第2話:異世界の異様な怪物

ビュオオオオーーーーーー!


 体が風をきる音だった。

 俺は空から地上へとダイブしていたのだ。


「うんぎゃああああボロバレボロビレバレ!!」

 口内に強風が吹き乱れ、叫び声がおかしなことになっている。


「なんで俺は空から落ちてボロバレビレ…だああああ!!」


 やばい死ぬ!なんで俺はこんな目に遭ってんだよ!これが現実だとしたら、全てあのルルックとかいうクソガキのせいか!


 脳内からあの女の声がした。テレパシーなのかわからないが、夢であってほしい。


[ふふふふ。私、女神ルルックの星オリヴァルの空はどうですか?綺麗ですよね。私に感謝してくださいね、逝く直前に素晴らしい景色を拝められるんですから!]


「てめええ!このクソガキがあああボロバビレ…!絶対に許さんぞーーーボロバレビ…!」


[あっはっはっは!何言ってるかわからないですよ!地球人が恐ろしい存在だってことは歴史書から習いましたが、貴方のこれまでの言動からして、絵空事のように思えました。ペシャンコ死楽しみです!]


「ふっざけんバレボロビ…なあああ!今度会ったら絶対にボラバラ許さんからなあああ!」


[状況描写魔法は使えないので、貴方のペシャンコ姿を見れないのは残念ですが、もう会うことは一生ありません。それでは、ご愁傷様でした!]


「くっそおおおおおビラバリボロ…!!」


ビュオオオオーーーーーー!


 女の声が消えた途端、耳をつんざく風音が体に響き始めた。

 徐々に地上が近づいている。眼下にはカラフルな草木溢れる森が地平線の彼方まで続いている。


 なにかないか、助かる方法はないか、俺はあれこれ必死で考えるが、何も出てこない。


 そして為す術無く森に突入した


ガサガサガサバキバキバキバキーー!!


「いたたたいてえええええ!!」


バキバキボキバキドガサガサジャワジャワズドーーーーン!


「ぐべああああああ!!あがあああああ!!」

 墜落と同時に全身に想像を絶する痛みが突き抜けた。


「が……ぐ…」


 くそ…落下死って一瞬で死ぬんじゃないのかよ…と思った矢先、すぐに痛みを感じなくなった。不思議なことに意識もはっきりし、異常は見受けられない。


「あ、あれ…?痛みを感じなくなったぞ…?」

 俺は意識がはっきりした状態で倒れながら、手や足を動かしてみると、普通に健常時のように機能しているのを確認した。


「ど、どういうことだ…?俺は確かに墜落してまともに地面に叩きつけられたはずだ…」

 むくりと上体を起こし、両手を何度も握り締め、全身を隈なく診たり揉んだりしても外傷や骨折、打ち身もない。


「どこも異常がない…」


 異常があるとしたら、フィッシングベストやアウトドア用のカーゴパンツに所々ほころびがある程度だった。リュックは少し離れたところに落ちていた。釣り竿は確か川辺に置いたままだったからないか。


「確かにこれまで経験したことがない痛みだったんだが…そういえばあの女が何か言っていたな。生体分子構造が変わるとかなんとか…。その影響で俺の体は無事だったのか…?いや…そもそも夢なのかもしれない」


 自身の体に何が起こったのか束の間考えてみたが、よくわからなかったので一旦保留とした。


 俺は辺りを見回した。


「秋なのか?随分とカラフルな植物や樹が多いな…」


 いや、季節は初夏だったから、紅葉というわけじゃない。緑の植物が多いが、しかし極彩色豊かな森だな。こんな景色地球にあったっけ。

 それにやはり夢にしてはリアルだ。森林の匂いがするし、感覚的にも現実だ。


「まさか本当に現実に起きたことなのか…」


 よーし、まずは落ち着こう。俺は深呼吸をする。そして状況を精査しよう。


 なぜ俺はこんなところにいるのか。


 休日に趣味である本流釣りで宝石のような渓流魚と戯れていたが、光るゆらゆらに触れた途端、あのクソ憎たらしいルルックとかいう神だかよくわからん女のところで目覚め、この森に飛ばされた。


 うん、そこは間違いない。そしてもう一つ。


 ここはどこなんだ?


 あの女は妙なことを言っていたな。私の星オリヴァルに送るとかなんとか。もしそれが真実ならここは地球ではないってことだ。


「異世界…」


IT企業の企画職だから、異世界という言葉は知っている。が、それは小説上のものであり、現実にはあり得ない。


「うううう……」

 頭を抱えながら掻きむしる。ちょっと短時間では理解できない実情だ。


「地球じゃないってなに!?異世界ってこと!?そんなことってあり得るの!?」


 思わず叫んでしまったが、いやいや、この状況で叫ばないほうがどうかしている。

 俺は再度大きく息をし、冷静になろうと努めた。だが逆に冷静になって状況を整理し、これが現実だと思えば思うほど、地球の身の回りのことを案じ始め、冷や汗や動悸、震えが生じ、まともな思考にはならなくなった。


「死にたくない…」


 ボソッと心情を吐露してしまう。


 家に帰りたい、家族に会いたいという感情が沸々と湧き上がり、気持ちを落ち着かせようとしても、焦燥感や恐怖の方が勝る。


 突然、聞いたこともない音が周囲にこだました。



「グゥアラアアアアアァァーーーーーーーー!!!」



 人間の潜在本能的に「これはまずい」と直感するやばい猛獣の声だとすぐにわかった。同時にその咆哮に本能的に逃げ出す鳥類のような鳴き声が一斉に響き渡り、森全体が異様な空気に包まれたのを感じた。


「に、にげなきゃ」


 しかし、足が動かない。すくんでいる。体の震えもさっきよりもひどくなり、心臓の鼓動が大胸筋を激しく叩いているのがわかる。歯ががちがち音を立てている。昔水泳授業でよく出た症状だ。


「な…なんだってんだ…」

 俺は周囲に忙しく気を配る。


ガサガサガサ


 茂みが擦れる音がし、振り向いた。


「グボラァーーーー!!」


「ひぃ!!!!」


 頭の両側頭部に湾曲した闘牛のような角を生やした馬鹿でかい生き物が突進してきた。



ドオオオォォォン!



「ぐべぼぁ!!」


 咄嗟のことで突進をかわすことなどできず、もろに全身で体当たりを受けてしまった。


ガサガサガサ!バキバキガサガサガサ!


 吹き飛び、茂みや枝葉をなぎ倒していく音。


「うがあああ!!」


 体当たりの衝撃による痛みが墜落時に起きた時と同様に全身を駆け巡ったが、すぐに引いていった。

 意識はやはり鮮明で、かなりの距離を突き飛ばされたことに気づく。


ガサガサガサ!バキバキ

ダダダダダダダ!


 茂みの奥からさっきの化物が俺の方に駆け出してくるのがわかる。


 脚が動かない!がくがくと震えがとまらない!


「くそ!くそ!くそ!動け!動けーー!」

 脚を叩き、奮い立たせようとしてもだめだ。


 巨大な横に伸びた角と肉食獣のような牙を生やした、筋骨隆々の馬鹿でかい化物が眼前に再び現れた。

すぐに突進はせず、重低音の唸り声で俺を狙っている。


「で、でかすぎる…こんな生物地球でみたことないぞ…」

 全身の震えが激しい。なんでだよ、なんで俺はこんなことに…!


「ガァアアアアラアアアアア!!!」


 相手を硬直させるような雄叫びをあげ、またも突進してきた。


 死ぬなら…死ぬなら、一発でもお見舞いしてやる…!

 俺は震える手を精一杯握りしめ、集中した。


「グバアアアア!!」


 化物が俺に覆いかぶさった瞬間、最後の力を振り絞り、拳で顔の側面を殴った。


「ガァバ」


ボギィン!!

ガサガサバキボキバキガサガサーーー!




「え?」


 巨獣が目の前からいなくなった。俺は殴った方向に顔を向けた。巨大な何かが藪や木をなぎ倒していった跡が見える。


「…なんだこれ…?」

 起き上がり、跡を辿ってみる。体には異常はなく、普通に歩けたので恐る恐る向かった。


「こ、これは…」


 体長8メートルはあろうか。先程の化物がズデンと横たわっていた。頭部の方に回り込み、少し離れた位置から覗き込む。


「首の骨か?折れて…死んでる…?」

 巨獣の口が半開きになっており、桃色で黒ずんだ長い舌がダランと垂れている。


「まじかよ…これ俺がやったのか…?はは…ははは…」


 俺は死の一線をくぐり抜けた安堵からその場に腰を下ろした。

 震えは止み、目の前の異形の生物をまばたきを忘れ正視する。


 こんな生物はみたことがない。2メートルは見積もれる両側頭部からの角、牛のような顔つきだが、口には鋭利な牙が何本も生えている。体の背側にも斜め上に向かって何本も角が突き出し、足にはヒグマのような爪。それに体は群青色っぽい。


「どうやら…本当に異世界に来ちゃったのかもしれないな…」


 枝葉で覆われている空を見上げ、物思いに耽る。

 夢であってほしい。落下や突進で無傷ってこと自体現実にはあり得ないから、その可能性はあるが、やはり現実と捉えた方が感覚的には正解だ。


 あの女も地球人は星を壊滅させる力があるとか言ってたから、そう踏まえると腑に落ちる。


「考えても仕方ないか…まずはこの先どうすべきかだ」


 このまま死体の近くにいれば、腐臭で他の獣が寄ってくることも考えられるため、俺はその場を離れることにした。

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