第16話 台湾の占い館
エリカが戻って来たのは、午前三時過ぎだった。
無言で桃子のベッドに潜り込んで来た。
今まで何度かあったので、桃子もまたかと云う気持ちが大半を占めていた。
「十分だけよ」
桃子はそれだけ云うと、再び眠りの世界へ潜り込もうとした。
「ねえ、桃子」
「なあに」
桃子は、睡眠の池へ、身体を沈めていたので、声もうつろだ。
「一つ聞いていい?」
「はあああいいい」
「人はどうして恋をするのかなあ」
「失恋した私には、きつい質問ねえ」
段々と睡眠の池から上がり、淵に立つ。
「あなたもねえ・・・」
と云いかけてやめた。
エリカの小さな吐息を身体に感じた。
そおっと起こさないように、桃子はベッドを抜け出して向かい側のエリカのベッドに身体を入れた。
同じベッド、ブラケット、枕。なのに、全く落ち着いて寝れない。
自分ではなくて、エリカの匂いがする。そのせいかもしれない。
さっきまで、あんなに眠かった自分が嘘のようになり、入れ替わるかのように今度は、エリカが完全に眠りの世界に入り込んでいた。
「エリカの馬鹿」
急に腹だたしくなった桃子は、叫んだ。
しかし、エリカはピクリともしなかった。
台湾は、完全に夏の顔を露出していた。
今、桃子はエリカの案内で、台北の中心部の雑居ビルの中にある占い館にやって来た。
「本当、よく当たるところなんだから」
行く道中何度も同じフレーズをエリカは繰り返していた。
当たろうとも、当たるまいとも目下の桃子には、全然興味がなかった。
入り口のドアには、何も書かれていない。
普通の家の感じだ。
「どんなガイドブックにも載っていないのよ。ここは」
「どうして載せないの。載せた方が儲かるのに」
「オーナーが変人で、観光客が押し寄せるのを嫌がっているのよ」
「つまり、商売っ気がないって事ね」
余計に中に踏み入れる足が、重く感じた。
電灯が一つぽつんとある、真黒な天井と幅一メートルぐらいの廊下を進む。
よれたカーテンを開けると老婆がいた。
「エリカさん、いらっしゃい」
「えっ、日本語喋れるんですか」
桃子は聞いた。
「もちろん。小学校、中学校とも日本語。いや、その頃は日本人だったのよ」
台湾が、昔、日本統治だったのは知っている。
「また恋の占いかい」
「ピンポン」
小さなテーブルを挟んで座る。
老婆は、長さ五〇センチはあろうかと云う大きな線香を三本持って来た。
「これに願い事を念じながら火をつけなさい」
エリカは、ここへは何度もやって来ているらしく、わかっているようだ。
老婆は恐らく初めての桃子のために、あえて口に出して段取りを説明したのだろう。
マッチで擦って火をつける。
煙が立ち上がる。
(あれっ)と思った。
同じ場所に立つ線香だから、煙は当然同じ方向に行くべきなのに、右端はまっすぐに上へ。
真ん中は、下に向かい、左端は、左へと煙を出していた。
老婆とエリカは目を瞑った。
桃子だけ、目を開けて事の成り行きを見守っていた。
「迷っているよねえ、エリカ」
「はい」
「よくない気があんたを取り巻いているねえ。これは気をつけた方がいいねえ」
「はい」
「その男はよくないよ」
「はい」
「このままにしてたら、あんたも食われるよ、そして悪の世界へ引っ張られるよ」
「はい」
「充分気をつけなさい」
「わかりました」
ここで二人は、目を開く。
不思議な事に、煙は三本とも、今は同じ真っすぐに天井に向かっていた。
天井のどこかに細工があるのだろうか。
桃子は、じっと天井を見上げる。
しかし、排気口もファンもなかった。
「さあ、次は桃子の番よ」
「いや、私はいいです」
その言葉を無視して、老婆はまた新しい線香を持って来た。
「あれっ、三本じゃなくて五本なんですか」
「そうだよ。相手によって違うからねえ」
「そうなんですか」
「高さも違いますねえ」
「あんたの、今の気を見て決めるのさ」
マッチを擦る。
「火をつける順番は、あんたの思い通りにやりなさい。何か願い事を強く念じながらね」
「はい」
桃子は、まず中央に火をつける。
あとは、右から順番にした。
火は、真ん中が真っすぐに上に伸びる。
右の二本は、右へ左へ、あるいはエックスの字を描くように複雑な動きをした。
左の二本は、どう云うわけか、煙がほとんど出てなかった。
桃子は、目を閉じずに様々な動きの煙に、感動していた。
「あんたは、大きな神に守られているねえ、幸せだねえ」
「いえ、男に振られたばっかしで、幸せじゃあないです」
「色んな気があんたを取り巻くねえ。悪い気が多くあるねえ。でもついてる神さんが強いから、救ってくれるねえ」
「きっとガエス様だあ」
横からエリカがつぶやく。
「あんたは、人を助ける」
「私がですか」
「もちろん、あんただよ」
「助けるために、あんたは一時絶望するだろう。しかし希望の花が咲くねえ、すぐにね」
にっこりと老婆は微笑んだ。
「どうよく当たるでしょう」
「何か抽象的な事ばっかし。もっといつどこでどんな男と出会うのか、云って欲しかったなあ」
占い館を出た二人は、台北の屋台で昼ご飯を食べていた。
鶏肉と、野菜、マンゴーが入ったラーメンを食べていた。
汁は、脂が浮いていて、濃いと思ったが、呑んでみると意外にもあっさりとしていた。
「これ、すげえ上手い!病みつき」
と桃子は叫んでいた。
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