第二章 戦って候

ウインクして候

 現代からタイムスリップしてきた、渋谷と伊万里。帰る方法は、分からない。

 彼らが、の住人ではないことを知るのは、渋谷の、いや、秀吉の妻である寧。それと、同じくタイムスリップしてきたという、黒田官兵衛。寧はとても協力的で、さすが、戦国屈指の女傑と後世に語り伝えられるだけの度量を示した。官兵衛からは、どうやら、渋谷や伊万里、官兵衛以外にもタイムスリップしてきた者が居るらしいことを聞いた。たとえば織田信長と明智光秀がそうであったらしく、彼らは、結局、織田信長として、明智光秀としてで死んだという。

 石田三成はこの時期まだ若いから、男のように平らな胸しか持たぬ伊万里が間違えられるのは百歩譲って分かる。しかし、秀吉はこのとき、既に四十代のはずだ。それと、二十代半ばの渋谷が間違われるというのは、どうにも腑に落ちない。


 もしかすると、のかもしれぬ。

 もしかすると、彼らは、ここにおいて、彼らは、であるのかもしれぬ。何をどう贔屓目ひいきめに見ても、彼らの身に説明のつかぬことが起きているわけだから、考察すること自体無意味なことであるわけだが、伊万里は、考えた。

 自分達の人生は、あのとき、隅田川に落ちたとき、失われていたのではないか、と。

 もし、仮に、歴史的にその場で死ぬべきでなかった者が、何かの理由で死んでしまうというが生じたとする。たとえば、柴田軍を攻めるため、大垣から急行していた秀吉と佐吉が、うっかり谷底に落ちるとか。その埋め合わせを、同じく、うっかり死んでしまった渋谷と伊万里は、させられているのではないか、と。


 どのみち、考えても仕方がないことだ。それがほんとうなら、二人は、このまま秀吉と三成として生きて行くしかなく、戻ることなど出来ないということになるのだ。

 だが、伊万里は、諦めたわけではない。必ず、現代に戻ってみせる。そう心に決めていた。



 一方、渋谷は。寧と話したり、ほかの者と騒いだり、相変わらずうるさい。

 戦国の世だけあり、世の中にはやはり不穏な空気が漂っている。関東の徳川家康は表向き、秀吉に従うような態度を見せながらも、その実北条と婚姻を結んだりしており、従う気などさらさらないことは誰にでも分かる。それを詰問する書状を、秀吉の名義で官兵衛が出したりしているが、体よくごまかすような返事が返ってくるばかりである。

 天下で従わぬ者と言えば、徳川、北条、それに伊達をはじめとした東北諸国の諸大名、あとは四国の長曽我部、九州の島津など。しかし、裏を返せば、それらを従えれば、天下は平定されるわけだ。無論、渋谷は何もしていない。全て、が、したことである。

 秀吉というのは、凄い奴だ。などと、渋谷は伊万里や寧によく言った。俺には、とても真似なんて出来ぬ、と。

 しかし、渋谷のすることは、全て、秀吉のすることだった。では、渋谷が、秀吉として、秀吉のするはずのなかったことをすれば、歴史はどうなるのであろう。

 ここで生まれた蝶の羽ばたきが、遠く離れた場所で突風になるという話がある。なにげなく、渋谷がしたことが、回り回って数々の矛盾を生み、ついには渋谷や伊万里の存在そのものを否定するようなことにならぬとも限らぬ。

 伊万里は、そのことを渋谷に言って聞かせた。

「そりゃ、気をつけないとな」

 と渋谷はいつも言う。

「あんた、本当に分かってるの」

「当たり前だろう」

 と、渋谷は胸を張るのだ。

「だけど」

 と、渋谷は言う。

「俺は、俺さ。俺のするようにしか、出来ないのさ」

 伊万里は、馬鹿、と声を荒げるのだが、渋谷はからからと笑うばかりである。

「伊万里」

 と、寧は伊万里を呼ぶ。渋谷が、寧と三人のとき、臆面もなく、イマリ、イマリと言うから、そう呼ぶようになった。

「伊万里、なんや、考え事かえ?」

 寧は、人の心情に、敏感である。伊万里が、官兵衛のことをどうしても渋谷に言い出せずにいるのを見て、何か胸に抱えていることを察したのだ。

「ううん、寧さん。なんでもないの」

「せっかくの凛々しい顔に、影が出来とるでに」

「そうね、ちょっと、調子が悪くて」

 伊万里は、歴女レキジョを自称するだけあって、歴史の知識が豊富で、石田三成として生きていて特に不自由はないのだが、一つ、が来ているときだけは、困った。この時代、現代を生きる伊万里には考えられぬことながら、その期間、女性は、血をこぼさぬよう、蚕の繭をそこに詰めるのだ。だいたい、大人しく座っているのだが、石田三成としてあれこれ仕事をしなければならない伊万里は、そういうわけにもゆかぬ。だから、この時代の文字も読めるようになったし、練習して書けるようにもなったから、伊万里は、進んで出来るだけそういう仕事をするようにしていた。

 当人も知らぬ間に、文官石田三成が、生まれていた。

「おや、腹かえ」

 と、寧はやはり察しがいい。

「ええ、ちょっと」

「まったく、女ってな、不自由に出来ていやがる」

「あんたね」

 と伊万里が突っかかろうとすると、渋谷はまた開けっ広げな笑い顔を向けて、

「だから、男がいるんだ」

 と言った。どうやら、渋谷の理屈では、そういうことになっているらしい。伊万里は、刑事として渋谷を追っており、彼の犯罪歴や、金貸しとしての姿しか知らなかったが、このところ、ちょっと見方を変えている。


 つまり、渋谷とは、よく言えば素直なのだ。短絡的で思慮が無く、それゆえ、人が優しい。悪く言えば、馬鹿である。だが、秀吉として生きる渋谷を知る人は皆、彼のことが好きなようだった。

 なぜかは分からないが、そういうとき、ほんの少し、伊万里は寂しいような気がする。

 はじめ、たった二人、無人島に取り残されたような孤独があった。

 しかし、渋谷は、それこそ猿が進化を遂げるように、さっさとに順応して、皆と仲良くしている。

 要は、伊万里は、置き去りにされたような気がするのだ。自分が必死に帰る方法はないものかと考えたり、せっかく同じようにタイムスリップしてきた者同士だと思った官兵衛も含みがありそうで手放しには信用できなかったりで、いつも頭を抱えてばかりなのに、渋谷ばかり楽しくやっているのを見るのは、単純に腹立たしい。

 だから、渋谷の、意味のない自信に満ち溢れた顔を見ていると、無性に殴りたくなる。

「そうだ、伊万里」

 と、伊万里の心の機微など知る由もない渋谷は、無邪気な声を上げる。

「利休が、すごくいい奴なんだ」


 利休の話を、渋谷は始めた。渋谷や伊万里がこちらに来たとき、既に幕僚の中にいた。茶人であるが、渋谷は茶道などに全く興味がないから、あまり話すこともなかった。

 しかし、は茶がとても好きで、利休と仲が良かったたらしいから、利休の方がしきりと渋谷を誘ってくる。

 試しに誘いに応じ、細かい作法など全く分からぬまま、渋谷はその苦い飲み物を飲んだ。

「殿。なんや一皮、剥けたようにお見受けします」

 と、利休は西で言った。

「そうか?まぁ、そうかもな」

 と、渋谷は曖昧に笑う。

「殿ー」

「なんだよ」

「ーいや、なんでもありまへん」

「気になるな」

「お許し下さい。思わせ振りなことを言うて」

「駄目だね。俺、こういうの無理なんだ。絶対、聞かないと落ち着かない。どうすんだよ、今夜寝れねぇじゃねぇか」

「ーでは、申し上げましょ」

「おう、悪いね」

 渋谷は、狭い茶室で、あぐらをかき直した。

「お茶々様を、どうなさるおつもりで?」

 利休の眼が、光った。

「ああ、茶々ね」

 渋谷は、足の裏を掻いて、考えた。

「かねてより、信長公の姪であらせられる茶々様を、殿は欲しがっておられたはず。それが、なんで今になって、手ぇを付けるんを、止めはったんです?」

「あー、それか」

 自分と、秀吉の考えの違いである。秀吉は、柴田勝家を滅ぼしたあと、茶々を引き取り、側室にするつもりであったのだろうが、渋谷にそんな趣味はない。だから、ここは自分の考えを、きっぱりと述べるべきだと思った。

「どうもしない。可哀想じゃん。ちゃんと、大人になるまで、俺たちで守ってやるさ。それからどうしたいかは、あいつが自分で決めればいい。それが出来ないなら、誰かいい人を紹介して、本人が気に入れば、結婚でもすりゃいいんじゃねぇか。戦国時代ってな、そういうもんなんだろ」

 自分の考えを、きっぱりと述べるつもりになってしまうと、下手くその渋谷は、途端に、現代人になってしまう。普段から、伊万里に、この時代にはない言葉や言い回しがあるから、注意しろ、とさんざん言われている。


 たとえば、渋谷が「一石二鳥」と言ったときも、そうだった。どういうわけか賢い官兵衛はその意味を汲んでくれたようだが、他の者は密教の祈祷の言葉でも聞いたような顔をしていた。あとで、渋谷がそのことを言うと、伊万里は、馬鹿ね、と言い、

「あのね、一石二鳥なんて言葉、この時代にはないの。あれは、英語がはじまりの諺よ。それを、日本語に訳したものなの」

 と説明してくれた。渋谷にはそれが大層驚きであったらしく、それ以来、下手くそながら言葉遣いには気をつけるようになっていた。


 だが、今のはちょっとやり過ぎた。口ぶりからして、自分がこの時代の人間ではないということを示してしまっているではないか。

 無論、この時代にタイムスリップなどという概念はなく、時間とは絶対的なものとして存在し、人がそれを超えたりすることなどあり得ぬし、そもそもそんな着想すらない。それに、この時代の人は、とてもおおらかで、ものを信じやすい。裏付けや証拠はなくとも、誰それがそう言っていたから、誠のことにござる。とか、現代人の渋谷や伊万里が聞けばちょっと笑ってしまうような話を、真に受けたりする。

 だが、官兵衛は違う。凄く合理的な視点でものごとを捉え、その思考は常に実証的だ。

 それと、この利休も。それゆえ、渋谷は、話しやすいと思ったのかもしれぬ。

「殿」

 と、利休は細い眼を笑ませて、もう一杯、茶を立てはじめた。茶道の達人と言われるだけあって、素人の渋谷が見ていても手際がいいものであったが、よく見ていると、しゃかしゃかと音を立てる茶筅からは、茶の飛沫が跳ねてしまっていたりする。

「なぁ、利休、お前さ」

 それを見ながら、渋谷は言った。利休は、黙って、片目をつぶって、人指し指を自分の口元に当てた。

 あれ、この動作って、この時代にあるんだっけ、と渋谷は思った。

はね、殿。茶ぁの泡が跳ねても、その跳ね方は一期一会、これこそ自然じねんの様なりと言うたら、ほほぉ、どうりで見事、侘びがありますな、と感心しはる、可愛い人らです。茶碗の選び方が分からんで適当に買うたやつでも、この自然な姿がええ、と言えば、皆嬉しそうにそれを眺めはる」

「お前、もしかしてー」

 利休は、それを遮って、

「だからね、殿。そんな、肩肘張らんと、気楽にやったらよろしいねや。大丈夫大丈夫。なんとかなりますよって」

 と穏やかに笑った。渋谷は、吹き出した。

「お前、茶道なんて、やったことないんだろ」

 利休も、吹き出した。

「ひととおりの作法は、弟子の手際を確かめる、やってみぃ、て言うて眼の前でなんべんもやらせて、覚えました。せやけど、なかなか、この歳になって、慣れへんことをするんは、どうも」

 と、頭巾をかぶった禿げ頭を掻いた。

は、私は長い。もう十年以上になりますか。せやから、たぶん、お力になれるはずです」

 ね、殿。と、また利休は目尻に皺を寄せ、片目をつぶった。

 それは、まぎれもなく、ウインクだった。



 そのことを伊万里と寧に話し、

「な。あいつ、いい奴なんだよ。協力すれば、帰る方法が分かるかも」

 と渋谷は興奮する。伊万里は、渋谷が帰る気があることを再確認して、安堵した。

「よかった、渋谷。あのね」

 と、官兵衛のことを言おうと思った。

「つーわけで、ちょっと、茶ぁ行ってくるわ」

 と渋谷はいそいそと、新しいのところに遊びに行ってしまった。

 待って、と伊万里が言ったときは、既に襖をぴしゃりと閉めたあとだった。

 また、むらむらと怒りが込み上げてくる。

「寧さん、やっぱ、あいつ無理。無理だわ、わたし」

 と鼻息を荒くする伊万里を見て、寧は喉を鳴らして笑い、

「何百年先の人でも、女の心は、変わりゃーせんもんやねぇ」

 と言った。

「はぁ!?」

 という伊万里の叫び声が部屋に響いたのは、言うまでもない。

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