第29話 最後の着ぐるみ

「彼は、改心して再生出来るかなあ」

 桃子はつぶやいた。

「再生出来ますよ。もちろん彼次第だけどね」

 田所のパーティーに参加したスタッフの事情聴取を終えると、乗船客の下船が始まった。

 スタッフが、タラップに集まる。

「さあ、桃子、最後のタラップちゃんの着ぐるみで皆さんにお見送りしてね」

 着ぐるみの一式を持って陽子が云った。

「はい、喜んで」

「あら、あなた、あれほどいやいややってたのに、随分変わったわねえ」

「だって、これが最後かと思うと、何だか寂しくなります」

「だったら、ずっと着ぐるみの仕事やる?」

「いえ、ずっとは無理」

「どっちなのよ」

 陽子は笑い転げた。

 桃子が着ぐるみに入るのを、エリカも手伝った。

「もう、この着ぐるみ、桃子の匂いが染みついているなあ」

 エリカが、鼻先を着ぐるみに近づけくんくん匂いを嗅ぎ、感慨深くつぶやいた。

「そうなの。夏の暑い時も被っていたから」

「今日で桃子ともお別れ。寂しくなったら、この着ぐるみの匂いを嗅いで、桃子を思い出そうかなあ」

「エリカ、匂いフェチだったの」

 陽子が真顔で尋ねた。

「いえ、桃子だけの匂いフェチです」

「だったら、次回の平安クルーズ客船の船旅の時、これから着ぐるみの仕事やってみる?私から、ポールにお願いしてあげるよ」

「いえ、それは駄目。私、暑がりだから」

「常夏の国のフィリピンに生まれて育って、暑がりはないでしょう」

「あなた達、日本人は知らないけれど、フィリピン人の中にも、暑がりいるのよ」

「本当に?」

「信じられない」

 桃子と陽子は、疑惑の眼差しをエリカに注いだ。

「本当よ。日本の四季にあこがれて、日本に住むフィリピン人、実は多いのよ」

 確かに、日本の冬、雪景色を見たり、体験したくて観光に来る東南アジア人は増えていた。

 タラップちゃんの着ぐるみで桃子も出て来た。

 森川が出て来た。

「色々、お騒がせしました」

 桃子の前で一礼した。

「いえ、こちらこそ」

 森川が耳を傾けた。

 声が届かないと見た桃子は、頭の被り物を取った。

「いえ、こちらこそ」

「何だか、今夜から船じゃなくて家で寝るかと思うと、寂しくなるなあ」

「お元気で。必ず復活して下さいね」

「まあ、前向きに考えておくよ」

「お願いします」

「何だか政治家のような答弁になったなあ」

 少し森川が照れた。

 ゆっくりとタラップを降りた。

 続いて雅子が出て来た。

「色々有難う」

「いえ、出しゃばってすみません」

「あの人に行っておいて」

「何をですか」

「しばらく、家に戻らないと」

「やっぱり復縁は駄目ですか」

「次の家を探します」

「奥さん、家を出るんですか」

「違うわよ。あの人のアパート探すのよ」

 小さく笑ってタラップを降りて行く。

 後ろに小林が立っていた。

「行きますよ、奥さん」

「ああ」

「これでいいんですか」

「仕方ないな。これまで色々やった結果だから。もうおしまいだな」

 小林は、目を伏せてうつむき、大きなため息をついた。

「諦めたら駄目です」

 桃子が叫んだ。

「そうだよ。サンライズだって諦めなかったから、四十年ぶりに再結成出来たんだから」

 マサが早足で駈けつけて、云った。

「行って来いって」

 メンバーが周りを取り囲んだ。

「さあ早く!」

 メンバーの声が、桃子のこころにも後押しを決意させた。

「そうよ」

 桃子が、小林の手を取って、タラップを走り出した。

 半分着ぐるみが、サンライズのボーカルの手を取って走り出したので、他の乗船客もすぐに気づき、後を追う。

 船内での復活コンサート終了後、すぐにファンクラブが結成された。

 小林が、タラップちゃん・桃子が走る。

 そしてメンバーが走る。

 ファンが追いかける。

 途中で小林は、雅子に追いついた。

 すぐ周りをメンバーとファンが幾重にも重なって取り囲んだ。

「何よ、まだ私に文句があるの」

 きっと雅子が小林を睨みつけた。

「ちょっと話があるんだ」

「しつこい。どいて頂戴」

 雅子は、一歩前へ進み、小林を手で払いのけようとした。

「話ぐらい、聞いてあげてもいいではないですか」

 マサが静かに口を開く。

「今まで苦労をかけた。すまない。もう一度やり直したいんだ」

 小林は頭を下げた。

「しつこい。どきなさい」

 雅子が、さらに一歩前へ進もうとした。

 小林が肩に手をやり、押し戻した。

「四十年前のヒット曲だけど、これは今の僕の心境でもあるんだ」

 小林が、アカペラで歌い出した。

 後ろのファンが、

「永遠のラブストーリーよ」

 何人も囁いた。

 ♫

 ふたり歩み出して 歩く道

 ふたり夢を追いかけて 行く道

 いつしか二人のこころは 離れ離れに

 確かにそばにいるけれど

 僕は きみが見えなくなった

 悪いのは 歳月じゃない

 悪いのは きみじゃない

 それでも 僕はきみを離さない

 永遠に愛しているから

 永遠に愛しているから


 小林が唄い終わると、

「カツの気持ち、わかってあげて下さい」

「お願いします」

「どうかお願いします」

 口々にファンが口走った。

「カツは、四十年ぶりのサンライズ再結成したのも、雅子さんとの離婚旅行のためだったんです」

「彼の気持ちを察してあげて下さい」

 ファンの思いを黙って聞き終えた雅子は、静かに幾重にも取り囲む輪を抜けて進み出した。

 四、五歩進んで立ち止った。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る