第5話:竜の美少女に誘われて
ついてきて、と言った瞬間、閃凛の体が浮き、飛び始めた。
「ちょ、ちょっとまって!俺、飛べないんだ!」
飛び去る彼女に向かって叫ぶと、閃凛が戻ってきた。
「えー!人間って飛べないの!?」
「飛べないよ!」
びっくりした。あれ、まさかこの世界の人間は空を飛べるのだろうか。俺だけか?
「そっかー不便だね。ワタシは荷物持ってるから抱えられないし、徒歩で行こっか」
「ありがとう。じゃあ俺の荷物持っていっていいかな。すぐ近くにあるんだ」
「了解!」
たった一晩だが世話になった寝床に別れを告げ、リュックを背負って閃凛の家へと向かった。
時間はわからないが、感覚的に俺の寝床から彼女の家まではそんなに距離はなかった。
道中、彼女が俺の寝床を見て大笑いしていたのは恥ずかしかった。
「こっこでーす!こっここっこ!」
そこは高さ100メートルはあろうかという巨大な切り立った崖だった。崖であって家など見当たらない。
「え?家は?」
「入口は上だから、ちょっと待っててね。荷物置いて迎えに来るから」
そうか。飛べるから地上に入口を構える必要が無いのか。いいなあ飛べるって。
俺は閃凛に抱えられ、崖の上から降り立った。
家は崖の内部をくり抜かれた巨大な洞穴だった。周囲は岩肌、天上からは陽が差し込み、陽の当たる地上域にはふかふかの芝や花が群生していた。何より泉が湧き出ており、その透明度は真水に近い。泉の底からはぼこぼこと水が湧き出ているのが確認できる。
ただ、一般的に家と称される建造物はなかった。俺のベースキャンプの巨大版である。
「どうどう?いい家でしょー」
「た、たしかにいいところだけど、俺の寝床を大きくしただけの気もしないでもない…」
「いやいやいや、そんなことないよ!」
俺はリュックを下ろし、ふぅっと一息をつく。
でもここなら前の寝床よりも安全で落ち着ける。こういう秘密基地のような場所は小さい頃から憧れていたからな。それに、ドラゴンを倒した閃凛もいるし。
閃凛は大きな包袋をほどいた。中から大量の木の実がこぼれたのを見て、俺はあの昨晩の地獄の苦しみを思い出した。
「閃凛、その木の実は食用?」
「そうだよ。美味しーんだから」
住居問題は解決しても食料問題は未解決か。なんとかしないと…。
閃凛が木の椅子を一台運んできた。原木を脚のない椅子に切り抜いたものだった。
「一台しかないけど、どうぞ座って。お客さんなんて今までなかったからさ」
「いいよいいよ、閃凛が使って。それが地球マナーだからさ」
「そうなんだ…じゃあ、私も使わない」
気を使ってくれたのだろうか、別に遠慮なく座ってくれてかまわないのだが。よくできた娘だ。
閃凛は代わりに茶色の毛皮を二枚もってきて、これに座ってと勧めた。
目の前の木の器にはトラウマものの木の実がこんもりと盛られてある。
いつの間にか彼女の頭から角が消えていたのに気づいた。
閃凛が話し始めた。
「さてさて、じゃあ話の続きをしよっか。航、キミはどうやってここに来たの?ここは人間が暮らす町からすごく離れているのに」
やはりこの世界には俺以外にも人がいるのか。俺はここに来た経緯を話すことにした。
「なるほどー。航は地球という星から女神ルルックって人の暴挙でやってきたんだ」
「全く、ついてないよ…」
「だから飛べないんだ」
「人間って普通飛べないと思うけど!」
「うそっ!そうなの?不便極まりないねー」
「ただ、それは地球の常識だから、もしかするとこの世界の人は飛べるのかも」
「だよねだよね。飛べると思う。で、一つ気になったんだけど…」
「うん?」
「女神って神様だよね?ワタシが小さい時にお母さんから聞いた話だと、神様って信仰上の創られた存在で実在しないってのが通説なんだけど」
それはそうだ。普通は神なんてものはいたとしても人前には現れない。
「地球でもそんな感じなんだけどね…ただ、どうやら俺の身に起こったことは現実のようだから嘘とは言い難いんだよな」
「それが本当の話なら、神様ってひどいね!」
「ああ。なんとかしてもう一度会って地球に帰してもらわないと…」
いつの間にか山盛りの果実がなくなっていた。すごい食欲だ。
俺もずっと話し続けて口が渇いたので、泉から水を汲む。
「この泉の水、飲めるよね?」
「うん。全然問題ないよ」
ゴクリ
「ぷはーー冷たくてうまいな!生き返ったよ」
「面白い容器だね、ガラスでもないし何これ?」
「これはペットボトルっていって、石油っていう資源から作られるんだ」
「へー!地球人って色々面白いものもってるんだねー」
閃凛はリュックや内容物を見て楽しんでいる。
「俺からもいくつか聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「うん。どーぞ」
「ここにはずっと一人で住んでるのかい?」
「うん。えーと今から大体四百年前に両親から、『これからずっと一人で生きていく時が来た』って言われてね。それからはずっと一人」
こんな可愛い娘を四百年の間一人で生活させるってどんな文化なんだ?俺には理解できなかった。
寂しくないのかと聞きたかったが、恐らくそういう感情を捨てて今の性格を形成していると思うと、躊躇した。
「あの赤いドラゴンは?」
「この辺りには竜が多く生息していてね。見つかると襲ってくるからいつも注意してるんだけど、今日は果物採集に夢中になっちゃって気づかなかったんだ、えへへ」
「そ、そうなんだ…それにしても強いんだね、閃凛は」
スケールのでかさに俺は軽くヒく。
「そういえば最初に会った時角生えてなかったっけ?」
「あー角はね、感情が昂ぶっちゃった時に自然に生えちゃうんだよ。両親には生えないよう常に制御しないとダメだって一番厳しく叱られたんだよね。アハハハ…」
彼女は恥ずかしそうに両側頭部に手を当てた。
立派で綺麗な角なのに隠す必要があるのか。異世界の常識って難しいな。
最後に他の人の存在について聞いてみるか。
「さっき人の町から離れてるって言ってたけど、その場所って知ってる?」
「知ってるよー。ここに住み着く移動の途中で町を見たからね」
「そうか…」
「…行きたい?」
俺の意図を含んだ声色に察知したのだろうか。閃凛はストレートに聞いてきた。せっかく会ったのにすぐに別れることになりそうな雰囲気に若干彼女の言葉から寂しさが感じ取れた。
「そうだな…俺も地球人とはいえ人間だから…行きたい、かな。でも言葉がわからないんだよ。言葉がわからないなら行ったってどうすることもできない」
「ふんふん…あっそうだ。ちょっと待ってて」
そう伝え、彼女は飛んで穴の外へ出ていった。
少し経ってから帰ってきて、俺は驚嘆した。彼女の両手には大きな内臓らしき部位があり、真っ赤な血が滴り落ちていたのだ。
「ひぃっ!な、なにそれ!?」
「さっきの竜の心臓だよ。じゃーガブッといっちゃおー」
「いかないよ!?」
「えー!?これ食べないと言葉わからないよ?」
「こ、言葉!?」
竜の心臓を食べることと言葉がわかることの繋がりがよくわからない。
「地球って竜いないの?」
「いないいない」
「そうなんだ。ある程度大きな竜はね、言葉を話すことができるんだけど、人がその竜の心臓を食べると竜の備わっている言語認識能力を習得できるんだよ」
「なにそのチートアイテム…」
「町に行きたいんでしょ?」
「ぐぬ…」
この世界の人間は普通に食べられるとは思うが、俺にとっては毒という可能性もある。現に閃凛が食べていた果実は昨日のことがあるし…。そうか、火を通してみればいいのか。
「わかった…焼いて食べてみる…」
「え?焼くの?」
閃凛がきょとんとした表情で俺を見つめる。
おいおい、生とか冗談はやめてくれ…
「ち、地球人は焼いて食べるんだよ」
「そうなんだー。ずっと生で食べてるからびっくりしちゃった。あ、竜や魔獣は食べないよ」
こんな美少女がそのぷりんとみずみずしく光る唇を鮮血に染めながら生肉や臓腑を食べている姿はあまり想像したくない。
「火を熾すね」
彼女は奥に無造作に積まれている枝をもってきて、掌から炎を放出した。
「炎なんて出せるんだ…すごいな」
「そうなの?まさか地球人は…」
「うん。普通は出せないかな…」
「飛べない、火は出せない。地球人ってどうやって生きていってるんだろ。今度教えてね!」
そう言い、焚き火の真ん中に黒曜石のような平たい石を置いた。石焼のようだ。
石が徐々に赤みを帯びていく。
「これに心臓を置いて焼こっか。ついでにこれも」
閃凛は俺が八徳ナイフでスライスした心臓と琥珀色をした塊を石の上に並べた。
「この塊は?」
「これは近くの樹から採れる樹蜜だよ。すーーごっく甘くて美味しいんだー」
蜜を焼く、その発想はなかった。
ジューと音を立てて焼かれる心臓はまさにハツ。そして樹蜜からは甘い香りがする。
俺は覚悟を決め、その心臓を口に放った。内臓系はもともと好きではなかったため、味を感じる前に水と一緒にぐいっと飲み込む。
「これで話せるようになったかな?」
「だめだめ。もっと食べないと。それに焼いて食べたら話せるかどうかわからないし」
「ふぁああ…」
俺は一心不乱に心臓を食い続け、閃凛は焼いてぶよぶよした樹蜜を嗜んだ。
竜の心臓の五割くらいを胃の腑に収め、ギブアップ。
「こ、これで十分だろ、ゲフ」
「能力習得には十分だと思うけど、少食なんだね。樹蜜食べないの?まだあるけど」
さっき山盛りの木の実を完食し、その後時間を空けずに樹蜜の塊を十数個食べている閃凛だった。
そして、昨日の悪夢が再現した。
ビキビキビキ!
俺の肋骨が全て折れたような音が胃腸の辺りで鳴り響き、同時に体全体にこむら返りが起こったような激しい痛みに見舞われた。
「ぐああああああああ!!」
「どうしたの!?航!大丈夫!?」
「くぞおお!やはり…食いもんが合わなかったのか…!!」
「どうしよう!どうしよう!」
閃凛はどう対処しようかわからずあたふたする。
「だ、大丈夫…時間はかかると思うけど…きっと治まる…」
もがき苦しみ冷や汗が溢れ続ける体を閃凛は濡らした布で拭い続けた。
痛みがさーっと一斉に引く。昨夜よりも倒懸の時間が短かった気がする。
「航!大丈夫!?」
「フゥーー…心配かけてごめん。もう大丈夫。ずっと看病してくれてたみたいでありがとう」
「よかったあああ!死んじゃうじゃないかと思ったー…」
俺は昨夜起きたことを推測を踏まえて彼女に話した。悲痛な面持ちで彼女は聞いていたが、なんとかなるよ、と俺を励ましてくれた。
そしてその後は眠るまで地球や今後のことを火を囲んで談笑した。その間ずっと閃凛は色々と頬張っており、俺はそれを微笑ましく眺めていた。
翌朝。
閃凛が起床し、泉で顔を洗い終えてから、くるっと愛くるしく身を翻して言った。
「町に行こっか!」
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