四国、攻めて候

 天正十三年、六月。権大納言渋谷は、四国攻めを始めた。既に、官兵衛が現地の生の情報を得るために、淡路に先鋒として出ている。渋谷と伊万里がこちらに来てから、じつに二年が経過している。

 渋谷は、大坂を動かない。最初、俺もいく、皆にだけ大変な思いをさせられるか、と息巻いていたのだが、北陸地方の情勢が不穏であるとして、伊万里や官兵衛に止められた。


「渋谷」

 同じく大坂に残っている伊万里と、ふたりきりで、渋谷は話していた。

「いよいよね」

 伊万里の言うというのは、この一月ひとつき後、渋谷は関白になることである。

 位を極めるというのは、まさにこのこと。一介の農民から身を起こした秀吉は、ついに、官位の最高格である関白にまで登り詰めたのだ。

 ふと、伊万里は思う。これが、渋谷でなく、秀吉のままであったら、ほんとうに、ここまで来れたか。

 ただの思い付きにすぎぬが、もしかしたら、伊万里の知る歴史上の秀吉とは、渋谷のことなのではないか。

 秀吉は、二年前のあの日、この世から、消えていて、もう帰ってくることはないのではないか。

 卵が先か、鶏が先かの話になるので、そこで伊万里の仮説は止まった。

「いよいよだな」

 渋谷は、自分が関白になることに対して、嬉しそうだ。大納言の位を得る儀式を京で行ったときも、しっかり相応の者に指導を受けていたにも関わらず、本番になると儀式の手順や礼など完全に忘れており、ずっとへらへらしていた。

「今度は、ちゃんとしてよね」

「いいのさ、俺は、浅草の猿なんだから」

 と、渋谷は気にする風でもなく、からからと笑った。やっぱり、渋谷の口から浅草という言葉が出ると、伊万里はほっとするのだ。なんの因果か金貸しになったが、渋谷は、いい奴である。それは、伊万里ははっきりと認めることが出来る。金貸しだった頃は、見えなかったものが、共に過ごすようになり、少しずつ見えてくることもある。

 金貸しと言えば、渋谷の金の使い方は、天才的だった。さすが、金を扱う仕事をしていたただけある。

 伊万里が、地方からの税や、金銀の算出などを計算すると、渋谷はすぐ、それが手元にどれくらいの蓄えとして上がってくるかを想像する。そして、それを、然るべきとき、然るべき場所に、投入する。金を蓄え、殖やすこともしている。

 たとえば、渋谷は商業都市である堺を手厚く庇護しているが、その商人の協同組合に、低金利で金を貸し付けたりしている。どっさりと金が出ていくが、定期的に、利息の収入がある。商人は、それを元手に貿易品などの商いを広げ、その利が、また渋谷のもとへ税として入ってくる。

 今回、四国に送った兵は、十万。その装備や兵糧などを、それぞれの家の者が用意するのだが、皆に資金的余力がなければ、難しい。

 しかし、渋谷の治める地域の侍は、豊かである。それらを満載する船を作ったり、借りたりする金も要る。

 そうして、四国を攻め取り、収入を更に増やす。四国平定も、出来るだけ人を損なわぬようにし、地域の生産力を落とさぬようにする。

 渋谷は、戦争という不毛な最終経済をも、天下が潤うための手段へと変えつつある。無論、それでも、戦いとは出来るだけ、せぬ方がよいに決まっている。

 しかし、長曽我部の方から、こちらにちょっかいをかけて来るのだから、仕方ない。当主の元親に、これぞ天下の軍、という威力を見せつけ、あっと驚かせ、降伏させて、その後は、仲間にしてやればよいのだ。

 そのために、関白という位は、役に立つ。攻められたからやり返す、という手法ではなく、関白に従うのは当たり前、という理屈でもって、人を制するのだ。天下が、渋谷の金と地位に靡けば、世は豊かになり、潤い、民は飢えず、笑顔のあふれる世になるのだ。

 長曽我部もそうだが、徳川や北条などのように、自家ばかりが隆盛することを目指してはいけない。渋谷は、漠然とそう思っている。

 自分の会社だけが儲かり、他の会社が潰れるようなやり方をする会社の商品を、人は誰も欲しがらぬからだ。

 大名家とは、企業。国づくりとは、経営。そんな風に、渋谷は考えているのだ。


 だから、関白の位を押し出し、信長をも越える実力と範図はんとを持つ一流大企業としてのブランドイメージを打ち出して、四国攻めにあたるのだ。そうすれば、相手企業は、必ずに応じる。職業柄、毎朝、(スポーツ新聞のあとに)経済新聞を読む渋谷は、そんな思考も持ち合わせている。

「あんた、ちゃんとした頭してるじゃない」

 と伊万里は、感心した。

「当たり前だろうが。伊達に、金貸しやってねぇっての」

「ほんと、馬鹿に出来ないわね」

「なんなら、金、貸してやろうか」

「嫌よ。どうせ、高い利息を払えって、脅すんでしょう」

「おいおい、勘弁してくれ。お前に、そんな取り立てをするわけねぇだろ」

「ま、あなたがいかにお金に強くても、財布を握っているのは、わたしですからね」

「キツいカミさんだ、こりゃ。お前、旦那を尻に敷くタイプだな」

「あんたは、口ばっかで頼りなくて、すぐ尻に敷かれるタイプね」

「関白なのにな」

 伊万里が、吹き出した。

「なにそれ。亭主関白を、の?うわ、駄洒落」

「いいだろ。俺、冴えてるぜ」

「いや、なに時代の人よ。勘弁してよね」

「戦国を生きる、現代人さ」

「なによ、かっこつけちゃって」

「戦国と書いて、いま、と読む」

「やめてよ」

 伊万里は、けらけらと笑った。

「お前、そんな感じで、笑うんだ」

「は?」

「いや、怒ってる顔か、仏頂面か、泣いてる顔しか見たことないな、って」

「嘘。わたしだって、笑ったことくらいあるわよ」

「まぁ、そうなんだけどな」

 伊万里は、渋谷が、なぜそう感じたのか、知っている。知っているが、認めたくないのだ。

「殿下」

 二人のやり取りに、室外から利休の声が重なった。利休は、さっそく、渋谷のことを殿下、などと呼んでいる。なにやら、すり寄るようで、伊万里はいい気持ちがしない。

「お茶々様が、お呼びでございます」

 取ってつけたような関西弁のイントネーションも、気に入らない。

「茶々が?なんだろ」

 渋谷は、腰を上げた。

「待って」

 伊万里が、渋谷を呼び止めた。

「わたしも、行く」



 三人は、茶々の居室に向かった。

「茶々、秀吉だ。入るぜ」

 雑に襖を開く。茶々は、いつもの通り、一段高いところに座っている。伊万里は久々に茶々に会うのだが、おやと思ったのは、かつて、あれほど憎しみに燃えていた眼が、すっかり優しくなっていることである。

「あぁ、秀吉殿」

 と、貴様、とかお前、とか、猿、などと渋谷のことを呼んでいたのも、和らいでいる。渋谷の実直かつ開けっ広げな人間性が、茶々の憎しみを少しでも溶かしたのであれば、たいしたものである。渋谷のもとに来た頃は、まだ童女のおもかげが濃かったが、この二年の間に、どんどん女らしい顔になってゆく。

 豆大福程度の膨らみの胸しか持たぬ伊万里などは女性としての魅力に強いコンプレックスを抱いているから、見た目もよく、いかにも男性の好きそうな身体をしていることが着物越しでも分かる茶々を前にすれば、自らの存在がかき消されてしまうような感覚になる。

 その、ぷっくりとした、女の伊万里でも思わず吸い付いてしまいそうな可愛い唇が、

「なんじゃ、三成。そなたも、来たのか」

 と興無げに言うものだから、可愛さと腹立たしさで、誤って押し倒してしまいそうな衝動に駆られるのを、必死で抑えた。

「それで、なんだよ、用って」

 渋谷が、どかりと畳に尻を落とした。

「四国を、攻めておるらしいの」

「おう、戦の話か。四国だよ」

「そうかえ」

 茶々は、妖しい光り方をする眼で、渋谷を見た。

「殿下は、天下の乱れを治めるため、兵を出さはったんです」

 利休が、わけ知り顔で言う。

「秀吉殿は、行かぬのかえ」

「ああ、俺は、留守番さ」

「殿下が行かんでも、官兵衛、清正をはじめとした優秀な将が、十万の兵を連れてます。これが、天下の戦でございます」

 通訳かよ、と伊万里は内心、ツッコんだ。

「お前が、戦の話を聞きたがるなんて、珍しいじゃねえか」

「べつに」

 と、茶々はそっぽを向いてしまった。女の伊万里は、ピンと来た。茶々は、渋谷の身を、案じている。戦に出て、万一のことがあればどうしよう、と思ったのだ。

「すっかり、惚れてんじゃねーか」

 と呟いた伊万里を、隣で同じように控える茶々の乳母が、じろりと見る。

「四国の奴ら、頑固でな。だけど、心配ねぇ。しっかり、治めてみせるぜ」

「そうか。秀吉殿は、いつも、先のことを考えておるのじゃな」

「なんだよ、先のことって」

「ふつう、戦の話をしたら、どう攻めるとか、どう切り取るなどという話になるもんじゃろ。しかし、秀吉殿は、違うな」

「そうか?まぁ、そうなのかも」

「もう、四国を手に入れたあとのことを、考えている。天下人とは、なるほど、こういうものかえ」

 伊万里は、眉をひそめた。結局、権勢欲か。茶々の身の上は同情して余りあるが、天下人の寵愛を受けることで、自らが失った何かを、取り戻そうとでも考えているのか。

「殿下が、天下をお取りなさるんと違います。天下が、殿下のお手に、ひとりでに転がり込んで来るんです」

 と、渋谷が何も言わぬのに、通訳が入った。

「ほほ。ひとりでに、とは」

 茶々が、上品に笑った。

「おい、利休。その言い回し、悪くねぇな」

 渋谷も、上機嫌である。

 伊万里は、ぞっとした。茶々のところに行くとき、伊万里はふだん、ついて行くことはない。自分の知らぬところで、こんな会話が、いつもされているのか。

 そりゃ、馬鹿が付けあがるはずだわ、と思った。

 結局、茶々は何か渋谷に用があったわけではなく、ただ話がしたいだけであるようだった。


「よかったわね、渋谷」

 利休は、自室へ戻っていった。伊万里と渋谷、二人で廊下を歩く。

「なにが」

「茶々、あんたにベタ惚れじゃない」

「はぁ?んなわけねぇだろ」

「ロリコン」

「だから、それやめろってば」

「ロリコンにロリコンと言って、なにが悪いのよ」

「ちくしょう、覚えてやがれ」

「きゃー、変態が怒った」

「馬鹿、やめろ」

 けらけらと笑う伊万里だが、急に真顔になった。

「なんだよ」

「あんたがいくら馬鹿でも、あんたと茶々の間に、子供が出来ることくらい、知ってるわよね」

「はぁ!?マジかよ!?」

「知らないの!?マジで!?それが、豊臣秀頼になって、ええと、もういいわ」

「マジか、じゃあ俺、ほんとにロリコンになるんだ」

 渋谷は、頭を抱えてしまった。

「まあ、まだ先のことだけどね」

「言われてみれば、確かに可愛いかも、茶々」

「ちょっと」

「しかも、俺に惚れてんだろ?」

「ちょっと」

「なんだよ。お前が言い出したんだぜ」

「そうだけど」

 渋谷が頭を抱えて、座り込んだところの襖が、すぱりと開いた。

 若い、こざっぱりとした印象の男が、無表情で顔を覗かせた。

「あ、吉継」

 大谷吉継。伊万里と、いや、三成と仲がいい。

「殿。なにを、わめいておいでか」

「よ、吉継。いたのか」

「ここが、それがしの部屋でござれば」

 吉継は、現代語で言うと、クールなイケメンである。歴史上、三成が吉継と仲がいいとされているのは、伊万里が面食いであることに関係しているのかもしれない。

「めっちゃ、カッコいいんだから。もう、キュンキュンしちゃうわ」

 と、伊万里が渋谷の前で騒いだことがある。

「今の話、聞いてた?」

 渋谷が、おそるおそる訊くと、吉継は無表情で頷き、

「殿の声は、天下一大きくあらせますれば」

 と言う。

「あ、そう。どこから、聞いてた?」

「殿が、でおわす、のくだりから」

 渋谷は、また頭を抱え、すっくと立ちあがると、全力疾走でその場から逃げた。

「なんじゃ、三成、ろりこんとは」

「なんでもない、吉継」

「しかし、お主、あの話、ほんとうであったのだな」

「なんだ、あの話とは」

「お前が、実は女であるという話だ」

「ええええええっ!!」

 バレている。伊万里も、渋谷に負けぬほどのでかい声で、しかも、つい、三成の声ではなく、女の声で叫んでいたのだ。

「誰から聞いたのよ、誰から!」

「福島正則から」

「あの馬鹿、殺してやる」

「まぁ、俺は驚かぬ」

「ほんとう?吉継」

「べつに、お前が女であろうが誰であろうが、俺にとってのお前が、石田三成であることに、変わりはない」

「あぁ、吉継、あなたって人は」

 伊万里の頬がピンクになり、眼には星が散った。

「おれは、他人には、興味がない」

 という一言で、その星は砕け散ったが。

「それより、三成。茶々様のことだが」

 吉継は、近江の出身で、かつて浅井に仕えていたこともある。それゆえ、茶々には、近い存在である。

「殿の、側室となられるという噂は、まことか」

「ふん、殿さえ、その気になりゃ、すぐでしょうよ」

「そうか」

「なにか、気になる?」

 伊万里は、吉継に女であることがバレたショックを、吉継の前では三成として振る舞わずともよいのだ、と前向きに捉えることにした。

「うむ。ちょっと、よいか」

 吉継は、自室に伊万里を招じ入れた。

「茶々様が、あれほど嫌っておられた殿に、にわかにお心を傾けられたのは、俺は、利休の差し金であると思っている」

 と、秀麗な眼を光らせた。

「利休」

「そうだ。あの商人は、殿のご親任厚きことを笠に、己が権勢を増そうとしている。その上、茶々様まで懐柔し、殿になびかせる。あの商人の力は、増すばかりではないか」

「そうね」

「三成」

 真剣な眼差しで、吉継は、伊万里を見た。彼は、とんでもなく頭が切れる。きっと、何か策があるに違いない、と伊万里は身を乗り出した。その顔に、吉継の白い顔が、ずいと近付いてきて、伊万里は思わず、ひゃっと声を上げ、退がった。

「なるほど。お前、案外、可愛いな」

 吉継がどのような策を考えているのかはさておいて、伊万里は、現代にいた頃より、こちらに居た方が、モテる。それだけは、確かだ。

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