見せつけて候
「行くぜ、みんな!」
渋谷の景気のいい号令と共に、大坂城から、秀吉軍が進発した。
日本全体をまたぐ、二面作戦。西は、黒田官兵衛率いる、三万。東は、渋谷自らが率いる、十二万。東の方が兵数が圧倒的に多いのは、天下に精強で名の知れた北条を相手にするからと、その途上に領地を横たえる徳川も、まだ靡かぬ状態であるからである。
歴史で言うと、まず、徳川が大坂に入り、秀吉に臣従するのが先だ。しかし、吉継は、こちらから出向けばよい、と言う。
彼は、こう言った。
「正直、俺は、殿下が、あまり好きではなかった」
「お、俺か」
「いや、違う。お前が豊臣(関白の位を授かるのとほぼ同時に、渋谷は豊臣姓を授かっている)秀吉となる前の、秀吉だ」
「あぁ、ほんとの秀吉ね」
「あのお方は、なるほど、お前のように、人の心を得、まとめ上げ、天下の王たるお方であった。それゆえ、俺も、あのお方に付いた」
「はぁ、そうかい」
「だが、お前と違い、あのお方の心根にあるのは、猜疑であった」
「さいぎ?」
「疑う気持ちよ」
ふつうに現代でも使われる語も、渋谷は知らぬことがある。伊万里が、すかさず言い足した。
「そうか」
「あのお方は、人を信じ、自らを投げ出すような風でありながら、心の底から、人を信じることはなさらなんだ」
「寧さんも、そんなことを言っていたわね」
「だが、お前は、どうだ。心の底から、人を信じている。自分が無いのか?はじめから、己の無力を、知り尽くしているように、俺には見える。いや、済まん。悪く言うつもりはない」
「いいよ、気にすんな」
「そこだ。お前は、人が自分を悪し様に言っても、いっこうに気にしない。功あるを讃え、罪あるを赦す。お前は、あのお方より、よほど器が大きい」
「秀吉が家康を大坂に招くのに、実の妹や母までも人質に出したという話が、あるわ」
「なるほど、あのお方なら、やりかねん」
「はぁ、秀吉ってな、そんなことをしたのか」
渋谷は、自分ならどうするか、という話を始めた。
「俺なら、直接家康に会いに行って、戦はやめよう、仲間になろう、って頼み込むね」
と、からからと笑うのだ。
「家康も、お前を見れば、恐怖するはず」
「俺を、なんで?」
「簡単だ。人は、未だ知らぬものに、恐れを覚える。お前のような人間は、ここには、おらぬのだ」
「そうなのか」
「でも、あんた、家康と話して、家康が簡単に靡くと思ってんの?」
「靡くさ」
「やけに、きっぱり言うじゃない」
「金だ」
「金?」
「あいつに、金を貸すのさ」
「金を」
「俺は、金貸しだぜ」
「それで、家康を怒らせでもしたら、元も子もないわよ」
「大丈夫さ」
渋谷は、荷駄に、夥しい量の金銀を積んでいる。軍費かと思えば、家康にくれてやる分なのだという。
「俺を、信じろ、伊万里」
ぱちりと、片目を瞑ってみせた仕草に、伊万里はイラッとした。
そうして、十二万の大軍が、家康の本拠に入った。正確には、領地の境で軍を切り離し、渋谷、伊万里、吉継、清正、正則が僅かな手勢のみを引き連れ、家康のもとへと乗り込んでいったのである。
家康側は、大混乱である。いきなり、家康が当面の敵と睨んでいる秀吉自身が、僅かな手勢で乗り込んできたのである。しかも、三河や遠江出身の者が、未だかつて見たことのないほどの、財宝の山を引き連れて。
「と、とりあえず、会う」
と、家康も答えざるを得ない。
「我が殿が、会うと申しております」
と、取り次ぎの者が、渋谷らが借り受けた寺に、伝えに来た。
「そうか。で、どこに行けばいいのさ」
「いえ、関白殿下御自ら、はるばる、このような所にお運び頂いたのです。我が殿の方から、出向くとのこと」
と、取り次ぎの者は言う。見るからに三河武士、という、頑固そうで、筋骨隆々とした侍だった。はじめに、長ったらしい名乗りを上げてくれたのだが、渋谷は、すぐ忘れてしまった。
ぱっと見、コワモテだが、根は実直そうで、渋谷はその男が好きになった。
吉継と伊万里は、警戒している。家康に言われ、渋谷の器を測る役割を、この男は担っているに違いない。
「本多殿」
と、その名を呼んだ。あぁ、そうそう、バイクみてぇな名字だったな、と渋谷は思った。
「家康殿は、いつ、こちらへ?」
「もう、向かっております。明日には、到着するかと」
「そうですか」
この本多の手の者が、夜、渋谷の寝首を掻きに来るかもしれぬということだ。それを警戒するなら、関白自らが軽く家康を訪ねるような無茶はすべきではないのだが、渋谷はいっこうに気にした素振りもない。
「じゃあさ、本多さん、今日は、一緒に飲もうや」
と言って、一人でげらげら笑った。
ここがどこなのか、正直渋谷はよく分かっていない。尾張だか遠江だか、そのどのあたりなのかも分からない。だが、その先、北条の相模が神奈川県であることは、小田原という地名から分かった。東京に、近づいている。それが、なんとなく、嬉しいのだ。
「生まれ故郷が近くなると、嬉しいもんだな」
と渋谷は、夜、酒の席で、左右の者に言った。
「殿下は、尾張のお生まれでおわしたな」
と、本多が言う。
「あ?」
と渋谷の語尾が上がった瞬間、伊万里が、
「左様にござる」
と肯定した。秀吉は、尾張の生まれなのか、と渋谷は今さら思った。
「本多さんよ」
本多の眼が、杯から上がった。
「あんた、めちゃくちゃ強そうだな」
渋谷は、あろうことか、酔っているらしい。
「ほ、この本多平八郎、未だ
と、本多は自慢げに言う。本多平八郎忠勝。徳川家臣団の中でも、最強の呼び声高い猛将だ。
彼は、正直、戸惑っていた。昼間から、渋谷に対し、気を放っているのだが、全く通じない。ほんとうに、武の心得がないか、阿呆か、あるいは、よほどの器の持ち主かということだ。
渋谷の場合、その全てが正解なのだが、本多には分からない。自然、量るようなことを、言ってしまう。
「関白殿下ともなれば、御自ら、槍を取ることも無いのでしょうな」
「槍?ああ、俺は、ダメだな。持ったこともねぇや」
渋谷は、それが分からず、手をひらひらと振った。伊万里と吉継は、冷や汗ものである。
「本多殿」
声を発したのは、清正である。正則も、本多に腹を立てているらしく、青筋を浮かべながら、本多を睨み付けている。
「いささか、お言葉が過ぎはしませぬか。関白殿下の御前ですぞ」
「はぅ、これは失礼。本来なら、御前に
と、本多は下座から平伏した。
「いいって、いいって」
渋谷は、気にすることはない。
しかし、そう言ったところで、清正や正則の腹立ちが治まるわけではない。二人は、同時に立ち上がった。
「おい、清正、正則」
吉継が、厳しい声を上げて、制しようとしたが、
「なに、座興じゃ、吉継」
と言って聞かない。
「どうであろう、本多殿。酒の席の座興として、関白殿下に、貴殿の武を、ご覧頂くというのは。我らも
「ほう、しかし、この平八郎、座興でひけらかす武は持ち合わせませぬ」
さすがに渋谷も、雲行きが怪しくなっているのを感じた。
「おいおい」
と心配そうに声をかけるが、清正も正則も聞かない。
「拙者、加藤清正と申す。こちらは福島正則。殿下は、槍を御自らお取りにならぬが、それは、我らが、常に殿下の御前で、槍を執っているため。それゆえ、殿下には、太刀も、槍も、要らぬのでござるよ」
二人の血気に、本多の武の心が、騒いだ。
にわかに立ち上がり、障子を開け、宴会場にしていた寺の本堂から庭に出た。
「貴殿ら、相当な武をお持ちのようで」
「本多殿こそ」
「ちょ、ちょっと、渋谷。やめさせた方がいいんじゃないの」
伊万里は、渋谷に耳打ちをした。当の渋谷は、三人のやり取りになどまるで興味がないかのように、酒を飲んでいる。
「渋谷ってば」
「まぁ、大丈夫だろ」
へらへら笑って、本堂のに眼をやった。
本堂の外は、篝が焚かれていて、明るい。
そこに、寺から借り受けた木の棒を槍に見立てて、まず、正則と忠勝が向き合った。
「いつでも、来られよ、福島殿」
正則は、血の気が多く、腕っぷしも強く、家中でも一、二を争う使い手だ。それが、踏み出せない。本多は、全く気を発していない。しかし、正則が放つ気を、吸い込むような深みがあるのだ。
うかつに踏み出せば、即、死が待っている。正則は、そう感じた。
「来られぬのか。では、こちらからゆく」
本多の姿が、急に大きくなったかのように、正則には見えた。
次の瞬間には、正則の棒は叩き落とされ、喉元に、本多の棒が来ていた。
「なー、なんだと」
正則は、冷や汗をかいて、落ちた棒を拾い、下がった。
それを見ていた清正が、一歩、踏み出した。
やはり、本多は、全く気を発しようとしない。深く、矯めているのだ。
「貴殿、相当に、やるな」
清正は、思わず言った。何か言わねば、自分の存在ごと消えてしまいそうなほど、本多の威圧感は強い。
喝、と棒が鳴った。本多の眼にも止まらぬ打ち下ろしを、清正は辛うじて受け止めた。
信じられぬほどの力で、本多が押してくる。
いや、本多は、それほど力を加えてはいない。
清正が押す度に、巧みに肘を、腰をひねり、清正が押す力を、自分の力に換えているのだ。
これは、やられる。
そう悟った。
「清正、頑張れ!」
思わず叫んだ伊万里の声が、清正の耳に届いた。
清正の伸ばしっぱなしの髭が、ぴくぴくと動く。
咆哮。
清正の棒が、本多の棒を、跳ね返した。
槍で言うところの、石突きの部分。
それを、旋回させる。
本多も、弾かれた棒を、いや、槍を引き戻し、同じようにした。
互いのこめかみのところで、それらは、ぴたりと止まった。
実践であれば、互いに兜を飛ばし、頭を砕き、相討ちで死んでいただろう。
「ーやるな」
本多が、にやりと笑い、棒を引いた。
清正は、膝が震えているのを必死に隠しながら、同じようにした。
「ーご無礼を
本多は本堂に戻ると、渋谷に平伏し、座に戻った。家中随一の使い手と連戦し、一人を負かし、次の一人を相討ちに持ち込んだのだ。三河武士の武勇を、これで関白も見知ったことだろう、と思っている。
「いや、本多さん、あんた、すげぇな。あの二人と、やり合うなんてよ」
と、渋谷は感心した。
「おい、清正、こっち来い」
「はっ」
清正が、渋谷の側に来た。その頭を、渋谷はいきなり殴った。
「で、殿下、なにを」
「参ったか、清正」
「参りましてござる」
「どうだ、本多さんよ。こいつは、あんたと互角だった。それを、俺は、今負かした」
渋谷は、得意気に、拳を突き出した。
「とゆーことは、本多さん。あんたより、俺の方が強ぇ」
一座は、しんとした。皆、呆気に取られた様子で、渋谷を見ている。
その静寂を破ったのは、本多であった。
大口を開けて、笑った。
「いや、これは、やられましたな。確かに、この平八郎が、本気で向き合った剛の者は、殿下には敵わぬ様子」
「いいか、強さってな、槍や刀のことじゃねぇ。これが、俺の強さだ」
「数々の非礼、どうかお許しを」
本多は、笑顔になって、平伏した。
「関白ナメんじゃねぇぞ、分かったかコラ!」
「ははあっ」
笑いながら啖呵を切る渋谷につられて、この場にいる者皆が、笑った。
本多も、どうやら、渋谷のことを好きになってしまったようである。
これが、渋谷の強さ。
吉継と伊万里は互いに眼を合わせ、頷き合った。
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