小牧、長くて候 1

 織田信雄おだのぶかつという男がいる。これは、渋谷に言わせれば、「嫌な奴」だった。信長の弟というだけで威張り散らし、秀吉を馬鹿にしてばかりいる。しかし、信雄自身は、全然政治力もなく短慮で、とてもあれでは天下は治められないということが、渋谷にも分かった。ていうか、アイツが上に立って、誰が付いてくんの?と渋谷は官兵衛に笑いながら言ったほどである。その家臣は、「いい奴」だった。自らの主君よりも、秀吉の方が人の心をよく掴んでおり、天下を治めるに相応しいと言うのだ。渋谷は、自分にすり寄って来るからそれらをいい奴と判じたのではなく、彼らが、戦を無くしたい、平和であってほしい、と願っていることを見て、いい奴だと思ったのである。


 昨年、大坂城が出来て、秀吉は、天下取りにまた近づいた。従わぬ者は、馬鹿である。つまらぬ意地などにこだわって、戦をし、人を悲しませる奴は、「嫌な奴」だ。

 渋谷は自分で言っていた通り、秀吉としての事業にを感じている。こちらでの毎日は、現代の底辺での、つまらぬ暮らしとは何もかもが異なり、全てが真新しく、晴れやかである。これで、戦さえなければ最高なのに、とどうしても思ってしまうのである。

 織田信雄と手を組んでというか、裏で糸を引いているのが、徳川家康である。官兵衛が、そう言っていた。表向き、書状などでは丁寧で、へりくだっているが、内心は、秀吉何するものぞ、と思い、歯牙にもかけていないのが、ありありと分かる。

 だから、兵を向けるふりをして、ビビらせてやればいいと思ったのだ。その機があれば、すぐ実行するつもりだった。そして、この大坂城に招いてやり、城を見せて、度肝を抜けばいいのだ。

「ここ、俺んち」

 と言って見せてやれば、徳川家康など腰を抜かすに決まっている。


 そのチャンスが、来た。それも、悲しい形で。

「いい奴」と渋谷が思っていた、織田信雄の家臣達が、信雄に、殺されてしまったのだ。渋谷は、激怒した。

「官兵衛。あいつらは、戦いをしたくないから、俺と仲良くしてくれてたんだよな」

「いかにも」

「それを、殺してしまうなんて、ひどすぎる」

「ごもっとも」

 官兵衛は、内心ほくそ笑んでいることだろう、と脇に控える伊万里はその額の痣を見ながら思った。

「なんでだよ。なんで、そんなことをするんだ」

「恐らく、信雄殿は、自分が信長公の弟君であらせられることで、天下はひとりでに己の手に転がり込んでくるものと思っておられたのでしょう。そこへ、殿が、あらわれた」

「欲か。そんなに天下が欲しいなら、俺はいつでもくれてやるわ。しかしな、自分のの気に入る、気に入らんで、自分の仲間を殺すような奴には、死んでも渡さん。この言葉、そのままあの馬鹿野郎に伝えやがれ」

「御意のままに」

「あと、これも付け加えろ」

「はっ」

「てめぇ、絶対ぶっ飛ばす。覚悟しとけ」


 こうして、渋谷は、「チャンス」に乗っかった。信雄はクズ野郎だが、それを上手くこらしめれば、裏で糸を引いている家康も、ビビるに違いない。

「なぁ、寧。そう思うだろ」

 と、水をがぶがぶ飲みながら、でかい声で言う。

「おみゃあさんは、やっぱり、お優しいことだなも」

「なんだよ、馬鹿にしてんのか」

 寧は、にっこりと笑って、

「いいや、んなこたぁねぇ」

 と土臭い訛りで言う。

「おみゃあさんは、あの人に、やっぱりそっくりだなも」

「秀吉さんのこと?」

 と伊万里が口を挟む。

「そう。でも、あの人とは、ちょーと、違うとる」

「どの辺が?」

 と渋谷が興味を示した。

「あの人も、人死にはお嫌いなさった。なれど、それは、得た国を、損なわぬため。いつも明るく、人に好かれておったが、それは、得たいものを、得るため。だから、一度火が付けば、あの人は止まらん。正直、怖いお人じゃと、思っとった」

 伊万里も、秀吉の性格について、打算に満ちた狡猾さがあると現代において言われていることは知っているが、寧の口からそう聞くと、なんだか少し悲しいような気持ちになった。

「それでも」

 と寧は、微笑わらう。

「あの人は、とても、ええ人じゃ」

「へぇ、そうかい。秀吉ってな、すげえ奴なんだな。頭で考えて、人に優しくする?俺にゃ、真似できねぇな」

 と、渋谷も笑った。

「俺さ、こっちに来てから、自分では何もしねぇうちに、俺の周りの奴が頑張って、こんなでかい城を建てて、天下のことをあれこれ気にして、ホント皆すげえなって思ってるんだ。俺っていうのは、あくまで、形だけのもんなんだ。皆、俺が偉いってことにすることで、その先にある、平和な世の中を、目指してるんだと思うんだ。秀吉ってな、きっと、それを頭で考えて、人にやらせてたんだと思う。すげぇよな」

 伊万里は、何故か舌打ちをしたいような気分になった。渋谷は、とてつもない馬鹿である。しかし、渋谷の心はまっすぐで透明で、大嫌いなはずなのに、どうしても憎めないのだ。

「だから」

 と、馬鹿正直な渋谷は言う。

「許せねぇんだ。自分が偉いとか、天下を思い通りにしたいとか、そんなことで、人を殺せるような奴が」

「ブッ殺す」

 とは、渋谷は言わない。

「こらしめてやる」

 と、憤慨しているのだ。それが、なんだかおかしくて、伊万里は吹き出した。

「伊万里、兵を、出す。支度しろ」

「命令しないで。偉そうに。わかったわよ」

 官兵衛の言葉が、脳裏をよぎった。


 歴史を、忠実に再現し、役目を果たせば、帰れる。逆らえば、消される。


 どのみち、どうなるか分からぬのなら、やってみるしかあるまい。伊万里は、歴史をなぞってみる覚悟を決めた。官兵衛の言う通りにするのはしゃくだが、ここで、それに逆らう理由がないのだ。


「よし、決まりな」

 渋谷は、立ち上がった。

「どこに行くのよ」

「茶だよ。利休にも、教えてやらねぇとな」

 そう言って、「いい奴」と渋谷が言う利休のところに、行ってしまった。利休と秀吉の行く末も、勿論伊万里は知っている。もし、歴史をそのままなぞることになるなら、秀吉は官兵衛を疑い、追いやり、利休に言いがかりをつけ、殺すことになる。

 そして、伊万里の知る歴史では、石田三成は、そのどちらにも、深く関わることになるのだ。

ーそんなの、嫌よ。

 伊万里の想いや願いを、聞き届けてくれる者はない。歴史は、その向かうべき方にしか、どうも進まぬものらしい。



 渋谷は、信雄のいる尾張に向け、十万の兵を発した。脅して、こらしめて、詫びを入れさせ、改心させればよい。と思っていたが、そう甘くはない。同時に、これをチャンスと考えた家康が、出てきたのである。


 天正十二年三月、小牧長久手の戦いが始まる。

 

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