合力して候

 その後、は、滅ぼした柴田勝家の同盟者である織田信孝も自害に追いやった。官兵衛が、そうするが吉、それ以外にはございませぬと言うから、渋谷は仕方なくそれを許したが、あとで織田信孝とは、かつて秀吉の主君であったという織田信長の、弟だということを知った。


「なあ、伊万里」

 戦後処理は、部下たちがやってくれるから、渋谷は、近江の国の長浜という城に入ったまま、やることがない。虎之助らや、官兵衛は、有能だった。市松という若者は、血の気が多くて喧嘩っ早いが、虎之助と仲良く仕事をして、いつもにこにこと笑う、気のいい奴だった。

 それらと、佐吉と言われる伊万里は、仲が悪い。仲が悪いというよりは、どういうわけか、伊万里が嫌われているのだ。

 伊万里は、その平らな胸や凛々しい眉で、男装束を身にまとえば、ただの若武者にしか見えぬが、声だけはどうしようもない。出来るだけ、男っぽい声を出そうと努力しているだけだが、つい、無口になる。

 それも、虎之助や市松の気に入らないらしい。

「あいつは、殿の寵愛を受けていい気になり、朋輩ともがらであるはずの我々と、口もきかぬ」

 と陰口を言われている。それを、渋谷は、まぁまぁ、と宥めたりするのだ。

 有能と言えば、やはり、特に官兵衛がそうである。ほとんどのことは、彼に頼めば、形になった。

 今、は、大坂に、巨大な城を作ろうとしている。

「石山本願寺のあった地。水に守られ、地盤は固く、あそこを堅固な城塞とすれば、誰にも落とせぬ名城となりましょう。柴田を討った今、天下の主は、殿。その威を示すだけの城に、せねばなりませぬ」

 と言われても、渋谷にはどうしたらよいのか分からない。傍らの伊万里に、

「大阪城か」

 と言った。伊万里は、精一杯低い声で、

「左様」

 と答えた。渋谷は笑ってしまいそうになったが、こらえた。足が悪いため右足を投げ出して座っている官兵衛を見て、へらへらと笑って、

「官兵衛、お願いしてもいいか」

 と言うと、官兵衛は畳に両拳をつき、

「承知」

 と言うと、足をひきずりながら立ち去って、すぐあちこちに指示を飛ばすのだ。

「官兵衛、ちょっと暗い奴だけど、頼りになるよな」

 と言うと、伊万里は何故か誇らしげに、

「当たり前じゃない。黒田官兵衛よ」

 と胸を張るのだ。歴史には全く興味のない渋谷だが、こうして秀吉になってみると、色々大変なのだと思う。食事ひとつ取っても現代とは全く違う。飯は固くてなんだか黄色いし、この前戦陣で食った飯など、湯を沸かしただけの鍋に、得体の知れぬ茶色い紐を放り込み、味噌汁でござる、として出されるのだ。それをおかずに、固い飯を食うのだ。吐きそうになるのをこらえるので、精一杯だ。

 あとは、塩の味しかしない漬物とか、焼いただけの魚とか、そんなものばかりだ。

「醤油はねぇのか」

 と、飯の世話をしてくれる者に言っても、首を傾げるばかり。

 醤油が、この城にないと言うよりも、この時代に存在しないのだ。その原型となるというものはこの時代にも既にあるが、それは渋谷の知っているようなサラサラとしたものではない。


 飯と言えば、どうやら、渋谷は結婚しているらしい。寧、というのが妻の名で、は、いつも、おねい、とか、おね、とか、ねね、などと呼んでいたらしい。

 特に美人でもなんでもない女だが、とても世話焼きで、明るい女だった。あきらかに、渋谷に好意がある。好意というよりは、家族愛のようなものだ。寝所を共にするわけだから、にもなるのだが、どうも秀吉に悪い気がして、渋谷は寧を抱くことが出来ない。秀吉に悪い気がして、というのが、渋谷の憎めないところである。

 渋谷は、ふと思ったことがある。自分が、今こうして、豊臣、いや、羽柴秀吉として生きているならば、は、どこに行ってしまったのだろう。石田佐吉についても、同じである。渋谷が秀吉に、伊万里が佐吉になるならば、もともと居たその二人は、どうなったのだろう。その疑問の答えは、無論、ない。

 やたらと大きな声で、

「おみゃあさんよ」

 と渋谷を呼ぶ寧に聞くわけにもゆかぬし、いかに官兵衛が賢くても、さすがにそんなこと、聞けるわけがない。

 聞けるわけがないから、渋谷は、

「どうした、寧」

 と答えてやるしかない。

「いったい、あの北ノ庄の姫達を、どうなさるおつもりなんじゃ」

 どうしてやるのがよいのか、何も考えていない。今ごろ、この城の中で、丁重に扱われ、安全なはずだ。それを部下に任せていたから、渋谷は、気にはかけても、どうする、こうすると考えたことなどなかった。

「どうするって?どうしようか」

 と、曖昧な返事をするしかない。

「まさか、織田さまの姫を、側室になさるようなことは、あるまいな」

 と、寧が凄む。

「馬鹿。そんなわけ、ねぇだろうが。あんな子供を」

 あぐらをかいて、背筋をまっすぐに伸ばし、脇に控えたがぽつりと、

「ロリコン」

 と言って、笑いを噛み殺している。

「しかし、可哀想な子だよな。何とか、守ってやらないと。どうするのが、いいのかな」

 と渋谷が口に出し、考える。

「おみゃあさん、どうしたんだえ。ほんとに、おみゃあさんか?」

 と寧が顔を近付けてくるので、渋谷は赤面して顔を背けた。

「今までのおみゃあさんなら、一も二もなく側室にする!と言うて聞かんかったろうに、ほんとうに、あの子らの身を案じなさっておるんかえ」

「そうだよ。だって、可哀想じゃんか」

「あれ、なんとまあ。こんなことが、あるもんよえ」

「何だよ、心配しちゃ、悪いかよ」

「女のことしか考えないと思っておったが、いや、なんとお優しいことだなも」

「そりゃそうだろうが。あの子の眼を、見たことがあるか、寧」

「眼?」

「北ノ庄で、俺はあの子と話した。あの子の父と母を殺したのは、俺なんだとよ」

 渋谷のその悲しげな表情に、寧は言葉を止めた。

「あんな眼をした奴を、俺は見たことがない。悲しみながら、怒ってた。しかも、あんな、若い女の子が。あんな思いは、させちゃならねぇ。そう思ったんだ」

 伊万里が、じっと渋谷の方を見ている。

「おみゃあさんは昔から、人死には、お嫌いだったからなぁ」

「好きなやつなんて、居ないだろ」

 渋谷は、顔を引きつらせた。

「よし、決めた。おみゃあさん、寧は決めたでよ!」

 寧が、音を立てて膝を叩いた。

「お茶々様は、おみゃあさんの側室になさるがええ。お初様、おごう様は、どちらも歳が幼くある。いずれ、嫁に出せる歳になれば、家中のええ所へ、嫁にやればええ」

 渋谷は、口から腸が出るほどに驚いた。

「馬鹿、待てよ、そんなこと、俺は一言も」

「いいや。この世で、女が生きてゆくには、それしかねぇ。それは、おみゃあさんは、よう分かっとるだろうに。そこまで、お優しい心をお持ちとは、この寧、恥ずかしながら、知りゃあせんでした。どうか、不束ふつつかをお許し下せぇ」

「馬鹿、やめろ、寧。おい、伊万里、じゃなくて佐吉、なんとかせい」

「殿が、仰ったのです。しっかりと、お守りあそばせ」

 伊万里は、前を見たまま、やはり笑いを噛み殺して言った。

「官兵衛も、言うとった。あの尊い血は、必ず、お家の役に立つと。羽柴家が天下の主である、何よりの証になると」

「寧」

「なぁに、これまでさんざん、おみゃあさんの女遊びに振り回されてきたんじゃ。今さら、どうもないわえ」

「マジかよ」

「まじかよ?何を言うていらっしゃるんか」

「いや、なんでもねぇ」


 戦国の世とは、ほんとうに、渋谷の想像を越えたものだった。滅ぼした相手の子は、かつての主の妹の子。それを、側室にしろと言うのだ。側室とは妾のことであるということくらい、渋谷にも分かる。

 ほんとうに、そんなことが、のか。疑いたくなるが、眼の前で寧が言うことは、そういうことだ。

「寧。佐吉と、話がしたい。ちょっと、外してくれるか」

 そう言うと、寧は側室として茶々を迎える段取りの相談をするつもりだと思ったのか、部屋から下がった。下がるとき、ちょっと悲しそうな顔をしていたのに、渋谷は気付いた。

 時代は違っても、やはり、自分の夫が他の女と関わりを持つのは、ただならぬ心持ちであることに変わりはないらしい、と渋谷は思い、寧を可哀想に思った。

「伊万里、何とかしろよ」

「駄目よ。もう、決まっちゃったじゃない」

「いや、しかしな」

「ロリコン」

「おい、やめろ。あの子、どう見ても中学生くらいだったぞ」

「だから、ロリコンじゃない」

「てめぇ、ぶん殴るぞ」

「あら、わたしには、優しくないのね」

「当たり前だろ、馬鹿」

 伊万里は渋谷をからかっているようだが、急に真顔に戻り、渋谷をじっと見た。

「あなた、案外、まともね」

「はぁ?今さら、何だよ」

「優しいとこあるじゃない」

「当たり前だろ」

「あなた、なんで金融屋なんかになったの?」

「そうすることでしか、生きられなかった。ほかに、どうすることもー」

「あ、やっぱりいいわ」

 遠い眼をする渋谷を、伊万里は遮った。

「なんだよ。こっからがいいところだぜ」

「あなたに同情したら、逮捕のとき、変な情が沸くじゃない」

「お前なぁ」

「とにかく、ここから帰る手段を、探しましょ。それが見つかるまで、協力してあげる」

「ちっ、偉そうに」

「それまでは、やっぱり人には知られない方がいいわ。わたしは石田佐吉、あなたは羽柴秀吉。別人だと知られたら、ただじゃ済まないわ」

「どうにも、慣れないな」

「そうね、わたしたちに、協力してくれる人が、一人欲しいわね。時間を越えて、やって来たことを知りながら、わたしたちを助けてくれる人が」

「官兵衛か?」

「うーん、どうだろう」

 伊万里は、秀吉と官兵衛の関係がこの先どうなるかを、知っている。

「官兵衛さん、やっぱり、すごく頭がよくて、頼りになるけど、やっぱり、あの人はタイムスリップなんて信じてはくれないわ」

「そうかなぁ、官兵衛、いい奴だぜ?見た目はあんなだし、ボソボソ何言ってんのか分からないくらい暗いけどさ」

「あなた、お気楽ね」

「なにが」

「官兵衛さんにとって、あなたは、キャンバスみたいなものなの」

「大学の?」

「それはキャンパス」

「あぁ、絵の」

 どうでもいいことだが、渋谷は、横文字に弱い。テレビで流れる、コンセンサスとかイニシアチブとかマイノリティとか聞いても、ちんぷんかんぷんであるし、それ以前に、未だに、エスカレーターとエレベーターを言い間違える。

「絵が、どうしたんだ」

「官兵衛さんにとっては、あなたは、キャンバスなの。あなたというキャンバスに、官兵衛さんは、天下という絵を描く。あの人は、そういう人よ」

「はぁ、そんなものか」

「気のない返事ね。せっかく、上手いこと言ったのに」

「官兵衛が駄目なら、どうすんだよ」

「寧さんは、どうかしら」

「はあ?お前、マジかよ」

「すっごく、理解のある人だわ。きっと、事情を話せば、分かってくれる」

「本気かよ」

「話してみない?」

 伊万里が、身を乗り出した。男と間違われていても、伊万里は、女だ。ちゃんと、春菜という可愛い名もある。それに、いい匂いがする。渋谷は、眼を逸らした。女性が、得意ではないのだ。女嫌いというより、恥ずかしいのだ。

「さすがに、無理だろう」

 渋谷は、頭を掻いた。付け髷を付けているところが、痒いのだ。秀吉は毛が薄かったらしく、付け髷をいつも付けていたから、渋谷もそれを付けているのだ。小姓が、濃くなられましたな、と言いながら、付けてくれる。

「いいえ」

 部屋の外から、声がした。

「どうも、ありゃせんで」

 寧である。側室のことが気になり、聞き耳を立てていたのだ。

「ね、寧」

「ぜーんぶ、聞かして頂きました」

「おい」

「おみゃあさん、やっぱり、うちの人じゃなかったんね。おかしいと思っとった。毛は濃いし、変なことは言うし。言葉も、えびす臭い。あの人は、もっと、土臭い話し方を、するもんだで。ほいで、うちの人は、どこに?」

「それが、分からないんだ」

 寧は、腹をぽんと叩いた。

「それじゃあ、おみゃあさんを助けることが、うちの人が帰ってくることに繋がるんよえ。この寧が、合力するだなよ」

「俺たちが帰れば、秀吉が、戻ってくる?確かに、そうなのかもしれない」

 渋谷は、事情を詳しく説明した。今から、四百年以上も後の世界からやって来たこと。何故か、誰もが、渋谷を秀吉と、伊万里を佐吉と呼ぶこと。何故ここに来たのか、どうやって帰るのか、全く分からぬこと。寧は、いちいち大層に頷いた。

「信じるのか。俺たちだって、信じられないのに」

「信じますとも」

「マジかよ、よく、信じられるな」

「だって」

 と寧は言う。

「おみゃあさん、嘘はつかんね。とっても、優しい人だなも」

「それだけの、理由で?」

「佐吉。いや、伊万里さん。あんた、この人を、よーう支えてやってちょおよ。おみゃあさんも、若い身で、こんなとこにおったら、いかん」

「わたしが女だって、分かるの?」

「そりゃあ、隠しても、この寧の眼は、ごまかせやせんて」

 伊万里が、寧の手を取った。

「シブヤ!この人、いい人よ!とっても、いい人だわ!」

「シブタニだ!」

 こうして、二人に協力者が出来た。

 なんとも、馬鹿な話である。

 だから、これは、馬鹿な話。


 ひとつだけ、寧が、渋谷と伊万里に、聞いた事がある。

「あんたらの世に、うちの人は、伝わっているかえ?伝わっているなら、どんな風に伝えられている?」

 伊万里が、ふと優しい顔をして、再び寧の手を、そっと取った。

「知らない人はいないくらい、有名よ。華やかなことが好きな、とても素敵な人。亡くなったあと、神様になって、ずっと祀られている」

 にっこりと、微笑んでやった。

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