第3話:サバイバル

 リュックの状態はボロボロだったが、破損で収納物が損失していたということはなかった。俺の体は無傷で衣服や装備品がボロボロとか、どうなってるんだ。


「ここがどこかわからないから、率直に言って遭難だ」

 遭難した場合どうするか。それは、その場でじっとし、助けを待つってことだ。


「よし、このあたりで野宿するか」


 …


 ……


「って助けなんてこねえよ!遭難ってレベルじゃねえ!」

 俺は無意識に一人ボケツッコミをしてしまった。


 直近の問題は食料と水だ。弁当とミネラルウォーター500mlはリュックに入っているが、これはすぐになくなる。この世界の食い物とかよくわからないしどうすべきか。


「俺は釣りが趣味であって、アウトドアはさっぱりなんだよな…」


 変な物を口にして中毒死とか笑えないし、水で中ってのたうち回るとか冗談きついし、仮に動物を狩って肉を食らうとしても、解体なんてやったことないし、やりたくもない。


「……あれ、詰んでる…?」


 まいったなあ…これはまずいなあ…。考えれば考えるほど生きるということがどれだけ大変なことかを思い知らされる。雨風をしのげる場所や先刻の化物にも遭遇したくはない。


「寝床に食料に水に、そして危険から身を守る対策が早急に求められるな…よし、寝床と水場を探しながら、食べられそうな木の実を集めていくか…」

 俺はリュックを担ぎ直し、物音をできるだけ立てないよう道なき道を歩き始めた。


 巨大な生物が頻繁に通っているであろう獣道を見つけては、ブルッと武者震いし、四方に注意して時折立ち止まっては動物の気配がないかを確認する。


 人間、臆病者が案外生き延びるのだ。そう信じたい…。


 進めば進むほど、見たこともない植物や虫、菌類を視認し、地球ではないということを実感する。

 色鮮やかな葉をつける樹、七色に光るキノコ、漆のような光沢を持つ花など、そのバリエーションは地球を超えているのではと思うほどだ。


 赤や紫、橙色の木の実をたまに見つけては、軍手をはめて摘み、ナイロン袋に入れていく。


「できればキノコも採りたいけど、カエンタケのような触るだけでただれるキノコだったら嫌だからやめておこう」

 ビタミン、ミネラルを重視し、木の実を採り続けていく。食べられるか等は野宿の時に選別してみればいい。まあ…食用の保証なんてないんだが…。


 慎重に歩いていたため、どれだけ進んだかわからないが、どこか近くから水が流れる音が聞こえてきた。


「川か?」

 水辺は草食、肉食動物も顔を出す危険と隣り合わせの場所だが、俺だって動物だ。やはり水源は確保しておきたい。そうでなければ死ぬ…。


 緊張感が増し、目を大きく見開き一層用心して水の場所まで向かった。


 下流域によくみられる濁った水ではなく、渓流に近い透明度のある川だった。川辺は岩や石が多く、渓相は地球のそれと同じにみえる。川幅は6メートル程で、水深は深いところで胸辺りまでありそうだ。


「飲めるかな…」

 生水は怖いので、煮沸してから飲んだほうがいいのかもしれない。そもそも下水設備が整っている生活では川の水をそのまま飲むなんて経験はまずしないから、不安だらけだ。


「水はこれでいいとして、あとは寝床だな…」


この水質からして今いる地帯は上流域の可能性がある。川を下っていけば、下流域が広がり、平野や海に出れるかもしれない。日本の基本的な景観ならば、の話だが…。


 ウェーディングシューズを履いていてよかった。川辺でも滑りにくく歩行には事欠かない。それにしても、いつもならリュックをずっと背負っていれば肩や背中が凝ってくるのだが、それがない。体調はすこぶる良い。


 俺は腹が減ったので、リュックを下ろし、中から弁当を取り出した。適当な大きな岩を見繕い、腰を下ろして弁当を貪りだした。


 何気なく視線を川面に向ける。


「うわっ!」


 川面にワニらしき生物が3メートル先くらいで顔を覗かせていたのに気づいた。


 ちょうど川が蛇行している淵の辺りで、水深が深くなっているポイントだ。


 俺はすぐに距離をとり、視線をその水生動物から離さないように警戒する。食べかけの弁当を驚いたはずみで川に落としてしまったことは一大事だが、それ以上に命あっての物種。


「で…でかいな…種類的にはクロコダイルか…」

 ワニは大きくアリゲーターとクロコダイルに分類される。人喰いと呼ばれ、人害事故を起こすのはほとんどがクロコダイルだ。


 ワニらしき生物も俺の方を凝然として見ている。


「あとすこし気づくのが遅かったら、やられていた…」

 水を確保できていたことで油断していた。ここは地球でもなく、まして日本でもない。言うなれば武器など何一つもたない裸一貫の人間という肉が「どうぞ召し上がれ」と言いながらサバンナやジャングルを悠々自適に闊歩しているようなものだ。


 あの巨大な牛のような猛獣はよくわからないまま撃退したとしても、たまたまだったのかもしれないし、ましてワニなら水中に引きずり込まれ、何も抵抗できずに溺死して食われることだって考えられる。

 そう。油断や慢心はいずれにせよ命取りなのだ。気を引き締めていこう。


ガサガサ


 淵の対岸で葉擦れの音がした。


 現れたのは一見すると鹿のような動物だった。毛が赤や黄色、橙といった暖色系のマーブルカラーで、周囲の色とりどりの植物によく合わせている。擬態というやつか。


 鹿は前足を広げ、頭を下げて淵の水を飲み始めた。


「ワニがいない…まさか」


 突如水面が飛沫を上げ、ワニのような凶獣の頭が飛び出した。


「頭が伸びた!?」

 凶獣の体は鹿よりも数メートル離れていたが、頭が長く伸び、鹿の喉笛から胸にかけて噛み付いたのだ。鹿の頭は胴から離れ、淵にドボンと沈み、その場で絶命。凶獣は胴体を持ち上げ、淵へと潜っていった。水が赤く濁る。


「頭が伸びるとか冗談じゃない…俺も下手するとああなっていたのか…」


 震えがまた生じた。俺はいつの間にかあの生物はワニだと思いこんでいた。頭が数メートルも伸びる水生生物…今脳裏にある常識は捨てなければならない。


 俺は川辺から少し距離をとり、早々に下流へと向けて歩いていった。



どれだけ歩いただろうか。スマートフォンは落下の衝撃か化物の突き飛ばしのせいで液晶が粉々に割れ、使用不能だったため、時間を確認することができない。


「腕時計の有り難みがよくわかった気がする」

 携帯電話を持ち始めてから、腕時計の必要性がなくなっていたので、所持していても装着することなく棚でホコリにまみれていた。無事に地球に戻れたら腕時計くんに謝ろう。


 スマートフォンだけでなく、ベストポケットに入れていた偏光サングラスを含め、ガラス、プラスチック製品は粉砕されていたことは痛手だ。


「弁当も食いそびれ、所持品もパァになるとか、とことんツイてないな…それもこれも全て、あのルルックとかいうビッチのせいだ…!」


 文句をぶつぶつ口にしながら、空きっ腹の体で小股で前進していくと、崖が切り立ったような小高い丘が点在する平野に行き着いた。


 今まで彷徨い歩いていた森よりは視界も広く、外敵も察知しやすいため、俺は心底ホッとする。

 日が艶やかな真紅に染まり、傾き始めている。空は地球とは違い、赤や黄色、青緑のグラデーションを様している。


「すごい光景だ…」

 目が少し潤んでくるのを感じた。


 大自然の尊さが今の悲しみや怒り、惨めさ、寂しさ、無念さ等ごった混ぜになった複雑な感情の琴線に触れたのだろう。


 しばらく佇んだ後、俺は野宿地を探すため、また歩みを進めた。


「早いとこ動物から身を隠せる安全な寝場所を確保しないと、明日の朝日は拝めないかもしれないな…」

 この星の一日の周期など到底分かるはずもないため、夜が訪れるのか、訪れてもいつ日が昇るのか皆目見当もつかないが、寝場所の確保は絶対なので、俺は歩くスピードを速めた。


 真紅の太陽が碧色へと変化し、先程より空は暗くなり始めていた。

 碧色へと変わった太陽の方を見上げた時、切り立った崖に洞穴らしきものを発見した。


 洞穴は崖を少し登ったところにあったが、おあつらえ向きに側面に普通に登れる足場があったため、迷うことなく進んだ。


 洞穴の前に来る。中の様子を確認するため、ポケットから取り出したオイルライターを着火する。


「肉食獣の棲み家になってなければいいけど…」


 俺は焚き火用で集めていた小枝の一本を洞穴へと投げ入れた。


………


「何もいないか…」

 生物の存在が無いことを確認した後、ライターを手にし、そろりそろりと忍び足で進むと、すぐに穴の最奥部まで辿り着いた。横幅2.5メートル、奥行き4メートル程度の人一人が過ごすには丁度よい場所だった。


「助かった~!」

 リュックを下ろし、ゆっくりと地べたに座り、石壁に寄りかかり一息つく。


「散々な一日だったな…」


 このまま何もせずに眠りにつきたかったが、色々と所持品整理や今後の対応を考えることが先決である。


 俺はリュックに縛り付けたビニール袋から道中集めていた枝葉を石で囲んだ窪みの中に置き、火をつける。

 地球の植物とは違うから、火が果たしてつくかはわからなかったが、煙が出てきたので安心した。

 めらめらと燃え上がる火を見つめていると、疲れがどっと生じると共に心が落ち着いてくる。


「火は異世界でも偉大なり」


 さてお次は所持品チェックだ。


 まず水。ミネラルウォーターがあと200mlくらい残っている。これを全部飲み干してから、空きペットボトルに川の水を汲んだとして、どうするかが問題だった。煮沸して飲むったって、直接火にかけたらペットボトルは溶けるし、どうしろと…。ええい、あとあと。


 携帯電話と偏光サングラスは使いものにならない。捨てよう。


 雨具やタオル、替えの上着と下着は綻びもなく問題ない。まあ、濡れた時の替え用だから一着ずつしかないが。


 帽子は…落下時にどこかへ飛んでいった。日射病に注意しないとな。


 メモ帳は端々折れてるが十分使える。


 消毒液と絆創膏も使える。ただ、どこも怪我してないってのが腑に落ちない。


 ポケットティッシュ、ビニール袋、メジャーも有用だ。


 野外活動には必須の八徳ナイフは今後大いに活躍しそうだ。ナイフを扱う時が怖いが。


 軍手は土や植物のエキスで汚れているが、現役。


 オイルライターはオイルが切れたら終わりか…長く持ってくれ。


 小型双眼鏡。なぜ俺はこの存在を忘れていたのか。これからの生活に必需品ではないか。


 釣具は竿がないからどうしようもない。あるのは釣り糸とハリス、釣り針に重り。俺は餌釣り師なのでルアーという高尚なものはない。まあ…できないだけなんだが…。


 そもそもあんな危険な川で釣りをしようとは思わない。ただかさばるものではないから一応持っておくか。

 魚をランディングするときのタモとエサ箱は…どっかいったか。タモは色々と流用できそうだったんだが致し方ない。


 フィッシングベストはダメージが結構ひどかった。下ポケットは小さく破れ、何か重いものを収納した時点で完全に使い物にはならなくなるくらいだ。まあ、あの落下と突進でこれだけで済んだのは幸いだ。


 カーゴパンツとベスト下の長袖もそこかしこに綻びが目立つ。もともと深い森をかきわけて使うものじゃないし、仕方ない。長袖はいざとなったら替えもあるしな。


 そして最も大活躍したのが、ウェーディングシューズだ。これがなければ険しい森を突き進むことなど不可能だった。山道用ではないが、なんのその、これで十分だった。


「とりあえず所持品チェックはこれでいいかな。次は…深い道なき森を通ってきたんだから、体にダニやヒルがついてないか確認しないと…」

 俺は裸になり、全身を隈なく触り、ダニやヒルが吸い付いていないか入念に調べた。


「よかった…問題ない」

 小学生の頃、学校の遠足でマダニが首筋に付着し、数週間そのまま気づかなかった思い出があるから、ダニに関しては敏感だ。それ以来二度と深い森には入らないと誓ったのだが、それが今日という碌でもない日に破られるとはな。


 外を見ると夜だった。しかしただの夜ではなかった。


 洞穴から四つん這いで顔を出して空を見上げると、想像を絶する夜空に俺はまばたきすら忘れた。


 地球の夜空よりも明るく、濃淡の差が大きい寒色系のマーブルカラーで彩られていた。青、緑、紫、何色あるかさえわからない。そしてその色が常に変化している。オーロラとはまた違った見え方なのだ。何より、星がでかく、鮮彩だった。一等星とか月とかそういうレベルじゃない。その星の輪郭や模様がはっきりと見て取れるほど巨大で輝いている。


「地球の比じゃない美しさだ…」

 ずっと見ていたかったが、やるべきことをやってしまってからだ。


「次は…採取した木の実だ…」

 ビニール袋いっぱいに詰められた木の実は、いくつかは潰れて袋の下で果汁と化している。


 大きなものはミカン程度で、大体はイチゴやブドウのサイズだ。

 色は暖色系がほとんどで、いくつか紫の果実もある。

 匂いをスンスンと嗅いでみる。


「別に変な匂いはしないな。むしろ甘さや酸味に溢れる匂いだ」

 ビニール袋内の果汁の匂いを嗅ぐが、パイナップルのようなちょっと発酵した匂いで食用に問題なく思えた。


「よし!被害を最小限に抑えられそうな一番小さい黄色い実を食べてみるか!」

 自分に無理に言い聞かせるように気合を入れ、タオルで外皮を吹いてから口に放り込んだ。


「モグモグ…んっ!!うまいぞ!!熟した柿の味に近いな!」

 食べた後も舌がピリピリする感じもないし、毒ではないだろう。


 次は…この凸凹した赤いのにするか。


 八徳ナイフで半分に切り、断面を見てみる。中まで赤い。ちょっと毒々しい感じはするが、匂いは甘酸っぱいので、一口齧ってみた。


「グニュグニュ…食感はグミみたいだな。味は甘さ控えめだ。まあまずくはない」

 採取してきたのは全部で5種類だったが、別段苦味や強烈な酸味もなかったため、俺は一定量残して腹に入れた。


「品種改良してない野生の果物でも普通に商用レベルの旨さには驚いた…」

 必要栄養素もぎりぎり摂取できた。カロリーはないけど追い追いなんとかしよう。


 さて、明日からやることを考えるか。


 俺はメモ帳と筆記具を取り出して思議した。


「あの女は、私の国とか言ってたな…ということはこの星には人がいるってことだ。十中八九このままだと死ぬ。生活していくには町や村にまで足を運んで、他の人間と共存することが得策だ。人は一人でなんて生きていけないんだしな。明日は…ちょっとというかかなり嫌だが、森にもう一度行って木の実を多く採取してから人里まで進んでみるか…でもなあ…すぐにこの洞穴から離れて全く見知らぬ土地を徘徊するってのは、命がいくつあっても足りない気もするし……う~ん…」


 独り言を言いながら、あれこれ策を巡らせている。考え事は一人でぶつぶつ言葉にしていたほうがまとまりやすい。


「よし、少しの間ここをベースキャンプにして、周囲の生態系や環境を観察してみるか」

 早く人と会い、安心感を得たかったが、むやみやたらにほつき歩いたほうが危険だと判断した。


「ふぁぁぁ~」

 眠くなってきた。焚き火の心地よさと安堵感から緊張の糸がほどけ始めた。


ズキズキ!!!


「ぐはぁ!!」

 突然胃の辺りが強烈に痛みだした。


ズキズキズキ!キンキン!


「ぐあーーーー!!」

 下腹部を何か鋭利なもので何度も刺されているかのような、これまで経験したことのない激痛が起こり、次第にそれが全身に広がり始めた。


「ああああああああ!!!ぐあああああ!!ぐぬううううううう!!ぎゃあああああ!!」

 考えられる要因は、あの木の実しかない。


「ぐ…ぐぞ…!!毒だった、のかよ…!!あああああああああ!!!」

 俺は洞穴の中で地獄のような激痛にあえぎ、のたうち回り、壁に体を打ちつけながらもがき苦しむ。

 嘔吐や下痢は全くなく、全身痛と冷や汗の症状。そして筋肉が絶えずビクンビンと皮膚の上からでも視認できるほど痙攣している。


「や…やばい…ごれは死…ぬ…ぐぞった…れ…えええ!!」


 死んだほうがマシだと思えるほどの痛みがどれだけ続いたのだろうか。いっそのこと俺の悲鳴に気がついた肉食獣に一思いに殺してもらったほうが楽だとさえ思えた。


 意識が飛ばないことが一層不幸だった。普通なら意識を失うほどの痛みであるのに…。


「俺の痛覚…おかしいだ…ろ…」


 瞬間、痛みが一斉に体から引いた。

「なんだ…?一瞬にして痛みが治まったぞ…?」


 むくりと上半身を起こし、手を握りながら体の調子を確認する。


「なんともない…痛みの後遺症もない感じだ…よかった…助かったんだ…」

 ペットボトルに残った水を無意識に飲み、後悔する。


「あんな少量の木の実で死ぬ思いとか…これから先一体何食えばいいんだよ…しまったなあ…色々な種類食べたからどれが毒だったのかさっぱりだ…」

 俺を頭を抱え込む。


「しかし…普通食中毒なら嘔吐や下痢はあってしかるべきなんだが…全身痛と筋肉痙攣だけなんてな…いやまあ無い方がいいんだが」


 外の景色が明るみ始めてきた。空が白と緑のグラデーションを様している。この世界は空も自然もカラフルでまばゆい。


「寝そびれちゃったな。木の実を採っても意味はないし、もう少し明るくなったら水でも汲みにいくか…」


 俺は洞穴からでて、この崖を少し登ったところの頂きまで移動した。

 見晴らしがいい。地上から30メートルくらいだろうか。高所恐怖症なので、下は一瞥した程度だが、ベースキャンプはちょうどいい監視塔にもなっている。


 小型双眼鏡で周囲を観察する。

 小型の鳥が群れて飛んでいたり、崖下の遠くではみたことのない羊のような草食獣らしき生物も目視できた。


「色々な生物がいるなあ。なんだか楽しくなってきた」


ズウウウウゥゥゥン…!

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