第10話:地球人の力

「のわっ!」


 日の当たらない薄暗い路地裏に突き飛ばされ、俺は地面を滑り転んだ。

 起き上がると、日を背にして、でかい図体の男三人が俺に近づいてきた。


「な、なんだお前たちは!?」


「いよー兄ちゃん、大丈夫かーい?ごめんごめん、ついつい避けられなくてぶつかっちゃったんだよー」

 おかっぱ頭で決して服装が上品とは言えない身なりだが、背丈は百九十センチはあろうかという筋肉マンが言いよってきた。


 俺のこれまでの人生は絡まれるという経験はなかったため、心臓の鼓動が聞こえるほど緊張しだした。


 冷静に状況を把握しようと努めるが、興奮と恐怖心の方が勝り、混乱する。暗さに目が慣れ始め、絡んできた男達の風貌だけが情報としてはっきり捉えられたくらいだった。


「そうだ兄ちゃん、今転んだ衝撃で恐らくどこか痛めてるはずだからさ、俺達が確かめてあげるよー。まずはその荷物を置いて、着ている服を脱ごうかー?」

 スキンヘッドの人間とリザードマンの男が俺に更に接近してきた。


「お、お前ら!一体何が狙いだ!?」

 わかりきった事を質問する程度の考えしか俺には思い浮かばなかった。


「なにって、体を確かめてやるだけさー。あ、その診療代として荷物と衣服はいただくけどねーー!ひゃーはっはっは!」


「ぐ……」

 このフィッシングベストやウェーダーがやはり一際目立っていたのか…。町に入ってたちまちのうちに狙われる程度にここの治安は良くない…。早急に服を周りに合わせる必要があるな。


「テメエ、さっさと脱げやコラ」

 スキンヘッドの男が俺の胸ぐらをつかみ恫喝した。


「きしゃーー!コイツ、すぎいいいいモン持ってやがんずぃーー!!みろよこれ、竜鱗だずぃ!!」


「なんだと!?マジかー!?一生遊べるじゃーん!!」


「こっちは八万黄貨だぜ!!今日はなんてツイてる日だ!!」


 こんな時に閃凛がいてくれたら、こいつらなんて問題にすらしないのに…くそっ!

 だが俺だって、墜落や化物といった修羅場から生き抜いたんだ。抵抗ぐらいできるはずだ…!


「い…いい加減にしろよ!」

 三人は俺の方を向く。


「ああぁぁ~~?」

 化物と対峙する怖さとはまた違う恐怖だったが、俺は勇気を振り絞る。大丈夫だ。墜落しても突進されても死ななかったんだから、最悪の状況を鑑みても命は助かるはず…。


「おいテメエ、今なんツッた?エ?」


「いい加減にしろって言ったんだ…!」


バキイィ!


 スキンヘッドの男に頬を殴られ、俺はすっ飛んだ。同時に激痛が顔に走る。


「ぼぇっ!」

 これが殴られた時の痛さなのか…。今まで喧嘩もしたことなかったからなんだか新鮮さと恐怖心で満たされていた。そして案の定痛みはすぐにとれ、頬をさすっても特に異常は見受けられない。


 俺はすぐに立ち上がり、奴らを挑発することにした。


「は…ははは。効かないねえ、そんな細腕のパンチじゃ」


 おかっぱ頭とリザードマンが俺に睨みつけている中でスキンヘッドが激昂して向かってきた。

「テンメエエエエ!!骨バラッバラにしてやんよ!!」


 避けられるか?右のストレートパンチが飛んできたのを目視できたが、体は避ける動作にはすぐには移らなかった。


 バッキイィ!という先程よりも強烈な打撃音と共に、またしても俺は路地裏の更に奥へ吹き飛ばされた。


 なるほど…体は鋼のように丈夫でも、動体視力や身体能力は変わらないのか。段々と自分の体のことを理解してきた気がした。


 暴漢三人組も殴り飛ばされた俺の後を辿るように近づく。


「兄ちゃん、タフだねー」


「コイツ、いいパンチ人形になれるずぃ」


「テメエ、すっげえムカツクわ!」


 俺に格闘術などない。素人の喧嘩ばりにでたらめに拳を振り回したり、蹴りを入れるくらいしかできない。ただ…当たれば、あの巨獣の首をへし折った時のように破壊力のある一撃を浴びせることができるはずだ…!


 俺は相手を殺さないように意識し、拳をぐっと握り締め、映画や漫画を模倣した格闘ポーズをとった。形だけで相手を威嚇できるならしめたものだ。


「図に乗るなよ…!望み通りバラバラにしてやらあ!!」


 スキンヘッドがバカの一つ覚えのように右手を後ろに構え、向かってきた。


 一発でいい!俺は相手の右手が飛んできたと同時に自身の右拳を横から振りかぶった。


バッキイィ!

ボキイィ!ドゴオオン!


「ぎゃああああああ!!」


 相手が向かって左に吹っ飛び、建物の壁に打ち付けられた。

 俺も後ろへ吹っ飛んだが、すぐに体は万全の状態に戻る。


「う、う腕があああ!!ぎゃあああ!!」

 スキンヘッドの断末魔が路地裏の狭い壁に反射して響く。遠目からみても、腕が逆くの字に曲がっていた。


「ゲエェェー!ゴホゴホッガハァッ!」

 吐血と嘔吐!どうやら一撃が肋骨か内臓も粉砕した感じだ。


 流石に内臓は生死に関わるので、後先のことを考えると不安になった。


「て、テメエ……何しや…がったあ……!」

 地面を吐瀉物や血で汚しながら、男は意識を失っていった。


「き、キサマ、やりやがったな!このやろーー!」

 仲間がやられた姿をみて、一瞬硬直しておかっぱ頭が突っ込んできた。


 後のことなんてとりあえず置いておこう。今はこの状況を打開することが先決だ。俺はまた拳を握る。


バギィ!

ボキイィ!ドゴオオン!


 おかっぱ頭もスキンヘッドと同じ所に吹っ飛び、悲鳴を上げた。


 こいつらが格闘技に精通していなくてよかった…。へなちょこパンチとモーションでもなんとか当たってくれた。


 おかっぱ頭は意識は失わず、左肩を抑えてもがき苦しんでいる。どうやら俺の拳は肩に当たり、骨を砕いたようだ。


「オマエ、人間のくせしてなかなか強いにぃ。だがこの爬族には敵わないずぃ!」

 身の丈二メートルは超えているであろう深緑の体色をし、蛇のような細かい鱗を纏ったリザードマンは明らかに固そうで、そして彼から繰り出されるであろう攻撃は人の力を遥かに超えるであろうと踏んだ。


「仲間の仇を討たせてもらうずぃぃぃ!」

 そう怒鳴ると、リザードマンは身を翻し、長い尻尾を回転させて俺に打ちつけた。


バチイィィン!!


 しなった尻尾の強烈な一撃が左上腕部に入り、俺は石壁に激しく打ちつけられた。


「ぐあああ!!」

 殴られた痛みとはまた違い、痺れと酷い鈍痛が合わさった感じの痛さだった。


 くそっ…殴ってもかわされそうだし、どう対処すべきか…。


「やはりオマエはタフだにぃ。普通ならオデの尾撃で終わりなんだぎぃ、それなら何度でもお見舞してやるずぃぃ!」


 再び尻尾が飛んできた。瞬間俺は尻尾を両腕で抱え込むように抱いた。


「なんだてぃ!?」


「この抱き枕の抱き心地はどんなものかなーー!」

 俺は力を腕に入れ、尻尾をぎゅっと抱き締めた。


バギバギバギバギ!!


「きじゃあああああああああ!!」

 リザードマンが泡のような唾を大量に吐き出しながら絶叫し、倒れ伏した。尻尾の骨が折れたのだ。そのまま尻尾を抱えて苦悩の表情と低い悲鳴を上げている。


「は、はは…ざまあみろ…」


 俺の手は震えていた。喧嘩という慣れない事をしたせいだろう。普段余り怒らない性格の俺が後輩に初めて叱った時もこんな感じだった。


 俺はスキンヘッドから黄貨を取り戻し、荷物とベストを元通りにして路地裏から出た。


「…あのままじゃ死ぬかもわからないから、とりあえず衛兵にでも伝えておくか」

 近くの衛兵に叫び声があの路地裏からすると適当な嘘で伝え、俺はダッシュで現場から離れた。



 目的は閃凛だ。今度は絡まれないように混雑していたが大通りの中央側からコロシアムへと急ぐ。


 十五分くらい急ぎ足で向かい、巨大な建造物コロシアムが構える大広場に出た。


「で…でけえ…」

 古代ローマ帝国のコロシアムは写真でしか見たことがないし、まして完全に修復されたものではない。しかし、眼前にそびえ立つこの建造物は紛れもない完全体のコロシアムだった。


 コロシアムは薄い紅茶色の大理石のような上質な石で建造されており、太陽光が鈍く反射した輝きがその威風堂々さを一層醸し出している。


「間違いなくこんなものが地球にあったら、世界遺産登録待ったなしだな」


 この世界の建築技術は技術進歩目覚ましい文明社会で育った俺のような人間でも暮らしていくのには不自由はなさそうだ。ただ、この建物の用途を考えると、そう安直には考えられないが…。


 コロシアムの周りにはあらゆる露天商と客で賑わい、喧騒もいい意味で甚だしい。


「閃凛ー!閃凛ー!」

 つい大声で探し回るが、この騒々しさでは意味が無い。



「バカヤロー!!なんで奴隷を解放しなきゃならねえんだよ!!」


「バカって言わないでよ!この子達がどうしてこんなボロキレを着て檻に入れられているの!?さっさと出してあげて!」


 喧騒の中で一際大きく怒鳴り合っている聞き慣れた声が聞こえた。間違いなく閃凛だ。


 現場に着くと、ライオンのような顔をした獣人と四本角を見事に最大まで伸ばした閃凛が口論していた。


「奴隷をどうしようが、俺様奴隷商の勝手だろうが!」


「奴隷自体がおかしいでしょ!あーもう!こんな檻破壊し―」


「閃凛!閃凛!」

 俺は二人に割って入り、興奮最高潮の閃凛をなだめた。


「航!」


「閃凛、まず落ち着こう」


「なんだキサマは?このガキの知り合いか?」


「すいません、この子ちょっと興奮しやすい性格でして―」


「航!こいつ悪い奴だよ!」


「閃凛、ちょっとこっちに」

 閃凛の腕を掴み、広場通りの反対側に誘導する。


「閃凛、はぐれちゃダメじゃないか」


「ごめんなさい。ちょっとこの建物がかっこよくてつい夢中になっちゃった…」


「それで、どうしてあの商人と揉めてたんだ?」

 俺はなんとなく理由はわかっていたが、改めて彼女の口から聞きたかった。


「アイツひどいんだよ!?あんな年端もいかない子供達を檻に閉じ込めてさ。あの子達、ぶるぶる震えてるんだもん。航もひどいと思うでしょ!?」


 閃凛はいい意味でも悪い意味でも純粋だ。純粋すぎて染まりやすい。いい両親の教育で育ったことは疑いようがないが、世間の裏に見え隠れする汚さや欲といった負の環境への免疫と適応力が皆無に等しい。


 俺が彼女と会い、この町への旅路の間に色々な話をしてわかったことだ。だからこそ閃凛から離れてはいけないと思った。


 この竜の血を引く少女は加えて強い。純粋さと強さを兼ね備えた存在は諸刃の剣である。善と悪の区別がはっきりしている性格であり、そして善が俺の考えるそれと同じならば、ここ奴隷都市イレドではいつ爆発してもおかしくない火薬庫だ。


 ここでの俺の返答が今後の彼女の言動を決めるといっても過言ではない。


「ああ。俺も閃凛の気持ちと同じだ」


「だよね!?じゃああの子達助けよう!」


「ただ、俺達はまだこの町のことを知らない。知らないからこそ俺達の言動には気をつける必要がある。俺も子供達を助けたくて仕方がないさ。あんな状況は俺の住んでていた所には無かったからね。でもね、今ここであの子達を助けたとしよう。その後はどうする?この世界の人間と初めて会った俺と数百年ぶりに会った閃凛が、あの子達の世話ができるだろうか?お金もない、住む場所もない、そんな立場の俺達が今助けても、逆に不幸にしてしまうことだってある」


「ワ、ワタシの家があるよ!」


「それはあの子達が望むことなのかい?閃凛は強いから問題はないけど、巨大な竜に凶暴な獣が跋扈する場所に無知で生活力のない子供が安心して暮らせるかい?誰かと生きる、育てるという尊い行動には重い責任が生じるんだ」


「そ…それは…」


「助けたいよ。でも今のあの子達は誰かに買ってもらうために生きている。食事や寝床も粗末なものだがあるし、少なくとも今の俺達が提供する環境よりは幾分かはましだと思う」


 プクーッと両頬を膨らましてうつむく閃凛。


「まずは、この都市イレドのことを知ろうか。そして今後のことを考えよう。奴隷のことも踏まえてね」


 閃凛は顔を上げた。角はすでに生えていない。


「わかった。航の言う通りにする。でもでも、あの子達もなんとかしたいな…」


「ああ。きっとなんとかなるよ」

 俺がそう言うと、彼女はフンスと気持ちを切り替えた。


 あの彼女の問いに対して、「そんなことをしたら大騒ぎになって俺達を捕まえに多くの兵士がやってくる」と言ったら、彼女は逆に蹴散らすまでよと発起し、行動に移していたはずだ。彼女にはその力があるだろうから。そうではなく、子供たちの視線と責任を伝えることで彼女の性根である優しさを刺激する言葉が最適だ。結果的にうまくいったわけだが。


 奴隷商にイーだと口を横に広げる閃凛を横目にしながら、俺はどうするものかと考えた。

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