第19話 追い出されました 

 夕方、乗船客は、フィリピン観光から、戻って来た。

 ゲートを通過するたびに、コンピューターがカウントする。

 カード持っているので、今、誰がどの場所なのか瞬時にわかる。

 一昔前なら、目視でいちいち確認していた。

 大変な手間と労力がかかっていたのだった。

 スタッフがフィリピン人ほとんどだったので、港ではあちこちで、家族が抱き合い、泣く者までいた。

(こんな場面は、日本にはなくなった)

 豊かになった半面、失うものもある。

 それは、家族の絆なのだろうか。

 豊かになったのに、逆に、絆は薄くなったように感じる。

 別れの光景を甲板から眺めながら、桃子は色々と思った。

「絵になるねえ」

 いつの間にか、森川が近づいて云った。

「私もそう思います」

「故郷を一度に多くの人が離れる。昔は、日本も中学を出たばかりの幼い子供が集団就職で、故郷をあとにして、東京へ行ったなあ」

「そんな時代あったんですねえ」

 桃子からすれば、自分が生まれる前のはるか昔の昭和史と云う歴史の一コマになる。

「ああ」

 二人は、じっと別れの光景を見続けた。

 船の汽笛が、まるでドラマの効果音のように、寂寥感を演出していた。

 船は、一路日本を目指す。

 その夜。

 ショーが終わり、自室に戻ると。ドアの前に一人の男がうずくまっていた。

「小林さん、一体どうしたんですか」

「ああ、待ちくたびれて寝てしまってた」

「理由ありみたい。中に入って聞いてみたら」

 エリカの提案で、桃子は自室に招いた。

「実は、部屋を追い出されましてね。情けない話です」

 小林は、照れ笑いした。

「一体何があったんですか」

「もう耐えきれない。あんたは、どこかへ行って下さいと云われましてね」

「ここは船の中ですよ。自由に外に出られないのは、わかってるはずなのに」

「とにかく、話し合いが大事。一緒に行きましょう」

「行っても同じだと思うよ」

 小林がそう云っても、すぐに桃子は、エリカとともに、先を歩いた。

 カードを持っていれば、音声ガイドがあるので、自室まで連れて行って貰えるシステムだ。

 ドアをノックした。

「奥様」

「はい、どなた」

 鍵をかけたまま、ドア越しに雅子の声が聞こえる。

「ご主人をお連れしました。ちょっと開けてくれますか」

「ああ、もう主人は、ここにいません」

「いないって。今、ここにいます」

「今は、私には、全然関係ない男ですから」

「ちょっと、お話しましょうよ」

 桃子は、ドアを叩き続けた。

 エリカから連絡を受けて、ほどなくポールと陽子が駈け付けた。

「もうその辺にしときましょう」

 ポールが背後から声をかけた。

「でも全然問題が解決してませんけど」

「時間も遅いし。今夜はこれでお開きにしましょう」

 今度は、陽子が云った。

「でも小林さん、どうするんですか」

「ご心配なく」

 ポールは、小林を(スペアルーム)に案内した。

「平安」では、今夜のようなアクシデントに備えて、(スペアルーム)五室用意していた。

 今回のような喧嘩、または、その他のトラブルで、部屋を出た、部屋がないお客様への対応としていた。

 鍵がかかっていても、ポールはスペア鍵を持っていたので、中に入ろうとすれば、出来た。

 しかしその対応は、あくまでお客様の身体の容態の変化。

 例えば朝、起きて来ないなどの緊急時にしか使用してはならないと厳しい内部規律があった。

 これらは、全てお客様のプライバシー保護のためでもあった。

 桃子とエリカは、何だか煮え切らない、もやもやした気分で自室に戻る途中だった。

「桃子、スタッフルームに行こうよ」

「うん、行こう」

 今夜も仕事を終えたフィリピン人達で、満席だった。

 エリカが行くと、すっとテーブルを開けてくれる。云わば、顔ききだった。

「今夜は、変わった人がいますねえ」

 桃子が、マジシャン菊池を見つけた。

「どうしたんですか」

「僕がいては駄目ですか」

「大歓迎です」

 何も注文しないのに、ケントスが、ビールとワインと軽食を持って来た。

「もうケントスは、桃子の事が好きなのよねえ」

「はい大好きです。結婚しましょう」

 フィリピン人は、ジョークもストレートなのだ。

 にっこりとほほ笑んで席をあとにした。

 桃子らは、小林夫妻の話を、菊池にした。

「それは大変だなあ、船の中だから、逃げ場がないからなあ」

 菊池も同調した。

「ねえねえ、人間を空中浮揚出来るんだから、ドア越しに一人くらい、送り込めるでしょう」

 真顔で、エリカは云った。

「ちょっと待って下さい。それは無理です。物理的に無理」

 手を左右に激しく振って、菊池は答えた。

「空中浮揚も物理的に無理なのに、あんたやってのけたじゃないのさ」

「だから、あれはマジック。本当に空中浮揚なんかしてません」

「えっ、どう云う事。種明かししてよ」

「いや、それは出来ません。飯の種ですから無理です」

「ケチ、あんた、折角スタッフルームに顔を出したんだから、私らフィリピン人スタッフに何かマジックやってよ。手ぶらで返さないからね」

 エリカは可愛く凄んだ。

「そうですよ。菊池さん、ここは日本とフィリピン友好の証のために何かやって下さいよ」

 桃子も調子に乗って来た。

「わかりました。じゃあ、他のマジックをやりましょう」

「やって、やって」

 いつの間にか、桃子らのテーブルにフィリピン人が続々と集まって来た。





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