憎まれて候

 タイムスリップ。漫画や映画でしか知らぬその現象が、渋谷と伊万里の二人に起きた。そのことを、疑う余地がないほどに、ここは戦国だった。

「どうするのよ」

 最初こそ、遠足気分で浮かれていた歴史好きの伊万里も、頭が冷めてくるにつれ、恐怖が勝ってきているらしい。

「とにかく、俺が秀吉で、お前が石田三成なら、こいつらの眼のあるうちは、そういうことにしておく方がいいんじゃないか」

「なんで、わたしが石田三成なのよ」

「知るか。男に見えたんじゃねぇの」

 笑う渋谷の後頭部を、はたいてやろうと思ったが、主君の頭を叩く者などいない。伊万里は、我慢した。

 伊万里が、小説やドラマで、その働きに感銘を受けた黒田官兵衛その人が、なにやらじっとりとした眼で、二人を見ている。

「あんたは、言われて見れば、秀吉ね」

「おっ、そうか。天下人の感じ、出てる?」

「猿みたいな顔で、チビだもん」

「てめぇ、ぶん殴るぞ」

「あら、刑事を殴って、ただで済むと思う?」

「上等だ。違法捜査で訴えてやるからな」

 いつものようにやり合ってみるが、虚しい。逮捕も、訴訟も、まずは現代に帰らないと、出来はしない。そして、帰る方法が、分からない。

 二人は、肩を落とした。

「殿」

 官兵衛が、馬を寄せてきた。馬などに乗ったことのない二人は、無理矢理馬に乗せられ、落ちそうになりながら、揺られている。

「今日は、どうなさいました。いちだんと、尻の収まりが悪うございますな」

 馬が歩く度に、固い鞍が、渋谷の尻を突き上げる。それが痛いのだ。甲冑も重く、暑い。それに、体のあちこちが痒い。戦国時代は、こんな不快なものを来ていたのか、とうんざりした。パーカーとジーンズは、人類の発明だと思った。幸い、パーカーは鎧を着せられるときに脱がされ、肌着の上に鎧を着せられているが、パーカーの上からこれを着せられていたら、暑さで死んでもおかしくはない。

 冬が、いきなり夏になったのだ。夏というより、このジメジメした空気は、梅雨時だろうか。身の回りの事象や、景色、温度や湿度に至るまで、どれを取っても、これはタイムスリップだった。


 帰りたい。コンビニの、ふわふわたまご蒸しパンが食べたい。ミルクたっぷりの冷たいペットボトルのコーヒーを、がぶ飲みしたい。いつものファミレスの、チーズハンバーグが食べたい。注文を取りにくるお姉ちゃんが、アイドルグループの一人に似ていて、可愛いのだ。あの、くたびれた、浅草の街を、眼に描いた。いい思い出なんて、一つもない。いつも、渋谷は、誰かに吸い取られてきた。だから、渋谷も、誰かから、吸い取ることでしか、生きられなかったのだ。


「さて、殿。このまま、北ノ庄へ?」

 官兵衛が、訊ねてきた。自らの前には、夥しい数の、人。

 後ろを振り返っても、夥しい数の、人。眼が合うと、彼らは、嬉しそうに微笑んだ。

 傍らには、肩を落とし、ため息をつく伊万里

ーやはり、尻は痛そうだー や虎之助、官兵衛の他、少年とも見える若い、それでいて立派な装いの者が、付き従っている。見な、渋谷の視線を感じると、笑いかけたり、会釈をしたり、目配せをして頷いたりする。

 北ノ庄へ。官兵衛の言うそれが、どこなのか、渋谷は知らぬ。伊万里に訊こうにも、官兵衛が渋谷と伊万里の間に割って入るようにして馬を寄せたから、訊けない。

 渋谷は、ただひねくれただけの男ではない。

 彼は、試してみることにした。

 自分が、秀吉なのであれば。

「皆の者!」

 山道に細く伸びる人の列に、その声はこだました。

「一気に、行くぞ!北ノ庄だ!行け!」

 渋谷の周りの連中も、疲労を背中に見せながら歩いている兵も、馬に跨がった者も、その一言で、背筋をぴんと伸ばした。

 皆の身体に、力が満ちて来るのが分かった。それぞれ、思い思いに、声を上げている。

 心持ち、集団全体の、進む速度が上がった。

「おお、すげぇ」

 気持ちいい。隣にいる官兵衛を見て、渋谷は笑った。

「ええ、殿のお声は、天下に轟きますゆえ」

 官兵衛は、渋谷を見ずに言った。

「柴田殿には、人望がない。人は、勢いある方につくもの。殿は、あるべくして、今ここにあるのです」

「その柴田を、今からやっつけるんだな」

「左様」

 渋谷は、あぶみを踏み、立ち上がった。

「お前ら、いいな!柴田だ!柴田のやつを、やっつける!行くぞ!」

 兵は、熱狂した。声を上げ、一斉に、駆け出した。それにつられ、渋谷の馬も、歩を速める。馬とは、駆ければ、非常に揺れる。ほとんど、振り落とされそうになりながら、渋谷は手綱を強く握った。

 耳に、風の音。

 バイクに乗っているようなもんだ。

 自分に、そう言い聞かせた。

 伊万里が、悲鳴を上げている。

「伊万里!デカなら、バイクぐらい乗ったことあんだろ!バイクだ、バイクと一緒だ!」

 伊万里の悲鳴が、止まった。形のいい尻を鞍から少し浮かし、腿で馬をしっかりと絞め、前傾姿勢になった。

 こりゃ、すげぇ。渋谷は、風になった。人が駆ける速さくらいだから、馬としてはそれほど速く駆けているわけではないらしいが、とても速く感じる。蒸し暑い空気が、鎧の中を通り過ぎてゆく。汗が乾くのが、心地よい。そして、自分の声に応じ、駆ける何万もの人。



 兵が疲れてきたなと思ったら小休止し、兵の顔から疲れが抜けてきたと思ったら駆けることを一日半ほど続け、目的の、北ノ庄とやらに着いた。

 そのまま、城を、思い切り攻め立てた。

 その日の夜には、その城は燃え上がった。

「おい、伊万里」

「なによ」

「これ、もしかして」

 城の燃える火に照らされた渋谷の顔が、伊万里の方をゆっくり向いた。

「悪くないな、戦国」

「あんた、正気!?」

「いや、なんていうの?気持ちいいわ、これ」

 伊万里は、呆れたと言わんばかりに、溜め息をついた。

「殿」

 また、本陣に、兵がやってきた。なにか報告などがあるとき、人がやってくるというのを、渋谷は覚えた。彼らは、たいていは戦いで汚れ、泥だらけになっている。

「お市様のお子たちが、これに」

 引き出されてきたのは、三人の少女。上は、中学生くらいか。下の二人は、小学生の中学年と、小学校に入るか入らぬかくらいの歳の頃に見えた。

「おう、ご苦労」

 と、渋谷はその兵に言った。

「彼女らは?」

 と伊万里に耳打ちをした。伊万里は、また餌をねだる鯉のように、口をぱくぱくさせている。

「北ノ庄、お市の娘」

「なんなんだよ、お市の娘って」

「あれ、茶々よ。淀姫」

「茶々?聞いたことあるな。有名人か」

「とっても」

 渋谷は、それだけ聞くと、睨みつけるように渋谷を見ている、中学生くらいの少女に、笑いかけた。

「茶々」

 渋谷が名を呼んでみると、その少女の眼に、憎悪が灯った。それは、燃え落ちる城の火よりも、なお激しかった。

「貴様、よくもぬけぬけと、我の名を呼べたものじゃ」

 今にも、渋谷に掴みかかりそうなほどの激しい怒りを示したので、虎之助が素早く渋谷の前に立った。

「小谷でお前に殺された父の、今日ここでお前に殺された母の恨みを、知らぬと申すか、猿め」

「ちょっと待てよ、何をそんなに怒ってるんだ」

 無論、渋谷には、茶々にここまで恨まれる覚えがない。

「茶々様。お怒りは、ごもっとも。しかし、あなたは、既に敗軍の姫。武家の姫らしからぬお振る舞いでございますな。そのお見苦しいお振る舞いこそ、あなたに流れる織田と浅井の血を、おとしめることですぞ」

 官兵衛が静かに言うと、茶々は、眼に激しい炎を灯したまま、黙った。

「では、武家らしく、さっさと殺すがよいわ」

 再び口を開き、渋谷にそう言った。

「おいおい、待てよ。殺すって、お前をか?」

「うつけめ。他に、誰がおる。さっさとせい」

「こんないたいけな少女まで殺されちまうのかよ、戦国ってのは」

 渋谷が、誰にともなく言い、肩を落とした。さきほどまで意気軒昂としながら城攻めを大声を上げながら見ていたかと思えば、もう眼に涙を浮かべている。

「官兵衛。殺さないよな。殺せるわけがねぇ。可哀想じゃんかよ」

 官兵衛は、渋谷の表情をじっと見つめ、

「仰せのままに。お市様のお子を、お囲いあそばされれば、天下に、殿の威を示すことになりましょう。官兵衛、むしろお手元に置かれることには、賛成です」


 官兵衛は、暗い男だが、話しやすい。明るい虎之助の方が話しやすそうに思ったが、話してみると、会話のテンポが合わなかったり、微妙な言い回しが通じなかったりする。城攻めを始めたとき、注進(と言うことを渋谷はあとで知った)に来た兵の報告を聞いて、賤ヶ岳の陣で見た傷つき苦しむ兵のことが頭から離れない渋谷は、

「味方の、損害は」

 と聞いた。注進の兵は、それが分からぬらしかった。虎之助の顔を見ても、きょとんとしている。それを官兵衛が引き取って、

「兵を失った数でござる」

 と言ってくれたから、渋谷は味方の損害が少ないことを知った。

 この時代には、という言葉は、一般的でないのかもしれない。それを、どうやら頭がとてもいいらしい官兵衛は知っていて、通訳してくれたのだ。他にも、虎之助には分からなくても、官兵衛には分かる、ということがよくあった。

 この城攻めの前の日、休息に立ち寄った城で合流してくれた前田利家という、全身に金色の派手な鎧を来た男と話したときも、利家は渋谷のことをよく知っているらしく、渋谷は応対に困ったのだが、去り気なく官兵衛が助け船を出してくれたりした。


 そういうことがあって、渋谷は、困ったときは官兵衛に聞けばいい、と思った。伊万里にも勿論あれこれと聞くが、伊万里は目の前で起こり続けるあり得ない出来事に目を白黒させてばかりいるから、頼りにならない。

 とにかく、可哀想な茶々らを、保護してやることには、官兵衛も賛成してくれた。だから、渋谷は、三人を出来るだけ丁重に扱うように言い付け、連れていかせた。


 戦国とは、怖いと渋谷は思った。あんな歳の少女ですら、両親を殺され、家を焼かれ、誰かを、憎しみに満ちた眼で見なければならないような世の中なのだ。現代にも、無論辛いことや悲しいことは山ほどあるが、に来てから見るそれは、渋谷の知るものの比ではなかった。

 振り返ると、まだ城は燃えている。

 調子に乗って、兵を焚き付けたから、あの城は燃えたのだ。

 そして、茶々にあんな眼をさせたのだ。

 だからといって、やめろと言って止められたものなのか。

 考えても仕方がないことは分かるが、考えざるを得ない。

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