第22話 謎の進行表

 「エンジントラブルで、減速航行していましたが、無事修理が完了いたしました。ご迷惑をお掛けしました事をお詫び申し上げます。只今より通常航行いたします」

 船長アナウンスが流れる。

 森川に配慮した船内放送だった。

「皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 取り敢えず、森川は、救護室に行き、医師の簡単な診察を受けた。

「外傷はないですね」

「はい」

「心身ストレスの極限状態に置かれた人間は、自分の意志とは、無関係に時として行動を起こす事がありますからね」

「はあ、まあ」

 医師は、森川の前で決して(自殺)の二文字を使わずに、慎重に言葉を選んで語り掛けた。

 医師は、森川に質問もしなかった。

 救護室を出て、森川の自室に戻った。

 桃子、エリカ、陽子が同行した。

 部屋に入る。

「乗船した時から、飛び込むつもりだったんですか」

 桃子が、皆の思いを代弁するかのように、一番聞きにくい言葉を口にした。

「そうだ。平安に乗り込んだ時から、私は死ぬつもりだったんだ」

 言葉を絞り出すように森川は、云った。

「じゃあ松山の梅津寺海岸の水遊びもやっぱり、入水自殺しようとしたんですね」

 森川は、無言でゆっくりとうなづいた。

「そんな事があったの」

 陽子は、何で私に今まで云わなかったんだと云う目で桃子を睨みつけた。

「どうしてですか」

「死んだらおしまいじゃん、おじさん」

 エリカが云った。

「エリカさん、このお方は、人間国宝で、歌舞伎界では有名な方ですよ。言葉を慎みなさい」

 陽子がたしなめた。

「おしまいにしたかったんだ」

「人間国宝だったら尚更だよ。自分から死のうなんて馬鹿だよ、大馬鹿だよ」

「やめなさい、エリカ」

「私もそう思う。森川さんは大馬鹿者です」

「桃子さんまで、何ですか」

 桃子もエリカも、後悔はしていなかった。

「いやあ確かに、私は馬鹿だったなあ」

 森川は、深いため息をついて、うつむいた。

「私だって、今まで何度も死にたいと思った。でも死ななかった。どうしてだかわかるかな、おじさん」

 エリカは尋ねた。

「さあねえ、わからん。教えてくれよ」

「人間は、再生出来るからよ。今までの生活や考え方まで全部リセットして再生出来るからよ」

 経験から基づく、エリカの重い言葉は、森川の今の脆弱なこころのドア、壁をいとも簡単にぶち壊して、遠慮なくやすやすと侵入した。

 そして瞬く間に、こころの襞の中まで浸透した。

「再生かあ」

 桃子と森川は、同時につぶやいた。

「再生出来ない人間なんていないからね。それにおじさんは、歌舞伎では有名で素晴らしい芸を持ってるんだろう。だったら、尚更再生出来るって。たとえ歌舞伎を離れても、他の分野で再生出来るって」

 エリカが太鼓判を押した。

 その言葉を聞きながら、何度も森川がつなづくのを、桃子は見た。

「田所パーティで見た連獅子、素晴らしかったです。着ぐるみで倒れなかったら、ずっと一緒に踊ってみたかったです」

 誇らしげに桃子は云った。

「あまりにも、素晴らし過ぎて見とれて、倒れたのかね」

 少し森川の顔に笑みが浮かび始めた。

「私ねえ、あの時変に対抗心が芽生えて、負けじと首を振り回していたら、酸欠状態になっちゃって。お年寄りなのに、どうしてあんなに正常心で踊る事が出来るんですか。不思議です。コツを教えて下さい」

「コツなんてない。日頃の鍛錬だよ」

「やっぱりねえ」

「しいて云えば、余計な力を身体に与えない。振り回そうと全身に力を入れちゃうと、くたびれるからね」

「なるほどねえ」

「まあ桃子さんの場合は、着ぐるみで踊ったから、すぐに酸欠状態になったんだろうねえ。前代未聞の獅子の舞いでした」

 と云って森川は、小さく笑った。

 雅子は、メインホールでの食事に顔を見せるようになった。

 その傍らには、小林の代わりに、森川が仲睦まじく肩を並べていた。

 これは、再三再四のスタッフの要請に対して出した条件が、

(森川さんと一緒なら出てもよい)と云う事だった。

 小林は、後方の柱の陰から見守った。

「これでよかったんですかね」

 桃子は、小林に質問を投げかけた。

「部屋から出たんだから、一歩前進ですよ」

 小林は、答えた。

「よほど、歌舞伎が好きなのね」

「あいつは、死ぬほど歌舞伎が好きなんだ」

 いよいよ明日は、「平安」名物、サプライズゲストコンサートである。

 乗船客に配布されているパンフレットにも、ゲストの名前の欄は、「?」とだけ記されている。

 ★ ゲストの名前は、当日のお楽しみです

 と書かれているだけだ。

 過去には、日本はもとより、海外からの大物ゲストがやって来た。

 桃子が不思議に思うのは、当日まで、人知れずどうやって乗り込んで、その日まで過ごすかだ。

 乗り込みの最後の寄港地は、フィリピンだ。

 これが会館なら、裏から人知れずに入る事が出来る。

 しかし、船の場合は、絶対に無理だと思う。

 ホールでは、菊池が手品を披露していた。

 今夜のマジックは、ステージに二人を呼んで、黒幕をかける。

 一瞬のうちに、二人から二十人に増えているものだった。

 ショーのあと、陽子が、桃子とエリカを呼んだ。

「これ、明日の晩のサプライズゲストコンサートの進行表。よく読んどいて」

「よく読むって、曲名もボーカルの名前も書いていないんですけど」

 桃子は、貰った進行表には、曲名は、(曲1))(曲2)(曲3)としか書いてない。

 ボーカルも(ボーカルA)(ボーカルB)としか記載されてない。

「ああ、それね、当日わかるから」

「誰が来るんですか」

「知りません」

 ぴしゃりと陽子は云った。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る