま連れていくか」

「ヘータイだぜ。かまうもんか」

「クスリまだあったかな」

 そんなことをいいつつ、卑しげに笑いあっている。その中のリーダー格らしい若者が、ついに夢見の腕をつかんだ。汗ばんだ手だった。

「さ、送ってくよ………」

 その時だった。夢見は男達の手を降りはらうと鋭く叫んだ。

「触るなぁぁぁ!」

 むくつけき男の手に触れられ、恐怖と怒りにとりつかれた。理性は殻を閉じていた。夢見の叫びに呼応するかのように、駅の電気がいっせいにスパークした。 明かりが消え、周囲は騒然となった。

 他に客はいなかったが、駅員は慌てだした。

 若者たちはこの辺りをシマとする、ジゴロだった。女は獲物であり商品である。こんな情況でも、手にかけた収穫物を手放そうとはしなかった。

 突如訪れた闇を利用して、上等な獲物を連れ出そうとした。そのことが、極限状態で失神寸前だった夢見の怒りと恐怖を、不幸にも解放してしまった。押さえつけられ続けた「力」が、暴発したらしい。

 彼女が気付いたとき、非常灯で赤く染まったトラム駅構内は、多数の救急隊員と野次馬などで賑やかだった。怒号と悲鳴の中で、彼女は「夢の精霊」のことを考えていた。

 

 航空兵站部浦和衛戍地からは、地上総括第二分隊の竹中がやって来た。

 駅員の通報を受け救急隊と警察がかけつけたものの、前科のある若者は逃げ去っていた。

 一人は頭から血を流し重態だったが、二人がかついでいったらしい。

 意識のあった三人も相当の痛手をおい、恐怖に泣き叫んでいたと言う。竹中は上層部と連絡を取り合い、「善処」に努めた。

 夢見は近くの救急病院で、眠れない夜を過ごした。里美がやって来たが、竹中が追い返してしまった。翌朝は警察が事情聴取に来た。しかしなにが起きたかは憶えていない。

 闇の中で悲鳴が聞こえたぐらいである。警察もあまり熱心ではなかった。

 こうして貴重な土日をつぶしたが、一人個室と検査室に入れられたことで、夢見は満足だった。

 月曜の朝「引き取り」に来た竹中は、ほとんど口をきいてくれなかった。

 そして衛戍地へ戻るやいなや、宿舎に入ることも許されずそのまま司令部棟の会議室へ連れて来られたのである。

 沢田とだけ名乗った士官は、陸戦隊員をあらわすカーキ色の将校服の右腕に、黒々と「警務」と書かれた緋色の腕章をしている。

 襟章も肩章も毒々しい赤である。

「オオミワ・ユメミ。生まれは大和州か」

 大和州は、かつての近畿地方と若狭を含む行政区域である。

「かわった志願同期だな。人嫌いを直すためにジャストに入ったのか」

「は……はい」

「まぁ相手が悪かったとは言え、君にも落ち度と隙があった。これからは自重したまえ」

 相手のジゴロのうち二人までは判った。一人はまだ意識不明で、もう一人は手足を複雑骨折している。しかもほとんど錯乱状態で事情もきけない。

 何があったかは知らないが、州警察は適当に書類をつくって、器物破損あたりでことを納めようとしていた。 統合防衛官がかかわっていたらしいことで、国防省と州警察のあいだで話し合いがもたれたのだろう。

 もともと警察は、不良やチンピラ、ヤクザ者などについては不介入方針を貫いている。「良民」に手だししたり「お上」にたてついたりつないかぎり、彼らがどう殺しあおうと大抵は大目に見る。

 むしろ「自己淘汰」を推奨しているかも知れない。

 夢見はなんらかのトラブル現場に立ち会ったか、まきこまれかけた。そんな辺りで処理が終っていた。しかし駅員が闇の中でかすかに見た、異様なスパークと「ただごとではない何か」については、噂がひろがりつつあった。

「今回は隊の体面も保てた。しかしジゴロ相手に事件などおこせば、卒業すらあやうくなるぞ。そんなことは判っているはずだろう。

 こう言っちゃなんだが、君は性格面でなにかと問題も多いようだな」

 夢見は視線をおとして、悲しみに耐えた。

「ともかく警察が大目に見てくれているのだから、我々としてもこれ以上…………」

 警務隊三等尉官の携帯電話がなった。いかめしい顔のまま電話に出た。

「沢田警務三尉だ」

 相手は田巻とだけ名乗る。

「タマキ?」

 俺を知らんはずはない。そんな調子で、相手は身分を名乗らない。

「そう。情報統監部の田巻己士郎こしろうや」

 やがて沢田は表情をいっそうけわしくした。

「し、失礼しました田巻一尉殿」

 セクションは全く違うが、評判は聞いていた。かかわりあいになりたくない相手だ。

「例のオーミワたら言うオナゴ、今そこで尋問してはるんやろ」

 沢田は、目の前で項垂れる長身の少女を見つめた。

「あの、簡単な事情聴取ですが」

 夢見の一件については、何故か情報統監部で取り扱う。田巻は慇懃にそう厳命した。

「いや、いること判ったらええ。土曜の午後七時頃に新線二番の駅におったん、たしかやな。警務隊の日報に出てた、例のトラブルで。それで越権行為するつもりあらへんけど、もし協力してくれはったら助かるし」

 田巻の所属部署の特殊性、秘匿性を熟知している沢田は、敢えて理由をきかなかった。

「……畏まりました。爾後警務隊は無関係、軍令本部のほうにおまかせします」

 憮然と電話をきると、やおら立ち上がる。夢見も驚いて立ち上がった。

「ともかく今回の件は上層部の判断で不問にする。

 一層勉励努力し、立派な統合防衛官になってくれたまえ」

 お互いに敬礼し、総ては終わった。

 情報統監部の「札付き」一等尉官田巻己士郎は音声電話をきると、傍らの人物に言った。

「時間的にも地理的にも一致しまんな。偶然とは思えへんえ」

 田巻の音声電話を深刻そうに見つめていたのは、五十歳にしては若々しい女性だった。

 引き締まった肉体は軍人らしく背筋が伸びている。髪の毛を耳にかかるほどに切りそろえ、明るいブラウンに染めていた。日本人離れした理知的な顔で、かなりの美人だった。。

「来島君は言っていたね。恐怖にひきつる少女と『視線が合った』とか」

 マホガニーの基調とした落ちついた執務室である。

 片面の壁には、機器類が並ぶ。

「東部軍のセンサーも、浦和北郊で電磁波と重力波の不可解な乱れを観測しているわ。スキャニングの方向、来島君の証言。それに衛星がとらえたPSN能動量子などは、総てあのオートトラム駅を示しているね。

 君の『しなとべ』の予備実験と時刻も会うね」

 田巻は下卑た笑みを作った。

「そしてその時間、あの場所にオーミワちゅう子がおった。

 さっそく今日にでも僕が浦和行ってきますよって、石動閣下はご心配なく」

 田巻己士郎こしろう一等尉官は、青みがかった灰色の通常勤務服に略帽を被った。田巻の人一倍大きい頭の為の、特注品である。そして「室外の挙手の敬礼」をすると、統監部長の研究室を出た。

「オオミワちゅうのは、珍しい苗字やな。三輪神社の関係かいな」

 中央棟まで戻りながら、そんなことを考えた。

 我が国防衛の中枢、市ヶ谷中央永久要塞は新古典帝冠様式の豪壮な建物群から成る。しかしその「本丸」は、堅い岩盤に守られた地下にあった。

 特に秘匿性を要求される情報部門などは、主として地下最下層にある。

 この統合自衛部隊発足以来の問題「謀略」将校の身分は「情報統監付連絡士官、情報参謀補」と言うものだった。

 一般私大出身の彼が就職難から当時の防衛省関連広報会社に入り、やがてかくも「見入りのいい」ポジションを得たのも、後見人である上田国防大臣のおかげだとされている。

 田巻が地下専用の将校エレベーターを待っていると、ロビーからゲートを通って香水の強い臭いが迫ってきた。

 ふりむくと、白衣を来た妖艶な美女が腰をくねらせてやってくる。

「あら、タマちゃん。私にご用って何かしら」

 田巻はひきつりながらも、その危険な香りを楽しんだ。この季節、白衣の下は黒い下着だけと言うことが多い。一等佐官小林御光おみつの目は、嬌態の中にも鋭い輝きを保っている。

「く、詳しいことは暗号メールで書いておきましたやろ。実験妨害の件ですわ」

 と言いながら辺りを見回す。二人はリフトに乗りこんだ。

「ああ、あの能動作用量子中継実験ね。三尉からも聞いたわ。弓七号実験かしら?」

「はじめ聞いた時は僕も疑ったけど、今朝の報告書見て驚きましたわ」

 二人はエレベーターに乗りこんだ。小林は耳元に口を近づけた。

「それで、原因は判ったのかしら」

 強い香水の臭いにまじった艶かしい色香が、副鼻腔炎気味の鼻を刺激する。

「その件であなたにも意見あるわよ。石動のオバちゃまから聞かされたの、土曜になってからだわ。三尉に私が了承しているって言ったの、あなたね」

「し、承認を受けられつつあり、って言いましたんえ。

 ほんまは斑鳩いかるが二曹を借りたかったのに、部隊長おん自らかって出て。『力』もない常人やのに無理してまあ」

「いずれにせよ、私は後回しね。『甲号しなとべ』はあなたの計画だしね」

 妖しい笑みの中に怒りがこめられている。

「そ、そりゃ高等計画室のマターやし、情報統監部には別に。

 でもこれがうまくいったら、第十一課エルフィンかて助かりますやろ」

「それで、実験はどうなっちゃったの?」

 地上からはなたれた「特殊精神波」は、太平洋上の偵察衛星にキャッチされた。しかしデータ収集の間に、観測機器が決定的なダメージを受けたのだった。

「別人の干渉受けて、実験がわやくちゃになってしまいました。常人で試したんが間違いか。

 勘の鋭い来島三尉が叫んで卒倒するわ、計器が吹き飛ぶわエラい騒ぎやった」

「それは聞いたわ。肝心の原因について、第一次報告書はボカしてたみたい。

 書いたのはあなたでしょ? 古臭い文章で判るわ。PSNもない三尉を危険に晒して」

「と、ともかく実験は、ほとんどうまく行きかけたんです。三尉の微弱なポテスタースかて、立派に増幅されましたえ。これやったら常人にかて、応用出来るかも知れへん」

 実験は北関東にある高等研究所の極秘施設と西太平洋の空母松島、そして沖縄上空の静止偵察衛星とで行われた。特殊能力のない一般常人を使った思念通信実験だった。

 地上から発した「思念」を装置で無理に増幅し、静止衛星で「中継」して空母が受信しようと言うのである。

 この実験計画は極めて機密性と危険性の高い、国家的事業だった。

 最初、ある程度うまく行ったようだ。しかし実験は全く予想をしていない「妨害」によって中断されたのである。浦和市北郊外から、強力な不規則干渉があったらしい。

 それがあの大神夢見によるものなのかどうか、まだ結論は出ていない。

「つまり、その……なんちうか」

 理学博士小林御光一等佐官は、突如ベルトのホルダーに手をのばし、情報準参謀のはがき大の情報端末を奪ってしまった。

 田巻があっけにとられている間に、すばやい手つきで端末のキーをうつ。エレベーターが地下五階についた。小林を追うようにして田巻も降りる。

「パスでブロックしてまっせ。なんぼ上官かて違反行為や」

「パスワードは知ってる。先月かえたわね」

 と言いつつキーを打って端末をオンにした。

「えっ! な、なんで………」

 突如小林は立ち止まった。

「父親は大神悟。母親は美香。またの名は美麗。旧姓……しんのう?」

「にいのうって読みます。芸名『新納にいのう美麗』ですわ」

「みれい………! あの新納美麗の娘なの?」

 今世紀はじめ、「美麗様」は一世を風靡した「アイドル霊能者」だった。

その愛らしく美しい容貌、神秘的な優雅さに加え、彼女の見せた「力」はいかなる懐疑論者をも沈黙させた。簡単な透視、スプーンまげからやや怪しげな予言まで、彼女は「超能力」と呼ばれたものを華麗にやって見せた。

 美麗様の地位を決定づけたのは、当時反オカルトの旗手としてマスコミにかつがれた、防衛大学校教授だった。

 番組に依頼され美麗様のトリックをあばくべく、最新式の機器を用意して実験をおこなった。

 しかしいかなる工作も発見できず、教授は信者に転じた。その後、彼女こそ新世紀の生き神として海外でも評判となった。

 そんな彼女に破局が訪れたのは十九の歳である。当時、ステージパパに翻弄されていたうぶでひたむきな彼女を支えたのは、プロダクションから派遣されたマネージャー、大神悟だった。

 元タレント志望のハンサムだが、この世界では珍しいほど生真面目かつ真摯な青年で実の両親以上に美麗様を心配した。たちまち「生き神」は青年に恋した。

 そして不幸にも、純真な悟に、ひたむきな愛をいなす度量も知恵もなかった。美麗は密かに妊娠した。と同時に、唐突に能力を失ったらしい。

「つまり、女になってもうたわけやね」

「気の毒な話ね。でも当時はまだ、PSN研究なんて影もなかったから仕方ないわ。騒動は憶えている。インチキだトリックだって叩かれてたわね」

「一番のショックは、大神悟がインチキを認めてしもたことや、と聞いてます」

 マスコミに囲まれたマネージャーは、プロダクションを裏切ってその野望を認めた。プロダクション社長と父親は激怒した。しかし美麗は一転し、マスコミの「犠牲者」扱いされだした。

 くびになった悟は、故郷の紀州で実家の林業を引き継ぎ、ほどなく生まれる子供を育てると断言した。そのことも美談として扱われた。

 しかし当の美麗様はおさまらなかった。子供がうまれてからも、自分が「本物」だったことを訴え、マスコミ復帰を狙った。

 怪しげなプロダクションにも騙された。

「なんや子供はほとんど、父親とそいつの年取った母が育てたみたいですな」

「母親は?」

「資料によると、父親のせいや言うてエラい責めて。

 真面目な亭主は責任感じて、先祖伝来の山売ってまで女房孝行尽くしてるとか。今は大和州南部、紀伊郡のリゾート型サナトリウムで二人暮し。父親は現地で植林指導員しながら、半分ノイローゼの嫁はんの面倒みてるそうです」

「………立派ね。それでこの夢見ちゃんの入隊動機は?

 経済的なものとも思えないけど」

「義務教育終了間際に、自殺未遂おこしてはりますな。そのあとはなんか悟って、自立したくなったそうで。十七かそこらで、ほんま立派なこっちゃ。

 まあそんな家、いてもおもろないやろな。それも自殺の動機は、心理精査でもはっきりせえへんかったみたいですわ」

「だいたい想像がつくわ。新納美麗が本物の初期的な能力者だったとしたら、一人娘がその能力を受け継いでいる可能性大よ。

 保持者か超能力者って言われる人は大抵孤独なの。人の心が読めたり死者が見えたり。ノイローゼになる者も多いし、大抵は自我防衛のために心をとざしてしまうものよ」

 田巻が驚いたことに、小林は携帯端末を返しながら、やや悲しげな表情を見せた。めったにそんな顔は作らなかった。

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