笑うて候
寧の協力は得られたが、やはり現代に帰る術は分からない。ただ、寧の前では秀吉と佐吉で居る必要はなく、気が楽になっただけのことだった。
大坂城のことである。官兵衛は、実に手際よく築城の差配をしている。逐一、その進捗を報告してくるが、特に渋谷が何か指示しなくてはならないことはないのが普通であった。
渋谷、伊万里、官兵衛、あとは虎之助や市松 ー彼らのうちの何人かは元服とかいう儀式をして、服装や髪型以外にも、名前も変えているが、渋谷は新しい名をいちいち覚えるのが面倒で、皆を呼びやすい名で呼んでいるー のほか、このような場であるが、居てくれると心強い、ということで、寧も同席させる。
「人足の数がやや不足しており、もう少し人手が欲しいところではありますが。しかし、人を増やすと、怠ける者も出て、なかなかに人の数通りには進まぬもので」
と、官兵衛がぽつりと言った。伊万里が、ぱっと顔を上げ、渋谷を見た。渋谷は、この
「何か策があるなら、言ってみろ、佐吉」
伊万里が、あぐらのまま体の向きをやや斜めに変えて、口を開いた。
「人数が増え、かえって能率が上がらぬならば、金を使っては、いかがでしょう」
「金?」
「殿のお好きな、金でございます」
と伊万里は、片目をぱちりと瞬かせた。官兵衛が、二人をじっと見ている。
「まず、たっぷりと、金を用意めされませ。そして、働く人足を、いくつかの組に分けるのです」
それで、官兵衛は、ああ、と察した。
「備中高松の、仕手ですな」
「左様、官兵衛殿」
と伊万里は、したり顔である。
「そして、組同士で、競わせるのです。早く、そして丁寧に仕上げた組ほど、多くの金を得ることが出来る、と触れ込むのです。そうすれば、きっと、人足は我こそが、とばかりに競って働き、人数以上の力を発揮することでしょう」
「おお、すげぇな、佐吉」
「それほどでも」
「そうしよう、官兵衛。金だ。金を、ばらまけ」
「仰せのままに」
官兵衛は、また足を引きずって、出ていった。
「佐吉、よく思い付いた。凄ぇな」
「殿は、金を惜しまず、命を惜しむ。そう、皆が申しておりますな」
と、虎之助が笑った。馬鹿にされているような気がしなくもないが、褒めているらしい。
「金、ね。いつの世でも、金か」
「左様。殿が、他の者より一つだけ勝っていることがあるなら、それは、より多くの金を持っていることです」
と、伊万里がいたずらっぽく笑った。
「なんか、嫌だな」
渋谷は、苦笑した。
「そんなこと、ありゃあせん」
寧が、口を開いた。
「金は、なんぼでも使うたらええ。皆がびっくりして肝を抜かれ、ああ、こいつに戦いを挑むのは阿呆じゃ、と尻餅をつくような城を立てればええ。そうすれば、せんでもええ戦いが、無くなるだぎゃ」
「お、いいこと言うな、寧」
渋谷が、寧を見て、笑った。寧も、渋谷に、笑い返した。その顔がとても可愛くて、渋谷は思わず眼を逸らした。
結局、側室にするということにはなったが、茶々にも一度も会ってはいない。やっぱり、女性には、強くない。
「殿の天下取りの碁石が、また一つ置かれるわけですな」
と虎之助が、豪快に笑った。
「めいっぱい、お金を使い、めいっぱい、人助けをなされませ。それくらいしか、出来ぬでしょう、殿」
また伊万里が、笑って片目を瞬かせる。渋谷も、笑った。
「確かに。なんなら、金、貸してやろうか」
伊万里と、渋谷の二人にしか分からない、冗談。
「それが、殿の本分でございますれば」
と伊万里は応じ、頭を下げた。この時代の主従とは、江戸時代のような儒教や朱子学に基づいた堅牢かつ絶対的な間柄ではなく、もっとおおらかで、やわらかなものであり、部下は平気で主君に口答えをしたり、冗談を言ったりした。だから、伊万里のこの言動は、ごく自然なものである。
だが、金貸しとしても中途半端で、数万円をせこせことかき集めるばかりだった渋谷が、
渋谷は、城のことが落ち着くと、ふと気になって、茶々に会いに行くため、ふらりと部屋を出た。するりと伊万里があとに続き、茶色の濃い板敷きの廊下を歩き従う。
一度も、入ったことのない部屋。入ることを、避けてきた部屋。
「渋谷、どうするの」
伊万里が、そっと言った。渋谷は、ここで待ってろ、と言い、襖を開いた。
中には、香の匂いが立ちこめていた。渋谷がいつもいる部屋のように、ちょっと高くなった段が設けてあり、そこに茶々はいた。
「おう、久しぶりだな」
渋谷は、出来るだけの笑顔でそう言い、襖を閉めた。茶々は、何も答えない。
「元気か」
渋谷は、茶々の前にどかりと座った。その仕草も、茶々は気に入らないらしく、露骨に眉をひそめた。寂しいだろうと思い、北ノ庄城で保護したとき、一緒にいた乳母も、連れて来てやっている。その乳母も、渋谷が茶々に少しでも手を伸ばそうものなら、刺し違えてでもそれを止める気配を示した。
「おい、そんな顔すんな」
茶々は、とても綺麗な顔をしていた。あと数年もすれば、びっくりするほどの美女になるだろう。すっと筆で掃いたような目尻や、真っ白な肌は、現代人の渋谷が見ても、美しいものである。まるで、絵に描かれた人物が、命をもって絵から飛び出してきたような、そんな印象だった。
「可愛い顔が、台無しだぜ」
渋谷が、笑ってやった。その笑顔に、茶々は反応を示した。
「我を、
その眉に、強い意思の線が宿った。
「このような所で、生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がましというもの。なぜ、一思いに殺さぬ」
渋谷は、返答に困った。何をどうしても、茶々を殺す理由が、ないのだ。
「逆に聞いていいか」
あぐらの姿勢から、重心を後ろに倒して板敷きの上に手をつき、片膝を立てた。
「なぜ、俺がお前を殺さなきゃいけないんだ」
「それが、せめてもの、情けというものであろうが」
「はっ、情けが聞いてあきれるね。殺す情けなんて、どこにある」
「では、このままお前の慰みものになり、恥を抱えたまま、生きよというのか」
「死ぬより、ましだろ」
渋谷は、実際、何をしにここに来たのか、自分でもよく分かっていない。だけど、同じ城の中に、孤独と寂しさで震えている茶々がいると思うと、我慢ならないのだ。
大阪(と、渋谷は頭の中でこちらの阪の字をあてている)の城が出来上がれば、せめて大きな部屋を作って、不自由のない暮らしをさせてやりたい。いずれ、いい男が現れれば、結婚もあるだろう。そうすれば、その相手が、少しは彼女を慰め、癒すことだろう。だから、渋谷は言う。
「それに、俺がお前を慰みものにするなんて、絶対に、ないさ」
「なにっ」
「お前さ、俺のこと嫌いなんだろ?」
「言わずもがな」
「そんな男と、無理矢理一緒にいたって、仕様がねぇ」
「ちょっと、待て」
茶々は、何故か狼狽しているらしい。
「お前、我を側室にすると、告げに来たのではないのか」
例の話が、どこかから、乳母にでも漏れたらしい。とすると、今日、ぶしつけに渋谷が茶々を訪ねてきたのは、その宣告をするためだと、二人とも腹を括っていたに違いない。
渋谷は、吹き出した。
「馬鹿、そんなわけないだろ」
「では、何をしに」
「お前が、ちょっと心配でな。どうしてるかな、って。それだけさ」
「それだけ?」
茶々の上目使いが、可愛い。まだ中学生くらいにしか見えないのに、なんだか妖しい気分になりそうになるのを、渋谷は大声でかき消した。
「なんだかよう、心底、心配でさ。だって、可哀想じゃんかよ。俺のせいで、お父さんもお母さんも、死んじゃったんだろ?それで、しょうがなく、俺のことを憎んでるんだろ。他に、行き場がないくらい、お前は悲しくて、寂しいんじゃないかと思うと、もう、俺、どうしていいのか分からなくてさ」
茶々は、額を指で弾かれたように眼を丸くして、渋谷を見ている。
「なぁ、茶々」
渋谷は、あぐらの姿勢に戻った。こんどは、上体を大きく前傾させた。
「そんなに、俺が嫌い?」
「なんべん、言えば分かるのじゃ」
「じゃあ、どこが嫌い?」
「まず、その顔じゃ。伯父上が猿、鼠と呼んだだけあって、醜いわ。あとは、声。どうして、そのように大きな声で、ものを言うのじゃ。それと、言葉。なんじゃ、その言葉は。聞いたこともないような言葉ばかり並べおって。あぁ、見ているだけで、腹が立つわ」
「おお、いいね、
「卑しき生まれは、隠せぬものよ。そのように良い着物を着ても、お前の生まれの卑しさは、ちっとも隠れておらぬ。せいぜい、お前は、土でも耕しておるのが、お似合いじゃ」
「そうだな、俺も、向いてないように思う」
渋谷は、何を言われても笑っている。
「阿呆め。顔も、見たくないわ」
だんだん、茶々は弾切れになってきている。渋谷の、粘り勝ちというところか。
ひとしきり茶々にひどい罵詈雑言を浴びせられ終わると、渋谷は、おもむろに立ち上がった。
「どうだ、ちょっとは、スッキリしたかよ」
「すっきり?」
「ええと、なんて言えばいいのかな。胸のモヤモヤが、楽になったかってこと」
「もやもや?」
「ええと、なんだ。そう、雨の日みたいな気分が、ちょっとは晴れたかってこと」
それは、茶々にも通じたらしい。眼を、ぱちくりと瞬かせると、
「阿呆に阿呆と言うたまでじゃ、阿呆」
と言った。茶々は、気付かない。少しだけ、笑ってしまっていることを。
「よし、茶々が笑ったぞ!やった!」
と渋谷がでかい声で騒ぐ。
「いやー、来てよかった!よし、俺行くわ。またな、茶々!」
渋谷は上機嫌で襖を開いた。ずっと、伊万里はそこに座って待っていた。伊万里のことを、忘れていた。
「おう、伊万里、いたのか」
伊万里の眼が、じっとりと、渋谷を見た。
「優しいのね、渋谷」
「当たり前だろ。俺を、誰だと思ってんだ」
「ショボい金貸し」
「やめろ、秀吉様に向かって」
「秀吉様は、ロリコンでいらっしゃる」
「だからやめろって」
板敷きを踏みながら、二人の笑い声が、響いた。
渋谷の去った室内で、茶々はまた乳母と二人になった。
「妙な男じゃの」
「姫様。あれも、あの男の策。ゆめゆめ、お気を許されませぬよう」
乳母が、怖い顔をした。
「分かっておるわ。だれが、父と母の
茶々のきりりとした眼が、渋谷の出ていった襖を、じっと見ている。
「だれが、あのような男に」
その襖の向こうから、渋谷のでかい笑い声が、響いた。
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