第11話:イレドの夜其の1

 既に日は傾き、美しい夕暮れ空を呈していた。


 俺達は質屋から聞いた情報を頼りに、道具屋で町の地図を購入し、服屋で目立たない服に着替え安宿へ向かっていた。


 宿への道中、閃凛はぴょんぴょん跳ねながら行き交う人をまじまじと見たり、ウィンドウディスプレイに飾ってある小物や装備、衣服をガン見しながら俺の後をついてくる。


 彼女の服装は家から着てきた瑠璃色基調のフード付きワンピースだったが、店員曰く、かなり高級な生地のようで端から見ると良家のお嬢様に見間違いされるらしい。まあ可愛いし、肌艶もみずみずしく健康体そのものだからより一層金持ちにも見えて当然か。


 彼女は四百年一人で生きてきても本質はやはり女の子で、服屋ではすごい喜びようであれもこれも試着していた。しかし結局今後の所持金のことや男性用の方が安いという理由から俺の服だけを買うことになり、しょぼくれていた。格好では俺の方が変わっており、目立つため仕方ない。とはいえ、閃凛の家事情を考えると、なんとか金を工面して二、三着は買っておいてあげたい。


 俺の服装はといえば、上はグレーのタートルネック調の薄手の長袖生地に膝上辺りまである黒のベストコートで前ははだけている。下はタイトにダボダボしている黒いズボンで、なんか土方の兄さんがはいているような感じだ。靴はウェーディングシューズを変えたくなかったためそのままで、リュックは見た目上違和感あるため、竜の鱗と一緒に毛皮で包んで持ち運ぶことにした。


 中央広場から地図で東に少し進んだ所に目的の宿があった。宿の名は『瓦礫の憩い』。最初に寄った宿よりも小さく、いかにもな安宿である。


 夕日が届かないのか、一階のロビーは薄暗く、二台の木製の四角いテーブル上と壁の数カ所に油ランプが灯されているだけだった。


「すいませーん、泊まりたいのですがー!」

 カウンターには誰もいなかったので、後ろの店員用の部屋に向かって声を上げた。


「あいあいー」

 出てきたのはボサボサの白髪で鼻が前に長いお婆ちゃんだった。


「客さんかい?一泊一人千五百黄貨だよ」


 前の宿は五千黄貨だったので、素晴らしくやすかった。まあ部屋は残念だと思うが。


「とりあえず二名二部屋で五泊お願いします」


「申し訳ないね。一部屋しか空いてないんだよ」


「え!?」

 一部屋はまずい。年頃の女の子もいるんだし、日本人としてそれは道徳的に受け入れられない。


「ええと、ベッドは?」


「一つだよ?」


「あちゃーそれはだめだなあ…」


 すると横にいた閃凛がきょとんとした顔で俺を見た。

「航、一つじゃだめなの?」


「え!?」

 予想だにしない声がけに声が裏返ってしまった。


「いやいや、だめでしょ?一つのベッドで寝るなんて。しかも一部屋しかないんだよ」


「え?一緒に寝ればいいでしょ?」


「え!?」


「いやいやほら、閃凛は女の子、俺は男。だめでしょ?」


「なんでだめなの?ワタシ毎日お母さんと寝てたよ?楽しみだなー久しぶりに人と一緒に寝るなんて!この前は航一人で離れて寝てたし」


「ふぇえええ…」

 純粋さもここまでいくと如何わしさも感じない。俺の道徳観がおかしいのか?この世界は一緒に寝るのが普通なのか?いやいや違う違う、閃凛は「男」という性別をまだ事細かに理解していないのだろう。


「客さん、連れのその子もそう言ってんだから泊まってきな。赤の他人ってわけじゃないんだろ?」


「え、ええ…まあ…親戚…ということになってはいまし…て」


「親戚なら問題ないだろう。三階の一番奥の部屋だ」


「う…あの、鍵は?」


「鍵?そんなのないよ」


「あ、はい…」


「そうだ、あの毛布は?床で寝る用に」


「ないよ。ベッドにある一つだけさ。今は寒い季節じゃないから何もかけなくても大丈夫さ」


 俺、この選択間違えたか?


「航、早く早く!」

 閃凛が部屋をみたくてたまらない様子で急かす。


 部屋は木のベッドとテーブル、椅子が一つずつ置いてある十畳程度の広さだった。窓は一枚でベッドとは反対の位置にあった。


「なんてボロい部屋なんだ…ベッド固すぎだろ…敷きマットがこんなに薄いぞ」


 閃凛は逆の反応だった。

「うわーー久しぶりのベッドだー!寝るの楽しみ!」


 流石四百年洞穴で過ごしただけある。俺はやはり贅沢者なのかもしれない。


「航!ご飯は!?」


「ああ。もう行こうか」


「よーし!たくさん食べるぞ!」


 その言葉に俺は少し怯えた。閃凛がたくさん食べるとどういうことになるんだろう…。とはいえ、俺も食事は楽しみだった。なにせようやく人間が食べる物にありつけるのだから!思えば異世界に生える野生の果実や竜の心臓という日本人が普通口にしない物を食べ、その度に体に激痛が走りのたうち回っていたんだからな。死なないのは結果オーライだが、やはり人間が料理したちゃんとした物を食べたいのだ。


 俺達は宿のお婆さんに出掛けることを伝え、食事処へ向かった。


「これで航も食中毒からおさらばできるね!」


「ふふふ…やっとだ…もうあの地獄の苦しみはやだ!でも閃凛は大丈夫なのか?恐らく竜の血を引く人間がだす料理じゃないと思うぞ?」


「あはは、大丈夫だよ!ワタシは金剛石の胃を持つ女なんだから!」


「そいつは何食っても問題なさそうだ」

 他愛もない談笑をしながら、店の前に着いた。


「ここだ、食事処『隷属の希望』。…凄いネーミングだな」

 宿から更に東に数百メートル離れた所に位置し、周りもどこかみすぼらしい格好の人間が多く見受けられる。どうやら中央広場から東は貧困地区のようだ。


 店に入ると意外にも盛況だった。店内は明るい白熱灯らしき光に照らされ、香辛料の香りで充満していた。


「ようこそ隷属の希望へ!何名ですか!?」


 給仕らしき女性が入店早々に声をかけてきた。


「二名です」


「テーブルとカウンターどちらにしますか?テーブルなら相席になりますが」


 他の客とのトラブルはなるべく避けたいためカウンターを希望し、案内された。

 カウンター席に座り、壁に貼られている木の板に書かれてあるメニューに目を通す。


「絶対ここ美味しいよ!ワタシの絶対嗅覚がそう告げてるんだ!」


 絶対嗅覚ってなにかな?閃凛のちょっと高くて美しい形をした鼻がピクピクしている。


「確かにうまそうだな。香辛料を使った料理がメインなんだろう。食欲を刺激するいい匂いだ」


「あーもー早く食べたい食べたい!死ぬほど食べてやる!」


「閃凛さん、あの、余り所持金は無いので、どうかお手柔らかにお願いしますよ…?」


 閃凛は目を細め、不敵な笑みをこぼしながら俺を見つめ、こう言い放った。


「それはワタシの胃のみぞ知る!」


 まあ、この金は閃凛の家から持ち出してきた素材を売ったものだから、実質彼女のものだからな…仕方ないか。


 閃凛がメニューから料理を次々に注文する。その品数に店員は目をぱちぱちしながら受けていた。


「お待ちどおさまです!」

 給仕が料理を狭いカウンターに所狭しと置いていく。


「まだ注文品がありますが、とりあえずこの料理がなくなったらお持ちしますね!」


 気の利く店員だ。接客はこんな場所なのに悪くない。だからこその盛況なんだろう。


 運ばれた料理は暖色系の多い熱々のものばかりで、鼻孔を刺激するほどのスパイシーな香りを飛ばしていた。肉にオレンジ色の丸い大きな山椒のようなものがごっそりかけられていたり、色とりどりの野菜であろう植物に黒い細長い繊維質が散りばめられていたり、肉の塊そのものの料理だったりと物珍しさは抜群だったが、どれも食欲をそそる品々だった。


「よーし、たーべよっと!!」


 閃凛の口から僅かに涎が流れたのを見た。女の子なんだからもっと落ち着いて。


「んーーーーー!!やばーーーい!!おいしーーー!!」


「どれどれ…」

 鉄製のフォークのようなカトラリーで俺も口に運ぶ。


「んーーーー!!うまああああああい!!」


「おいしすぎるよこれ!!あーワタシ今まで何食べてたんだろー!!」


「最初は辛いけど、その後に絶妙な旨味が口に広がり、辛さをマイルドにしてくれるぞ!」


「よくわかんないけど、おいしーーー!!」


 その様子を近くの給仕や客がみて、笑い始めた。


「この世界、料理まじうまし!!」


「なにこの肉!?口の中で溶けてなくなっちゃうんだけど!?」


「マジか!?この世界にも霜降りなんてあるのか!?」


ガツガツバクバク


 俺達は無心で食べ続けた。




「ふはあぁぁ~もうお腹いっぱいだ~」


 しかし、そんな俺を尻目に閃凛はまだ手を休めずに頬張っている。


「あの閃凛さん…そろそろ…明日以降もありますし…」


 一体どれほど閃凛は食べているのかわからない。食べ終わった皿はすぐに給仕が片付けていたため量がわからず、値段すら概算できない。


「ふぇ?わひゃるはひゃっはりひょうひょくはんはへ航はやっぱり少食なんだね


 ほっぺたが冬に備えるリスのように膨らんでいるぞ。


「すいませーん」


「はーい」


「ええと今大体いくらぐらいになってますかね…?」


「少々お待ち下さいね」

 店員に現在いくらぐらい食べているのか確認してもらった。


「現在ご注文いただいた料理で…三万黄貨になります」


「三万!?オーダーストップでお願いしまっす!」


「かしこまりました。ありがとうございます!」


 三万…俺の服一式で一万、雑貨で一万、宿代で一万五千、一回の食事で三万。残金一万五千黄貨…。


 あかーん!


あへあれふぉうひゃひょんひゃひゃめやのもう頼んじゃダメなの?」


「うん。もうだめだ。明日以降食べられなくなるぞ?」

 閃凛は飲み込んで言った。


「そっかーまあ腹三分っていうしね」


「腹八分だから!?」


 ダイヤモンドの胃袋じゃなく、ブラックホールだな。


 未だ店は多くの客でごった返し、給仕らが忙しく動き回っている。客層を見ると、やはり貧困街なのか、上品な服装をしている人はいない。そう考えるとここが繁盛している理由はわかる気がする。そう、味が濃く刺激的なのだ。濃い味付けや辛い物は食べた気に脳が錯覚させてくれる中毒性の高い性質を持っている。逆に薄味は確かに旨いが、何か物足りない。現に俺が取引先を日本料亭やら高級店に接待した時に食べた物は確かに旨いが、それは素材の質がよく、味付けは基本的に上品なものばかりだ。まあ、味の濃い料理は人間の心には満足感を与えてくれるが、体には良くないんだよな。


 俺は店員にこの町の情勢や噂話を聞ける酒場はないか聞き、それなら向かいの『隷属の愚痴』がお薦めと教えてくれた。


 チェーン店?商魂たくましいとはこのことだが、せっかくだから言ってみるか。


「どっか行くの?」


「ああ、ちょっと酒場でこの都市のことを色々聞いておこうと思ってさ。あ、そうだ。閃凛はお酒はまだ飲めないよね…?」


 閃凛の見た目はどう見ても十代半ば。この世界に酒の摂取制限があるかはわからないが、一応聞いておく。


「お、お酒?お酒ってあの、お父さんがよく飲む物だよね…?」


「え?あーそうなるね」

 この反応からするに飲んだことはないのか。ジュースか何かあればいいんだが。


「の、飲めるし!ワ、ワタシよく飲んでたから!何杯でも言っちゃうもんね!飲みたいなー!」


「飲めるの!?」

 なぜ見栄を張る!?あれか、背伸びをしたいお年頃ってやつか?


「お父さんからダメって言われなかった?」


「い、言われてないし!全然飲めるし!」

 なるほど、飲みたくても止められてたのか。この世界にも飲酒制限があるのかもな。


「の、飲めないと暴れちゃうし!」


 既にシラフで酒乱!?


「わかったわかった。じゃあ一緒に飲もう」


「やったー!!」


 四百年以上生きているんだし、日本の法律なんて気にすることはないか。

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