明かして候
大坂の城は、官兵衛が伊万里の案の通り、人足を組に分けてそれぞれ賞金をかけて競わせることで、驚くべき速さで出来上がってゆく。
官兵衛は、築城においても才能を持つらしく、文字通り天下の堅城となるだろう。
「いや、凄いもんだ」
渋谷は、北を淀川に洗わせる上町台地と言われる広大な台地を、夥しい数の人々が掘削したり、人工物を積み上げたりする様子を検分しながら、感嘆した。
ここまで、伊万里はもちろん、虎之助や市松、その他いつも渋谷の周りにつき従っている者らと共に、馬でやってきた。
あれから、三月は経ったが、まだ帰る術が分からぬまま、近江や京、大坂などを行ったり来たりしている。車や電車ではなく、馬での移動は、時間がかかる。しかし、閉鎖された乗り物に乗らないから、出発地と目的地が切り離されたような現代の旅とは違い、景色や空気がそのまま連続して目的地までずっと続いているのを感じられて、楽しかった。
「凄いな、佐吉」
佐吉とは伊万里なわけだから、自然、渋谷は佐吉と話す機会が多くなる。それを、虎之助や市松などは面白く思わないようだから、結構、気を使うのだ。
「どうだ、虎之助、市松。これが、天下の名城になるかな」
と、ちゃんと虎之助や市松にも話しかけてやる。
「城は、古今に類なきものとなりましょう」
と、虎之助が言った。
「城は、とはどういうことだ、虎之助」
「はっ」
最初、がさつな印象を受けた虎之助だったが、戦場以外では、実は案外思慮深いところがあると渋谷はこのところ思う。市松などは戦場でも平時でも変わらず喧嘩っ早く短慮で、二人はいいコンビというところだった。その虎之助が、言う。
「城は、誠に立派なものとなりましょう。しかし、天下には未だ殿に靡かぬ大名も多く」
「そうか」
渋谷は、知らない。
「例えば、誰だ」
と、でかい声で臆面もなく聞く。
「関東の徳川、北条。北は伊達。それに、南には薩摩の島津。これらは、秀吉何するものぞと気勢を上げ、殿を軽んじております」
築城の奉行として渋谷を迎えていた官兵衛が、虎之助の代わりに言った。
「殿。しかし、この城があれば、そやつらが一息に攻めて来ても、防ぎきれますな。その際には、どうかこの市松を、
と市松が啖呵を切った。
「頼もしいな、市松」
渋谷は、笑った。
「この城で、戦をすることは、ありませぬ」
官兵衛が、ぼそりと言った。伊万里も、頷いている。
「おっ、どういうことだ、官兵衛」
渋谷は、戦国時代を楽しんでいる。どうせ、まだ帰れぬ方法は分からぬのだ。それならば、思い切り、取り組んだ方がよい。なにせ、この世界の住人は、寧を除き、渋谷を秀吉だと思っているのだ。
「佐吉殿なら、分かるだろう」
官兵衛が、伊万里を見て、にやりと笑った。
「なんだ、お前、官兵衛の言うことが、分かるのか」
渋谷が、身を乗り出す。
「それでは、申し上げます」
と伊万里は前置きをして、
「この城は、天下の大名に、戦をさせる気を、無くさせる城。ゆえに、この城で、戦をすることは、ありませぬ。殿のお力は、家来衆の強いこともありますが、主に、金。金の力で人を動かし、これほどの城を築いた秀吉を敵に回せば、どうなるか分からぬ。殿に従わぬ者に、そう思わせるのです」
と、出来るだけ男っぽい声で言った。
「佐吉。口を慎め。言うに事欠いて、殿のお力が、金だと」
市松が、食ってかかろうとするが、渋谷が止めた。
「いや、佐吉の言う通りだ。俺、どうも、戦ってやつは、苦手らしい。嫌なんだよな、人が傷ついたり、悲しんだりするのがさ」
「殿」
虎之助も市松も、渋谷の、いや秀吉のそういう優しさが好きなのだ。
「なぁ、官兵衛。戦ってのは、怖いもんだ。戦国時代ってのは、いつまで続くんだろうな。早く終わっちまえばいいのにな」
「ごもっとも。しかし、この戦国時代は、まだまだ続くことでしょう」
と官兵衛は答え、暑い日差しの中、働く人の群れに眼を戻した。
伊万里は、じっと官兵衛を見ている。それが、また口を開いた。
「官兵衛殿でも、未来のことなど、分かりますまい。予言者でもあるまいに」
と眼で官兵衛の背を見ながら、渋谷に言う。
「左様でありましょう?官兵衛殿」
「左様」
と、官兵衛の背中が答えた。
そのあと、一行は建造中の建物や、堀などを検分して回った。渋谷は、気さくに人足に声をかけた。
「おう、やってるな。暑いのに、大変だろう。ありがとな」
「無理して、倒れんなよ。水を、こまめに飲め」
という具合である。声をかけられた人足は皆、はじめこの派手な身なりの男が何者であるか戸惑っていたが、虎之助あたりに、羽柴筑前守様であらせられるぞ、と一喝されて、大層驚いた。渋谷は、ついには、
「おい、お前、手伝ってやるよ。どこまで運べばいい」
と自ら土袋を担ぐ始末。殿、おやめください、と伊万里が止めても、いっこうに聞かない。
「ほら、皆来いよ。一緒に運ぼうぜ」
と言って、げらげら笑っている。伊万里は、渋谷が、だいぶ馬鹿なのだと思い、頭を抱えた。しかし、虎之助や市松や、その他の
それを、伊万里と官兵衛の二人は、見ている。
「皆、楽しそうですね」
と伊万里が官兵衛に言う。官兵衛は、伊万里の方は見ず、
「なぜ、私にカマをかけた?」
と言った。伊万里の顔が、青ざめた。
「戦国時代の人が、戦国時代なんて言葉、使うもんですか。あなた、やっぱり」
官兵衛は、腕組みをした。
「この時代に、預言者、や未来、という言葉はない。預言者とはこれより二百年ほども後、聖書の漢語訳がこの国に入ってきて生まれた言葉。一般的に用いられるようになるのは、更に後だ。未来という言葉は、仏教用語で、古くから存在はするが、我々が使うようになるのは、やはり後のこと。この時代においては、ゆくすえなどと言う方が一般的だ」
官兵衛は、伊万里の方を見ない。
「どこで、分かった」
「なんとなく。殿が言う言葉を、あなただけが拾っていたりするのは、なんでだろうって」
「気をつけても、出てしまうものだな」
「あなた、何者?」
「それは、ここにおいて、何の意味もない。俺は、黒田官兵衛孝高でしかない。そうだろう、石田三成」
「あなたも、迷い込んだのね」
「気づいたときには、こちらに居た」
「いつから?」
「俺が目覚めたとき、摂津有岡城の土牢の中であった」
「それって」
「悪い夢であった。なにがなんだか分からず叫んでいたところ、俺の家臣だと言う者が来て、俺を牢から出した。なぜか、立ち上がろうにも、足が立てなかった」
伊万里は、官兵衛のファンを自称しているくらいだから、彼の伝記やそれを題材にした小説などは読んでいる。だから、それがいつのことであるのか、分かった。
「あなたは、それからずっと」
「もう、四年になる」
四年。あっと言う間に数ヵ月が経ったが、官兵衛は、四年もの間、現代に帰れずにいるのだという。官兵衛が、現代で何者であったのか彼の言う通り知らぬが、どうやら、相当に歴史には詳しいらしい。学者や研究者であったのだろうかと伊万里は思った。であるならば、その知識をもってしても、戻る術はないということだ。
「何か、戻る方法は、ないの」
「結論から言う。たぶん、ない」
伊万里の顔が青ざめた。新潟の実家の両親の顔や、友人の顔が浮かんだ。
「しかし、ある仮説を俺は立てている」
「仮説?」
「そうだ」
「教えて」
官兵衛は、はじめて渋谷達から伊万里に眼を移した。
「駄目だ」
「どうして」
「仮説だからだ」
「ケチ」
「短慮は、人を滅ぼす」
「じゃあ、ヒント」
「お前、クイズじゃないんだぞ」
「いいじゃない。お願い」
官兵衛は、ちょっと考えて、やがて、ぼそりと、
「織田信長、明智光秀。彼らも、我々と同じ境遇であったようだ」
と言った。
「織田信長と、明智光秀が?彼らは、戻れたの?」
「彼らは、ここで、織田信長として炎に焼かれ、明智光秀として討たれて死んだ」
「じゃあ」
「そういうことだ」
眼が、また渋谷の方を向いた。
「あの男、そのまま、秀吉だな」
「ただの、馬鹿よ」
「あの男が秀吉であればあるほど、俺は、黒田官兵衛であらねばならぬな」
痣のある右の額が、ちょっと引きつった。笑っているらしい。
「それ、どういう意味」
伊万里の顔が、にわかに曇った。
「言葉以上の、意味はない」
それに、更に言葉を重ねようとしたところに、
「おい、佐吉、官兵衛」
土まみれになった秀吉が、いや渋谷が、笑いながら戻ってきた。
「お前らは、怖い顔ばっかりしているから駄目だ。たまには、こうやって動いた方がいいぜ。官兵衛は、足がそれだから、無理しない程度にな。なぁ、虎之助」
「そうだぞ、佐吉。いつも押し黙って、むっつりとしおって。頭ばかり切れても、仕様がないわ」
伊万里は、石田三成なら、何と言うか考えた。考えて、結った髷をぴんと指で跳ね上げ、その指を虎之助の顔の前に持っていき、
「余計なお世話だ、虎之助」
と言った。
「なにっ、貴様、なんだその言い様は」
伊万里は、ぷいとそっぽを向いた。
官兵衛は、四年、戻れぬまま。織田信長も明智光秀も、そうであったと言う。彼らは、そのまま、ここで死んだ。
であるとすれば。秀吉である渋谷は、今から十七年後に今まさに出来上がらんとしているこの大坂城で、伊万里は十九年後に京の六条川原で、死ぬのだ。渋谷は豊臣秀吉として、伊万里は石田三成として。では、伊万里の生きていた時代の、
浅草の街をほっつき歩く、つまらぬ金貸し。裏の世界でも、下の下の男。新人だからといって、歯応えのある事件は担当させてもらえず、下らぬ男を追わされる、女刑事。
その二人の人生は、消えてしまうのか。
渋谷は、それでもいいかもしれない。今、家臣に囲まれて大声で笑っている渋谷は、あるいは茶々を気遣う、優しい渋谷は、もしかすると浅草の街をうろついていた頃より、ずっと満ち足りているのかもしれない。
それでも、伊万里は、豪華な着物を着て皆に囲まれる渋谷の姿に、チビのくせにやたらとデカいパーカーを着て、見た目だけ高そうなブカブカのジーンズを穿いて嘯く姿を重ね、胸が締め付けられるような気分になった。
ふい、と伊万里は、一団から離れた。積み上げてある石の陰で、しゃがみ込む。
「帰りたい」
そう、呟いた。呟くと、涙が出てきた。涙は、感情を、膨らませた。
「帰ろうよう、帰りたいよう。お父さん、お母さん」
そう言って一人、
第一章 タイムスリップして候 完
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