いまちゃんと呼んで候
秀吉に従わぬ者といえば、関東の徳川、北条。それに、奥州の伊達など。
それらを臣従させぬことには、天下は平らにならぬ。東に向かうのに、まず、西を固める。渋谷は、官兵衛の、その進言を、受け入れた。
「あんた、本気」
と、伊万里は渋谷に言った。
「あぁ、戦をする。四国と、あと、九州。それを平らげれば、東は、もう、こっちのもんだ」
「東でも、戦よ」
「まぁ、そうなるのかな」
「ええ、そうなる」
「どっちみち、逃れられぬなら、ちょっとでも、早く片付ける。ちょっとでも、人死にを少なくする。それしかねぇ。それに」
と渋谷は、言葉を継いだ。
「たぶん、そうしたって、人死には減らない。死ぬと決まっていた奴は、多分、俺がどうしようと、死ぬんだろ」
「それは」
多分、そうである。もし、渋谷がするはずの戦をとりやめたりして、人死にの数を変えてしまえば、今ごろ彼はここにはいまい。歴史を変えてしまえばただちに存在を消される、とする説が正しければ、だが。
「俺は、自分で考え、行動してる。だけど、多分、俺は、知らないうちに、秀吉のすることを、なぞっているんだろうと思う」
概ね、そうである。そもそも、秀吉と渋谷は、同じ時間に生きていたとして、歳が二十歳以上も違う。それが、こっちに来てから、殿はさすが、いつまでもお若くしておられる、で片付けられるのは、ちょっと解せない。いくら、この時代の人がおおらかであったとしても、まだ二十代の渋谷を、四十代の秀吉として受け入れるのには、無理がある。
しかし、そのことは、誰も言わない。ならば、もう、渋谷という存在が、そのまま秀吉と同化していることにはならないか。秀吉とは四十代だが、二十代なのだ。その矛盾を、歴史は、何事もなかったかのようにして見過ごしている。
であるならば、少し歴史を改変することくらい、大目に見てくれてもよいものを、そこはどうも厳しい眼で見られるらしい。
じゃんけんに、あとだしで勝つような真似は、出来ぬようだ。
伊万里の思考は、ぐるぐる回る。
「だったら」
渋谷は、笑う。
「やるしかねぇ。俺を、助けてくれよ、伊万里」
「いいけど」
伊万里は、もしかしたら、自分だけ、現実を受け入れず、過去のことにこだわっているのではと思えてきた。少なくとも、今、彼女は石田三成として戦国時代にいるのだ。それならば、今、出来うることに、向き合うべきでないのか。
複雑な思いはあれど、やめろと言って戦を止め、存在ごと消されでもしたら、しゃれにならない。
「わかったわ」
「おっ、素直じゃん。よろしく頼むわ、伊万里」
「あんたの、馬鹿に、付き合ってあげる」
「それでも、大丈夫きゃあ?」
寧が、心配そうにしている。
「家康殿との戦に続き、また大きな戦になるんやろう?」
「そうだな、寧」
「おみゃあさんや伊万里に、何かあったらどうするでよ」
「大丈夫さ、俺たちは」
「ほんとかえ」
「なんせ、歴史を知る伊万里と、最強の軍師がついてるからな」
渋谷が、からからと笑う。四国を牛耳るのは、長曽我部である。今の主は、元親。元親は、天下に野心があるのか、先頃四国全土を統一したところである。このまま放っておけば、海向こうの九州勢力と結託し、世をおびやかすことになるかもしれぬのだ。
「寧さん、安心して。わたしたちは、勝つわ」
「そうきゃあ」
「大丈夫よ」
「おっしゃ、伊万里。船だ。船と、兵糧。今、兵は、どれくらい出る」
「まず、十万」
「おっ、あらかじめ、計算していたか」
「ええ。東への備えのことも考えて、十万というところよ。現地で戦い、降伏する者を容れれば、あと二万」
「そうか。これで、いっつも後ろからコソコソ仕掛けてきやがる長曽我部の野郎を、ぶちのめせるんだな」
「渋谷」
「わかってるって。ものの例えだ」
「おみゃあさん」
「なんだよ、寧」
「くれぐれも、お気をつけて」
「ああ。ありがとう。どうした、妙に、しおらしいじゃねぇか」
「なんでも、にゃあよ」
「そうかい。んじゃ、ちょっと俺は利休のところに行ってくらぁ」
渋谷は、出て行った。
「あれは、茶々のところね」
伊万里が、じっとりとした眼で渋谷の出て行った先を見て、言った。
「そうきゃあ」
「そうよ」
寧は、やはり渋谷が茶々のところに行くのは、嫌な様子である。
「寧さん、気にしないで、あれは、あなたの旦那さんじゃないんだから」
「そりゃ、分かっとる。だけども、やっぱり、面白うはにゃあ」
「まぁ、ね」
「おみゃあさんは、平気かえ?」
「べつに、あいつの勝手よ」
ぷくりと膨れた伊万里の頬を、寧がつんと突いた。
「やめてよ」
「いっそ、あの人が、おみゃあさんと一緒になってくれれば、安心だなも」
「ば、馬鹿言わないで。誰が、あんな奴と」
「おや、嫌かえ?」
「嫌よ」
「そうきゃあ?お互い、好き合うとるようにしか、見えんがねぇ」
「やめてよ、寧さん」
伊万里は、立ち上がった。
襖を開いた伊万里の眼の高さに、ぬっと、男の胴体が現れたので、驚いた。
「きゃあ」
と声を上げると、襖がすぱりと開き、清正があらわれた。
「い、いまちゃん」
「はぁ?」
「ちょっと、よいか」
「なんだ、清正。なぜ、わたしを、いまちゃんなどと」
と、三成の声で言う。寧が、ぷっと吹き出した。
「いや、おぬしが、そう呼べと」
「いつ」
「おぬしが俺の部屋で、酔いつぶれたとき」
「伊万里、清正は、あんたのこと、知っとるんだで」
「なんですって」
寧に言われて、伊万里は、清正を睨んだ。
「どこまで」
「いや、俺は、むしろ、気付かぬふりをしようとしていたのだぞ。お前が、女の身で、ずっと男として生きなければならぬのには、よほどの理由わけがあるのだろう、と」
清正は、髭面で、穏やかに言った。
「お前が、自ら言い出さぬのならば、俺も、正則も、知らぬことにしておいてやろう、と」
「え、え、ちょっと待って。話が見えないわね。あなた、どこまで知っているのよ。正則ですって!?彼も、知っているっていうの!?」
「どこまで、とは何だ、いまちゃん」
「いまちゃん、はやめて」
「え、でも」
「うるさい!」
一喝されて、清正はしゅんとした。
「ええと、わたしが、女だっていうのは、知ってるってことよね」
「そうだ」
「なんで、そう分かったのよ。あたし、酔って、何言ったの?」
「いや、なにも、言わぬが」
「え、じゃあ、どうして」
「いや、その、なんだ」
清正の顔が、みるみる赤くなってゆく。今まで、石田三成としてしか見ていなかったから、どうということもなかったが、女だと分かってから、もじもじしてばかりいる。
「あんた、まさか」
「いや、違うんだ」
伊万里の、強烈な平手打ち。戦場で鍛えた清正でも、それをかわすことは出来ない。
「最低!馬鹿!変態!」
「お、おちつけ」
寧は、二人を見て、袖で口元を押さえ、笑っている。
「おぬしを介抱しようとしたのだ。許せ」
「まぁ、潰れたわたしも悪いっちゃ悪いんだけど」
伊万里は、ため息をひとつして、続けた。
「じゃあ、わたしたちが、今からずっと先の時代から来たっていうのは、知ってる?」
「先の、時代?」
「知らないのね」
伊万里は、出来るだけ清正に分かりやすいように、説明してやった。
今より四百数十年のあとの時代から、どういうわけか、こちらに飛ばされてきたこと。渋谷と伊万里は、賤ヶ岳のとき以来、秀吉と三成として、生きなければならなかったこと。他にも転移者はいて、官兵衛、利休などがそうであること。戻るには、歴史の役割を、全うしなければならぬこと。つまり、こちらで死ぬまで、戻れぬこと。
清正は、伊万里の太い眉と、勝ち気な光の瞳をじっと見ながら、でかい身体を折り畳んで、おとなしく聞いている。
「そんな、馬鹿な話が」
「そう。だから、これは、馬鹿な話」
「虎之助」
寧が、眼を細めながら言った。
「伊万里に、合力してやるがええ」
「かか様。しかし」
「好いておるんじゃろう」
「なっ」
「清正」
「なんじゃ」
「あんた、いい奴ね。信頼できるわ」
「う、う」
伊万里にそう言われ、清正はたじろいだ。
「三成として、あんたに冷たくしてきたけど、力を貸してくれない?」
「そるは、やぶさかではないが、何をすればいい」
「渋谷を、助けてあげてほしいの」
「渋谷、とは殿のことだな」
「そうよ。あんたの殿も、どっかに行っちゃったんだから。でも、それを知っても、変わらず、渋谷を、助けてあげてほしい。あなたの力が、あの人には必要なの」
「承知」
清正は、両拳を畳にどんと突いた。
内心、伊万里は、きっと渋谷が好きなのだ、と察して、泣きたい気持ちであったが。
いつも無愛想で人を見下したような態度を取り、鼻持ちならない石田三成が、「渋谷」と言った途端、女の顔になった。清正としては、
「こりゃ、かなわぬなぁ」
と、頭を掻かざるを得ない。
渋谷は、清正が納得してしまうほど、いい男だった。顔は猿だし背は低い。しかし、あの、なんとも言えぬ笑い顔はどうだ。誰もが、そのそばに行きたがる。
好かれやすい
敵にも味方にも、優しい男。
それは、清正の思い描く、理想の将の姿である。
「いまちゃん」
清正は、言った。
「あの男、天下を取るぞ」
自分の知る羽柴秀吉より、よっぽど渋谷の方が、天下人に相応しい。
「おぬしを訪ねて来たのはほかでもない、次の、四国攻めのことだ」
清正は、きりりとした幕僚の顔に戻る。
伊万里は頷き、そろばんを取り出した。
「説明する。聞け、清正」
その声は、石田三成のものだった。
「そうそう、虎之助も、佐吉も、幼い頃は、仲が良かったんよ」
寧は、二人を見て、微笑んだ。
伊万里は、清正に、いまちゃん、と呼ばれるのはちょっと微妙な感じがするが、協力してくれると言うのだから、まぁいいかと思うことにした。
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